鳥を愛した人 樹を愛した人

千年砂漠

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雀の墓

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 私が勤めるカフェレストランの常連客で数年前までタクシー会社の社長をされていた松井さんは、店内で食事されるより外のテラスを利用することが多い方だった。
 周りの景色を眺めながら食事をするのがお好きなのだろうと思っていたが、ある日、ふと気が付いた。
 松井さんはどのテラス席に座っても、いつも同じ方向を見ていた。
 それに気が付いてしまうと訳を知りたくなり、私は松井さんに尋ねてみた。
「いつも同じ方をご覧になっておられるようですが、何かお気に入りものでもございますか?」
 私の問いに、松井さんは目を細めて首を横に振った。
「いや、忘れられない昔の思い出を、改めて思い返しているだけだよ」
 年寄りの感傷だ、と言いながら松井さん目には淡い悲しみが滲んでいた。
「申し訳ございません。無遠慮にお尋ねいたしまして失礼いたしました」
 私が頭を下げて詫びると、松井さんは軽く手を振った。
「謝ることはないよ。……良かったら聞いてくれるかい? ずいぶん昔の話だが」
「ぜひ、お伺いさせてください」
 そう私が返事をすると、松井さんは頷いて前の席に座るよう勧めてくれた。

 松井さんはタクシー会社を興す前、若い頃は個人タクシーの運転手をされていた。
 これはその若き日の、個人タクシー時代の話だった。

 ある晩春、松井さんはあるバス停からお年寄り夫婦を車に乗せた。
 本来はバスで帰る予定だったらしいが、バスを待っている間に奥様の方の体調が悪くなり、一緒にバスを待っていた人達に勧められてタクシーで帰ることにしたのだそうだ。
 客を探して流し運転していた松井さんのタクシーを手を上げて止めたのも、そのバス停にいた人の一人だったそうで、親切な人達が居合わせていたおかげでお年寄り夫婦はすぐにタクシーに乗ることが出来たのだった。

 田舎はバスの本数が少ない。それ故タイミングが悪いと待ち時間が長くなる。
 お年寄りの奥様が体調が悪くなったも、ベンチもなく日差しを避けるところもないバス停で数十分もバスを待っていたからだったかもしれない。
 平年より気温が少し高い日だったのでエアコンを入れていたが、お年寄りに冷えすぎは良くないのでご夫婦にひと言断りを入れてエアコンを切り、窓を開け風を入れた。それがよかったのか奥様の顔色が少しずつ良くなり、家に着く頃には元気を取り戻した。

 ご夫婦の家は周りに田畑の多い郊外にあった。
 自宅前に車を着けて、お二人が車を降りる際に手を貸し、玄関先まで荷物を運んだ。
 お二人にはとても感謝され、料金より多い金額を差し出されて「おつりは手袋代の足しに」と言われたためありがたく頂戴した――までは良かったのだが、ここから帰るには少し困ってしまった。
 ご夫婦の自宅前の道路は狭く、普通車一台分ほどの幅しかなく、しかも三軒ほど先で行き止まりになっていた。
 大きな道路に出るまでそのまま車をバックさせるしかないか、と考えていると、お年寄りのご主人の方が良いことを教えてくれた。
「運転手さん、ここから二軒ほど下がった所に広い土地がありますから、そこに乗り入れて方向転換すれば良いですよ」
 昔自分の親が住んでいた家を最近取り壊し、整地したばかりの所だという。
 松井さんは礼を言い、そこで方向転換するためその土地へ車をバックで乗り入れた。
 整地したばかり土地は表面こそならして平らにしてあるが、大きな石混じりでごつごつしていた。が、方向転換に使うために乗り込んだ土地なので別に困りはしない。
 ハンドルを切り、大きな道路へ出ようとした松井さんの目が、ある物を捕らえた。

 それは整地された土地の出入り口辺りに横たわった小さな雀と、それに寄り添うようにしている一羽の雀だった。

 小さな雀はもう息絶えているのが運転席から見てもひと目で分かった。
 傍にいるのは死んだ雀の親なのかもしれない。動かない小さな雀を傍でじっと見守っている。
 「かわいそうに」
 松井さんがついそう独り言を漏らしたとき、不意に親雀が松井さんの方を見た。
 何か縋るような目をしていた。
「……分かったよ。私がその雀を弔ってあげるよ」
 松井さんは車を降り、雀たちの方へ歩いた。親雀は松井さんが近くに来るまで逃げなかった。

 子雀の死因は分からないが、比較的きれいな死に様だった。
 親雀に弔ってやるといったものの、どうしようかと少し悩んだ。
 自分の家には庭があるから埋めてやれるが、車に雀の死体を乗せたままタクシーの仕事をするわけにはいかない。
 松井さんは周りを見回し、整地したこの土地の隅に楡の木があるのを見つけた。
 
 子雀はあの楡の木の下に埋めてやろう。
 勝手なようだが、この土地の持ち主のあの優しいご主人さんならきっと許してくださるだろう。

 松井さんは自分がはめていた白の手袋を取って、子雀の身体を包み、楡の木の下へ歩いた。
 そこに落ちている木の枝や石を使って深めの穴を掘り、小雀を手袋に包んだまま埋めてやった。
 埋めた後、近くに咲いていた名も知らぬ花を取ってそこに供え、手を合わせた。

 ふと頭上に気配を感じて顔を上げると、楡の木に雀が止まっていた。さっきの親雀に違いなかった。
「子雀はここに埋めてやったからね。いつでもこの楡の木を目印にして来ると良いよ」
 話しかける松井さんを雀がじっと見返していた。
 松井さんの言葉が分かるかのように。

「それからねえ、どこかで楡の木を見かける度に、あの雀のことを思い出してしまうんだよ。何年経っても忘れられないんだ、親雀の私を見ていた悲しげな目が」
 そう私に語ってくださった松井さんの目こそ、深い慈愛と悲しみに染まっていた。
 私の勤める店のテラスで、その昔話を聞かせてくれた松井さんに、私は聞いてみた。
「今でもその子雀を埋めた楡の木ってあるんですか?」
 いいや、と松井さんは寂しげに笑って首を振った。
「土地も含めて、あの辺り一帯はもう昔の面影がないほど変わったしまったよ。楡の木も切られて、今は立派な家が建ってる」
 ほら、あそこだよ、と松井さんはテラスと駐車場を越した前の道路の向こう側を差した。
 そこは何年か前に、新興住宅地としていくつもの建売住宅が建てられた場所だった。
「あの二階建ての家の庭の端、あそこに楡の木があったんだ。あそこに私の埋めた子雀の墓があるんだよ」
 あの時の親雀はもう遠の昔に死んでしまっただろう。だから子雀の墓に参るのはもう自分だけだ、と松井さんは目を細めた。

 もしかしたら松井さんがこの店の常連になったのは、このテラスからかつての子雀の墓が見えるからだったのではないだろうか。
 そしてこの席に座る度、道路の向こうに今は無き楡の木を見ていたのかも知れない。
 その楡の木の枝には、きっと親雀が止っていただろう。

 いつか松井さんがこのテラスに来られなくなったら、その時は私が代わりにこの席に座ってみたい。
 その時には私にも、楡の木とその枝に止る雀の姿が見えるような気がする。
 もしも私にその幻が見えたら、私は心の中で子雀の墓に野に咲く花を花束にして捧げよう。
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