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誘鳥木
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私が勤めるカフェレストランは郊外にあり、周りは田畑が広がる長閑な所だ。
それだけでも景観がよいが、さらに敷地内の庭も楽しんでもらえるよう、様々な木や花も植えている。
その管理はさすがに従業員では手に負えず、ガーデニング管理専門の業者に頼んであった。
おかげで庭木は伸びすぎることもなく、害虫もつかず、花壇は常に花で溢れて、素晴らしい美しさを保っていた。
半年に一度、庭木の剪定をするときは男性が、それ以外は二週間に一度女性が二人で来て花の世話や敷地内の雑草の除去をしてくれているらしかった。
らしかった、というのは、彼らが作業に来るのは店の定休日なので、私たち従業員は会ったことがなかったのだ。
造園のプロのおかげで店は「きれいな庭を見ながらランチが楽しめる店」として口コミサイトでの評判も上々だった。
しかし、社会を震撼させたかのパンデミックの影響で店の業績が悪化してしまった。
厳しい時期を乗り越えるため従業員皆で意見を出し合い、席数を減らして営業時間を短くしたり、弁当販売を行ったりして店の存続に努力した。
それでも経費削減のため、残念だがガーデニング業者との契約も解除しなければならなかった。
店の庭はオーナーシェフ自ら休日を利用して花苗を買いに行き、ガーデニングの動画などを参考にして整備していた。従業員も当番制で庭の清掃や花の世話をしたが、やはりプロに任せていた時と比べて見劣りし、寂しいものとなった。
ようやく世界を巻き込んだ騒動が落ち着き、店に客足が戻ってきた頃、オーナーシェフが庭の整備と世話をしてくれる人を一人雇った。
オーナーシェフが花苗を買っていた店の店員の、『花木』という正にガーデニング仕事にうってつけのような名前の女性で、自分が勤める店が休みの日に副業として毎週金曜日の朝九時から夕方四時まで作業をしてくれるという。
花木さんが庭の手入れを受け持ってくれてから、少しずつ店の庭は美しくなっていった。
以前入っていたガーデニング業者が作る庭と比べると地味な印象だったが、後にそれは花木さんが庭に植えられた木との相性やバランスを考えてのことだったと分かった。
ガーデニング業者が植える花はいつも人目を惹く鮮やかな色の花ばかりだったので、通りすがりに見るなら、ガーデニング業者が作った庭の方が注目を集めるだろう。
しかし花木さんが作る庭は、庭木と調和する色合いの花が多く、変に視界にチラつく派手な色がないため気分が落ち着き、眺めていると本当に林の中にいるような気持ちになる。
それが夜になって照明が当たると、今度は幻想的な風景になり、ファンタジーの世界に入り込んだように思えるのだ。
実際にそう言うお客様もいて、以前にも増して庭が見える窓際の席が人気となった。
そんな魅力的な庭を作り上げる花木さんは日焼け防止のためかいつも大きな帽子をかぶり長袖の作業着姿の上、マスクをしていたので、誰も素顔を見たことがなかった。
それに、彼女の仕事は外、私たちは店内での仕事なのでほぼ接点がなく、来た時と帰る時の挨拶くらいしか声も聞いたことがない。ただ、花木さんが勤めている苗販売の店は四十代以上の女性のパート職員ばかりだ誰かが言っていたので、花木さんもそれくらいの年齢の人だろうと思っていた。
花木さんが店の庭の世話を受け持ってくれるようになって一年近く経った、六月初旬の金曜日ことだった。
その日は前日と比べて急に気温が上がり、持ち帰りできる冷たい飲み物がよく売れた。
忙しかったランチタイムを過ぎ、早番だった私は午後二時が仕事終わりだったが、今日急激に飲み物が売れて在庫が少なくなったカップの発注を頼まれて十五分ほど残業した後、いつものように店の裏にある従業員出入り口から外に出た。
そこには店の大きなごみ箱も据えてあるのだが、その陰に花木さんが座り込んでいた。
「どうしたんですか」
私が声をかけると、花木さんはのろのろと顔を上げ、力ない声で答えた。
「……すみません……暑くて……ちょっと休憩を……」
今日の気温の高さと花木さんの弱り具合で思い当たることがあった。
「水分は取られましたか」
「持ってきてた水では……足りなくて……後で……買いに行こうと……」
やはりこれは熱中症だと思い、私は店に引き返してオーナーシェフに相談し、とりあえず店の従業員休憩室で休んでもらうことにした。
恐縮して遠慮する花木さんを半ば強引に休憩室に連れていき、女性従業員の着替えのためカーテンで仕切られた畳敷きのスペースに彼女を寝かせた。
寝かせる前に帽子とマスクを取って上着も脱いでもらい、それで初めて花木さんの顔を見たのだが、思った以上に若かったのには驚いた。
どう見ても二十代半ば以上には見えない、繊細そうな女性だった。
まず水を飲ませ、店からもらった氷で頭と脇を冷やす。それから自販機にスポーツドリンクを買いに走り、それも飲ませると、ほてって真っ赤だった顔色も落ち着き話す言葉もしっかりしてきた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
もう大丈夫なので仕事に戻るという花木さんを、私はあわてて押しとどめた。
「オーナーシェフが今日の仕事はここまでにしてくださいと言っております。この更衣室は次は五時からのシフトの人が来るまで誰も来ませんので、もう少し休んでください」
「でも……あなたもお仕事が」
「私の今日の仕事は終わりました。この後何の予定も用事もないので、どうぞお気遣いなく。あなたが大丈夫と思えるまでは付き添わせてください」
私が笑いかけると、花木さんはもう一度「すみません」とつぶやくように謝った。
とてもシャイそうな花木さんは今まで話したこともない私と二人でいるのは居心地が悪いだろうとは思ったが、知らない所で一人でいるのも不安だろうし、何よりまだ帰らせて大丈夫と思える顔色ではなかった。
私が黙っていては「迷惑をかけられて不機嫌になっているのではないか」と花木さんが考えそうだったので、いつも花木さんが世話をしてくれている庭を見ながら思っていたことを告げた。
「こんな機会で申し訳ありませんが、ようやく花木さんにお礼が言えます。いつも店のお庭をきれいにしてくださってありがとうございます」
「そんな……お礼なんて。あれは私の仕事で」
「私たち従業員も、あのお庭を見るたび癒されております。同じようにおっしゃるお客様も多くて、窓際の席のご予約がとても増えているんですよ。庭の写真を撮って帰られる方もおられるくらいです」
「本当ですか」
花木さんは目を見開き、次いで、
「……嬉しい」
とポロポロと涙を零した。
「私……子供のころから何も得意なことがなくて……何をやってもダメで」
流れる涙もそのままに、花木さんはぽつぽつと今までの自分を語った。
花木さんは物事を即決するのが苦手で、じっくり考えてから決める性格だった。
熟慮する分大きな失敗は少ないのだが、現代はタイムパフォーマンスと言って効率のためある程度のスピードも求められる。
行動を起こすのに他の人より少し時間のかかる花木さんは年齢が上がるにつれて「のろま」と思われ、実際周りからそう言われて何をするにも自信が持てなくなっていった。
そして運悪く中学二年生の時に、同じクラスの女子からいじめを受けて不登校になってしまった。
高校は普通校へは進学せず、通信高校を選んだ。いじめのせいで同世代の女子が怖かったからだ。
通信高校でも登校日はあり、体育祭などの行事もあったが、極力人と関わらないようにして過ごした。
卒業後は大学へ進学する気はなかった。同じ年頃の女性に恐怖感があったせいもあるが、特別勉強したい分野もなく、高い学費を払っていく価値を見出せなかった。
かといって就職も中々決まらなかった。学歴は高卒なので、条件の良いところは応募資格すらない。幸いにも両親は花木さんを責めず、正社員でなくてもいいから、まずできそうなアルバイトから始めてみることを提案してくれた。
それでフリーの求人雑誌でアルバイトを探し、目に入ったのが今務めている野菜や花の苗を育成し販売する店だった。
『未経験者大歓迎。子育て世代の主婦の方も多く働いています』と書かれた店の紹介文に、ここなら苦手な同世代の女性はいないかもしれないと思い、応募した。
面接に行くと、自分の父親より年上の社長が直々に面接してくれた。
志望動機を聞かれて、花木さんは正直に、中学でいじめを受けて同じ年頃の女性が怖く、ここなら年上の人ばかりで安心できると思ったと答えた。
「後で考えると、まず嘘でも植物の育成に興味があると答える方がよかったと思ったんですけど、その時は面接慣れしてなくて」
しかし社長は花木さんの答えを聞いて大笑いした。そして、
「大丈夫、今うちで働いてるのは君から見たらおばさんの歳の人ばかりだから。それに花木って名前、うちで働くのにぴったりじゃないか。明日から来なさい」
と言ってくれたそうだ。
勤め始めると、初めはやはり行動の遅い花木さんに厳しく当たる人もいたが、一度理解したことは丁寧に実直に行うのを見て段々彼女の性格を理解してくれるようになり、花木さんも仕事ができるようになるごとに店になじんでいった。
「自分でも意外だったんですが、植物を育てる仕事がとても楽しくて、生まれて初めて夢中になれるものを見つけた気がしました」
先輩の店員や社長に積極的に教えを請い、自分でも本を買って勉強した。お客の中には農家の人もいるので、その人達からも貪欲に知識を吸収した。
勉強した分知識が増え、知識が増えて経験が重なるとそれが小さな自信になった。自信ができると判断も早くなり、それがさらなる自信を呼び、ますます仕事に意欲がわいた。
例のパンデミックの時期、世の中は自宅待機の人が多くなったためか自宅でできるガーデニングが趣味として流行り、花木さんの店にも多くの人たちが花苗を求めてくるようになった。
そこで社長の提案で、初めてガーデニングを始める客の参考になるよう、店員それぞれが花の寄せ植えの見本を作ることになった。
花木さんが作成した落ち着いた色の寄せ植えを好んで、見本と同じ種類の花苗を買っていってくれる客もいたが、やはり勤務年数の長い先輩店員が作った色鮮やかな寄せ植えが人気を集めた。何よりその寄せ植えは初心者でも世話がしやすく、安価で買える種類の花ばかりだった。
「お客様に勧めるためのものを、自分の好みや考えだけで作ってはダメだったんです。人にはそれぞれ好みがあるし、経験も知識も違うから、どんなお客さんが来ても、その人に合った花苗をお勧めできるように勉強しなきゃと思いました」
それから花木さんはもっと身を入れて園芸について勉強を始めた。
そんなある日、花木さんは社長に呼ばれ、一人の男性を紹介された。
「その方が、この店のオーナーシェフさんでした。私の寄せ植えの鉢を見てとても気に入ってくださったそうで」
うちの店の庭をこの寄せ植えのようなイメージにして手入れをしてくれないかと言われ、庭の世話人として引き抜きに来たのかと思い、この店をやめるつもりはないからと断った。が、この店に勤めながら休日を利用しての副業でいいという。驚いたことに社長の了承はすでに取ってあった。
オーナーシェフは「派手さはないけれどお互いの花の持ち味を生かした鉢植えが素晴しかった」と褒めて、「ぜひうちの店の庭もそんな庭にしてもらいたい」と言った。
返事は急がないと言われたので、一週間考え抜いた。
決断の背中を押したのは社長だった。
「花木さんならできるよ。もっと園芸の勉強がしたいと言ってただろう。実践の勉強だと思って行ってきなさい。何か困ったことがあったら相談に乗るから」
社長の言葉に励まされ、花木さんはオーナーシェフの申し出を引き受けることにした。
「だけど、ずっと不安だったんです。以前ガーデニング業者さんが作っていた庭の写真がSNSに上がってたので見ましたけど、鮮やかで、私が作るような庭で本当にいいんだろうか、って」
何度も前の庭の写真をオーナーシェフに見せて確認した。
こんな色とりどりの華やかな庭でなくていいのかと。
オーナーシェフの答えはいつも同じ、「あなたのイメージで庭を作ってください」だった。
「期待に応えたくて、私にできることを精一杯やってきました。だから、店のお客様に褒めてもらえてたって分かって、本当に嬉しいです」
涙で顔をくしゃくしゃにした花木さんに、私はそばにあったティッシュペーパーの箱を差し出した。
「花木さんの作られるお庭、とても素敵ですよ」
ティッシュで顔を拭きながら「ありがとうございます」と礼を言う花木さんに、私は秘密を打ち明けるように小声でささやいた。
「お客様が気に入ってくださるのも当然ですが、一番のファンはうちのオーナーシェフだと思います」
そう、誰より花木さんの作る庭が好きなのはきっとオーナーシェフだ。
何故なら、この店がオープンする前日のミーティングで、彼が語った思い出の庭のイメージが花木さんの作る庭そのものだったので。
オーナーシェフの両親は共働きで、子供の頃の多くの時間を父方の祖父母の家で過ごしたそうだ。
庭が広く実のなる木が多く植えてある家で、鳥が好きな祖父は庭木の実に誘われてくる野鳥のために餌台や水浴び場まで作ってやっていた。
花を育てるのが好きな祖母は料理上手で、いつもおいしいご飯を食べさせてくれた。
いつの季節でも花がある庭と木々に止まるかわいい野鳥を祖父と縁側で眺めながら、祖母が作ったおいしい料理を食べる。
その幸せな思い出が、オーナーシェフを料理人の道へと進ませた。
――鳥たちが遊びに来る花咲く林の中で、ゆっくり食事を楽しむ。この店をそんな幸せを味わえる店にしたいと思っています。ですから、皆さん、これからどうかそんな店になるよう、僕に力を貸してください。お願いします
最初に庭を作ったガーデニング業者の庭は万人受けする美しさで、店の宣伝に大いに役立った。多くの人が庭の美しさを褒めてSNSや口コミサイトに写真を出してくれたおかげで、店の知名度が上がった。その意味ではとても良い業者だったことは間違いない。
しかし花木さんが作る庭こそが、オーナーシェフが目指した店のコンセプトにぴったり合ったものだろう。
「ああ、だからこの店の庭の木の種類が誘鳥木ばかりなんですね」
私の話を聞いて、花木さんが目を細めて笑った。
「誘鳥木?」
「はい。花や実を目当てに野鳥が集まる樹木のことを言うんです」
この店に植えてある木、イチイ、ガマミズ、ハナミズキ、ヤマボウシ、ピラカンサなど全部そうだという。
確かに庭の木の種類は全部オーナーシェフが決めたと聞いた。
「この仕事を受けて、私、木のことも少し勉強したんです。それでこの店の庭の木が全部誘鳥木と呼ばれるものだと知りました。実際、良く鳥が来て止まってるんですよ」
「鳥が来る木、ですか。正にこの店の名前にふさわしいですね」
私が勤めるこの店の名前は『ペルショワール ナチュレル』。
フランス語で自然の止まり木という意味だそうだ。
花木さんは来年園芸インストラクターの資格試験を受けるため、通信教育で勉強中だという。
彼女は自分の夢に向かって飛び立とうとしている。
若鳥が見果てぬ大空を目指しているようで好ましく思う。
思えば店に来るお客様もまた、私にとっては鳥のような存在かもしれない。
ひと時羽を休め、心身を癒してまたそれぞれに飛び立って行く鳥。
ならば私は鳥を愛する樹でありたい。
来た鳥がまた休みに来たいと思えるような。
しかし同時に私は樹を愛する鳥でもあるのだ。
『ペルショワール ナチュレル』という止まり木に二十年近くもいる老鳥。
あと何年この店で働けるかわからないが、店に勤めている間は鳥を愛する樹でいよう。
そして退職した後は、きっとこの止まり木を愛する鳥になる。
鳥を愛する人。
樹を愛する人。
どうぞ私と出会ってください。
そしてあなたのお話を聞かせてください。
『ペルショワール ナチュレル』でお持ちしております。
(了)
それだけでも景観がよいが、さらに敷地内の庭も楽しんでもらえるよう、様々な木や花も植えている。
その管理はさすがに従業員では手に負えず、ガーデニング管理専門の業者に頼んであった。
おかげで庭木は伸びすぎることもなく、害虫もつかず、花壇は常に花で溢れて、素晴らしい美しさを保っていた。
半年に一度、庭木の剪定をするときは男性が、それ以外は二週間に一度女性が二人で来て花の世話や敷地内の雑草の除去をしてくれているらしかった。
らしかった、というのは、彼らが作業に来るのは店の定休日なので、私たち従業員は会ったことがなかったのだ。
造園のプロのおかげで店は「きれいな庭を見ながらランチが楽しめる店」として口コミサイトでの評判も上々だった。
しかし、社会を震撼させたかのパンデミックの影響で店の業績が悪化してしまった。
厳しい時期を乗り越えるため従業員皆で意見を出し合い、席数を減らして営業時間を短くしたり、弁当販売を行ったりして店の存続に努力した。
それでも経費削減のため、残念だがガーデニング業者との契約も解除しなければならなかった。
店の庭はオーナーシェフ自ら休日を利用して花苗を買いに行き、ガーデニングの動画などを参考にして整備していた。従業員も当番制で庭の清掃や花の世話をしたが、やはりプロに任せていた時と比べて見劣りし、寂しいものとなった。
ようやく世界を巻き込んだ騒動が落ち着き、店に客足が戻ってきた頃、オーナーシェフが庭の整備と世話をしてくれる人を一人雇った。
オーナーシェフが花苗を買っていた店の店員の、『花木』という正にガーデニング仕事にうってつけのような名前の女性で、自分が勤める店が休みの日に副業として毎週金曜日の朝九時から夕方四時まで作業をしてくれるという。
花木さんが庭の手入れを受け持ってくれてから、少しずつ店の庭は美しくなっていった。
以前入っていたガーデニング業者が作る庭と比べると地味な印象だったが、後にそれは花木さんが庭に植えられた木との相性やバランスを考えてのことだったと分かった。
ガーデニング業者が植える花はいつも人目を惹く鮮やかな色の花ばかりだったので、通りすがりに見るなら、ガーデニング業者が作った庭の方が注目を集めるだろう。
しかし花木さんが作る庭は、庭木と調和する色合いの花が多く、変に視界にチラつく派手な色がないため気分が落ち着き、眺めていると本当に林の中にいるような気持ちになる。
それが夜になって照明が当たると、今度は幻想的な風景になり、ファンタジーの世界に入り込んだように思えるのだ。
実際にそう言うお客様もいて、以前にも増して庭が見える窓際の席が人気となった。
そんな魅力的な庭を作り上げる花木さんは日焼け防止のためかいつも大きな帽子をかぶり長袖の作業着姿の上、マスクをしていたので、誰も素顔を見たことがなかった。
それに、彼女の仕事は外、私たちは店内での仕事なのでほぼ接点がなく、来た時と帰る時の挨拶くらいしか声も聞いたことがない。ただ、花木さんが勤めている苗販売の店は四十代以上の女性のパート職員ばかりだ誰かが言っていたので、花木さんもそれくらいの年齢の人だろうと思っていた。
花木さんが店の庭の世話を受け持ってくれるようになって一年近く経った、六月初旬の金曜日ことだった。
その日は前日と比べて急に気温が上がり、持ち帰りできる冷たい飲み物がよく売れた。
忙しかったランチタイムを過ぎ、早番だった私は午後二時が仕事終わりだったが、今日急激に飲み物が売れて在庫が少なくなったカップの発注を頼まれて十五分ほど残業した後、いつものように店の裏にある従業員出入り口から外に出た。
そこには店の大きなごみ箱も据えてあるのだが、その陰に花木さんが座り込んでいた。
「どうしたんですか」
私が声をかけると、花木さんはのろのろと顔を上げ、力ない声で答えた。
「……すみません……暑くて……ちょっと休憩を……」
今日の気温の高さと花木さんの弱り具合で思い当たることがあった。
「水分は取られましたか」
「持ってきてた水では……足りなくて……後で……買いに行こうと……」
やはりこれは熱中症だと思い、私は店に引き返してオーナーシェフに相談し、とりあえず店の従業員休憩室で休んでもらうことにした。
恐縮して遠慮する花木さんを半ば強引に休憩室に連れていき、女性従業員の着替えのためカーテンで仕切られた畳敷きのスペースに彼女を寝かせた。
寝かせる前に帽子とマスクを取って上着も脱いでもらい、それで初めて花木さんの顔を見たのだが、思った以上に若かったのには驚いた。
どう見ても二十代半ば以上には見えない、繊細そうな女性だった。
まず水を飲ませ、店からもらった氷で頭と脇を冷やす。それから自販機にスポーツドリンクを買いに走り、それも飲ませると、ほてって真っ赤だった顔色も落ち着き話す言葉もしっかりしてきた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
もう大丈夫なので仕事に戻るという花木さんを、私はあわてて押しとどめた。
「オーナーシェフが今日の仕事はここまでにしてくださいと言っております。この更衣室は次は五時からのシフトの人が来るまで誰も来ませんので、もう少し休んでください」
「でも……あなたもお仕事が」
「私の今日の仕事は終わりました。この後何の予定も用事もないので、どうぞお気遣いなく。あなたが大丈夫と思えるまでは付き添わせてください」
私が笑いかけると、花木さんはもう一度「すみません」とつぶやくように謝った。
とてもシャイそうな花木さんは今まで話したこともない私と二人でいるのは居心地が悪いだろうとは思ったが、知らない所で一人でいるのも不安だろうし、何よりまだ帰らせて大丈夫と思える顔色ではなかった。
私が黙っていては「迷惑をかけられて不機嫌になっているのではないか」と花木さんが考えそうだったので、いつも花木さんが世話をしてくれている庭を見ながら思っていたことを告げた。
「こんな機会で申し訳ありませんが、ようやく花木さんにお礼が言えます。いつも店のお庭をきれいにしてくださってありがとうございます」
「そんな……お礼なんて。あれは私の仕事で」
「私たち従業員も、あのお庭を見るたび癒されております。同じようにおっしゃるお客様も多くて、窓際の席のご予約がとても増えているんですよ。庭の写真を撮って帰られる方もおられるくらいです」
「本当ですか」
花木さんは目を見開き、次いで、
「……嬉しい」
とポロポロと涙を零した。
「私……子供のころから何も得意なことがなくて……何をやってもダメで」
流れる涙もそのままに、花木さんはぽつぽつと今までの自分を語った。
花木さんは物事を即決するのが苦手で、じっくり考えてから決める性格だった。
熟慮する分大きな失敗は少ないのだが、現代はタイムパフォーマンスと言って効率のためある程度のスピードも求められる。
行動を起こすのに他の人より少し時間のかかる花木さんは年齢が上がるにつれて「のろま」と思われ、実際周りからそう言われて何をするにも自信が持てなくなっていった。
そして運悪く中学二年生の時に、同じクラスの女子からいじめを受けて不登校になってしまった。
高校は普通校へは進学せず、通信高校を選んだ。いじめのせいで同世代の女子が怖かったからだ。
通信高校でも登校日はあり、体育祭などの行事もあったが、極力人と関わらないようにして過ごした。
卒業後は大学へ進学する気はなかった。同じ年頃の女性に恐怖感があったせいもあるが、特別勉強したい分野もなく、高い学費を払っていく価値を見出せなかった。
かといって就職も中々決まらなかった。学歴は高卒なので、条件の良いところは応募資格すらない。幸いにも両親は花木さんを責めず、正社員でなくてもいいから、まずできそうなアルバイトから始めてみることを提案してくれた。
それでフリーの求人雑誌でアルバイトを探し、目に入ったのが今務めている野菜や花の苗を育成し販売する店だった。
『未経験者大歓迎。子育て世代の主婦の方も多く働いています』と書かれた店の紹介文に、ここなら苦手な同世代の女性はいないかもしれないと思い、応募した。
面接に行くと、自分の父親より年上の社長が直々に面接してくれた。
志望動機を聞かれて、花木さんは正直に、中学でいじめを受けて同じ年頃の女性が怖く、ここなら年上の人ばかりで安心できると思ったと答えた。
「後で考えると、まず嘘でも植物の育成に興味があると答える方がよかったと思ったんですけど、その時は面接慣れしてなくて」
しかし社長は花木さんの答えを聞いて大笑いした。そして、
「大丈夫、今うちで働いてるのは君から見たらおばさんの歳の人ばかりだから。それに花木って名前、うちで働くのにぴったりじゃないか。明日から来なさい」
と言ってくれたそうだ。
勤め始めると、初めはやはり行動の遅い花木さんに厳しく当たる人もいたが、一度理解したことは丁寧に実直に行うのを見て段々彼女の性格を理解してくれるようになり、花木さんも仕事ができるようになるごとに店になじんでいった。
「自分でも意外だったんですが、植物を育てる仕事がとても楽しくて、生まれて初めて夢中になれるものを見つけた気がしました」
先輩の店員や社長に積極的に教えを請い、自分でも本を買って勉強した。お客の中には農家の人もいるので、その人達からも貪欲に知識を吸収した。
勉強した分知識が増え、知識が増えて経験が重なるとそれが小さな自信になった。自信ができると判断も早くなり、それがさらなる自信を呼び、ますます仕事に意欲がわいた。
例のパンデミックの時期、世の中は自宅待機の人が多くなったためか自宅でできるガーデニングが趣味として流行り、花木さんの店にも多くの人たちが花苗を求めてくるようになった。
そこで社長の提案で、初めてガーデニングを始める客の参考になるよう、店員それぞれが花の寄せ植えの見本を作ることになった。
花木さんが作成した落ち着いた色の寄せ植えを好んで、見本と同じ種類の花苗を買っていってくれる客もいたが、やはり勤務年数の長い先輩店員が作った色鮮やかな寄せ植えが人気を集めた。何よりその寄せ植えは初心者でも世話がしやすく、安価で買える種類の花ばかりだった。
「お客様に勧めるためのものを、自分の好みや考えだけで作ってはダメだったんです。人にはそれぞれ好みがあるし、経験も知識も違うから、どんなお客さんが来ても、その人に合った花苗をお勧めできるように勉強しなきゃと思いました」
それから花木さんはもっと身を入れて園芸について勉強を始めた。
そんなある日、花木さんは社長に呼ばれ、一人の男性を紹介された。
「その方が、この店のオーナーシェフさんでした。私の寄せ植えの鉢を見てとても気に入ってくださったそうで」
うちの店の庭をこの寄せ植えのようなイメージにして手入れをしてくれないかと言われ、庭の世話人として引き抜きに来たのかと思い、この店をやめるつもりはないからと断った。が、この店に勤めながら休日を利用しての副業でいいという。驚いたことに社長の了承はすでに取ってあった。
オーナーシェフは「派手さはないけれどお互いの花の持ち味を生かした鉢植えが素晴しかった」と褒めて、「ぜひうちの店の庭もそんな庭にしてもらいたい」と言った。
返事は急がないと言われたので、一週間考え抜いた。
決断の背中を押したのは社長だった。
「花木さんならできるよ。もっと園芸の勉強がしたいと言ってただろう。実践の勉強だと思って行ってきなさい。何か困ったことがあったら相談に乗るから」
社長の言葉に励まされ、花木さんはオーナーシェフの申し出を引き受けることにした。
「だけど、ずっと不安だったんです。以前ガーデニング業者さんが作っていた庭の写真がSNSに上がってたので見ましたけど、鮮やかで、私が作るような庭で本当にいいんだろうか、って」
何度も前の庭の写真をオーナーシェフに見せて確認した。
こんな色とりどりの華やかな庭でなくていいのかと。
オーナーシェフの答えはいつも同じ、「あなたのイメージで庭を作ってください」だった。
「期待に応えたくて、私にできることを精一杯やってきました。だから、店のお客様に褒めてもらえてたって分かって、本当に嬉しいです」
涙で顔をくしゃくしゃにした花木さんに、私はそばにあったティッシュペーパーの箱を差し出した。
「花木さんの作られるお庭、とても素敵ですよ」
ティッシュで顔を拭きながら「ありがとうございます」と礼を言う花木さんに、私は秘密を打ち明けるように小声でささやいた。
「お客様が気に入ってくださるのも当然ですが、一番のファンはうちのオーナーシェフだと思います」
そう、誰より花木さんの作る庭が好きなのはきっとオーナーシェフだ。
何故なら、この店がオープンする前日のミーティングで、彼が語った思い出の庭のイメージが花木さんの作る庭そのものだったので。
オーナーシェフの両親は共働きで、子供の頃の多くの時間を父方の祖父母の家で過ごしたそうだ。
庭が広く実のなる木が多く植えてある家で、鳥が好きな祖父は庭木の実に誘われてくる野鳥のために餌台や水浴び場まで作ってやっていた。
花を育てるのが好きな祖母は料理上手で、いつもおいしいご飯を食べさせてくれた。
いつの季節でも花がある庭と木々に止まるかわいい野鳥を祖父と縁側で眺めながら、祖母が作ったおいしい料理を食べる。
その幸せな思い出が、オーナーシェフを料理人の道へと進ませた。
――鳥たちが遊びに来る花咲く林の中で、ゆっくり食事を楽しむ。この店をそんな幸せを味わえる店にしたいと思っています。ですから、皆さん、これからどうかそんな店になるよう、僕に力を貸してください。お願いします
最初に庭を作ったガーデニング業者の庭は万人受けする美しさで、店の宣伝に大いに役立った。多くの人が庭の美しさを褒めてSNSや口コミサイトに写真を出してくれたおかげで、店の知名度が上がった。その意味ではとても良い業者だったことは間違いない。
しかし花木さんが作る庭こそが、オーナーシェフが目指した店のコンセプトにぴったり合ったものだろう。
「ああ、だからこの店の庭の木の種類が誘鳥木ばかりなんですね」
私の話を聞いて、花木さんが目を細めて笑った。
「誘鳥木?」
「はい。花や実を目当てに野鳥が集まる樹木のことを言うんです」
この店に植えてある木、イチイ、ガマミズ、ハナミズキ、ヤマボウシ、ピラカンサなど全部そうだという。
確かに庭の木の種類は全部オーナーシェフが決めたと聞いた。
「この仕事を受けて、私、木のことも少し勉強したんです。それでこの店の庭の木が全部誘鳥木と呼ばれるものだと知りました。実際、良く鳥が来て止まってるんですよ」
「鳥が来る木、ですか。正にこの店の名前にふさわしいですね」
私が勤めるこの店の名前は『ペルショワール ナチュレル』。
フランス語で自然の止まり木という意味だそうだ。
花木さんは来年園芸インストラクターの資格試験を受けるため、通信教育で勉強中だという。
彼女は自分の夢に向かって飛び立とうとしている。
若鳥が見果てぬ大空を目指しているようで好ましく思う。
思えば店に来るお客様もまた、私にとっては鳥のような存在かもしれない。
ひと時羽を休め、心身を癒してまたそれぞれに飛び立って行く鳥。
ならば私は鳥を愛する樹でありたい。
来た鳥がまた休みに来たいと思えるような。
しかし同時に私は樹を愛する鳥でもあるのだ。
『ペルショワール ナチュレル』という止まり木に二十年近くもいる老鳥。
あと何年この店で働けるかわからないが、店に勤めている間は鳥を愛する樹でいよう。
そして退職した後は、きっとこの止まり木を愛する鳥になる。
鳥を愛する人。
樹を愛する人。
どうぞ私と出会ってください。
そしてあなたのお話を聞かせてください。
『ペルショワール ナチュレル』でお持ちしております。
(了)
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貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
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こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
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