鳥を愛した人 樹を愛した人

千年砂漠

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柿の木

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 私が勤める郊外にあるカフェレストランの近くに、ずっと空き家になっている家があった。
 何とはなしに聞いた話だと、少なくとも二十年は人が住んでいないようだった。
 元は農家だったらしく、古い屋根瓦の家屋と納屋、広めの庭にはサツキや南天が植えられているのが低い生垣を通して見ることが出来た。
 庭の真ん中には柿の木があった。形的に渋柿だろうと思うが、私がカフェに勤め始めた年から数年前までの十五年間くらいは、実がなるといつの間にか収穫されているのを見ているで、人が住んではいないものの管理する人はいたのだろう。
 それが近年、柿の実は収穫されずほったらかしにされており、何らかの事情でとうとう管理人もいなくなってしまったのかと、少し淋しく思っていた。

 いつ見ても人気のないその家に人がいるのを見たのは、五月下旬のある日。カフェの早番を終えた帰り道だった。
 閉まりっぱなしだった雨戸が開いていて、縁側の向こうに黄ばんだ色の障子が見えた。
 そして庭の真ん中にある柿の木の下に、白髪の男性が立っていた。
 男性は私の視線に気づいたのか、ゆっくりこちらを振り返った。
 その顔を見て、私は短く驚きの声を上げた。同時に彼の方も同じように声を発した。
「こちらのお家の方だったんですか」
 私の言葉に彼は頷き、
「昨日はどうも。ご迷惑をおかけしまして」
 照れくさそうに頭を下げた。

 彼は前日の昼、カフェレストランに来た客だった。
 ランチセットを食べた後、支払いを済ませて店を出た。が、すぐに引き返してきた。
「スマホを忘れた」と言って。
 昼時の混雑する時間帯のため皆忙しく、私一人で応対に当った。
「とりあえずお座りになっていた席を探してみましょう」
 彼が座っていた席にはもう別の客が座っていた。
 この席で携帯電話の忘れ物を見なかったか聞いても、知らないという。
 念のため座席に後ろやテーブルの下なども見せてもらったが、見つからなかった。 
「今はお客様が多くいらっしゃいますので、後ほど私どもの方でもう一度よく探してみます。スマホが見つかりましたらご連絡差し上げますので、ご家族のどなたかか、ご自宅の電話番号を教えていただけますか」
 私の提案に彼は首を振った。
「いえ、私は東京に住んでいるので」
 もう親も兄弟も死んでいなくなってしまったため、残った実家を片付けに戻って来ていているのだという。
「実家の電話も、もうないのです」
「では、現在お泊まりになっているホテルか、旅館の電話番号を」
 それにも彼は首を横に振った。
「どこのホテルにも泊まっていません。実家を完全に処分するつもりで来たので、もう最後だからと思って実家に泊まっているんです」
 彼は「店の客がいなくなるまで外のテラスで待っているから、スマホを探させて欲しい」と私に頼み込んできた。
「あのスマホには大事な写真が入っているので諦めきれないんです」
 ふた月前に亡くなった姉と撮った写真なのだという。姉が亡くなるほんの二週間前に実家の庭で撮った写真で、その後姉の病状の急変や葬儀などでバタバタしていて、バックアップが取れていないものなのだそうだ。
 もう二度と一緒に写真を撮ることが叶わない人の写真。
 できればこの人の手に返してあげたい。
「私ももう一度お探しいたします。一時半を過ぎればランチにいらっしゃるお客様は大体お帰りになられますので、その時に両隣の座席もずらして探してみます」
 私がそう言った時、 店のウェイターが小走りに近づいて来た。
「もしかして、探してるのこのスマホじゃないですか?」
 ウェイターが手にしているスマホを見て、男性は目を見開き大きく何度も頷いた。
「そ、それです。それ、私のです」
 私は男性がいた席しか探さなかったが、ウェイターはふと思いついてトイレまで探してくれたらしい。男性用トイレの個室の中の小さな棚に置き忘れてあったそうだ。
「ああ、そうだ。食事の後でトイレに入っている最中に、家の処分を頼んでいる業者から電話がかかってきて……」
 急ぎだった用件の答えを済ませて安堵し気が抜けたためか、身繕いするときにスマホを棚に置きうっかりそのまま個室を出てしまったようだ。
「店から出る前にトイレに行ったのも忘れていました。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「いいえ。大事なスマホが見つかって、本当によろしゅうございました」
「お世話をおかけしました。ありがとうございました」
 男性は何度も礼を言って帰って行った。

 その彼がまさかこの空き家の持ち主だったとは。
「もしお時間があるなら、少し寄って行かれませんか」
 初夏の明るい日差しの中、彼の柔らかな笑顔と声に誘われ、
「……では少しだけお邪魔します」
 私は頷いて、門の方へと回った。 

 私が庭に入ると、「こちらへどうぞ」男性は縁側に座布団を出してくれた。
 そして「少々お待ちください」と私と入れ替わるようにして門から出て行き、程なくペットボトルのお茶を二本持って戻って来た。
「自販機のお茶ですみません。この家はもう電気も水道も切ってしまっているので」
「え? この家にお泊まりになっているとおっしゃいませんでしたか?」
 電気も水道も使えない家で、どうやって寝泊まりしているのだろう。
 率直にそう問うと、
「食事は外食です。風呂は少し離れた所に銭湯があるので、そこへ。トイレは水洗なので、この家の井戸水を汲んで流してます」
 布団もないので寝るときには寝袋を使っているという。
 振り返って家に中を見ると、部屋には見える限り家具も何もなかった。
「ちょっとしたキャンプ生活みたいなものです」
 彼はそう言って笑った。
「この家を処分されるということは、もうこの家にはお戻りにはならないんですね」
「ええ、もう東京に家があるし、まだ働いてもいますので」
「失礼ですが、お仕事は何を?」
「喫茶店をやってます」
 私は思わず頷いた。どことなく垢抜けた身ぎれいな姿と柔らかな物腰。白髪の老紳士といった出で立ちから、何となく接客業をしている人ではないかと予想していたのだ。
 喫茶店のマスターと言われれば、納得出来るような人だった。
「店舗兼自宅ですし、幸い常連のお客さんも多くいてくださるので、こちらに帰る気はないんです」
「そうでなくても、奥様だって東京からこんな田舎への転居は簡単には思い切れないでしょうしね」
「いえ、私は未だに独り身なんですよ」
「それは失礼いたしました」
 慌てて謝った私に、彼は「いいえ」と俯きがちに首を振り、改めて私の方を向いた。
「良かったら、私の人生の話を聞いていただけませんか」
 唐突な申し出ではあったが、私は即座に頷いた。
「私でよろしいのでしたら、お伺いいたします」
 洗練された彼の姿とその彼には似つかわしくない長く無人で古びた実家。
 彼がどんな人生を歩み、実家を処分すると決めるに至ったのか、是非とも聞いてみたかった。
「ありがとうございます。申し遅れました。私は玉井と申します」
 そういえばお互い名乗りもしなかったと、私も慌てて名を告げて挨拶した。

「この家を見てお分かりかと思いますが、私の父は農業を営んでいて」
 その長男に生まれた玉井さんは、当然のごとく跡取りになると両親からも周りからも思われていた。
 しかし玉井さんはその期待を裏切ることになった。
「私は幼い頃から絵を描くのが好きで、自分で言うのも何ですが、結構上手かったんです」
 小学生時代、中学生時代、何度も絵で賞を取り、高校生の時にはなんと全国のコンクールで特選にまで選ばれたそうだ。
「それで、私は画家になりたくて、高校卒業後の進路で父と大喧嘩になりまして」
 ――少しくらい絵が上手いくらいで自惚れるな。お前程度の絵で画家になどなれるか
 父親にそう言われた玉井さんは、高校を卒業したその日に東京にいる高校時代の先輩を頼って家を出た。
「出て行くならもう二度と帰ってくるな、と父に怒鳴られました」
 東京に出たものの、画家になるための何の伝手もなく、アルバイトをしながら駅前広場や大きな通りで似顔絵を描いて売り、コンクールに作品を出す生活を続けた。
「父の言う通り、私程度の絵では世間に認められる訳がなかった。でも、その頃の私は若くて、意地になってもいたんです」
 だから、姉から「父が病で倒れた」と手紙が来ても帰らなかった。
「姉と私は一廻り歳が違って、農業で忙しい母の代わりに面倒をみてもらっていたせいか、母のような存在でした」
 玉井さんが家を出たときには、姉はもう結婚して家にいなかった。もしまだ家にいたなら、父との間をもっとうまく取り持ってくれたかもしれない。結婚していても実家と頻繁に連絡が取れるような状況だったなら、歳の離れた可愛い弟の世話をもっと焼いてくれただろうが、姉は姉で婚家で色々苦労していたらしく、弟にばかり構ってはいられなかったらしい。
「父は何年か後にその病気で死んでしまいました。私はその時にも『親父は二度と帰るなと言った』と母にも姉にも冷たいことを言って、葬儀に帰りませんでした」
 母はそれでもう息子のことを諦めてしまったのか、一切連絡が来なくなった。
 父が生きていた頃には年に二、三度だが少額の金と共に手紙が来ていたのに。
 玉井さんは父の葬儀に出なかったことでますます実家の敷居が高くなり、母の様子を見にも帰れなくなってしまった。

 画家にもなれず、故郷にも帰れない玉井さんに転機が訪れたのは三十四歳になった年のことだった。
 相変わらずアルバイトをしながら大通りで似顔絵を描いて売っていた。
 そこへ一人の初老の男性が来て、「君、風景画は描けないか」と聞いてきた。
 もし描けるなら、この風景を描いて欲しいと言い、一枚の写真を見せた。
 写真は何の変哲もない田舎の家の写真だった。
 絵の大きさと金額を提示され、玉井さんはその仕事を受けた。
 大きな絵ではなかったので、集中して二週間ほどで仕上げ、指定された喫茶店に持って行くと、彼の男性はとても喜んでくれた。
 男性はその喫茶店のオーナーだった。
 聞けば写真の家は彼の今は無き実家だと言う。
 懐かしい家を写真でなく絵にして、この店に飾りたかったのだそうだ。
「そのオーナーさんも昔一攫千金を夢見て東京に出て来た人でした。私と同じように父親と喧嘩して、疎遠になって。葬儀にも帰らなかったところまで同じでした」
 玉井さんが思わず自分の身の上話をこぼすと、オーナーが「この喫茶店で働いてみないか」と誘ってくれた。
「私はそれまで散々飲み屋なんかでのアルバイトをしていたので、接客がやれないわけではなかったんです。その上オーナーさんが『うちでコーヒーの入れ方を勉強しなさい。絵以外にもできる技術を一つは持っていた方が良い』と言ってくれて、そこでお世話になる事にしたんです」
 喫茶店の仕事は玉井さん本人が思う以上に向いていた。
 似顔絵を売る仕事で、描いている間客を退屈させない程度の話術は持っていたし、客を怒らせない態度と話し方も身につけていた。
 コーヒーの淹れ方も、元々凝り性の玉井さんは勉強を怠らず、オーナーに付いて良く習った。
 そんな玉井さんだったからカウンターに座る常連客にも評判が良かった。

 喫茶店で働きながらコンクールに出す絵を描き続けていたが、三年程経った頃、オーナーから「本格的にこの店をやってみる気はないか」と聞かれた。
 オーナーは引退して故郷へ帰ることを考えていて、玉井さんさえ本気で店を継いでやってくれるなら店を譲ると言う。
「但し、もう絵は諦めろと言われました」
 玉井さんは悩んだ。四十歳近い歳まで諦めきれなかった画家になる夢を、簡単には捨てられなかった。
「そんな時、母が怪我をして入院したと姉から連絡が来たんです」
 父が亡くなり、一人で農業を続けられなくなった母は田畑の大半を売り、その金で細々と一人暮らしていたのは姉から聞いて知っていた。
 母は自宅の玄関先で転び、動けなくなっているところを配達に来た郵便局員に発見されて救急搬送されたらしかった。
 歳を取って骨が脆くなっていたせいか、右足を骨折していたそうだ。
「母は入院してからも私には知らせないよう、姉に言ったそうです」
 あの子はもう死んだと思っているから、と。
「それを聞いて、私は家に飛んで帰りました。私は生きてる。死んでなんかいないと母に言いたくて」
 何より、親不孝を詫びたくて。
 父には意地を張って言えなかった。けれど、母には言わなければ。
 心配をかけて悪かったと、心から謝らなければ。

 病室で玉井さんと約二十年ぶりに再会した母は子供のように声を上げて泣いたそうだ。
「私も泣きました。泣いて今までの親不孝を詫びました」
 後で会った姉にもこれまでのことを謝り、
「そこで決意しました。もう画家になる夢はここで捨てよう、と」
 その時玉井さんはオーナーの話を断り、東京から実家に戻るつもりでいた。
 しかし、母がそれを止めた。
 ――お前を信頼してくれる人の期待を裏切ってはいけないよ
 本当は息子に戻って来て欲しかっただろう。
 けれど母は、息子の将来を考えて、東京でもう一踏ん張りする方へ後押しした。
「りっぱな画家にはなれなかったけれど、りっぱな喫茶店の店主になろうと思いました」
 母のために。
 そう言って玉井さんはひっそり笑った。

 母の思いを汲み、東京に戻った玉井さんはオーナーから店を譲り受けるための準備を始めた。店の経営の仕方や経理、必要な資格の取得など、寝食を忘れて取り組んだ。
 店を譲り受け、経営が軌道に乗ったら母を東京に呼び寄せて一緒に暮らそうと考え、店舗裏の住居もバリアフリーに改築しようと計画も立てていた。
 その後玉井さんは四十歳を前に、正式にオーナーから店を譲り受けたが、母と暮らすことは叶わなかった。
 母は怪我の直りが悪く、車椅子が必要な体になってしまった。当然実家で一人暮らしは出来ず、施設に入ることになった。
 幸い良い施設に入ることができたが、その頃から認知症の症状が出始め、わずか一年で心身の衰弱が進み、亡くなった。
「姉には迷惑ばかりかけたので、私は遺産相続を放棄しました」
 田畑を売った時の金とまだ残っていた畑、実家の家と土地を姉に全て譲った。
 姉は婚家の家があるので、実家には住めないのは分かっていた。少し淋しいけれど、実家も畑も売って身軽な財産に換えて欲しいと思っていた。
 が、姉は畑こそ売ったが、実家の家は売らなかった。
 売って金に換えれば良いのにと言った玉井さんに、姉は笑って答えた。
 ――だって、あの庭の柿の木は大事にするって約束をしたから
 毎年あの柿の木の実を父が取り、母と干し柿を作った。
 結婚してからは母が毎年できた干し柿を送ってくれた。
 だから姉は『母』とそんな約束をしていたのだろうと思った。
「それで思い出しましたよ。私も中学の二年生頃まで、干し柿作りを手伝わされたのを」
 居間の座卓の上に山と積まれた柿を父と母と玉井さんの三人で皮をむき、枝を少し摘み残したヘタを縄目に通して軒下に吊るす。
 面倒くさいけれど、どこか楽しい年中行事の一つだった。
 干し柿作りだけでなく、玉井さんにとっても柿の木は思い出深い木だった。
 登って遊ぶ良い遊び場でもあり、絵を描くようになってからは一番多く描いたモチーフだった。
「幼稚園の頃、何かのコンクールに絵を出して、初めて賞をもらったんです。庭の柿の木を描いた絵でした」
 賞をもらったことを父にも母にも姉にも褒められた。それが絵を描くことが好きになった出発点だった。
「姉はこの家を売らずに、毎年この柿の木の実で干し柿を作って私に送ってくれていました」
 年齢的にも木に登ることなど出来ない姉は、息子の頼んで収穫してもらっていたようだが、その息子が会社の転勤で遠くの地へ行ってしまうと頼める人がいなくなり、干し柿の定期便は途絶えた。

「今年の正月明けに、姉の息子から連絡が来ました。姉が癌で、余命半年足らずだと」
 告知はしなかったそうだが、姉は何となく分かっているようだった。
 少し寒さが和らいだ三月、何度目かの見舞いに玉井さんが病院の行くと、珍しく姉がわがままを言ったそうだ。
 もう一度実家の庭が見たい、と。
 玉井さんは主治医と相談し、半日だけ外出許可を取りタクシーで姉を実家に連れて行った。
「タクシーの運転者さんが親切な人で、折りたたみ式の車椅子なんかも面倒がらずに運んでくれました。私は知りませんでしたが、この辺りでは早くから介護タクシーの導入を決めた会社らしくて」
 車庫に燕の巣がある事で有名なタクシー会社だそうです、と聞いて、私は心の中に知人である社長さんの笑顔が浮かんで、笑みがもれた。

「風もない温かい日で、柿の木の下で姉と沢山話しました」
 姉とあんなにも話したのは初めてだった、と玉井さんは微笑んだ。
「母が私を身ごもった時、姉は弟が欲しくて、柿の木にお願いしたんだそうです」
 もし母のお腹の中の赤ちゃんを弟にしてくれるなら、自分の命がある限り絶対切り倒させない。一生大事にする、と。
 そして玉井さんは生まれ、姉は両親亡き後も実家を売らず、ずっと柿の木の世話をした。
 姉が柿の木を大事にすると約束した相手は母ではなく、柿の木本体だったのだ。
「姉にとってこの柿の木は、弟をくれた神様だったのかもしれません」
 そう言われればどことなく神々しく思える柿の木を眺める私に、
「病院に帰る前に、タクシーの運転手さんに頼んで撮ってもらった写真がこれなんです」
 玉井さんはスマホをポケットから取り出し、写真を見せてくれた。
 穏やかな日差しの中、柿の木の下で車椅子に座るほっそりした優しげな老女と玉井さんが身を寄せ合い笑顔で映っていた。
「姉は若い頃からふっくらした体格だったんですよ。それが病気でこんなに痩せてしまって……。この写真を撮って……わずか二週間で……容体が急変して……逝ってしまいました」
 声を詰まらせた玉井さんは俯き、指先でそっと目元を拭った。

 暫くの沈黙の後、
「姉はこの家は私に譲ると遺言状を残していました」
 玉井さんは思わぬ話を聞かせてくれた。
「でも私はここに住めないから辞退しようとしたんです」
 しかし姉の息子はどうしても玉井さんにもらって欲しいと言い張った。
「甥が言うには、姉は生前『実家だけは弟に譲ってやって欲しい』と繰り返し言っていたそうなんです」
 押し問答の末、「母の望みを叶えてくれ。自分に最後の親孝行をさせてくれ」と甥に言われて、実家を譲り受けた。

「それなのに処分してしまわれるんですか?」
 私は失礼を承知で聞いた。
「ええ、だからこそ処分しようと思ったんです」
 玉井さんは柿の木を愛おしそうに見つめながら頷いた。
「さっきも言った通り、私はこの家に戻ることができません。甥もすでに自分の家を建てているし、誰かに貸すにはこの家は古すぎて借家にもならないんです。何より」
 家族皆いなくなって、残されたこの柿の木が憐れで仕方ない、と玉井さんは呟くように言った。
「私の同級生が家業の不動産屋を継いでいて、彼がこの家と土地を買い取ってくれることになったんです」
 不動産屋の彼が言うには、整地した後四区画に分けて、住宅地として販売する予定だそうだ。
 当然庭の真ん中にある柿の木は伐採されてしまうだろう。
「木は寿命が長いから、誰も住むことのないこの家が朽ち果てても孤独に立っていることでしょう。それならもうここで切り倒して終りにしてやりたいんです」
 それは人間のエゴだと私には言うことが出来なかった。
 人には人の考えと人生がある。第三者が踏み込んではいけない領域もある。
 柿の木の家はその領域と見定めた私は、玉井さんの選択を尊重し余計な口出しは控えた。

「つまらない昔話をお聞き下さり、ありがとうございました」
 話を聞き終えた後、暇を告げた私を門の所まで見送ってくれた玉井さんに、きれいなお辞儀と共に礼を言われた。それだけで彼が経営する喫茶店の質の高さが想像出来た。
「いいえ、とんでもない。こちらこそ感慨深いお話を聞かせていただいてありがとうございました」
 家中を全て片付け終えた玉井さんは、明日最終確認をして不動産屋に引き継ぎ、東京に帰るという。
「喫茶店の元オーナーが、何故私に実家の家の絵を描いてくれと頼んできたのか、今ならその気持ちが分かります」
 写真では全てが生々しすぎる。
 そこであったできごとや喜びとか悲しみの感情までもが思い出として風化もせず、いつまでも強く訴えかけてくる。
 しかし絵にすれば全てが穏やかになる。時に傷を覆い隠すベールとなり、時に記憶を輝かせる光となる。

「何でも写実的なことが良いとは限らないんですよ。抽象的なことが救いになることもあるのです」

 玉井さんと会ったのはそれきりだった。
 彼が言った通り実家は壊されて整地され、四区画の住宅地になったがすぐに家が建った。
 今はそこに柿の木があったことなど知らない人達が住んでいる。

 玉井さんが営む喫茶店には、今はきっと柿の木のある家の絵が掛かっていることだろう。
 私はそう信じている。
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