いつか森になる荒野

千年砂漠

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広海の母と看護師たち

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 いつもの通り広海の病室へ行こうとすると、廊下にいた看護師さんに呼び止められた。
「中原君、ごめんね。行ってもし広海君が眠っていたら、起こさないでそのまま帰ってくれないかしら」
「広海、具合が悪いんですか」
 問うと、看護師さんは笑って首を振った。
「二日ほど検査が続いてちょっと疲れたみたいだから、休ませてあげたいのよ」
「分かりました。起きてても顔を見たら帰るくらいにします」
「そうしてくれる? それで一週間くらいお薬を変えてみることになったんだけど、このお薬は少し眠気が来るから、お見舞いに来てくれても多分広海君は寝てると思うのよ。だから、もし広海君のお見舞いに良く来てくれる他のお友達にも連絡が取れるなら伝えて、暫くお見舞いを控えてくれないかな」
 多分、美国と旭と瞬と大樹のことだろうと予想し、僕は了承して彼女とはそこで別れた。
 病室に行くと、広海は眠っていた。僕は足音を立てないようにしてベッド傍に行き、彼の寝顔を眺めた。
 広海は酷く顔色が悪かった。実は初めて会ったときも、その顔色の悪さに内心驚いたのだけれど、あの頃よりさらに悪くなった気がする。
 それに痩せた。いつも起きているときは薄いガウンを羽織っているので気づかなかったが、布団の上に投げ出された半袖のパジャマから出た腕は、ひょっとしたらクラスの女子より細いのではないかと思えるくらいだった。
 見ていると妙な不安感が湧き上がってきて、僕はそっと踵を返した。
 病院を出てすぐに、僕は看護師さんの伝言を旭たちにメールで送った。すると折り返すように美国から電話がかかってきた。
 広海の病状を心配する美国に僕は「眠っているところを見てきたけど顔色も良さそうで大丈夫そうだった」と嘘をついた。部屋の掃除と模様替えをして気分を一新した美国に心曇るような話は聞かせたくなかったからだ。
「模様替えした部屋の使い心地はどうですか」
 僕は話題を変えて広海の話から美国の気を逸らせた。
「うん、変わりすぎて何か自分の部屋じゃないみたいな感じがするけど、やっぱりきれいな部屋はいいよ。それに、シノ様が良い物くれたんだ」
 シノ様の母親が買ったのだが父親に不評で使わなくなっていたアロマポットをもらったのだそうだ。
「シノ様がくれたのはラベンダーの香りだけど、他にも色々種類があるから自分に合った香りを探せば良いって。夕べ試しにちょっと使ってみたら、すごく良い香りで気持ちが良くなったよ」
 さすが女子だ。僕は部屋の掃除と模様替えは思いつけても、香りまでは考えなかった。シノ様にそんなつもりはなかっただろうが、りっぱなアロマセラピーだ。
「あの、中原君、ホントにありがとう。……私、頑張るから」
 何を、とは聞かない。美国が僕に礼を言ったのは、部屋のことだけではないと分かっているから。
 広海の見舞いは彼の体調が戻るまで遠慮しようと言って、僕は電話を切った。
 夜になって旭、瞬、大樹の三人から電話があった。旭には美国と同じ嘘をついたが、瞬と大樹には正直に打ち明けた。
 打ち明けたところで医者でない僕たちには何もできない。できるのは広海の回復を祈ることだけだった。


 その後、広海と会えない日が続いた。
 もうそろそろ大丈夫かと訪ねると「昨日からまた熱が出たから」。日を置いて行ってみると「検査があって今は病室にいないから」。何だかんだと理由をつけて看護師に追い返され、数えればひと月近く広海の顔を見ていなかった。
 聞けば旭たちも同様で、さすがにおかしいと気がついた。
 今日は看護師さんに広海の本当の状態を聞くと決めて病院へ行くと、ナースステーションの前ですっかり顔なじみになった看護師さんが女性と話していた。
 看護師さんは僕に気づくと、気まずそうな顔をして小さく手を振った。
「中原君、ごめんね。広海君のお見舞いなら今日はちょっと――」
「広海のお友達なんですか?」
 看護師さんと話していた女性が僕を振り返った。僕が頷くと、その人は少し険しい表情で広海の母だと名乗った。
「ちょっとお話したいことがあるの。今良いかしら」
 広海のお母さんは僕をナースステーションの横の休憩スペースに誘った。そこの椅子に座るよう促され、僕は名前と学校と広海とどこで知り合ったか聞かれた。名前と通っている学校を偽る必要はないので正直に言ったが、知り合った経緯は簡単に学校で瞬と大樹と友達になって紹介されたと答えた。
「そう、最近できたお友達だったの。……あの、初対面のあなたに酷いことを言うようだけど、もう広海のお見舞いには来ないでほしいの」
 そんな、言いかけた僕を、広海のお母さんは目線で止めた。
「よく考えてみて。病気で進学できなかったのに仲の良い子たちは高校生になって楽しそうにしてるのを見て、広海が自分が置いて行かれるような気持ちになるのは可哀想だと思わない? あなたたちにそんなつもりはなくても、広海には学校の話は自慢に聞こえて、羨ましくて妬んでしまう自分が惨めに思えるなんて、病気だけでも辛いのに、あんまりだと思わない?」
 僕は愕然とした。広海は僕たちが見舞いに来る度、内心苦しかったのだろうか。穏やかな笑顔の裏で、どうしようもないどろどろした感情が渦巻いていたのだろうか。
「看護師さんたちには前々から面会を断ってくれるように頼んでいたんだけれど、丁度良いわ、あなたから前田君と支倉君にも伝えておいて。お互い、今の生活を大事にしましょうって」
 広海のお母さんが去っても、僕は椅子から立ち上がれなかった。友達を傷つけに来ていたのかと思うと泣きたい気分だった。
「中原君」
 呼ばれて顔を上げると看護師さんが横に立っていた。
「時間があるならね、十分ほどどこかで時間潰してきて。広海君に会わせてあげる」
「……え、でも」
「上野さんは急用があって来ただけですぐ帰るから」
 僕の返事を待たず、看護師さんは仕事に戻って行ってしまった。僕は広海のお母さんに言われた言葉が頭の中で回りながらも、屋上に上がり時間を潰して戻った。できるなら広海の口から本当の気持ちを聞きたかったからだ。
 ナースステーションの前に広海のお母さんの姿はなかった。代わりに看護師さんが立っていて、微笑んで広海の病室の方を視線で指し、ナースステーションの中に入って行った。僕はわざとらしく背中を向けている看護師さんに目礼して、広海の病室に向かった。
 広海のベッドの仕切りカーテンを少し開いて中を覗うと、広海が点滴チューブにつながれて眠っていた。僕が素早く中に滑り込むと、フッと広海が目を開いた。
「……ゆうと?」
 寝起きのしわがれ声で広海が呟く。
 僕はベッドに近寄って、広海の耳元で囁いた。
「起こしてすみません。すぐ帰りますから」
 広海は薬のせいなのか、単に目が覚めないだけなのか、虚ろな返事をして、また目を閉じた。
「きょう……何日」
 僕が日にちを告げると、広海は目を閉じたまま少し眉根を寄せた。
「ああ……こんな調子じゃ……今年は無理かな」
「何がですか」
「ペルセウス流星群……毎年……父さんと見に行ってる」
 広海は大きく息をして、話を続けた。
「本当は……潮見島で見たいんけど……もう……見れないな」
「見れますよ、体調が良くなれば。気弱にならないでください」
 僕の励ましに広海は薄く目を開いた。
「そうかな……」
 僕が頷くと広海はゆっくり口端を持ち上げた。
「広海……僕たちが見舞いに来るのは……迷惑ですか?」
 僕はあえて直球を選んだ。意識がはっきり覚醒していない今の広海なら、取り繕うことなく正直な答えが聞けると思ったからだ。そして迷惑だと言われたなら、旭たちも説得して見舞いを控えようと思っていた。しかし、
「どうして? …僕は……みんなが来てくれると……嬉しい」
 とても嬉しいんだ、と広海は繰り返して、また眠りに落ちた。
 それだけ聞ければ充分だった。僕は眠る広海に「また来るよ」と言い残し病室を出た。
 ナースステーションまで戻ると、さっきの看護師さんに呼び止められた。
「私、今から独り言言うから」
 僕が首を傾げると、彼女はにこりと笑って僕から視線を逸らせた。
「広海君のお母さん、仕事してるからいつも五時半以降にしか来ないなあ。その代わり、休みの金曜日には、午後から来て六時頃帰るんだったっけ」
 つまり見舞いに来るなら、その時間を避けろと言ってくれているのだ。
 そういえば僕は今まで広海のお母さんに会ったことがなかった。見舞いに来ても一度を除いていつも三十分くらいで帰っていたし、偶然にも毎週金曜日は一度死んで親に心配かけたという理由で風呂掃除を命じられているので、見舞いに行っていない。だから出会わなかったのだ。
「面会お断りって言ってもお医者さんからの指示じゃないし、私たちの気づかない間に病室に行った子は断りようがないから仕方ないわよねえ」
 ふとナースステーションの中に目を向けると、そこにいる看護師さんたち全員と視線が合った。みんな優しげに笑っていた。
 僕の母と同じくらいの歳の看護師さんが僕の側に来て、悲しげに微笑んだ。
「広海君のお母さんを悪く思わないでね。たった一人の子供が病気になって、とても悲しくて不安なだけなのよ」
 僕たちが治療の邪魔をしているならまだしも、広海も友達が来てくれるのを楽しみにしていて心の支えになっている様子なのだから、できれば面会させてあげたいのだと言う。
「広海君のお母さんとはまた話し合ってみるから。看護師はね、誰より患者さんの味方でありたいのよ」
 僕は看護師さん全員に深く頭を下げた。
 こんなに優しい人たちが看護に当たってくれるなら、広海はきっと元気になると信じたかった。
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