これで終わりじゃないよね?

もとむげ

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物語が動き始める章

第六話 「彼女の気持ち」

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「キミ……高月くんでしょ?六組の高月望くんだよね?」

俺は思ってもみない事態に唖然として言葉が詰まってしまい、彼女の問いかけにも答えることが出来なかった。

おまけに状況を把握しようと努めたため、一歩引いた間抜けな体勢のまましばし固まってしまった。

ほんの十秒くらいの合間だったのかもしれないが、その間に彼女は俺の正面までやってきて、宝石を値踏みするかのようにまじまじと俺のことを凝視していた。

途中、目をこすったり、パチパチとまばたきを繰り返していたが、やがてホッと肩の力が抜けたように言った。

「あたし、ここでキミを待ってたんだ。本当に来てくれたんだね……」

強張っていた彼女の表情も、この言葉を言い終える頃にはすでに微笑をたたえた優しいものとなっていた。

喉の奥につっかえていた言葉も、そんな彼女の微笑みに誘われるかのように続いてきた。

「俺を待ってた?」

待っていたと言われても、パッと見た限りでは思いつく名前がない。

簡単に言うと見覚えがないのだ。

そもそも美術室で待ち合わせなんて、したこともなければする必要もない。

この人は一体何を言っているのだろうと第一に思った。

「うん、そうだよ、高月くん!」

彼女は嬉しそうに弾んだ返事をすると、近くに倒れて散乱している椅子を一つ立て直し、それに腰掛けた。

――待ち合わせというのは、ある目的に対して共通した意思を持つ者同士が行う。

買い物に行く、遊びに行く、旅行に行く、などの目的を果たすために、事前に連絡を取り合い、場所、時間を指定した上で、会う約束をするのが待ち合わせというものだろう。

これを成立させるには、まず待ち合わせをする双方が名前や性別、連絡先や服装など、少なからず互いのことを知っていないといけない。

知り合いや友達、そして恋人と待ち合わせしているのに、赤の他人が「いやぁ、ごめん待った?」なんて目の前に現れたとしても、それは待ち合わせとは言わないはずだ。

その人と待ち合わせをした覚えもないのだから、人違いじゃないかと思ってしまう。

もしこのような真似をしたら最後、訝しい目で見られ、気まずい空気に心が痛むに違いない……。

手を腿の下に置き、俺を見上げるように座っている彼女のニコニコした表情を見ていると、何となく察することが出来るが一応念のため聞いてみた。

「……君は俺のこと知ってるの?」

すると、彼女は首をかくんと横に倒し、「もちろんだよ!」と即答してみせた。

――ここで、彼女の答えに弾かれるように訝しく思う気持ちが表に出てしまったのかもしれない。

顔をじっと見つめられた後、「どうかしたの?」と物悲しげに聞かれてしまった。

そんな彼女の表情が実に痛ましいものだったので、俺は慌てて取り繕った。

「いや、どうもしないよ!何でさっきからそんな嬉しそうにしてるのかなぁと思って……」

これは咄嗟に出た言葉だったのだが、彼女の笑顔を取り戻させるのに十分な言葉だったようだ。

彼女はスクッと椅子から立ち上がると、俺に歩み寄ってきて言った。

「でも……高月くんはあんまり嬉しそうじゃないね?」

「俺が?うーん、まあ嬉しいっていうか、少なくとも安心はしたと思う」

――俺のことを待ちわびていたという彼女に出会ったことで、心が軽くなったのは確かだ。

突然のことに驚きもあるが、それよりなにより俺はちょっと前まで血の通った人間とは思えないほど無機質な「紳士」と暗闇のなか対峙していたのだ。

それを思うと、あの窮屈な空間からここへ来て、初めて出会い、言葉を交わした彼女に安心を感じずにはいられないのだ。 

異国の地に旅行にいった時など、言葉も習慣も違う外国人しか周りにいない中で、偶然同じ国の人と出会ったときの何とも言えない安堵感。それにも似た感じだ。

しかし、これだけで安心はしていられない。

引っかかる点もある。

目の前にいる彼女はなぜ俺のことを待っていたのか?

俺は「時期」の移り変わりを迎え、夢……から覚めた。

ここは少なくとも俺とって得体の知れない世界。現実なのかもしれないし、現実ではないのかもしれない。 このような疑念渦巻く状況だからこそ、都合良く俺を待っていた人がいて、その待ち人とまもなく出会う、という成り行きに疑問を感じずにはいられないのだ。

ただ単に、俺が疑り深くなっているだけなのかもしれないが、どうもこれは誰かが書いた筋書き通りではないのか?という疑念が掃えない。

「――よかった。じゃあさ、高月くんは……あたしのこと知ってる?」

俺の心中を知る由もない彼女は、軽く首を傾け、ニコッと微笑んで聞いてきた。

「ん……」

小柄で、両サイドの髪をヘアピンで留めたショートヘアの似合う女の子。

こんな容姿の女子生徒は結構居そうだが、俺は彼女には会ったことはない……と思う。

目を輝かせ、「知ってるよ」という声を待ち望む彼女には悪いが、「ごめん、これが初対面じゃないかな」と答えた。

向こうは俺のことを知っていると言っているのに、初対面だと言うのはちょっと可愛そうだったかな?

――それを聞いた彼女は、さっきとは一転して悲しげな表情を浮かべて俯く。

ん?やっぱ会ったことあるかもな。なんかどっかで……。

曖昧な記憶を探っていると、彼女はすぐに明るい表情を取り戻し、「そっか。まあ仕方ないよね」と笑顔で言った。

「いや……忘れてるだけで、多分君とはどこかで会ったことがあるかもしれない」

「……ホントに?」

「ああ、そうさ!だから近いうちに思い出すと思うよ」 

近いうちに思い出すと思う。

なんて実に失礼な物言いだが、幸い彼女はそのことを意にも介さず、

「じゃあ高月くんが自分で思い出してあたしのこと呼んでくれたら嬉しいな。……ダメ?」

と、俺の顔をじっと見据えて懇願してくるのだった。

「いや、分かった。必ず思い出すよ。それまで待っててくれ」 

真っ直ぐな彼女の視線に耐えかねて目を逸らし、ちょっとぶっきらぼうに言ったが、それでも彼女は満更でもなさそうだった。

「嬉しい!ありがとう!必ずだよ?」

「ああ、どういたしまして」

――彼女のことは全く知らないわけではない。

どこかで見かけた。会った覚えがある。

さっきの一瞬出た表情。

暗い、塞ぎ込んだような悲しい表情。

あの「感じ」には見覚えがある。

いつだ?

面と向かって。というわけでは無かったが、確かに彼女とは接点があったような気がする。

現に向こうは俺を知っているのだ。

彼女が知っているのなら俺も知っているはずだが……。

まあテレビなどによく出る芸能人なんかは、普通その芸能人のファンである人はその人のことをよく知っている。

だが、その芸能人からしてみれば自分のことを知ってくれているファンのことは知らないだろう。

勝手に向こうが知っているだけなのだから。

俺と彼女の関係もそんなものなのかもしれない。

記憶が入っている引き出しの鍵を見つけるために、さっきからまた周囲に散らばる椅子や机を片付けようと、 右へ左へとせかせか動きまわる彼女をずっと目で追っていると、ピタッと目が合った。

ちょっとドキッとしたが、彼女はにっこりと「どうかしたの?」と言うだけだった。

「いや、何でもない」

「そう?何か言いたそうだけど……」

「いやいや、本当に何でもないよ。ただ、君とどこで会ったかなって思い出そうとしてたんだ」

「ははっ、それって何でもないって言わないよー?」

彼女は愉快そうに言うと、あるキャンバスの前で立ち止まった。

遠目からではキャンバスに描かれている内容を窺い知ることは出来なかったが、薄暗い色に黄色と赤色が目立っている。

――関係ないが、美術室などに掲示されたりしている油絵や水彩画を見ていると、よくあんな絵なんか描けるもんだと思わずにはいられない。

デッサンなんか、上手い人は本当にリアルなものを描いたりする。

どうやって白と黒、その影の強弱のみで立体感を生み出せるのだろうか?

肖像画もそう。

なんであんなにリアルに描くことが出来るのだろうか?

特に絵が上手いと言われている人の作品を見ると、「才能」ってものを感じずにはいられなくなる。

すごいよなぁ……。

「それって君が描いたの?」

と、俺が発しようとした時、 「ありがとう……」 と彼女はポツリと呟き、目の前のキャンバスに布をかけて覆った。

独り言なのか、俺に聞こえるように呟いたのかは分からないが、聞いてはいけないようなことを耳にしたみたいだった。

このような何気ない一言は、聞かないほうが良かったりする時もある。

――今がそうだ。

何気なく聞いてしまった彼女の呟きによって、また俺は考えを巡らすのだった。

「――あのさ」

俺は重く口を開く。

「俺と君って前にも会ったことあるよね?」

質問を投げかけられた彼女は、俺の方を振り返り嬉しそうに聞き返してきた。

「えっ?もしかして思い出してくれたの?」

「いや、残念だけどそうじゃない。冷静に考えてみるとおかしいと思ってね」

俺が怖い顔になっていたのかは知らないが、彼女の表情が陰るのが分かった。

しかし、俺は更に続ける。

「なんで君は俺のことを待ってたの?」

「え?」

「俺も最初に聞いておかなかったのがいけなかったんだけどさ、なんだかんだ言って、さっきから君は俺を待っていた理由を話してくれてない」

「うん、そうだね、話してないね……」

ここで彼女は陰る表情を下に落とし、まるでいじけているこどもさながら、足で地面を蹴るような動作を始めた。

「理由なんて話す必要ないかもしれないけどさ、良ければ理由を話してくれないかな?……気になるから」

「確かにこんな風になれば誰でも気になるよね……」

「俺は君がここにいることなんて知らなかった。なのに、君は俺を待っていた。むしろ俺が来ることを知ってたみたいだったけど……」

「高月くんの言う通り、あたしはこうなることを知っていたのかもしれない。いや、あたしが思い込んでただけかも。それがたまたまその通りになっただけで……」

「たまたま?」

「……あっ、ううん、ごめんね?あたし何言ってるんだろ」

彼女は頭を軽く振ると、地面を蹴るような動作を止め、先程腰掛けていた椅子に戻った。

「どうかした?」

「いや、大丈夫、なんでもない。……でね?ホントはね?ちょっと良く分からないの」

「良く分からない?」

「うん。あたしも高月くんがこの美術室に来てくれるなんて思っても見なかったんだ。来てくれたらな……くらいに思ってただけで。だから高月くんが声を掛けて来てくれた時、すごくビックリした」

「そうなんだ。じゃあ物音に気付いてここに来たのは正解だったってわけだ」

辺りを見回してそう言うと、彼女は軽く顔を赤らめた。

「でもさ、仮に俺たちが美術室で会うのはたまたまだったとしても、俺のことを待ってたって言ったのはなんで?」

「それ……どうしても気になる?」

「ああ。いつもなら大して気にならないと思う。けど、今はどうしても気になって仕方ないんだ」

その言葉を聞き、彼女はなにやら不思議そうな顔をしていたが、やがて腰を上げ、若干俯きながらも俺を待っていたという理由を切り出した。

「……あたしね?さっきも言ったけど、来てくれたらいいなぁーってずっと思ってたんだ、高月くんのこと。心の何処かできっと来てくれるって願ってたっていうか、信じてて……」

切り出してくれたは良いが、まだ言葉を選んでいるようだった。

いや、選んでいるのではなく言いよどんでいるのかもしれない。

――ここで彼女が俯いた顔を上げた。

またピタッと目が合った。

すると、彼女は慌てて後ろを向いた。

「ま、まあとにかく!あたしが言いたいのはね?」

「えっと……そんなに言いづらいことだったら無理して言わなくてもいいけど……」

「大丈夫!ここで言わせて!」

これは相当なことなのだろうか?

やきもきしている彼女を見ていると、とても重大なことを伝えようとしてくれているのだと思ってしまう。

「……言うよ?」

――何となくその声には強い意志が宿っているかのようだった。

だから、今このタイミングで口を挟むと、もう二度と聞く機会が無いと察し、無言で答える。

何を言われても、そう、無言で答えてやるんだ……。

「その……来て欲しかったの……高月くんが好きだから!」

――ああ、そういうことね。……え?

無言でいるんだと決め込んでいたのに、「俺って何かズレてるの?」と、普通に声に出た。
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