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9話 盗み聞く精霊オルヴリッド

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「悪かったわねレイシス君」
 立ち上がってパンパンと服についた埃を払うサラは、そう声をかけた。至って普通に。
 銃を突きつけられたことや色々なことで、若干パニックになっていたヒイロも、サラの普段通りにも思える声を聞いて、少し落着きを取り戻した。

「い、いえ。こっちこそ……あのすみません」
 とは言え、手には感覚が残っている。普通よりもかなり大きめの柔らかなものの感触が。
「いいわよ別に。減るもんでもないし。私が急に止まったんだから」
「すみません」
「いいって。じゃあ、こっちね」
 しかしサラはやはりそういったことも全部含めて普段通りに立ち振舞い、案内を再開する。
 自分の中で無かったことにしたのだろう。

 コツコツコツと靴音を響かせて、2人は階段を上がりまた歩く。

「……」
「……」
 サラは立ち止まらないまま後ろをチラリと振り返る。
 俯き加減で歩くヒイロ。
 ちゃんと着いてきていることを確認したサラは、また前を向いた。

「……」
「……レイシス君ってさ、足音しないね」
 1人分しか響かない靴音。サラが案内してから、いやティトリニアに案内されている時も、ヒイロから足音は一度もしていない。
 先ほど立ち止まったのもちゃんと付いてきているのかどうか不安になったからだ。

「そうですか?」
「全然しないわ。気配も無いし」
「……すみません」
 サラは続けてそう言った。
 足音がしないだけなら、おそらくぶつからなかった。精霊と契約している者は感覚が鋭くなる。
 つまり気配などを察する力が上がる。

 ヒイロの気配が希薄過ぎたから、わざわざ立ち止まってまで後ろを向き、回避行動を取ることも耐える行動を取ることもできないまま突然にぶつかられ、成す術なく押し倒されたのだ。
「謝らなくても。ああ、別に悪口じゃないわよ? ただ精霊は存在感が強い人と契約したがるから、冒険者になってもあんまり強い精霊とは契約できないかもねってこと」

 サラの言葉は真実。
 成す術なくぶつかられ押し倒されたことでプライドが傷ついたことと、胸に顔を埋められ複数回もまれたことによる苛立ちもあったが、それは真実。

 精霊との契約を行えば、一生を共にする。
 だからその精霊に一生を共にしたいと思って貰えなければ、契約することはできない。それが善であれ、悪であれ。
 特に強い精霊であれば強い精霊であるほどそれは顕著で、同じ人間でも魅了できるくらいの何かがなければ契約は不可能である。

 ヒイロのような薄い存在感では、到底望めない。

「知ってます。えっと、僕は薬売りになりたくて……近場で採れるものだけで良いので、契約しようとは」
「そうなの。そう薬売りね。……さっきのおデブの精霊、ヴィイリニーって言うんだけど、知り合いなの?」
「え?」

「ああ、そんな気がしただけ。あれが頼みごとなんて珍しいし。まあティトリニアのミスらしいけど、知り合いじゃなかった?」
「……。知り合いじゃありません」
「そっか」
 2人は階段を上がる。

 そこでようやく地下道が終わり、廊下に窓が付いた。ガラスのはまった窓からは久しく見ていなかった太陽の光が降り注ぐ。
 サラはさらに階段をもう1階分上り、ヒイロが上がりきるのを待って指で廊下の奥を示す。

「じゃあここ、奥にある部屋が職員室だから」
 案内はここで終了だ。

「あ、ありがとうございます。……えっと、サーラさん?」
「サラ・サーブラッド。この学園大きいしあんまり会うことはないかも知れないけどよろしくね」
「はい。サーブラッドさん。本当にありがとうございました」
「じゃあ」
 足音がこもらない、窓の開いたその道をサラは歩いて去っていく。

 ヒイロはサラを見送る。
 ヴィイリニーの部屋からここまではかなりの距離があった。それなのに嫌な顔1つせずに案内してくれるなんてなんて良い人だろうとヒイロは思っている。
 しかし学園生活に明るい兆しは見えていない。

「ヴィイリニー、情報屋。……、……ルゥレード。なんで、もう……」
 壁に寄りかかり、手で顔を覆ってしまうほどに。

「……。ああ、職員室で入学手続きしなきゃいけないんだった。それで寮で入居手続きか、忙しいな」
 しかしそれを続けていても何も進まない。ヒイロは気持ちを入れ替えて歩き始める。
 完全に入れ替えることはできないが、もう2年も前のことだ、それでもヒイロは歩き始める。

「ルゥレード、火の精霊だろうが知らない名だ。精霊か?」
「私も知りませんね。ヴィイリニーに聞きますか?」
「あの狸は何も答えてくれないわよ。ヒイロ・レイシス。ヴィイリニーと知り合いね、うさんくさい」

 ヒイロが歩いて行く反対方向、さっきまでいた階段で、サラは自身の契約精霊とそんな話をする。

 精霊は肉体構成を止めている間、つまり還っている間は、見ることも聞くこともできない。
 自身と契約した人間の位置や状態、自然の力を感じられるのみで、他は何一つ分からない。だから壁があったとしても簡単に抜けられる。
 そして実体化していれば見ることも聞くこともできる。

 サラの指示によって2柱の精霊は、ヒイロの会話を窓の外から聞いていた。
 人間の気配に気づけるのは人間とその人間の契約精霊のみ。
 だが精霊の気配に気付けるのも精霊とその精霊と契約した人間のみ。

「……まあ本人は弱そうだし至って無害そうだけど。一応注意しておくに越したことはないか」
 精霊と契約しているか否かは、何においても重要視される。
 だから強い精霊と契約できそうにないヒイロは、1番の弱者。非常時において、どうとでもできる存在。

 サラはそう結論付け、階段を下り自らのギルドがある8番棟へと向かう。

「無害って、お前は胸を揉まれていたじゃないか」
「そうですよ。男に触られるなんて初めてでしょう」
「ええーいうるさいっ。そこを蒸し返すんじゃないのっ」

 ヒイロのまだ始まっていない学園生活は、果たしてどうなるのだろうか。
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