首筋に咬痕

あお

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「脱いだ服はここに置いてください。それから……」


アトリエに入って早々下着以外の洋服を全て脱ぐように言われた。そのまま椅子に座らされ、シーツを腰に巻きつけて視線を横に向けてくださいと指示される。


俺は音梨君のデッサンモデルになる事を承諾した。口約束だけで、特に契約を交わすような事はなかった。払うと言ってきかなかったモデル代は出世払いでと約束を取り付けたが、正直貰う気はなかった。



聞いた所によると、音梨君は殆ど一人暮らしに近い状態だそうだ。だからここへは気兼ねせずに来てくださいと言われた。

音梨君の父親は新しいアトリエに篭りっきりで、ハウスキーパーさんも基本的にはそちら居るという。こちらにはたまに料理の作り置きと掃除をしに来る位だそうだ。



「先ずは色々な角度から見させてもらってもいいですか」

「構図を考える所からなのか」

「すみません。一番いいポーズを選びたくて。今日は座った体勢でお願いします」



音梨君は幾つかポーズを指定すると、気に入った構図が見つかったのか納得したように何度か頷いた。



「モデルって、期間はどれくらいになるんだ」

「わかりません。ただ、妥協はしたくないとだけ」

「わかった。気の済むようにするといい」

「ありがとうございます」



アトリエ内の室温は二十度程だが、足元に暖房器具を二つ置いているからあまり寒さは感じなかった。



「榊さんってスポーツとか、何かされてました?」

「いや、何もしてないよ。どうして?」

「無駄な肉が無いなと思って」

「昔から食べても太らない体質なんだ。あとは……少し運動するくらいかな」

「……いいですね。是非この体型をキープして欲しいです」



スケッチブックに向かう音梨君は、正に真剣そのものだった。瞬時に張り詰める空気。

先程までニコニコしていたのに、デッサンが始まった今では顔から笑顔が消え、まるで別人のようだ。

途中何度も休憩を挟んでは、また描いて。デッサンをしている間の会話は一切なく、俺はただただ座ってジッと待つだけ。だが自然と、それを退屈だとは思わなかった。













それからというもの、俺は音梨君と予定が合うと必ず家を訪れるようになった。

俺の公休が基本的に水曜日と日曜日だから、そのどちらかで約束を取り付ける事が多い。音梨君も日曜日は大学が休みで水曜日は授業が午前中だけという事もあり都合が良かった。

最初は戸惑いながら始めたこれも、一ヶ月も経てば変に気負う事もなくなった。



「榊さん、少し休憩しましょう。喉渇きましたよね」

「ああ、ありがとう」



音梨君からお茶の注がれたコップを受け取り、そっと中のお茶に目を落とす。いつもこうして途中で休憩を挟んでくれるから、身体への負担も少ない。



「そう言えば、俺が居る時はそこまでのめり込まないんだな。ちゃんと休憩を入れてくれる」



以前、集中すると食事も睡眠も全て後回しにしてしまうと言っていたのを思い出す。俺が疑問を投げ掛けると、音梨君はパチパチと目を瞬かせた。



「それは……わかりますからね」

「わかる、とは」

「なんとなく、身体を見てたらわかるんですよね。ちょっと疲れてきたんだろうなとか」



微弱ですが身体がサインを出すんですと、音梨君は俺の肩にそっと左手を置いた。



「ずっと同じ体勢なのって、身体に負荷がかかりますからね。頭をずっと同じ位置でキープするのは大変ですし」



ここがこうなるんですと言って、肩に置かれた手がするりと肌をなぞった。

こうですと説明を受けても、自分の身体がデッサン中、どう動いているのか上手く理解が出来なかった。

勿論途中で自ら動く事もあるが、恐らく音梨君が言ってるのは、身体が無意識に楽な体制を取ろうとした瞬間の動きの事だろう。



「よく見てるんだな」



音梨君には、筋肉の動きまでも見えているのか。



「ええ。そろそろほくろの位置を覚えそうです」

「それは勘弁してくれ」



今度から脱ぐ時に抵抗を感じてしまいそうだ。

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