埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第二章(その3) ココナッツ・クランチ

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単語ルビ 午後一時。
 西署を出ると、戸田はすぐに瀬ノ尾とは別行動を取った。
戸田が合流してようやく、ふたりは県警本部刑事課の一隅の二台のパソコンの前に、一緒に囲い込まれた。片隅だが、なぜか係長の席からの見通しは利いている。パソコンがランケーブルで繋がれているように、ふたりには係長が握る紐をしっかり繋げておきたいらしい。その席で、ふたりは登録済みの家出人捜索願をチェックし、該当者を捜すのである。
 すでに、事件性が高いとされる特定家出人と直近一年分の捜索願は、西署のほうで当たっていて、それ以前の記録の掘り起こしが二人の仕事となる。
 
 ――ここ十年、家出人捜索願の受理件数は減少の傾向にあるものの、全国で年間ざっと十万件もある。鹿箭島県だけを限っても三、四百件ほどある。全国の受理件数のうち、家出人の九割の所在が確認されるが、いわゆる自宅等に帰るのは、所在確認者の五割程度。半数は自宅には戻らない。自分の意志で家出し、自活できる成年者の場合は、法的に連れ戻すことができないため、所在の確認までに止まらざるを得ないからだ。
 概数だが、自宅に帰らない五万人のうち、犯罪被害者が二百名前後、犯罪被疑者が二千名前後、四千五百人ほどが死亡後に発見される。そのうち自殺者が三千二、三百人。残りが、病死、事故死ということになるが、死亡者四千五百人のうち、四千人が捜査願受理後三カ月以内に死亡発見されることが多い。
 捜索願を出された中の残り一割、年間一万人ほどの家出人は、所在を確認されることがないまま、記録の闇に埋もれていくことになる。

「瀬ノ尾」
 戸田が、パソコンの電源を入れもしないで声をかけた。
「捜索願を受理していない家出人が、どれだけ保護されているか、知ってるか」
「五、六千人くらいだと把握してますが」
「警察が確認している分は、その位だ。犯罪絡みでなければ、そのほとんどが未成年。警察に届けることなく、所在確認保護されたケースの実数は、わからん。だいたい、家出人の実際の数自体わかってない」
「家族が家出と把握していませんけど、実は家出に相当するとか。プチ家出みたいな」
「だな。捜査願いが出されていないと、調べるだけ無駄むだ」
「それは、調べてみないとわからないのでは……」
 戸田は答えず天井を向いた。このおやぢ、と瀬ノ尾が小声で愚痴った。
『この仕事をやる気がないな』
 瀬ノ尾は、深呼吸してパソコンに向かった。戸田の指摘のように、登録されてるファイルの中に該当者がいる可能性は、まずない。
 性別:女性。年齢:十代、二十代。これだけで、検索件数は全体の二割ほどになる。
 その中には、年間千五百人もの所在確認されないまま、記録の闇に沈み込んでいった女性たちがいる。
 血液型:A。さらに半数に減る。瀬ノ尾は、表示された検索数の一桁から四桁まで追ったところで、追うのをやめて、戸田を見た。自分の世界に入り込んで、出てくる気配がない。瀬ノ尾は、よし、と小さく気合いを入れて、検索開始のロゴをクリックした。
「瀬ノ尾。お前さん、受理当時の年齢で検索かけてないか? 」
 戸田がいきなり口を出した。
  あ、と瀬ノ尾は声に出した。それだと十年以上前に受理された者は、現在では二十代から三十代、場合によっては四十代に掛かるにも関わらずヒットしてしまうことになる。
「やっちゃいましたね」
 瀬ノ尾は顔を歪めた。
 戸田が笑い出した。
「今現在の年齢で検索できるようじゃないと、データベースにならんだろうが」
『また、ひっかけやがった。このおやぢ、おれにまで仕事させない気か』
 瀬ノ尾は口の中でもごもご言った後、戸田の方にしっかり向き直ると、はっきりと文句を言おうと口を開いた。
「戸田警部補」

 声をかけたのは瀬ノ尾ではなかった。
 そこには西署の小藤巡査が立っている。
「こちらの応援をするように、指示されました」
『彼女も干されたくちか』
 西署の鑑識課員も、県警本部五階の科学捜査研究所で鑑識作業に当たっているはずだが、似顔絵の一件で外されたらしかった。
『これだから、下っ端はものが言えなくなる』
 瀬ノ尾はことばを飲み込んだが、替わりに深いため息が出た。
「小藤巡査、待ち焦がれたぞ。下川畑鑑識課長、さぞ嫌がったろう。すまんな、忙しい中、わざわざ来てもらって」
「はい。言い出したら聞かない男だから、今回だけは聞いてやる。貸しだから覚えておけ。必ず伝言しておけと、念を押されました」 
「必ず二度以上念を押せ。そうも言われたろう」
 小藤巡査は苦笑している。どうやら図星だったらしい。 
『また裏でなにか企んでたのか。いや、もう知ったことじゃない』
 瀬ノ尾は、目の前のパソコン以外一切の関わりを絶つことを決意していた。
 戸田に、パソコンの電源くらい入れろと諫言する気もなくなっている。
「小藤巡査。早速ですまんが、これを少年課の石崎伸子課長に届けてくれ。賄賂と嘆願書だ」
 戸田は、瀟洒な紙袋を取り出して、小藤に手渡した。
 中身を見た小藤の顔色が変わった。
 青ざめたり赤くなったりするのは常識の範疇だが、それ以外に、人は喜色い顔色にもなるのである。
「ファン・デ・サールって。もしかして、まさかココナッツ・クランチですか」
「残念。ココナッツ・クランチをベースに、チョコチップとミント仕様で無理に作ってもらった。二箱あるから、一箱は向こうで食べるといい。差し入れだ。あとで、感想を聞かせてくれ。課長仕様だから、若い者には、合わないかもしれんからな」
「はい。わかりました」
 すかさず答えた小藤の声が、一瞬楽しそうに弾んだ。
 瀬ノ尾は、つい生唾を飲み込んだ。
「こんなもんのために、戸田さん、別行動取ったっていうのか」
 よほど不平たらしい顔をしていたのだろう。小藤が耳元で囁いた。
「ファン・デ・サールのココナッツ・クランチって、絶品なんですけど、パティシエが気が向かないと作らないんです。注文して待ってても手にはいるとは限らない。それが、新作だなんて。一生ないかもしれない。それに、この紅茶。この店のオリジナルらしいんですけど、これも……」
「はいはい。さっさと行った行った。課長が了解すれば、戦争になるぞ」
 戸田に促されて小藤巡査は、軽く小躍りを続けながら出ていった。
『あれじゃ、仕事に行くんだか。お茶会に行くんだか。いや、いかん』
 瀬ノ尾は首を振った。瀬ノ尾の眼の端に、戸田が携帯を手に部屋を出るのが見えた。
 まもなく、午後二時になる。おやぢ逃げ出したな。瀬ノ尾はそう直感した。
 だとすれば、いずれ瀬ノ尾の許にも、係長の過酷な追及の手は伸びてくる。知らぬ存ぜぬで押し通すしかあるまい。
『戸田さんですか? 私が画面に集中している間にいなくなったようで……』
 ことばは決まった。瀬ノ尾は、腹をくくってパソコンの画面に集中した。
 瀬ノ尾の予想に反して、戸田はすぐに帰ってきた。が、見る間に出ていった。
「少年課にいる。何かあったら連絡をよこせ」
『そこで何をするんですか?』
 聞いても答えなかったろうが、瀬ノ尾は聞きそびれた。
 ちょっと寂しかった。
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