埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第二章(その5) 紅茶

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 時刻は、午後六時を少し回っていた。
 通された応接室には、税所ぜいしょ校長、木村教頭、徳永学年主任と在室していた。あいさつもそこそこに、
「本来ならば、担任の水島か、生徒指導の先生が対応すべきなのですが、折悪しく不在で。今日明日の二日だけ、新納先生に臨時にお願いしたところが」
 と税所校長は、あとのことばを濁した。
 耳たぶよりやや長くなった髪に、八重歯をのぞかして微笑んでいる似顔絵を、涼子は食い入るように見つめ、ため息をついて学年主任に手渡した。
「ファックスでは微妙でしたが、今日欠席している津田さんに、よく似ています。微笑んだ表情がそっくりです」
 涼子のことばに、戸田は頷いた。
「自宅通学でしたね。親御さんはなんと」
「朝、連絡を入れたときには、金曜の夜から友だちの家に遊びに行っていると。月曜日には、直接学校に行くからと言って出て行ったとの返事で、欠席しているとは知らないようでした」
「でも、今日は学校は休んでいる。家にはまだ? ええ、連絡していない。では。友だちは、見当がつきますか?」
 瀬ノ尾が矢継ぎ早に問いかける。教師たちが言い淀んでいる間、応接室に置かれたテレビからは、夕方のニュースが流れている。
 やがて、発見された頭部のニュースが聞こえ始めた。
 身元不明の若い女性だ、とアナウンサーは告げ、画面には似顔絵が映った。小藤の描いたものではなかったが、特徴はよく捉えていた。
 応接室の電話が鳴った。
 一瞬全員が顔を見合わせ、戸田の目配せを受けた徳永が受話器を取った。
「津田さんからです。今のニュースを見て、うちの子に似ているが、どうしたらいいかと」
 徳永が、乞うように戸田を見た。
「学校に来るように伝えてください」
 徳永が電話を掛けている間に、戸田は涼子に対して、
「すぐに、出水署に電話を入れて、父兄から、自分の子に似ていると学校に連絡があって、動転しているようなのでとりあえず学校まで来てもらいました。そう連絡してください」
 と指示すると、税所校長と木村を見て、深く頷いた。
「何と言っても地元は立てませんとね。捜査は、実績より人間関係が一番ですから」
 言いながら、戸田はするりと席を外し、応接室の外に出た。
「ああ、都留つる警部補さん。県警の戸田です。ご無沙汰してます。今どこです。家ですか。ちょうどよかった。実は、鹿箭島JP女子高の首。あれ、被害者は高尾野女子高の生徒で、津田純子らしいです。今、女子高にいるんですが、すぐ来てくださいよ。もうすぐ、親御さんもこっちに見えるはずです。また来たかって。ちょっと、都留さん。何年前の話ですか、それ。俺は来るだけ、昔のように後は任せますんで。ちょっと、立ち会わせてもらいますけど。おれたちがいる理由は、都留さんの方で適当にこさえてください」
 涼子が後を追って出てきている。戸田が怪訝な表情を浮かべると、
「お茶と、軽い食べ物を準備してきます」
 そう涼子は言った。戸田は、内ポケットから、ココナッツクランチと紅茶を取り出して、涼子に渡した。すると、両手で大事そうに受け取って、
「ファン・デ・サールのココナッツクランチ。懐かしい。紅茶は」
 と目を細めて、紅茶の商標を読んでいる。戸田の眼に複雑な陰が浮かんだ。
「suzu-to? この紅茶、初めて見ました。店のオリジナルなんですね。パティシエは、お元気ですか?」
「ますます頑固になってる。こいつだけは、息子にもレシピを教えないと言っているらしくてね。息子にも盗まれないように、いつ作るかも決めてない。紅茶の方は」
 戸田は口ごもった。涼子の手のひらの上で、suzu-toの裏側の商標が踊っている。
「涼-戸」の小さな漢字二文字。
 戸田は、ぎこちなく裏返した。
「味は知っていると思う。ずいぶん若い頃の味だったと思うが」
 涼子は何も言わなかった代わり、眼が大きく問いかけている。
『これって、まさか?』
 無表情に受け流した戸田の眼は、遠くを見つめたまま動かなかった。
 
 午後七時。
 出水署刑事課の都留警部補を始め捜査員数名が、応接室に陣取った。囲まれるように津田夫妻と高尾野女子高の教師が並んでいる。
 戸田と瀬ノ尾は、入り口に近い壁にもたれかかって、立ったまま涼子の淹れた紅茶を飲んでいる。むろん戸田の左手はポケットの中にある。
 津田純子に関しては、家出人の中でも事件性の高い特異家出人として捜索願を受理することとされたが、これは形式的なものだったろう。
 捜査願いの書式に則って、およそ七十ほどの項目が津田夫妻に質問され、捜査員が回答を記述していった。
 受理警察署、扱者氏名、受理番号、受理年月日、家出人の種類、保護者住所、保護者連絡先、保護者職業、保護者氏名、保護者続柄関係、本(国)籍、住所、職業、氏名、異名、生年月日、性別、居住形態、同伴者捜索願、同伴者住所、同伴者職業、同伴者氏名、同伴者続柄関係、家出年月日、原因・動機、家出の概要、サラ金関係、身体的特徴、身長、体重、体型、顔色、面型、眼鏡、頭髪、血液型、歯、写真の有無、着衣、所持金品等……。
 この時点で、すでに津田夫妻の回答は滞りがちになり始めていた。
 明らかに関連がないことも機械的に質問され、回答が機械的に記述されていった。
 歯科治療については、名前の挙がった歯科医院に捜査員が急行した。カルテを入手できれば、明日にも被害者のものと照合できるはずだ。
 さらに、質問は機械的に続いていく。
 行動の特徴、運転免許、使用車両、立回り見込み先、立回り見込み地域、保護者等の希望、照会した警察官にとりあえず知らせたい事項、願い出の状況等。
 性格、容姿服装、健康、習癖、経歴、土地鑑、交友、経済、言動、家出前後の状況、家出前後の足取り、家出前後の居室の状況、家出前後の音信、家庭の状況、発見活動の公開に関する保護者の意向……。
 
 金曜日に宿泊すると告げた友人宅に二名の捜査員が向かった。
 この場では答えられない質問、重複する質問が増え、淡々と読み上げられていった。
 午後八時半を回る頃には、津田夫妻に回答できることばはなくなっていた。
 津田夫妻にとっては、一緒に暮らしている娘のことを『知らない』と答える続けることが、そのまま自分たちへの非難となって返ってくるように感じているはずだった。
「ここで休憩を取って、できれば移動して、自宅の方も見せて頂きたいのですが」
 都留が静かにことばを選びながら続けた。
「それと、できれば明日にでも、娘さんではないと言う確認のために、県警本部まで出向いては頂けませんか」
 都留警部補のことばを背に、戸田は静かに応接室を出た。
 瀬ノ尾がすぐに追い、遅れて涼子が後を追ってきた。
「三号線を行くのでなければ、何もありませんから」
 涼子がラップに包んだ握り飯を差し出すと、戸田の指図を受けた瀬ノ尾が受け取った。
「被害者になれば、加害者との接点を探し出すために、あらゆるプライバシーが暴き出されるようになります。被害者にも被害者の家族にも、人権への配慮などというものはなくなる。被害者のちょっとした間違いが、何倍もの手酷い醜聞になって飛び交うようになる。これからの津田夫妻には、たぶん地獄が待っている。可能な限り支えてやって下さい」
 戸田は誰にともなくつぶやくように言った。
 涼子は、そんな戸田を静かに見つめていたが、
「戸田さん。傷は痛みますか」
 再び聞いた。
「古傷は、時によって痛むもんです」
 戸田もまた答えた。
 涼子は、まっすぐに戸田を見つめている。
「古い傷はいつまでも痛むかもしれません。でも、古い友だちは、いつ思い出しても暖かいものでした。古い傷には替われませんか」
 戸田は何も答えず、涼子を無視したまま運転席に乗り込んだ。
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