埋(うずみふ)腐 ――警部補戸田章三の日常(仮題)

三章企画

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第三章(その8) 鑑定結果と放線菌

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「四月二十五日深夜に、店主磯崎要の母親が亡くなって、二十六日が通夜。二十七日が葬式だった。石和田も本店は閉めて、従業員共々手伝いに出ている。理容店の関係者、客、周辺関係者含めて、しばらく慎重に捜査してもらうしかない。
 白バンから出た毛髪片だが、五名相当分のDNAが採取された。そのうち四名が、頭部付着分のDNAと合致している。その中に石和田清次郎のものはない。バンの荷台からは、陰毛と複数の繊維屑が出ているが、陰毛は津田純子のものと確認された。繊維屑と鹿箭島PJ女子高の制服との関連性は現在精査中だ。配布した報告書の写しに記載していないものは、以上だが、他に何かあるか」
 声はない。手元の資料を慌ただしくめくる音だけが響いている。
 野路課長が小松署長を窺う。小松は首を振った。
「では、それぞれの持ち場に帰って、捜査を継続してくれ。以上」
 五十名程の捜査員が、それぞれの気質に応じた早さで立ち上り、性格に順じたやりかたで椅子を処理して出ていく。
 戸田、と下川畑西署鑑識課長が声をかけた。
「ちょっと見てもらいたいもんがあるんだが、来てくれるか」

 鑑識課に行くと、下川畑は十数枚の写真を見せた。
 二箇所分の採取土壌が写っている。土壌の形状と顕微鏡での拡大写真。
 形状は、Aが黒っぽい腐葉土で、Bも似ているが、Bにはわずかながら白い放射状の菌が確認できた。顕微鏡写真には、その菌が拡大されている。二、三種類ほど確認できた。
「お前さんには、顕微鏡で直接覗いてもらった方が、わかりやすいんだろうがね」
 はあ、と曖昧な返答をしながら、写真を見較べていた戸田が口を開いた。
「土着の放線菌ですか。こっちのは実によく育ってる。Aが山林で、Bが竹薮ですか。どこの竹薮のものです? すぐ近くに、ぼかし肥の親株にできそうな放線菌の大株がありそうですね」
「八重山の遺体遺棄現場の山林と隣の竹薮だ」
「なるほど。八重山にこんな株がいたとは思わなかったな」
 ふむふむと何度か頷いた戸田だが、訝しげな表情が張りついたままになっている。
「問題は、こっちだ」
 下川畑が、さらに数枚の写真を出して並べた。Aに似た土壌の上に放線菌がかなり繁殖している。拡大写真からは、七、八類の異なった菌が確認できた。
「遺体の直近の周囲の土壌だ。おれが見たことのない土壌菌もあるし、数も種類も多い。戸田、ありうると思うか」
 自分に聞かれても、と困惑した表情のまま、戸田は下川畑の深意を計りながら写真を凝視している。
「ずいぶん昔、県内の何箇所か、ぼかし肥の株用に放線菌を採取に行きましたが、畑以外の土壌で、これほど複数種の放線菌を見たことはないですね」
「やはりそうか。あの遺体、日数の割には白骨化が通常以上に進んでいる。動物に食われず、昆虫に蝕まれず、なおかつ白骨化が進むのは、土壌かそれ以外の要因に因るものだが、薬品、焼却、腐敗菌、分解菌……。戸田、ぼかし肥の親株っていうのは、分解菌の一種だろう」
「ええ。土着の放線菌が植物繊維を分解して、できた窒素を固定化することで肥料になる。その仕組を利用して、温度や湿度を調整して良質の放線菌を増やし、腐敗菌を排除することで、効率的に肥料化するのがぼかし肥の目的です。ただ、良質の土着菌は少ないし、育てるのが難しくて、今じゃ、複数の菌や酵素を培養した活性剤みたいなものを使ってますね。いかに腐敗菌を減らして、なおかつ効率よく分解して固定窒素に変えるか。それが最大の目的ですから。しかし、遺棄場所の山林にこれだけ菌種が多いということは、通常ではありえない……」
「だから、戸田。お前さんに聞きたかったんだ」
 と下川畑が目を細めた。
 じゃあ、と瀬ノ尾が口をはさんだ。
「あれですか。自分には固定窒素だの肥料だののことはわかりませんが、結局、生ゴミの分解促進剤みたいなものを振り撒いて、死体の分解を目論んだってことですか。この四月に千葉で、殺害した女性を風呂桶に入れて分解促進剤を混ぜた土で埋めた事件ありましたよね。参考にしたんですかね」
 戸田と下川畑は顔を見合わせて笑いだした。
 瀬ノ尾が憮然とした。
「や、すまん。確かに、お前の言う通りだ。あまりにも真っ当すぎて笑いのツボに填っちまった……」
「だ、だ。瀬ノ尾刑事の、その線で、衣類の分析も始めさせよう。メーカーの特定は難しいかも知れんが、使ったという事実は証明できるだろう」
 下川畑さん、と戸田がことばを継いだ。
「分解促進剤を使って、なおかつ意図的に土中に埋めなかったのだとすると、光合成分解をする種類の菌を使用したタイプの製品の可能性もあるかもしれません。もともと隠す意図があったとは思えませんし、腐敗臭を防ぐ消臭目的の目も……」
 ああ、と下川畑は言った。
「業務用かなんかの特殊な奴が出てくれることを期待しろよ。その方が捜査も楽だろ」
 ええまあ、と戸田は曖昧に笑った。
「それはそうと、下川畑さん。白骨化が進んでいる割りに、指紋の検出が早かったんじゃないですか。死後一ヶ月前後だと、グリセリンに漬けたりして二、三日かかるのが普通でしょ。なんかやりましたか」
 下川畑は、得たりと笑った。
「それよ。まだ実験中なんで、実用化できるか不安だったんだが、なんとか使えそうなことがわかった。念のために、今グリセリンと水酸化ナトリウムに漬けているやつも照合するが、併用すれば十分使えるものになる。まだ、確認画像としては不鮮明な部分もあるんでね。これからの改良が思いやられるがな。仏さんには悪いが、今度の事件ではいろいろと試させてもらってて、ほんとに助かってるよ。犯人を捕まえること以外にも、この仏さんには供えるものが多くなるかもしれん」
「一日や二日早くなっても不鮮明で、結局現状の手法と併用するんなら、一緒じゃないですか。早さより正確さが大事でしょう」
 瀬ノ尾が口をはさんだ。戸田が切り返した。
「初動捜査の一日、一時間の違いが、事件の明暗を分けることもある。遺留品の分析手順、分析時間が減り、何分の一かでも削れるなら、出来るときに試してみるにこしたことはないんだ」
「……」
「戸田。瀬ノ尾刑事殿の方が正論だ。この事件。瀬ノ尾刑事殿の単純な思い込みが、かえっていいのかもな。例の切断機械だが、この刑事殿は肉屋のスライサーだと言っていたが、あたらずとも遠からずだった。解体用の鋸刃の電動ソウというのがあるらしい。さすがに国内では人体の切断事例がないんで、今FBIに問い合わせてもらってる。あとで、メーカーや製品の仕様を持たせてやるよ」
 頼みます、と頭を下げて、鑑識課室を出ようとした戸田だったが、
「いかん。肝心なことを忘れるところだった。下川畑さん。白バン、本当に血液反応は出なかったんですか」
「残念ながらな。着衣にも血液はほとんど付着していない。首を切断されることで、偶然血抜きした状態になったということだろう。制服への付着を防ぐために、首の切断部分をビニール袋かシートでくるんでいた可能性もあるがね」
「しかし陰毛は出た。一方で指紋はでない。工場跡には複数のタイヤ痕が確認された。バンで八重山まで死体は運んだ。その時に既に首は離れていた。そう考えても構わないですね」
 えっ、と瀬ノ尾が声を上げた。
「白バンが八重山に行った痕跡があるんですか? タイヤ痕も見付かってないのに」
「白バンの遺留品の箇所、よく読んでみろ。津田純子の指紋と髪の毛は、助手席からしか採取されていない。助手席に居たことは確かだ。しかし、だ。荷台からは、陰毛だけが採取されて指紋も彼女の髪の毛も見付からなかった。他人の髪の毛は荷台だけから採取されたのにな」
 戸田のことばに、瀬ノ尾は首をひねっている。戸田と下川畑は顔を見合わせて笑みを浮かべた。瀬ノ尾、と戸田が続けた。
「意図して荷台に陰毛を置いたのでなければ、落ち易い状態……。例えば、下着を着けていない状態がそこにあったということだ。加えて、指はあっても、触れても指紋を付けるための汗や脂が出ず、髪の毛が落ちる要素もない。つまり、下着を付けていない、首のない死体が一番可能性が高い。そういうことだ」
「それは、戸田さんの推測じゃないですか。見込み捜査は刑事の敵だと……」
 反論しかけた瀬ノ尾を下川畑が遮った。
「刑事はそうなんだが、鑑識には逆に思い込みが必要な時がある。必ず、そいつが、その物証が出てくるはずだという思い込みがいる。その為に技術を磨き、手法を開発する。バンには、繊維屑の他に土の粒子もあった。出てこなくちゃならんものが何か、わかるだろ。瀬ノ尾の言うように、実際は別な可能性がある方が多い。だから、思い込むが、必ず可能性の間口は拡げておく。そのバランス感覚は刑事も大事だ。それに…」
「バタ、いいか」
 いきなり頭も割れるような大声が響いた。
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