この気持ちは、あの日に。

篠宮 楓

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そのいとは。

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 普段なら、そんなに混むことのない時間帯。働く人が帰るには早く、学生さん達で混み合うにも少し早い。
 そんな中途半端な時間帯。しかして今は、サマータイムという名の期間であって。

 要するに。

 いつもよりも、結構な人数の乗降客がホームにはいるのだ。


 おにーさんの声が上がった瞬間、大半の人が十人十色な状態で振り向いた。
 顔だけ振り向けた人。立ち止まって、体ごと振り向いた人。目線だけ向けて、すぐに歩き出した人。大きな声だったという事もあるだろう。誰だっていきなり大声が上がれば、振り向いてその発生源を確認しようとするだろう。

 そんな大勢の中、私は振り返ることが出来なかった。呼んでいる相手が、自分だと、気付いていても。

 ”もしかして”、違う人の事なんじゃないか。

 もしかしてが、私の体を動かなくする。

 ”だって”、呼び止められる理由がない。

 だって、が、正当化する為の理由を作り上げる。


 それでもほんの少しの期待が、その場を立ち去る事を否定した。
 どれだけ、自分勝手なのか……。
 そんな言葉が、脳裏を掠める。

 卑怯だ、私……っ。

 ぎゅ、と、目を瞑った途端、左肩を掴まれて体が後ろに傾ぐ。
「……っ」
 驚いて一歩足を下げたのと、肩を掴んだ手ではない方が慌てて腕を掴んだのは同時だった。


「あぁ、よかった! やっぱり君だ!」


 振り仰いだ視界に映ったのは、おにーさんの笑顔だった。









「今、時間ある?」
「ちょっと、いい?」
「せっかくだし、駅出ようか」



 腕を掴まれたまま立て続けに問いかけられたその言葉に、私は頭を縦に振る以外なんの意思表示も出来なかった。
 周囲は「君」と呼ばれた私と呼んだおにーさんを不思議そうに見遣っていたようだけれど、すぐにその喧騒を取り戻した。そんな中、おにーさんに腕を掴まれたまま改札を出る。

 この駅は、おにーさんの大学のある駅のロータリーと違って、ベンチなんてものはない。あるとすれば、タクシーやバスを待つためのベンチのみ。

 おにーさんは初めて降りる駅だというのに、何の迷いもなくロータリーを抜けていく。向う先に何があるか思い出して、あぁ、と呟いた。確かロータリーを出てすぐ右に折れると、小さな公園があったはず。自宅は左に折れていくから、行ったことはほとんどないけれど。

 案の定、おにーさんは公園の中へと入っていく。
 砂場とブランコ、小さなベンチしかない公園は、まだ冷めない日中の暑さもあって誰も遊んでいる人はいなかった。おにーさんが足を止めたのは、ベンチの前。

「座って?」

 私の腕を離して、その手で座る様にベンチを指した。座るべきか迷ったけれど、立ったままだとおにーさんも座れないかと思い直して腰を下ろす。けれどおにーさんは座るそぶりも見せず、立ったまま口を開いた。
「ごめんね、あんなところで呼びとめて」
「あ、いいえっ。そんな事……」
 そんな事ないです……、と両手を目の前でふった。
 それよりも……

 ここに連れて来られる短い間に、少し気持ちが落ち着いた。ドキドキや緊張、罪悪感はそのままだけれど、それでも少し落ち着いてきた。なんでおにーさんが私をここに連れてきたのかはわからないけれど、私にはおにーさんに言わなければならないことがある。
 おにーさんが意図してなくても、チャンスを貰えたのと一緒だ。

 私はぎゅっと手を握り込むと、勢いつけて顔を上げた。


「あの!」

「ごめん!」


 なぜか、おにーさんが私に謝った。
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