31日目に君の手を。

篠宮 楓

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26日目~28日目 原田視点

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「なんで辻って、大人しいのに怖いのかね」
「それは愚問というものだ」

 男二人、合宿所の外にあるベンチに腰かけて、大きく息を吐き出した。うっすらと背中に汗が浮かんでいる。言うまでもなく、冷や汗だ。
 佐々木は俺達と別れて、一直線に大浴場へと向かった。
 今頃、無言で風呂に入ってる所だろう。


 原田は傍の自販機で缶珈琲を二本買うと、一つを井上に手渡した。
「お前、よく財布なんか持って来れたな」
 あの状態で……、と続ける井上にまぁなと呟く。
「元々寝る前に散歩に行こうと思って、小銭入れだけ手元に置いといたんだよ」
 部屋を出る時に、無意識に掴んできたらしい。
 財布を井上に見せるように、宙で振った。
「散歩? お前、元気だなぁ」
 缶のプルトップを引き上げながら、井上がうんざりした様に唸る。
「俺は無理だわ。明日の午前中って自由時間という名の、寝坊容認だろ」
 それに笑いながら頷くけれど、原田は寝坊する気はなかった。それは井上も分かっているようで。

「アオさんに、なんか買いに行くのか?」
「ん? ……いーや」

 出た名前に、どくりと鼓動が高鳴る。それに気づかれないように一口珈琲を飲むと、缶をベンチに置いた。


 井上の言うのは、アオへの土産だろう。
 合宿所であるこの場所は、少し行ったところに観光地があるのだ。歩いて三十分もかからないだろう。近くからバスも出ているから、明日の午前中に土産を見繕いに行くにはうってつけの場所かもしれない。
 一年生はさすがに体力の限界だから無理と言っていたが、昨年で合宿に慣れている二年生は土産を物色しに行くと言っていた。
 遅刻だけはすんなよと、佐々木が柿崎に念を押していた。小声で辻を怒らせるなよと言っていたのが、なんだか脱力だったが。

「原田?」
 黙りこんだ俺に、井上が不思議そうに声を掛けた。

「あぁ、悪い。俺は行かないよ」
 その言葉に、意外そうな声が返ってきた。
「アオさんに、何も買っていかなねぇの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
 即答してから、しまったと思う。
 案の定、にやりと笑った井上が、続きを話せとばかりにじっと見ている。あえて話すのも、なんだかあれなんだけど。

 原田は少しの葛藤の後、まぁ井上だから……と口を開いた。
「ほら、何ていうかさ。アオ、絵、描くだろ? だから……」
「あぁ、風景でも写真に撮っていくってこと?」
「……そう」
 察しのいい、空気を読む井上でよかった。
 言うのはいいけど、空の写真を撮っていくってことまで話すと、その理由を説明させられそうで曖昧に濁してしまった。


 ……なんとなく、わざわざアオの好きなものを井上に教える事もないと思ってしまった自分が、脳内乙女で嫌すぎる。
 姉の三和がいたら、また色惚けって言われそうだ。


 井上は俺の内心の葛藤を余所に、ふぅん、と軽い返事をして缶をあおる。飲み干したそれを放ると、綺麗な弧を描いてゴミ箱に吸い込まれた。原田はその文字通りの放物線を横目で見ながら、缶に口をつける。
「しっかし、俺、お前から恋バナとか聞くなんて予想外だったわ」
「んぐっ?!」
 飲みかけの珈琲を吹きだしそうになって、慌てて片手で口を塞ぐ。鼻にまわりそうになるのを何とか回避して、井上に視線を向けた。


 井上は何驚いてるんだ? と呟きながら、両腕を上げて体を伸ばした。

「お前、そっち関係すげぇ鈍いじゃんか。鈍くて鈍くて、ある意味笑える」
「鈍くねぇよ、てかなんで笑えんだよ」
「笑えるよ、傍観者一同は楽しいよ」
「……傍観者一同って……」
 そう言って、肩を落とした。
 脳裏に浮かぶのは、アオの家にいた事がばれたあの日。しかも、状況的に仕方がなかったとはいえ、アオの身体を支えていた時とか……っ。
「だからばれたくなかったんだよ……」
「コイゴコロ?」
 その言葉に、顔が熱くなっていくのが分かる。
 気づかれないように、視線を足元に向けた。

「……アオの存在」
「うわ、すげぇ独占欲」
「うるせぇっ。こうやってからかわれることが、目に見えてるからだ」
「はははー、楽しいもん」
 顔を伏せたまま睨みつけると、井上は怖い怖いとふざけた様に声を上げてベンチから立ち上がった。

「まぁ、いいんじゃないの? 青春青春」
「殴られたいのか?」
「アタッカーにやられたら、脳味噌乳化しそう」
「お前、絶対ふざけてるだろう!」
 原田が立ち上がったのを見て、井上が走り出す。
「ふざけてるに決まってんじゃん、こんな楽しい事!」

 そう言いながら走っていく井上を追いかけていたら、散歩に出てきた辻に見つかって風呂に追い立てられた。



 ……お前は、リアルにおかんか。
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