31日目に君の手を。

篠宮 楓

文字の大きさ
97 / 112
SS番外集

とある大晦日のふたり。-1

しおりを挟む
 バイトを終えてアパートに帰ってくれば、なんだかよく分からない塊が自分の部屋の前にうずくまっているのが遠目に見えた。
 思わず踵を返そうとしたところで、動きを止める。
「……アオ、か?」
 俺のその声に顔をあげたその塊に見えた人物は、阿呆のアオだった。




「いや、あんた本物の阿呆だろ」
「……ななしくん、冷たい……」
「冷たいのはあんたの体だ。ほら、早く入れって」
 駆け寄って体を引き上げれば、思わず悪態をつきたくなるほどアオの体が冷たくて。ポケットに突っ込んでいた鍵を慌てて取りだして、部屋のドアを開けた。
「お邪魔します」
「阿呆か」
 んなこと律儀に言ってる暇があったら、中に入れ。後ろからアオの背中をぐいぐい押して部屋の中に押し入れて、俺も靴を脱いで後に続いた。
「まだあったまるまで時間かかるから、少し丸まってろ」
着ていたダウンコートを脱いで頭から被せれば、もぞもぞと中で動いて、ひょこっと頭だけのぞかせた。

「ななしくんの匂いだー」
「変態」

 アオの阿呆発言を一刀両断して、エアコンのスイッチをおしながら厚手のカーテンを片手で閉める。
 歳の瀬、大晦日。
 既に夜の十一時とはいえ、外の人通りも多い。いつもより長く営業している店の電気も、辺りを明るく照らしていた。
 それを目の端に捉えながらカーテンを閉め切ると、部屋の電気をつける。
 今まで外からの明かりでうすぼんやりと見えていたアオの顔が、明るく照らされて。

「……」

 俺の機嫌は光速で下降した。

 無言で風呂場に行くと、ざっと洗って湯を溜めはじめる。
 その音で気付いたのだろう。
 アオはぎゅっとコートの前を書き合せながら、ほやんと笑った。
「お風呂入るの? バイトお疲れさまだもんね」
「あぁ、入るよ。俺じゃなくてあんたがな」
「……は?」
 俺は言葉を交わしながら、廊下にこじんまりと作られている台所スペースに立った。
「私? なんで?」
 マグカップにティバッグを突っ込んで、少し水を入れて。冷蔵庫から取り出した牛乳を注いで、電子レンジに突っ込む。
 ブーン、と音が響きはじめる。

「なんでじゃないだろ、阿呆だろ」
「ねぇななしくん。さっきから、あんたとアホしか言われてない気がするんだけれど」

 むすっと口を尖らせるアオを一瞥し、ぴろぴろと温め終了のメロディーが流れだした電子レンジからマグカップを取り出してそれをアオの前の床に置いた。
「熱いからな、すぐ手に持つなよ」
「……馬鹿にしてる……?」
「馬鹿にはしてない、阿呆だとは思ってる」
「アホアホ煩い」
 アオはゆっくりと手を伸ばしてマグカップを持とうとして、すぐに手を引っ込めた。マグカップには取っ手というものが付いているのだが、湯呑やグラスに慣れきっているアオは取っ手を持たず両手でカップ自体を包み込むようにして持つ癖がある。
 そして今も。

 熱い……、と呟くアオの手を持ち上げる。

「……こんなに冷たくなるまで、外で待ってたのか」

 アオの顔は、真っ白……いや頬だけは異様に赤いけれど、だからこそ対比で余計白く見えるのかもしれないけれど。それでも、通常より白い肌は唇の色さえ赤よりも紫よりにしか見えない。

「せっかくの大晦日だから、ななしくんと一緒にいられればなぁと思って」

 就職活動も終わっていた俺は、バイトにいそしんでいた。
 大学二年の時に始めた一人暮らしは、もう二年は経つ。アオは在学中からフリーで文芸や絵本のイラストの仕事を始めていて、大学を卒業した後も順調に仕事をこなしていた。
 そんなこんなでお互いに忙しい年末、ここの所、携帯で連絡をとるくらいで会うのは久しぶりだった。

「……携帯は」

 アオの言葉が嬉しいとか、とりあえずそれは置いといて。
 アオは、ぱちぱちと瞬きをした後、目を徐に逸らした。

 ……忘れてやがったな……。

 ぴくりと眉間に皺を寄せると、ぐにぐにとアオが指先を押し付けてくる。
「眉間に皺寄せたら、そのままあとついちゃうよー。オカンがオトンになっちゃうよー」
「どっちでもねぇよ」
なんて阿呆なやり取りとがくりと肩を落とすと、風呂場からちゃんちゃらと湯張終了の音楽が鳴りだす。
大きくため息をついて、アオの腕を取った。
「いいから、体温めてこい」
「え、ホントに私はいるの?」
「風邪ひきたいなら、そのままいれば」
そう言いながらも、立ちあがらせたアオを脱衣所に連れて行く。
「適当に服貸してやるから。温んでこい」
脱衣所に立ったアオが出ていこうとした俺のシャツの裾を、くっと引っ張る。
「ねーねー、一緒に入る?」
「阿呆か!」
その勢いのままドアを閉めると、中からアオの笑い声が聞こえてきて腹が立つ。
ふざけて言いやがったな、本当に入るって言ったらどうすんだ。
その時になって慌てまくるだろうアオを想像し……、理性でかき消した。


ドアの前で深く溜息をついて部屋に入ると、徐にクローゼットに手を伸ばす。
アオの服が置いてあるとか、そういう恋人仕様の部屋じゃない。
泊まっていく事さえ、稀。
それはひとえに忙しいアオと学生の俺の時間が、中々合わないから、であるけれど。

クローゼットから厚手のトレーナーと短パンを出して、脱衣所にある洗濯機の上に置く。

は? シャワーの音? すりガラス越しのシルエット?

「……」

 ……3.141592653589793238462643383279...

 円周率を無心に心の中で呟き続け、危険地帯を脱出する。ドアをきっちりかっちり閉めてから、息を吐いた。

「ふぅ」

 ……あぶねぇ

 何が危ないとか聞くな察して(懇願


 暖かくなってきた部屋の中、とりあえずまだ首もとに巻いていたマフラーを取って腰を下ろした。まだ温まっていないラグが、じんわりと冷たさを伝えてくる。
 部屋の中でさえこんなに冷えている時に、自分を待っていてくれたアオを愛しいと思うと同時に理不尽な怒りもわいてくる。
 もし自分が帰ってくる前に不審者が来たらどうするのか、とか。
 これで俺がバイト残業だったらいつまで待たせる事になったのか、とか。
 大体において――

「なんか、あったんだろうな」

 こうやって、連絡もなしに会いに来る時。
 それはアオに、何かあった時。
 一人で抱えられなくなると、こうしていきなりやってくる。
 それはまだ俺が受験生だった頃、コンビニで仲のいいカップルを見て寂しくなったと駅で待っていた時もしかり。それ以外にも、今までに何回かあった。

 ……今回は、何だろう。


 ベッドに背をつけて、足を延ばす。
 ワンルームに廊下にちまっとついている台所とバストイレ別のこの部屋、大学二年の時に一人暮らしを初めてから二年も住んでいれば愛着もわく。
 けれど――

「ななしくん」

 そこまで考えて、ドアの開く音と共に聞こえてきた声に顔をあげた。

「……さ……、3.14……159265358979!!」
「は、へ?」

 いきなり円周率を叫んだ俺に瞬きを繰り返したアオが、不思議そうに首をかしげる。
 俺は誤魔化すように立ち上がると、アオの横をすり抜けるように廊下に出た。
「なんでいきなり円周率?」
「大学で使うから!」
 そのまま風呂場に逃げ込んだ。

「……私使わなかったけど」

 アオの呟きを耳にしながら、脱衣所のドアを閉めた。


 ――俺も使わねぇよ
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。

NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。 中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。 しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。 助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。 無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。 だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。 この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。 この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった…… 7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか? NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。 ※この作品だけを読まれても普通に面白いです。 関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】     【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

処理中です...