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其の参

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 本当は、薄々気づいていた。
 本当は、わかっていたの。




『これ、森の主さまの』



 今年になって途切れそうになりながらも続いていた森の主さまの命が完全に消えたのを知ったのは、年も押し迫った師走の月。
 眠るように穏やかに消えた森の主さまの気配に、精霊たちはその死を知った。
 その日、森は気を閉ざし、水と風の精霊は雨を迎えることで外から入り来る人を拒絶した。最後はひとを見守っていた森の主さまの言葉をもってしても、しばらくの間、ひとを受け入れることを拒絶した。

 森に入り込み、森を傷めつけ、森を弱らせた原因である人を。
 
『……』


 それでも。
 閉ざしてしまった森だけれど。

 けれど、森を優しく労わってくれた人がいたことも知っている。気づいている。
 ほんの少しの悲しみの時の後、きっと森は人を受け入れるのだろう。


 

 喜楽から、小さな布に包まれた何かを受け取る。

『……森の主さまの……』

 呟きながら、喜楽から受け取った布を指先で広げる。
 中には、柔らかくて硬い、森の主さまの欠片が一つ。琥珀色のそれは、森の主さまが消える時に残した願いの欠片。


『すべての子らに、幸せを……って』

 喜楽は悲しそうに、拳を握り締めた。そこには、あと二つの布の袋。きっとそれは、喜楽と土の精の分。
『森の主さまは、自分の事ではなくて私たちの幸せの為に最後の願いを望んだんだね』
 精霊が、最後に貰える神様からのご褒美。これだけの願いを聞き届けられたのは、森の主さまが長い時をここで過ごし見守ってきたから。
 私にはできるはずもない。

 だから。

 できてしまった森の主さまを、切なく思う。できてしまうからこそ、望まずには願わずにはいられなかったその心を……。
 できなければ、自分の為だけにその願いを使うことができたはずなのに。

 こんなことを考えてしまうのは、長く人と交じり合ってきたからだろうか。その感情を、見てきたからだろうか。
 ただただ森の主さまのお心を嬉しく受け入れられればと思うのに。

『喜楽、ありがとう』

 私から、ここに集う人から生まれた喜楽の精。彼は、どう思うのだろう。精霊の中でも人よりの、それでも人ではない彼が。最期を迎える時、何を願うのだろう。

『……私は、知ることもないだろうけれど』
『主さま?』
 思わず呟いた言葉に、喜楽が視線を向けてくる。その目に映りたくなくて、手の中の欠片に視線を落とした。
『今は、主さまがこの自然に還ることを悼みましょう。また次に会えることを、願って』

 自然から生まれた精霊が還るのは、自然。その一部として還るだけ。
 言葉を交わすこともできず、姿を見ることもできなくはなるけれど、消滅するわけではない。
 それでも悲しい事には違いない。会えなくても、どこか繋がっている安心感と温かさがあったのに。

『うん。……ねぇ主さま、主さまはまだ一緒にいてくれるよね?』
 喜楽が、どこか焦ったように言い募る。言葉は少なくても、感情がぶわりと広がった。
 私はどこか泰然とした気持ちのまま、森の主さまの欠片を指先で撫でる。温かくて、心地の良い穏やかな波動。
『それは、誰にもわからないわ。それでも、最後まで共にいるのは喜楽と……この子なのでしょうね』

 私の言葉に、喜楽が手を伸ばして土の精霊を抱き上げた。

『この子の名前、まだ決めてなかった』
 ぽつり、喜楽が呟く。
『そうね』
 森の主さまから私のためにと遣わしてくれた土の精霊。よくわからないまでも親ともいえる森の主さまがいなくなったことは感じるらしく、悲しそうな表情で私達を見上げているまだ幼い子。

『この子の名前は……』



 寒く冷たい風が、さくらの木を取り巻いては去っていく。
 灰色の雲の下、私達は森の主さまを悼んだ。







 本当は、薄々気づいていた。
 本当は、わかっていたの。





 私の順番が






                  すぐそこにきていること



 なんて。
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