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第3章 底にあるもの
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――そして夕近くになって、少しだけ光の白さが褪せた頃。
「……まだお日様が出てるのに、何だか暗い」
「裏手が山になっておりますので。道も下り坂になっているので、足元にもお気をつけください」
「うん――淡島って広いんだね」
少女は再び禊と童に導かれて、奥社の奥をさらに奥へと向かっていた。
少女が導かれた先は空の色に反して薄暗く、言葉をなくせばただ三人の衣擦れと床を踏む音だけが耳に届く世界。木で組まれた長い長い回廊は緩やかな下り坂になっていて、まるで地の底に連れていかれるような気分になった。
それに、最初こそ社殿や倉といった人の手が入った建物がいくつも見えていたが、今や目に見える景色は鬱蒼とした森だけ。木々の間は黒く、潜んでいた何かが飛び出してきても不思議ではない雰囲気だった。
そんな子供じみたものではあるが得体のしれない恐怖感に苛まれ、やがてそれにも飽きて「帰りの登り坂、禊に運んでって頼んだら運んでくれるかな」と呑気に真剣に考え始めた頃。
辺りの景色は岩肌に変わり、三人はいつの間にか長い洞を進むようになっていた。
回廊も岩壁に添うようにその幅を狭め、ようやく二人が並べる程度。先頭を禊が歩み、物珍しそうにきょろきょろとしながら歩く少女が遅れないよう、童がその隣を歩いていた。
「姉ちゃん、怖くない?」
「暗いのはちょっと怖い……高いのも。落ちないか心配だし……」
その言葉のとおり、下を覗いても暗闇でどうなっているかわからない。手摺りも古い木製のもので、体重を預けるにはためらわれた。ただ底の方では川が流れているらしく、深みを帯びた水音が聞こえてくる。あとは所々の岩壁で蝋燭が揺れているだけで、それを辿るように三人は歩き続けた。
「――あれっ?」
その狭い視界に何かきらりと光を宿すものが突然入ってきて、少女は慌てて目を凝らしてみる。
「ねえ――見て見て童、岩の間で苔が光ってるよ!」
「うん、光苔っていうんだよ。そのまま。でも自分で発光してるわけじゃなくて、ちょっとした光を反射してそう見えてるだけらしいけど」
「へえ……そうなんだ。でも綺麗だねー……」
まるで宝物でも見つけたかのような少女の物言いに、禊と童の世界も少しずつ変わっていく。
すでに数回この道を通ったことのある二人だったが、ただの通り道だったはずのそこに少女の言葉が記憶として刻まれていく。それはあたかも、白黒の世界に色が足されていくような。
「俺思うんだけどさあ。姉ちゃんだったら淡島の神様たちも見つけられそうだよなぁ」
「……淡島の神様?」
「淡島には自然由来の名前を持たない神――端神と呼ばれる神々が、花や虫などに宿り数多くおわすのです。通常、人には見分けられませんが、巫女や覡の中にはわかる方がいらっしゃるそうなので」
「神様だって、認識してもらわなきゃいないのと同じだからさ。信仰は神様たちの力を強くするから、見つけてもらえるのは小さな神様たちに取っては嬉しいことだと思う」
「そうなの?」
その童の言葉に、少女は不思議そうに首を傾げる。
「でもわたし、淡島はもっと神様たちに近い世界だと思ってた。いない、なんて――」
「そりゃ高天原の神様たちにお仕えしてるから遠くはないよ。御令孫とか――でもああいう方たちは別格中の別格。姉ちゃん、みんないっしょくたに考えてるだろ」
「う、うん……」
何かまずかっただろうかと少女は言葉を濁して頷く。そしてそれに応えたのが禊だった。
「神々にも格というものがあるのですよ。あまり軽々しくは申せませんが……例えば御令孫と猿彦様もまた、〝天津神〟と〝国津神〟という別格の神であらせられます」
「……それって、何か違うの?」
その言葉に、少女はますますわけがわからないまま先を行く禊を見遣る。
たしかにこの世界には位のようなものがあるのは感じていたが、日嗣と猿彦の間にはそんなものなかったような気がする。互いに気安く口を利いていたし、あるとすれば性格の違いくらいじゃないだろうか。
そんな少女の心中に反し、禊は神々への礼を欠くことのないよう殊更に言葉を卑くした。
「――天津神とは高天原に成り出でた神々であり、その存在自体が世界を象るほどの神威をお持ちになる、偉大な神々にあらせられます」
「あ。日嗣様のお祖母様の……太陽の、女神様とか?」
「左様です。また、その弟君は月――夜を司る神であらせられます。太陽がどれほど我々に取って重要かは、おわかりになりますね?」
「うん。太陽に月――だから世界を象る神様たちなのね」
「はい。一方、国津神は豊葦原に住まい、多くは人の生活に根差したものを司る神々です。とはいえ天津神の血を引く神々も多くいらっしゃいますし、現在は豊葦原の風土や信仰の変化から高天原にお住まいになっておいでですが――例えば猿彦様は、道の神でもあらせられます」
「みち? 歩く道?」
「はい」
道とは人の足が歩む土のことでもあるし、人の生が歩む時のことでもある。そう前置きをして、禊はその神威を語る。
「道を拓き、別れ道を見守り、行く先を示し、その長い旅路を歩む者を守護する神。ゆえに、非常に人に近しいところに、素朴な形で祭られることも多かったのですよ。ですから――もちろん一概には申せませんが、国津神には人に寛大な神々も多いような気がいたします」
(……だから、わたしのことも心配してくれたのかな)
一連の話に少女はそんなことをふと思い、しかしあのときの光景があるからこそ……今の自分にはその格によって神々を区別する必要性を感じることはできなかった。
それはなんとなく……穢れの話をしたときと似ている。区別できないもの。同じもの。
たしかにあの二人にはよくしてもらった。だから自分に取って二人は特別だが、神様として特別かと言われると少しだけ違う気がする。多分、自分が持つ特別感は権力由来のものではない。
「……」
癖のようになりつつある。右肩に触れればそれが何かを教えてくれるような気がする。
浮かんだのは、日嗣によって命を断たれた小さな龍の黒い瞳だった。そして消えかかったもう一つの朱印が示してくれるのは、その瞳に映った日嗣の姿。
小さな水霊と、国津神と天津神。あのときの彼らには、きっとそんな心の隔たりはなかった。
ただ誰かが誰かを想うだけで、消え去ってしまうものもあるのだ……。
「……一緒でも、だめじゃないよね?」
だから半歩先を行く禊の袖を引きそんなふうに問えば、禊はそれを拒むでもなく淡々と説く。
「駄目ではありませんが、良く思わない者もいないとは限りません。けれども童の言うとおり、名もなき神々もまた神であることは事実です。そして巫女は神に仕える者。貴女が巫女としてどうありたいか、それは貴女様ご自身がお決めになることですから」
「ん……何だか難しそう」
「何も急ぐことはありません。私たちには人間の何倍もの時があるのですから。そして貴女がどのような道を選ぼうとも、私と童がお供いたしますので。――さあ、もうすぐ最奥になりますのでお静かに。そちらで洞主様がお待ちですよ」
「洞主様が? ……」
禊に答えるのと同時に、社の方にあるような綱と紙の飾りが頭上に見えて少女は口をつぐんだ。
相変わらず正式な名称は知らなかったが、何か世界を区別するものだというのは理解できる。
そしてそれをくぐり抜けた先――
「あ――洞主様!」
――室になった空間に一際映える女性の姿を見つけると、少女は禊を追い越してそこへ駆けていった。
***
「洞主様――またお会いできて、嬉しいです」
「まあ、随分と甘え上手になったこと。あれからしばらくになるが、仮宿ではつつがなくお過ごしかえ」
「はい!」
少女と洞主はどちらともなく抱擁し、まるで本当の母子のように再会を言祝ぐ。それから洞主はまるで実の子の晴れ姿を誇るかのように、後から来た禊に満面の笑みを向けた。
「随分と可愛くなって――ふふ、どうだえ禊。私の言ったとおりであったであろ?」
「私ごときには人間の美醜などはかりかねます」
禊の答えは相変わらずだったが、物言いたげな視線が洞主ではなく――その背後に向けられたのを見て、少女もまた洞主の後ろに控える男の存在に気付く。石室の薄暗さに隠れ、洞主の華やかさに紛れるように添う男。
少女の目線に気付いた洞主はその腕を緩め、仕草で男を隣に呼ぶ。男は禊と同じ装束をまとっていたが、屈強で、禊より縦にも横にも一回りほど大きい。年も、ここに来て少女が出会った者の中では一番上に見えた。
「――紹介しよう。これは私の禊でな、禊連中からは大兄と呼ばれておる」
「大兄……さん。はじめまして」
「ああ――申し訳ない、堅苦しい挨拶は苦手でな。だが玉衣様からお話は伺っている。よくお戻りになった」
少女がおそるおそる頭を下げると、おおらかな声とともに頭がくしゃくしゃとなでられる。それを見て禊が嫌そうに顔をしかめたが、怖い人ではなかったと少女は笑んだ。
「洞主様は、たまい様というお名前なんですね」
「ああ――それより、大弟は何か粗相はしておらぬだろうか」
「おおと?」
「ああ、そうか。これも昔の癖でな――」
大兄の視線が禊に動き、少女は小首を傾ける。
「それは昔、俺の弟分だった。大弟というのはその頃の呼び名だ。――だがあの頃からあまのじゃくで、可愛いげがなくてな。一周回っていっそ可愛く見える坊主だったんだが……いかんせん、巫女から嫌われやすくてな」
「そうだったんですか……きっと、意地悪だから。でもほんとは、そのぶん違うところで優しいです」
「ほう――そうか、これが優しいか」
「……そういう話は本人のいない所でなさっていただけませんか」
二人のやり取りに、禊はやり過ごすこともできずつい口を挟んでしまう。だが少女はそれがなんとなく嬉しくて、頬を緩めた。何だか、あの無愛想な禊が大兄の前では少し気を緩めているようにも見えるのだ。大兄も何の気兼ねもなく禊に接し、そう、多分――今の禊と童のような関係なのだと思う。その性格はほとんど真逆だが、それも返って良いのかもしれない。
禊はきっと誤解されやすいし、その忠誠心も危うい気がしていたが……自分以外に理解者がいるなら、大丈夫な気がした。本当に、安心した。
「さて――」
そしてその柔らかな空気を断ち切るように、意図的に張った声で洞主が少女に告げる。
「これより先は私と巫のみ立ち入ることが許されたる地にて。他の者には皆ここで待ってもらう」
「えっ……わたしだけ?」
「うむ。そなたはこの先で、ある重要なものを得ることになる。形なくともそなたがそなたであるために必要なもの――。そしてそれを授け得るはこの淡島においてただ一人。しかし、そこで見たものを絶対に人に語ってはならぬ。神々にはなお、語ることは許されぬ。もし語れば、そなたは永遠に近い時を惑い、孤独に苛まれながら生きることになろう。そしてそれを見守る禊と童もまた同じ時を苦しむ。ゆえに……絶対に語らぬと、約束できますかえ」
「は……はい」
少女は初めて聞く洞主の声音とその語られたことの凄まじさに怖じ、小さく頷く。
それに違いないのか禊を見上げれば、禊もまた肯定するようにいつもの無表情とも取れる顔で頷いた。童も笑みを潜めている。
自分の振る舞い一つで禊と童の行く末まで貶めてしまうもの。それに少女は怯え、体を縮める。
「……ついておいで。私と手を繋いで、けれども決して私の手を離さぬよう――振り向かぬよう」
そして洞主はそんな少女の手を取り、石室のさらに奥へと足を踏み出した。
「……まだお日様が出てるのに、何だか暗い」
「裏手が山になっておりますので。道も下り坂になっているので、足元にもお気をつけください」
「うん――淡島って広いんだね」
少女は再び禊と童に導かれて、奥社の奥をさらに奥へと向かっていた。
少女が導かれた先は空の色に反して薄暗く、言葉をなくせばただ三人の衣擦れと床を踏む音だけが耳に届く世界。木で組まれた長い長い回廊は緩やかな下り坂になっていて、まるで地の底に連れていかれるような気分になった。
それに、最初こそ社殿や倉といった人の手が入った建物がいくつも見えていたが、今や目に見える景色は鬱蒼とした森だけ。木々の間は黒く、潜んでいた何かが飛び出してきても不思議ではない雰囲気だった。
そんな子供じみたものではあるが得体のしれない恐怖感に苛まれ、やがてそれにも飽きて「帰りの登り坂、禊に運んでって頼んだら運んでくれるかな」と呑気に真剣に考え始めた頃。
辺りの景色は岩肌に変わり、三人はいつの間にか長い洞を進むようになっていた。
回廊も岩壁に添うようにその幅を狭め、ようやく二人が並べる程度。先頭を禊が歩み、物珍しそうにきょろきょろとしながら歩く少女が遅れないよう、童がその隣を歩いていた。
「姉ちゃん、怖くない?」
「暗いのはちょっと怖い……高いのも。落ちないか心配だし……」
その言葉のとおり、下を覗いても暗闇でどうなっているかわからない。手摺りも古い木製のもので、体重を預けるにはためらわれた。ただ底の方では川が流れているらしく、深みを帯びた水音が聞こえてくる。あとは所々の岩壁で蝋燭が揺れているだけで、それを辿るように三人は歩き続けた。
「――あれっ?」
その狭い視界に何かきらりと光を宿すものが突然入ってきて、少女は慌てて目を凝らしてみる。
「ねえ――見て見て童、岩の間で苔が光ってるよ!」
「うん、光苔っていうんだよ。そのまま。でも自分で発光してるわけじゃなくて、ちょっとした光を反射してそう見えてるだけらしいけど」
「へえ……そうなんだ。でも綺麗だねー……」
まるで宝物でも見つけたかのような少女の物言いに、禊と童の世界も少しずつ変わっていく。
すでに数回この道を通ったことのある二人だったが、ただの通り道だったはずのそこに少女の言葉が記憶として刻まれていく。それはあたかも、白黒の世界に色が足されていくような。
「俺思うんだけどさあ。姉ちゃんだったら淡島の神様たちも見つけられそうだよなぁ」
「……淡島の神様?」
「淡島には自然由来の名前を持たない神――端神と呼ばれる神々が、花や虫などに宿り数多くおわすのです。通常、人には見分けられませんが、巫女や覡の中にはわかる方がいらっしゃるそうなので」
「神様だって、認識してもらわなきゃいないのと同じだからさ。信仰は神様たちの力を強くするから、見つけてもらえるのは小さな神様たちに取っては嬉しいことだと思う」
「そうなの?」
その童の言葉に、少女は不思議そうに首を傾げる。
「でもわたし、淡島はもっと神様たちに近い世界だと思ってた。いない、なんて――」
「そりゃ高天原の神様たちにお仕えしてるから遠くはないよ。御令孫とか――でもああいう方たちは別格中の別格。姉ちゃん、みんないっしょくたに考えてるだろ」
「う、うん……」
何かまずかっただろうかと少女は言葉を濁して頷く。そしてそれに応えたのが禊だった。
「神々にも格というものがあるのですよ。あまり軽々しくは申せませんが……例えば御令孫と猿彦様もまた、〝天津神〟と〝国津神〟という別格の神であらせられます」
「……それって、何か違うの?」
その言葉に、少女はますますわけがわからないまま先を行く禊を見遣る。
たしかにこの世界には位のようなものがあるのは感じていたが、日嗣と猿彦の間にはそんなものなかったような気がする。互いに気安く口を利いていたし、あるとすれば性格の違いくらいじゃないだろうか。
そんな少女の心中に反し、禊は神々への礼を欠くことのないよう殊更に言葉を卑くした。
「――天津神とは高天原に成り出でた神々であり、その存在自体が世界を象るほどの神威をお持ちになる、偉大な神々にあらせられます」
「あ。日嗣様のお祖母様の……太陽の、女神様とか?」
「左様です。また、その弟君は月――夜を司る神であらせられます。太陽がどれほど我々に取って重要かは、おわかりになりますね?」
「うん。太陽に月――だから世界を象る神様たちなのね」
「はい。一方、国津神は豊葦原に住まい、多くは人の生活に根差したものを司る神々です。とはいえ天津神の血を引く神々も多くいらっしゃいますし、現在は豊葦原の風土や信仰の変化から高天原にお住まいになっておいでですが――例えば猿彦様は、道の神でもあらせられます」
「みち? 歩く道?」
「はい」
道とは人の足が歩む土のことでもあるし、人の生が歩む時のことでもある。そう前置きをして、禊はその神威を語る。
「道を拓き、別れ道を見守り、行く先を示し、その長い旅路を歩む者を守護する神。ゆえに、非常に人に近しいところに、素朴な形で祭られることも多かったのですよ。ですから――もちろん一概には申せませんが、国津神には人に寛大な神々も多いような気がいたします」
(……だから、わたしのことも心配してくれたのかな)
一連の話に少女はそんなことをふと思い、しかしあのときの光景があるからこそ……今の自分にはその格によって神々を区別する必要性を感じることはできなかった。
それはなんとなく……穢れの話をしたときと似ている。区別できないもの。同じもの。
たしかにあの二人にはよくしてもらった。だから自分に取って二人は特別だが、神様として特別かと言われると少しだけ違う気がする。多分、自分が持つ特別感は権力由来のものではない。
「……」
癖のようになりつつある。右肩に触れればそれが何かを教えてくれるような気がする。
浮かんだのは、日嗣によって命を断たれた小さな龍の黒い瞳だった。そして消えかかったもう一つの朱印が示してくれるのは、その瞳に映った日嗣の姿。
小さな水霊と、国津神と天津神。あのときの彼らには、きっとそんな心の隔たりはなかった。
ただ誰かが誰かを想うだけで、消え去ってしまうものもあるのだ……。
「……一緒でも、だめじゃないよね?」
だから半歩先を行く禊の袖を引きそんなふうに問えば、禊はそれを拒むでもなく淡々と説く。
「駄目ではありませんが、良く思わない者もいないとは限りません。けれども童の言うとおり、名もなき神々もまた神であることは事実です。そして巫女は神に仕える者。貴女が巫女としてどうありたいか、それは貴女様ご自身がお決めになることですから」
「ん……何だか難しそう」
「何も急ぐことはありません。私たちには人間の何倍もの時があるのですから。そして貴女がどのような道を選ぼうとも、私と童がお供いたしますので。――さあ、もうすぐ最奥になりますのでお静かに。そちらで洞主様がお待ちですよ」
「洞主様が? ……」
禊に答えるのと同時に、社の方にあるような綱と紙の飾りが頭上に見えて少女は口をつぐんだ。
相変わらず正式な名称は知らなかったが、何か世界を区別するものだというのは理解できる。
そしてそれをくぐり抜けた先――
「あ――洞主様!」
――室になった空間に一際映える女性の姿を見つけると、少女は禊を追い越してそこへ駆けていった。
***
「洞主様――またお会いできて、嬉しいです」
「まあ、随分と甘え上手になったこと。あれからしばらくになるが、仮宿ではつつがなくお過ごしかえ」
「はい!」
少女と洞主はどちらともなく抱擁し、まるで本当の母子のように再会を言祝ぐ。それから洞主はまるで実の子の晴れ姿を誇るかのように、後から来た禊に満面の笑みを向けた。
「随分と可愛くなって――ふふ、どうだえ禊。私の言ったとおりであったであろ?」
「私ごときには人間の美醜などはかりかねます」
禊の答えは相変わらずだったが、物言いたげな視線が洞主ではなく――その背後に向けられたのを見て、少女もまた洞主の後ろに控える男の存在に気付く。石室の薄暗さに隠れ、洞主の華やかさに紛れるように添う男。
少女の目線に気付いた洞主はその腕を緩め、仕草で男を隣に呼ぶ。男は禊と同じ装束をまとっていたが、屈強で、禊より縦にも横にも一回りほど大きい。年も、ここに来て少女が出会った者の中では一番上に見えた。
「――紹介しよう。これは私の禊でな、禊連中からは大兄と呼ばれておる」
「大兄……さん。はじめまして」
「ああ――申し訳ない、堅苦しい挨拶は苦手でな。だが玉衣様からお話は伺っている。よくお戻りになった」
少女がおそるおそる頭を下げると、おおらかな声とともに頭がくしゃくしゃとなでられる。それを見て禊が嫌そうに顔をしかめたが、怖い人ではなかったと少女は笑んだ。
「洞主様は、たまい様というお名前なんですね」
「ああ――それより、大弟は何か粗相はしておらぬだろうか」
「おおと?」
「ああ、そうか。これも昔の癖でな――」
大兄の視線が禊に動き、少女は小首を傾ける。
「それは昔、俺の弟分だった。大弟というのはその頃の呼び名だ。――だがあの頃からあまのじゃくで、可愛いげがなくてな。一周回っていっそ可愛く見える坊主だったんだが……いかんせん、巫女から嫌われやすくてな」
「そうだったんですか……きっと、意地悪だから。でもほんとは、そのぶん違うところで優しいです」
「ほう――そうか、これが優しいか」
「……そういう話は本人のいない所でなさっていただけませんか」
二人のやり取りに、禊はやり過ごすこともできずつい口を挟んでしまう。だが少女はそれがなんとなく嬉しくて、頬を緩めた。何だか、あの無愛想な禊が大兄の前では少し気を緩めているようにも見えるのだ。大兄も何の気兼ねもなく禊に接し、そう、多分――今の禊と童のような関係なのだと思う。その性格はほとんど真逆だが、それも返って良いのかもしれない。
禊はきっと誤解されやすいし、その忠誠心も危うい気がしていたが……自分以外に理解者がいるなら、大丈夫な気がした。本当に、安心した。
「さて――」
そしてその柔らかな空気を断ち切るように、意図的に張った声で洞主が少女に告げる。
「これより先は私と巫のみ立ち入ることが許されたる地にて。他の者には皆ここで待ってもらう」
「えっ……わたしだけ?」
「うむ。そなたはこの先で、ある重要なものを得ることになる。形なくともそなたがそなたであるために必要なもの――。そしてそれを授け得るはこの淡島においてただ一人。しかし、そこで見たものを絶対に人に語ってはならぬ。神々にはなお、語ることは許されぬ。もし語れば、そなたは永遠に近い時を惑い、孤独に苛まれながら生きることになろう。そしてそれを見守る禊と童もまた同じ時を苦しむ。ゆえに……絶対に語らぬと、約束できますかえ」
「は……はい」
少女は初めて聞く洞主の声音とその語られたことの凄まじさに怖じ、小さく頷く。
それに違いないのか禊を見上げれば、禊もまた肯定するようにいつもの無表情とも取れる顔で頷いた。童も笑みを潜めている。
自分の振る舞い一つで禊と童の行く末まで貶めてしまうもの。それに少女は怯え、体を縮める。
「……ついておいで。私と手を繋いで、けれども決して私の手を離さぬよう――振り向かぬよう」
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