狼王のつがい

吉野 那生

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過去の亡霊編

王妃として〜アンリエッタ〜

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流石に…いくら何でも千猿国の一方的な言い分を鵜呑みにし、シルヴァン殿を罰する事はないだろうと、わたくしもユイも思っていたのだが。

シルヴァン殿が捕らえられて5日後には、ノワールは彼の処刑を決めた。



「いい加減になさいませ。
一国の国王ともあろうお方が何をなさっているか、自覚はおありですか?」

あまりの事に苦言を呈したわたくしに、ノワールはあからさまに不機嫌そうな顔をした。

「煩い!私に指図をするな」 

その言葉に隠しようもない侮蔑の響きを感じ取り、思わず溜息が出てしまう。



王の配偶者というだけではない。

王の隣に立つ者として、この国の共同責任者として、これ以上の暴挙は到底見過ごす事はできなかった。


思えば…前回の迷いびとの1件から、緩やかに国の腐敗は進んでいった。


ノワールに諫言する者、反対する者、従わぬ者は皆それぞれ疎まれ遠ざけられた。

反対に媚びへつらう者、甘言を囁く者、都合の良い者は優遇され重用され、王宮内では特に道理の通らぬ事がまかり通るようになっていった。


今回の件もあまりにも出来すぎていて、かつ一方的な断罪としか思えない。

仮にも我が国の貴族籍にある者—しかも今回は身内—に対してかけられた疑いに、取り調べどころか弁解・釈明の機会さえ与えないだなんて。
国を統べる王としてあまりに無責任、かつ無慈悲。

しかも他国の言葉に信を置き、当事者である筈の身内の言い分は全く聞かずに、ごく短期間で処刑が行われようとしている。



まるで、


あまりにも公平さを欠いたやり方に国の重鎮からも批判や苦情が殺到する中、代表して詰め寄ったわたくしをノワールは煩わしそうに振り払った。

王妃に対する仕打ちとは思えない暴挙に、弾みで倒れ伏したわたくしを助け起こした騎士ですら、信じられないといった目を向ける。


そんな行いを間近で見ていたユイも、そして鎖で縛られ最後まで申し開きの機会も与えられぬまま、処刑を言い渡されるのを待つだけだったシルヴァン殿も、あまりの事に言葉を失った。


「私に逆らうな!意見するな!文句を言うな!黙って従え!」

「…バッカじゃないの」


顔を真っ赤にして喚くノワールに、わたくしが言い返すより早く。

「アンタ何様よ! 王様だから何しても良い訳じゃないでしょ? 逆らうな?黙って従え?
バカも休み休み言えっての! 大体、王妃様はあなたの下僕じゃないでしょうに。 あなたが間違ったら、それを指摘して時には正すのも王妃様の役目じゃないの? それを何なのよ、あなたの為に…ううん、この国の為に厳しい事も言わざるを得ない王妃様の気持ちがわかんないの?」

ノンブレスで一気に言い放ったユイに、ノワールは心底うんざりした目を向けた。

「…煩い」

低く威嚇するような声にも怯まず、彼女はノワールを睨みつけた。


「王として公平であれ、私情に流されるな、大切なものを見誤るな。
父上の教えを忘れたか、兄上」

ユイを援護するよう口を開いたシルヴァン殿に向かい

「私情に流されて何が悪い?
あぁ、そうさ。お前の片目を抉ってやったのも私情だとも」

滴るほどの悪意を籠めて、ノワールは嘲笑った。
その醜いほど歪んだ笑みに、我が夫はこんな人だったのかと今更ながらに愕然とする。


「父上に似て美しいと評判の顔をわざと半分だけ残し、もう片方には醜い傷を作る事で、日々己の醜さを確認して落胆し嘆き、悲しみ、不便を感じるように、とな」

その呪詛にも似た言葉に対し、シルヴァン殿は皮肉げに口の端を上げた。

「つくづく甘い奴よ。
この20年、己の容貌など気にして嘆く暇などなかったわ。
あちらは作物は育ちが悪く、食料は常に不足していて、民は飢え常に疲弊していた。
そんな所では生きてゆく事で精一杯。
絶えず小競り合いを仕掛けてくる猿どももおったし、何より民を守らねばならなかったからな。
ご期待に添えず申し訳ないが」


強がりではなく心からの、そして呆れ果てたような言葉に、ノワールのこめかみに青筋が立つ。


「シルヴァン様が醜い?冗談でしょう?
傷のないお顔も見てみたかったけれど、今の覚悟の備わった渋みのあるお顔、私は好きです。
これまでの生き様がお顔に出ていて、とても
素敵だと思います」

その上、無自覚なのか惚気のような追い打ちをかけたユイに、ノワールの耳が苛ただしげにピクピクと動き…そして


「お前はまた!大切なモノを私から奪うというのか。
お前がいるから迷いびとが靡かぬばかりか、偉そうに説教までされるのではないか」


吠えた。

あまりの言いがかりに、その場にいた者が呆れた様子で互いに目配せを交わす中、反論したのはまたしてもユイだった。


「シルヴァン様は何も奪ってはいないわ。
私があなたのモノになった事実は1度もないから。
それに大切なものというのなら、まず自分の隣に、近くにいる人を大切にしたらどうなの?
大体、あなたの家族は亡くなったお母様だけなの?違うでしょ?
あなたの今の家族は、王妃様と王女様ではないの?
どうして本当に大事な方を悲しませるの?」


彼女の言葉は、至極真っ当に聞こえたが…。

しかし、長い間耳障りの良い言葉、都合の良い事、あからさまなおべっかや称賛のみを言われてきたノワールにとって、到底受け入れられるものではなかったのだろう。


「煩い、役立たずの迷いびとめが。
偉そうに説教するな」

ユイを睨みつけるノワールの瞳には、物騒な光が宿っていた。


「私達の手には限りがある。
全てを掴める訳でも、手に入れられる訳でもないのよ」

「煩い!」

「全ての人を守れる訳でもないし、手の届く範囲に居る人しか守れないのに」

「黙れ!」

「あなたは、あなたを守ろうと伸ばされるその手をことごとく振り払っているじゃないの」

「黙れと言っている!」


とうとう腰の刀に手をかけたノワールを、ユイは冷ややかに見つめた。

「意に従わないと、気に入らないという理由で私も斬るの?
母と父のように」

「な…に?」

「前回の迷いびと、沙羅は私の母です。
そして、母を庇い利き腕を切り落とされた騎士ゲイルは父です」

そのキッパリとした声に、ノワールの動きが止まる。



——あの時、怯え竦んでいた娘の瞳を忘れる事ができない。

愛するつがいと引き裂かれそうになり、無残に奪われようとした絶望を。
自分を助けようとした愛する者の腕が切り落とされた瞬間の、驚愕に見開かれた目を。
血塗れのつがいを抱きしめ、泣き叫んだあの声を忘れる事など、出来る訳がない。


あの時の愚行を結果的に許してしまったわたくしは、ノワールと同罪だ。

そして今また…繰り返されようとしている愚かな行為を、今度こそ止めなくては。


そうしなければ、わたくしにはもう、この国を背負う資格などない。



今この瞬間、覚悟を定めたわたくしが一歩踏み出すより早く…。


「お待ち下さい!」



涼やかな声が謁見の間に響き渡った。
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