狼王のつがい

吉野 那生

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過去の亡霊編

邂逅

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「お疲れ様、ユイ」


王宮内に部屋が用意されているものとばかり思っていたのに…。

長い迷路のような回廊を王妃自らの案内で歩き、こじんまりとした門を出た所で結は半信半疑で後ろを振り返った。


「あの…これから何処へ?」

問いかけに対しアンリエッタは唇に人差し指を当てた。
そのままニッコリ微笑みながら、何食わぬ顔で黒塗りの馬車に乗り込む。

しばらく馬車に揺られた2人が辿り着いたのはこじんまりとした屋敷だった。



「ここはわたくしの離宮の1つよ。
ここなら警備も王妃付きの近衛騎士達がしてくれているから、ノワールもおいそれと手が出せない筈」


あのまま王宮に留まって、ノワールが万が一実力行使にでも出たら、わたくしには止めようがないから。

さらりと恐ろしい事を言うアンリエッタの言葉に、その可能性もあったのかと今更ながら結はゾッと皮膚を粟立てた。


「それと、これはあなたとあなたのご両親へ、せめてもの罪滅ぼしよ」

扉を開けた先には、初老の小柄な女性が佇んでいた。
アンリエッタの言う“これ”が何の事かわからず、首を傾げた結に

「貴女が…ユイ?ゲイルの娘なの?」

震える声がかけられる。


恐れつつも縋り付くような声に必死さを感じ、結は戸惑いながらも頷きを返す。
その瞬間、老婦人が感極まったように両手で顔を覆った。

「…あ、の?、大丈夫ですか?」

老婦人とアンリエッタとを見比べおろおろする結に

「あなたのおばあ様よ」

アンリエッタは囁いた。


「おばあ様…?え?父さんのお母さん?」

「ユイ…目元がゲイルにそっくりね」

涙を拭いながら微笑む老婦人は結の顔をマジマジと見つめ、また溢れる涙を拭った。


「…おばあちゃん?」


無条件に慈しみ、会えなかった長い時間を埋めたいと望む優しく温かい瞳が結のガチガチに強張っていた心を解してゆく。


「おばぁぢゃ~ん」


母も父も、母方の祖父母も既に亡く、もう自分を愛してくれる肉親は誰もいないと思っていたのに。

子供のように声を上げ泣き出した結を優しく抱きしめ、老婦人はその背中を摩って言葉をかける。
エグエグとしゃくり上げながらも懸命に答える結は、祖母の腕の中でとても安心しきっているように見えた。


まるで幼子のように洟を啜りながら泣きじゃくる結の姿に、どれ程の緊張を強いられ心が削られていたのかと、アンリエッタは今更ながら思い至った。

 *

その頃、曲がりなりにも貴族用の牢に押し込められたシルヴァンの元を、リサが訪れていた。


「私や砦の動向をずっと監視して、逐一兄上に報告をしていたのだな」

「…それがわたくしに与えられた任務でしたから」

感情の篭らない声に、シルヴァンはクッと唇の端を上げた。


——最初から。
そのつもりでリサは最果ての砦に、私の元に遣わされたのか。


いや、分かってはいた事だが…。

少なくともこちらもそのつもりで接してきたし、心まで許してはいなかったけれど。

それでも…ある時期からは、試すような言動が影を潜め、彼女なりにあの辺境の地を思ってくれているように見えたから。


だからこそ…彼女の行いが許せないのだと改めて気付く。


「そう…か」

シルヴァンの冷たく冴え冴えとした瞳が、リサのガラス玉のような虚ろな瞳を捉える。


「1つだけ聞きたい。
狐どもにユイを襲わせたのはお前か?」

その言葉に、リサの体が微かに震えた。

虚ろで何も写していないように見えた瞳に、渇望と微かな絶望が宿る。


「どうかわたくしの手を取ってください、シルヴァン様。
あなたに自由と安全をお約束します」

必死に言い募るリサに、シルヴァンは冷たく

「貴様、何様だ」

と吐き捨てた。


「シルヴァン様!」

泣き声にも似た悲鳴にシルヴァンは眉を潜める。

「何故だ、お前は兄上の駒であろう?」

「それでも…お慕いしております。
あの者よりもずっと、もっと」


涙を流しながら縋り付くリサの肩を、シルヴァンは優しく、けれど断固として押しのけた。

「応える事は出来ない」

「何故ですか⁈」

こんなにお慕いしているのに、となおも腕を伸ばすリサにシルヴァンは

「お前は我がつがいを傷つけようとした。
それ以上の説明がいるのか?」

氷のように冷たい口調で切り捨てた。


「つがい…つがい……。
そんなにあの小娘が大切ですか?」

「当たり前だ」

間髪入れずに答えるシルヴァンに、リサはゾッとするような笑みを浮かべた。


「そう、ですか…残念です」


そのまま、何事もなかったかのように牢から出てゆく。

その後ろ姿に嫌な予感を感じつつ、シルヴァンはなす術もなく見送るしかできなかった。



それに…アンリエッタがユイと共に居てくれる。

あの義姉なら、ユイを守ってくれる筈。



今はそう信じたかった。

 *

アンリエッタのおかげで、結は今まで存在すら知らなかった祖母との時間を楽しむ事が出来た。


「こんなに大きな孫がいたとはねぇ」

感慨深く目を細める祖母に、結は照れくさそうに微笑み返した。


20年前、王宮で起こった事件は詳細は伏せられているらしい。

ただ迷いびとのつがいとして何処ともなく消えたと、都合の悪い事だけは伏せて伝えられた祖母…マーサは、恐らくつがいと共に帰ったのであろう息子の無事を信じ、願ってきたのだと言う。


「ゲイルは?向こうで元気なの?
あの子のつがいは?」

「父さんは向こうでははやてと名乗っていました。
こちらでの名前、ゲイル疾風と同じ“風”という意味です」

「ハヤテ…」


我が子の無事と幸せを信じてきた祖母に、父も、そして母も既に亡くなっている事を告げるのは気がひけるが…かと言って嘘をつく事は出来ない。

1つため息をつくと結はありのままを伝え、その話を聞き終えたマーサは細い指で目頭を押さえた。


「あの子はつがいを守る事が出来たのね。
貴女のような可愛い子も産んでもらえて、幸せだったに違いない。
えぇ、きっと幸せだったんだわ」

それでも微笑むマーサの手を取り、結は頷いた。

「お父さん、お母さんの事が大好きだったんだよ。
お母さんが生きている頃はもちろん、お母さんが亡くなってからも、毎日遺影…形見の絵姿に話しかけてた」



——こちらに来て、こんな話が出来るとは思わなかった。


新しい家族に巡り会う事ができ、
あちらでの両親の様子を話す事ができて。


それだけでもこちらに呼ばれて良かったのかもしれない、とじんわり滲む涙を瞬きで散らしながら結はふとそんな事を思った。
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