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入社1年目
分かたれた道
『営業2課主任・山野 透
本日付で四国支店へ移動を命ずる』
『営業2課・国枝 那月
本日付で人事部へ移動を命ずる』
『技術部1課・野口航平
1月10日付で東北支社、製造部へ移動を命ずる』
コンプラ委員会による呼び出しの翌日。
社の出した結論に、那月は唇を噛みしめた。
主任は自業自得。
私だって、別にどこに飛ばされても構わない。
けれど…航平は。
今の仕事がしたくて、ここで…本社工場で働きたくてずっと頑張ってきたのに。
…私を庇ってくれた、だけなのに。
抗議に赴いた那月の言葉を、人事部長は
「理由はどうあれ、野口君が手を出した。
それは事実ですから」
と撥ねつけた。
やや、同情めいた眼差しを浮かべながらも。
急な人事は憶測を呼んだ。
特に即日異動を命じられた山野は、ろくな引き継ぎもできないまま、支店のある愛媛へと向かった。
そして、数日とはいえ猶予の与えられた航平は、淡々とその処分を受け入れた。
* * *
移動の知らせを受け、誰よりも怒ったのは…意外にも綾香だった。
こうなっては隠しておけないと、全てを打ち明けた航平に指を突きつけ
「意気地なし!」
と叫んだ。
「お姉ちゃんを守るって言ったのに!」
「何でそばにいてあげないの?」
「嘘つき」
目に涙を湛えながら詰る綾香に、航平は苦しげに言葉を発した。
「那月が怖がるんだよ、触れようとすると。
怯えて真っ青な顔をするんだ。
手を繋ぐのですら…いや、電車内で肩が偶然触れただけで、ビクッと体を震わすんだ。
で、そのあと必ず辛そうな顔するんだ。
俺が怖い訳じゃない。
体が勝手に反応してしまうって、今にも泣き出しそうな顔をするんだ。
それでどうしろって言うんだよ」
航平の言葉に、綾香は息を飲んだ。
あんなに寄り添っているように、支えているように見えたのに…。
確かに2人の間には、よくわからない緊張感のようなものも漂ってはいたけれど。
それでも、私から見たらお姉ちゃんの方が必死になって、野口さんに縋り付いているように見えたのに。
と、綾香は混乱した。
同時に、何故彼が姉に触れようとしなかったのかも理解した。
「触れなかったんじゃない…触れなかったのね?」
「…そうだ」
疲れ果てたような、どこか諦めの混じった自嘲めいた笑みを航平は浮かべた。
「綾香ちゃん、那月の事頼むな。
支えてやってくれ」
「何でそんなこと言うの?
そんな事言うくらいなら、自分で支えてあげてよ。
逃げないで、そばに居てあげて。
それとも…もう、お姉ちゃんの事好きじゃないの?」
なおも言い募る綾香に、航平はこみ上げる激情を必死に押し殺した。
「…っ!嫌いになんかなる筈ない。
本当は別れたくはない。
いや、今でも別れるつもりはない。
だけど…ただ好きなだけじゃ、どうしようもない事もあるんだ。
今の俺じゃ……那月の支えにならないんだ」
自分より年上の、大人な筈の野口の口から漏れた涙声。
隠しきれなかった弱音にも似た彼の本音に、綾香は言葉をなくした。
* * *
その頃、那月は柚月に捕まっていた。
「今日こそきっちり吐いてもらうからね!」
終業後、那月の腕をガッチリ掴んだ柚月は、彼女を個室居酒屋へ連れて行った。
そして、洗いざらい白状させられた那月に向かい
「なにそれ!キモっ‼︎
調子に乗るな!オッサンって蹴飛ばしてやれば良かったんだよ」
と言い放った。
柚月の言い分に、那月も思わず吹き出していた。
同時に、胸のうちに巣食う感情を持て余しもしていた。
「ホント、そう。
そう言って蹴飛ばすなり、大声で叫ぶなり出来れば良かった」
唇を震わせ、こみ上げる涙を必死に堪える那月に、柚月は彼女の味わったであろう恐怖を悟った。
「…ゴメン、無神経なこと言ったね。
できないよね、そんな事。
怖かったんだよね、悔しかったんだよね」
「…うん」
柚月の差し出したハンカチを目元に押し当てると、那月は置かれていた水を一気に飲み干した。
「で、技術部の野口さんとは?…て、聞いていいのかな?」
「恋人…だった」
過去形で語る那月が、とても悲しそうで。
切なくて、辛そうで、なのにまだその人を想っているように見えて。
柚月まで、泣きたい気分になる。
「遠距離恋愛って大変だと思うけどさ…」
何とか慰めようとする柚月に、那月は力なく首を振った。
「私が弱かったから。
隙だらけだったから、こんな事になってしまったの。
航平、本社工場で働くのが夢だった。
ずっと頑張ってきて、やっと技術部1課に配属されたばかりなのに。
私のせいでこんな事になっちゃって。
彼の夢を奪ってしまった私に、一緒にいる資格なんてない。
それにね…今でも夢に見るの、怖い夢を。
怖いの、男の人が。
主任はもういないのに…怖くて怖くて。
いつまでもビクついている自分が情けなくて、ホント嫌になる。
それがたとえ航平であっても、ちょっと触れただけで体が勝手に震えるの。
呼吸が苦しくなって、目の前が真っ暗になる事もある。
こんなんじゃキスも…手を繋ぐ事すらできない。
一緒にいても苦しくなるの。
航平が怖い訳じゃない。
頭では理解しているのに、身体が勝手に反応するの。
もう…どうしていいか、わからないよ」
今度こそ、両手で顔を覆い涙を流す那月に、柚月はかける言葉が見つからなかった。
* * *
山野と航平が本社を去り、心無い誹謗や中傷も少しは影を潜めた。
それでも、那月を巡って2人が争っただの、那月が2人を弄んだだの、根も葉もない噂が広まってしまった事は事実だった。
当然、無責任な噂は那月の耳にも届いたし、心を痛めなかったといえば嘘になる。
そんな噂を耳にするたび、柚月は顔を真っ赤にして怒り訂正したが…。
那月はどんな噂を耳にしても、それ以降、感情を露わにする事はなくなった。
同情も蔑みも冷笑も、親切のフリをした悪意も、辛い事は辛かったけれど。
航平に会えない事の方が、よほど堪えた。
それに、今回の事は隙だらけだった弱い自分が招いた事だ。
ならば、いついかなる時も冷静に。
決して隙を、弱みを見せてはいけない。
それが、今回の事から那月が学んだ悲しい教訓だった。
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