お願いだから俺に構わないで下さい

大味貞世氏

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第7話 初めての戦い

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ラッハマ到着後。
指定の宿屋で食事を済ませた後は、大人しく就寝とは成らず町中の地形を頭に叩き込むので宿周辺を散策した。

お馴染みのトームに案内して貰った。
切り札的存在のフィーネには宿で待機して貰い、後で情報共有する。

軽く酔った振りして、人気の薄い路地。老人夫婦が住む家や新築物件。空き家が並ぶ場所。
闇市が集まる一角。高い建物などを見て回った。

最後に、外せない教会礼拝堂。
各町や都市部には必ず在る施設。辺境地帯は独自の信仰を持つ所も多い。絶大な力を持つ教会でも無闇に入り込めない領域。
強引な布教活動をする宗派は今の所居ない模様。女神教ですら動いていない。少なくとも今は…。

施設建造は信者からの徴収金で賄われている。
絢爛豪華では反感を買う。表向きは節制と布教活動、難民の救済活動、魔物の討伐、孤児の保護、祈祷、冠婚葬祭費用に充てられている。
裏では怪しい魔道具の開発、魔物の解剖、身寄りの無い奴隷の人体実験などに大量の資金が流れている。
王族貴族問わず献金しているのに、表の活動だけで消え去るには会計が全く合わない。
これらは信者として潜り込んだ段階で解った。

後は教会所属の聖騎士の異常な強さが気になる。
フィーネの父親。
力を失っていたとは言え、人間に完全擬態可能な高位の魔族を、普通の人間の兵隊が束に成っただけで倒せるのだろうか。
そこには必ず何か裏が在る。勇者隊が魔王討伐を可能とした絡繰り解明にも繋がる何かが。

ラッハマ礼拝堂内には、数人の信者たちが祈りを捧げ、中央奥の祭壇には信奉する水竜を象った石像が備えられていた。大きさは1mも無い位。各所に細工が施され、施工した職人たちの巧みな技が窺えた。
長い三つ首、鱗に覆われた胴体、太い尾。翼が在ったなら何たらギドラがイメージに近い。
装飾は無く、色は白単色。

遙か千年以上の太古の昔。海に蔓延る悪しき魔獣を討伐しようとした時。人間側に味方したと言う逸話から海の民を守る象徴と、商業の神とされた。
これも噂レベルだが。
未だに世界の海洋の何処かに生きて居て、ずっと船乗りたちを見守っているとかいないとか。
仮に生きていたとしても、流石に魚人ルートは無いと思うので、きっと遭う事も無いだろう。

「どうだすげえだろ」
「はい。凄いです。神様よりも神様らしい。強く心優しく美しい。俺も信仰心が無ければ心酔していたかも知れませんね」
「ちょっと安産祈願して来ていいか?」
そう言って銀貨を数枚取り出した。こないだあげたお金かな。やっぱり使ってなかったんだ。
「それなら俺の分もお願いします」

宗派の違いからここで祈りを捧げる事は出来ない。
特に罰則は無いが、体面が悪いと言った感じ。

トームが賽銭箱に銀貨を納め、祈りを捧げている間に下座の壁のプレートを読んだ。
先程の逸話の下。ポセラニウスとの名が刻まれていた。

何かいいなこう言うの。
女神教より殺伐としてなくて、アットホームな感じが。
御神体の名前も格好良い。

ペリニャート様の事は大好きでも、現実の状況を鑑みるとどうしても女神教団は好きには成れない。
これは浮気じゃないからね。
「女神もお解りでしょう。気に病む事は在りません」

これが女神教の礼拝堂なら。お布施の金を毟りに教会関係者が飛んで来るからなぁ。
水竜教にはそれが一切無い。神父らしき人物は中段の壁際でずっと数人の町人と小声で談笑していた。

ここで教会の構成図を説明する。
統一教。各宗派の代表者が年に1度、何処かの拠点に集まり懇親会を開く。開催場所は一般には公開されておらず、その会を取り纏める管理者が頂点に居るらしい。
是非とも何処かで会ってみたいもんだ。

女神教。女神ペリニャートを信奉する教団。現在所属に尽き割愛。勢力はスタプの頃から4割近くにまで上昇。地道な布教活動の賜。何時か爆発する時限爆弾。
本部拠点は主要国の各拠点間で、定期的にローテーションされている。現在地は不明。会長の所在を絞らせない狙いで幹部職以上でないと知り得ない。

水竜教。水竜ポセラニウスを信奉する教団。勢力は全体の1割にも満たない。海沿いの国や漁民たちに支えられている。
昔に比べ女神教に奪われた一部地域も在るが、これ以上の下割れは無いだろう。沿岸地域密着型の教団。

山神教。大陸山岳地方に存在する。人や生き物ではなく山自体を信奉する教団。全体の3割強を占め、女神教の有力対抗馬。各山で派閥が別れる為、総称が難しい面も在るが、これを統一出来れば天下統一も夢じゃない。
まー無理無理。各派閥の独自性、独立性、プライドが山々よりも高く強いから。

後の2割で辺境地帯等の特殊な宗派が競い合ってる。

トームのお祈りも終わった所で即時退散。宿へ帰る。


状況が一変したのは、宿までの距離500m程離れた場所の路地を曲がった時だった。

突然トームに背後から腰のベルトを掴まれ横投げ。
「物陰に隠れろ。頭出すなよ。1…、2…、4人か」
遂に来やがった。
物言わぬ刺客たちの気配を隠れながら探る。
ダメだ、全く解らない。

反対側の壁際でトームは短剣を引き抜いた。
得意な弓は宿。俺も今は短剣しか装備してない。
「お前は宿に逃げろ」指された方向は宿とは逆方向。

小さく頷き返し、指示方向に走り、左手に曲がった。

緊急時の動作は何度も打ち合わせしてある。
町中での回避手段は人気の在る場所より居ない場所。
無関係な住民に迷惑を掛けない様にと、追手が付いて来るかどうかを探る。

複数の足音が後ろから聞こえた。
追って来た。俺だけを狙って。

短剣を引き抜き、2つ曲がった所で麻布を被り建物との隙間に待機した。
予め逃走経路上に用意していた場所と物。
息を殺しながら、整える。
短剣を持つ手の震えが止まらない。
実戦は初めてだ。人と戦うのも初めてだ。
殺された事は在っても、他人を殺すのは初めてだ。
リリーナもこんな気持ちだったのか。
それを俺は遣らせた。自分では死ねない代わりに。
自分の死は怖くない。だから人を殺せるのかと問われるとそれは違う。
これが恐怖か。他人の人生を終わらせる恐怖。

麻布を薄く開け視界を確保した。
歯を食い縛る。手違いで助けに来てくれたトームや、通り掛かった住民を斬り付けてはいけない。
ここだけはしっかりと目を開き、敵の姿を確認しなければならない。
相変わらず手は震えているが、目だけはしっかりと開く。
通り過ぎた人影は2人。トームが教えてくれた数と合わない。分散したのか既に倒されたのか。
最悪を想定する。トームが倒された時の想定を。

4人なら挟撃を狙える。
過ぎたのは囮と考えると、飛び出すのはまだ早い。
息を殺し待つ。
「どこ行った」
「相手は素人じゃなかったのかよ」
違う。乗せられるな。

数秒遅れて1人が来た。
「その建物の裏だ」

足りない。だがこれ以上遅らせても逃げ場を失う。
3人共黒い頭巾を被り目だけを出している。
行動から追手で間違い無い。
どの声にも聞き覚えが無い。
麻布を振り退け3人の前に躍り出た。

角に入って来た1人目の顔を顎下から斬り付けた。
悲鳴に釣られて後の2人も飛び込んで来る。
低い荷置きに足を掛け2人の頭上へと飛んだ。

倒れた1人目に目を奪われた所で、2人目の側頭に膝を入れ体勢を崩した。
当てた膝に痛みが走る。相手は完全武装。頭巾の下に何かが入っている。

2人目を踏み台に、3人目の脇腹に肩から体当たりを喰らわせた。逃走への道が開けた。
落ち着け。まだ一人居る。
そいつが俺が抜け出た瞬間を狙っているとしたら。

振り返って3人目の後背から延髄に刃を入れた。
夥しい鮮血が噴き出し、左目に入った。
拭ってる時間は無い。
3人目の絶叫に2人目が再起。
降り出された歪な短剣を平伏して避け、こちらに向いた脇腹に差し込んだ。
ガリっとした感触の後、刃を横向きに挿し入れた。
「この…がきゃぁぁぁ!!」
尚も振り降りる短剣。
柄を手放し、男の膝を蹴って後方へと転がった。
暴れた2人目も、転がる3人目に重なる形で息絶えた。

1人目が起き上がろうとしている。
倒れた2人目の手から、短剣を奪い取り1人目の横腹を全力で蹴り上げた。
悶絶させた代わりに、蹴った足が痛む。見ると膝下のズボンが破れて脛肉が抉れて出血していた。
残念だが軽い痛みは好物だ。

「待て!俺にはまだ小さな…」
頭巾を剥ぎ取り、剥き出しの喉に刃を入れた。
これ以上の戯れ言は聞きたくない。
上手く、入らない物なんだな。刃物って。

それが本当なら、もっとマシな仕事探せよ。


3人の死亡の確認後、壁際に寄せ荷物の見分をしていると遅れてトームが路地裏に入って来た。
「…」
直ぐに状況を把握したトームは何故か。
「ストアレン!大丈夫かストアレン!おい、返事をしてくれストアレン」大声で俺の偽名を叫んだ。
人差し指を口に当てている。返事はしない。

2人で物陰に隠れていると、最後の1人が入って来た。
暗殺者の短剣を掴み、トームは侵入者に向かって投擲。
判断が早い。不意を突かれた4人目の後頭部に落ちていた角材を打ち付けた。
「どうやらこいつがリーダー臭い。運の悪い奴だ。俺が投げたナイフで死んでりゃ楽に死ねたのによ」
気絶した暗殺者の頭巾を裂き、猿轡と手足を固く縛る。
見事な手際だった。
「兵舎に突き出すんですか?」

「ああ、軽く尋問した後にな。それよか、お前平気か」
「足なら傷は浅いので平気です」
「やせ我慢すんな。お前、泣いてるぞ」
「あ…」胃が締め付けられる。急激に浮上する嘔吐感。
「全部出しとけ。半端だと後で飯食えねえぞ」
物陰に戻り、胃の内容物を吐き戻した。

「直に憲兵が来る。ちょいと場所変えるぞ。付いて来れないなら先に宿へ帰れ」
「…いいえ、一緒に行きます」
口端を拭い、綺麗な手拭いで足の傷口を縛った。


空き家の地下室に場所を移した。
暗殺者の尋問をする為に。

ロープで椅子に縛り付け、頭から瓶水を掛けた。
「くっ…。俺は何も知らないぞ」
「時間も無いしな。多少粗く行く。誰からの依頼だ」
「今頃、宿の方にも俺たちの仲間が向かってる」
「そうか。そりゃ可哀想に。ゴンザは俺みたく優しくないからなぁ」暗殺者の男の指を1本掴む。
「ま、待てよ。本当に俺は何も」
掌とは逆の方向に畳んだ。
男の絶叫が地下室に木霊した。
1本目にして息も絶え絶え。

「答えられそうな質問からにする。全員で何人だ」
「は、八人だ。俺の知ってる限りは…」
それを聞いたトームは、男のブーツを脱がした。
「くっせぇ…。安心しろ。指はまだ十九本も在る」
「いや、本当だ。嘘じゃねえ!」
その後も暫くトームの拷問は続いた。

その隣のテーブルで、剥いだ男の荷物を調べ尽くしたが、これと言って何も出なかった。
鎖帷子、頭巾の下のプレート、投擲用のナイフと紫色の液体が入った小瓶やら。教会との繋がりを示す物は何も。
男の身体にも信者の焼き印は無し。
「持ち物には何も無いですね」
「こっちは外れだな。人数は八人で間違いないらしい。糞漏らしやがったから、この場に放置だ。どうせ失敗したら後が知れてる」
きっと俺たちじゃない誰かに消される。


「初にしてはよく遣ったよ、お前は」
トームの背に背負われながら行く、兵舎への道。
この歳でおんぶされる日が来るとは。
「気分はとても悪いです。命の奪い合い。あの人たちもあんな仕事してなきゃ…」
「世の中広い。遣りたくなくても遣ってる奴。人殺しが趣味な奴。死んだ奴は後者だと思い込んどけ。同情して心を病むだけ損だろ」
トームの背中も大きくて広いっすよ。
「今回は遅れて悪かった。町中での戦闘は久々だったんでな。あいつを見逃しちまった。生きてて良かったよ。今日は生き残ったのを喜べ。宿でフィーネちゃんにでも慰めて貰えよ」

「…そうします。宿の方は大丈夫ですかね」
「あのゴンザが女の子を一人にする訳がねえだろ。心配するだけ無駄だ」
「凄い信頼感ですね」
「あいつは…。まあ色々な。お前男のクセに軽いな。もっと肉食え肉」
「明日にしときます」食欲が全く無いです。


巡回兵の兵舎に立ち寄り、状況説明と傷の手当てをして貰ってから宿へと戻った。
過ぎ行く憲兵たちに鼻で笑われたのが悔しい。
「放っとけ。仮にも国の兵士だ」
「気にしてませんよ」

宿の玄関に着くなり、涙目のフィーネが胸に飛び込んで来た。「怖かったー」と叫びながら。

「ちょっと棒読み過ぎない?」
「演技なんてした事ないから仕方ないでしょ。それより足の具合は大丈夫?」
「足は手当もして貰ったから平気。こっちは何も出なかった。そっちは?」
「こっちも外れみたい。一人逃したし」
「逃したの?」
「うん。ゴンザさんがね」

「逃した!?また何で」
トームがゴンザに詰め寄っていた。
「泳がせたんだ。ヒレッツとケッペラに追わせた。尋問はフィーネには見せられんだろ」
「チッ…。しゃーねーなぁ」

就寝中を叩き起こされたメメットが眠そうにしてる。
虚ろな眼差しがちょっと面白かった。

暫く食堂を借り、10人で座りながら待機していると、仲間の2人が帰って来た。
「悪い。巻かれた」
「妙に足の早い奴でよ」
ゴンザは溜息を吐き、2人を労った。
「お前たちが追えなかったなら諦めるさ。どうせまた何処かで現われるだろう」
宿を訪れた憲兵に話を付け、宿周辺の巡回を増員して貰う事で場は解散となった。


部屋は建物3階の3部屋を取っている。
真ん中の部屋にフィーネと俺。
両サイドはゴンザたちが分散した。

今日の敵の動きで、標的が俺であると判明したからだ。

「無理してない?」
2つ並んだベッドの端に座ると、対面に座ったフィーネがベッドの端をポンポンと叩いた。こっちに来なよと。
男前かよ…。
「こんなんで。こんな事位で。君に、頼れない」
「強がり。顔色悪いよ。隠蔽してあるから」

隠蔽。サイレンス。フィーネの初級魔法の一つ。
周囲の音を遮断する。範囲はざっと半径2m程度。
出会いの館でも、馬車の中でも使ってくれていたらしい。
他にもヒール、スリープ等補助系の魔法が得意。

ファイアーボール?ウィンドカッター?サンダーボルト?
何処の世界の話してます?無いよ、そんなもん。

「正直、しんどいよ。人を殺したのも初めてだったし」
フィーネがまたポンポンとベッドを叩いた。
今度は素直に隣に座らせて貰った。
「慰めて欲しい?」
出会いの時の緊張感がぶり返す。心臓が飛び出しそう。
「こんな不純な動機で…」
「不純なの?本気なら…、いいんだよ。しても」
理性が吹っ飛びそうだ。これが誘惑でも何でも。
真面に目が見られません。
助けてロイドちゃん。
「…ノーコメントです。暫く落ちますので悪しからず」
頼みの綱が切られました。

この夜の判断を。後々、ずっと先で後悔する事と成ろうとは夢にも思わなかった。この夢の様な時間が、俺の生涯を狂わせる引き金に成るとは。


カーテン越しの朝日の眩しさで目覚めた。
「お早う、フィーネ」
彼女の胸の涙の跡を拭い取る。
「胸…触りながら起こすとか、止めてよね。お早う、ストアレン」恥ずかしそうに頬を紅く染め…アホか俺。
「し、失礼しました」
涙の跡。勿論自分の。
彼女の胸で号泣とかさ。情けないやら哀しいやら。
精神年齢老人の域に達した男としてどうなのよ。
中身全く成長してないじゃん。

清々しい朝を迎え、身支度を済ませた後、メメット隊の皆で朝食を食べた。
喉の通りが悪かったものの、何とか無事に平らげた。
食べないと動けなくなるしね。


昨夜の襲撃を説明し、今日からメメット隊はキャラバンを抜け独立する。標的が自分たちである旨を伝えた。
とは言っても分離するだけで、キャラバン隊に先行して貰い、数時間後に後追いで追い付く。

宿場の周辺状況を確認して貰って、後で伝えて貰う手筈と成っている。フィーネ効果様様。

出発時間まで近場の道具屋や雑貨屋を見て回った。
品揃えはツンゲナとほぼ同等。国を隔てても隣町と言えば隣町。当然と言えば当然。

変化が在ったとすれば、俺とフィーネの距離が近付いた事くらいで。
人生初彼女が、ハーフ魔族って…。そんなのはどうでもいいや。彼女が笑ってくれているなら。

「昨日逃げた奴って強そうだった?」
「うーん。正直、よく解らなかった。少なくとも私よりは弱かったと思う。聖騎士に感じた脅威は感じなかったし」
そうなんだ。
昨日の宿への襲撃は、ゴンザたちが手早く排除した。
真のフィーネのお披露目も無いまま終わった。
「嫌な事思い出させてごめん」
「…いいのよ。ストアレンには関係無い事だしさ」
何?今の間は。
一瞬だけフィーネは停留所の方角を見た。
何か在るのかと見ても、行き交う人々と積み込みの荷物を運ぶ人たちしか見受けられなかった。
「ちょっとお手洗い済ませて来てもいい?待合所のは汚くてさ」女の子だもんね。
「え?いいよ。先行って待ってるから」

フィーネは宿の方角に戻ってしまった。
出発時間までには余裕が在る。手持ち無沙汰に成ったので車内で摘まめそうな惣菜をと御者の人数分も含めて購入した。御者が催しても困るので、クッキーを少々。

停留所に着くと、ゴンザたちが荷物の整理をしていた。
「手伝いましょうか?」
「これも仕事の内だ。主人の客に手伝わせるのもな…。お前一人か?フィーネ嬢はどうした?」
「ちょっと綺麗な手洗い場へ。この手前で別れました」
「そうか」また荷物の点検に戻った。

「お、ストアレン殿じゃないか。昨日どうだったよ」
トームが何時もの軽口で肩を叩きに来た。サボりか。
「いやー、べ、別に普通でしたよ」
「偉く静かなんで逆に心配したぞ。そうかそうか、普通だったかぁ」
嫌らしい目で見ないで下さい。

次にメメットが荷台から降りて近付いて来た。
「まぁ若いんだ。色々在るわな。早めに嫁さん貰うのも無駄金使わずに済むと思えば、なぁ」
「そう言えばメメットさんは結婚してないんですか?」
「嫁は早くに病気で亡くしちまってな。馬鹿息子もふらっと南に出掛けちまってよ。今じゃ金貨が恋人だ」
「何か、済みません」息子さんが居るんだ。
南に行ったら出会えるかも。その前に自分の名も売っておかないと。
「なーに、気にすんな。連絡も寄越しゃしねえが、死んだって沙汰は来てねえ。どっかでしぶとく生きてるさ。何たって俺の息子だからよ。悪運だけは強いのさ」
そう言って豪快に笑い飛ばした。
寂しいに違いないのに。俺も落着いたら家に手紙でも出そうかな。王妃の問題が解決出来たら。
久方振りの手紙が死亡通知に成らない様に、頑張って生き抜こう。

「残された人の事を丸で考えてない」フィーネの言葉だ。
こう言う事、なのかも知れないな。


暫くするとフィーネが停留所に戻って来た。
「お待たせ。あ、そのクッキー食べてもいいの?」
「どうぞ。馬車の中で食べようかと思ってたけど」
「それなら後に取っておくわ。大した運動にも成らなかったし」
「運動?トイレが?」出す物出してスッキリ?
「違うわよ。失礼ね」

また暫くすると。ここまで同行してくれていた御者の人が血相を変えて走って来た。
「いやーすいませんメメットさん。今日から予定していた代員の人が急に居なくなりまして。代わり探すのに手間取ってまして。もう少し時間貰えますか」
代員は旅中の交代要員。キャラバンを抜ける事で危険度も上がり、時間調整を強いられる為、御者も増員しなくては成らなくなった。
「なに?怖くなって逃げ出したか。仕方ない。待ってやるから出来るだけ早くしてくれ。キャラバン隊はもう出ちまったからよ」
急な増員もこちらの都合なので余り強くは言えない。
「もし見付からなかったら我々で交代する。余り時間は掛けないでくれ」
ゴンザが身を乗り出して手を振っていた。
「有り難う御座います。素早く迅速に、探して参ります」
御者も信用商売。時間厳守は鉄則だ。
少人数を恐れて辞退する人が出ても可笑しくはない。
それにしても急に居なくなるとは珍しい。

フィーネが耳元で囁いた。
「見付けた塵、掃除しておいたよ。関節壊して空き家に捨てておいたから」
「へぇー、それで居なくなったんだぁ。っておい」
仕事人かよ。雲隠れ怖えな。
「一応確認したけど焼き印も無かったわ」
そりゃまたご丁寧にどうも。

「イチャつきやがってこの野郎。いったい誰の所為で遅れてると思ってんだ!」やーいメメットに怒られたー。
俺やがな。
「大変、申し訳ありません」
「御免なさい」
2人並んで頭を下げた。
「フィーネちゃんはいいんだよ。時間管理が出来ねえのは商人として致命的だ。しっかり管理してやってくれよ」
「はい。しっかり管理します」目が怖いんですけど。

「管理する人が増えて、私も楽出来そうです」
余計なお世話…でもないか。ずっと監視してくれてるのも疲れるもんな。
「疲れる事は在りませんが、良い心懸けですね」
疲れ知らずかい。まぁ色々、ありがとな。

これで目下の危険は回避された。
差し向けられる刺客の追加増員が無い事を祈って、いざ出発。…結局御者の代員は見付からず、ゴンザたちで交代を回す事と成った。

急遽増員となった御者に刺客を紛れ込ませるとは。
手が込んでいると言うか、こちらが嵌められているな。
だからと言って進路は大きくは変えられない。
王都までこれ以上何も無いのを祈ろう。

街道を逸れても野盗の餌食だ。
真っ直ぐに進む以外の道は考えない。
幾ら強くたって大人数で来られたら…、フィーネ以外は無事では済まない。
「大丈夫よ。あなたは私が守るから。ずっとこの先も」
何とも、情けない。

恥ずかしさを忍び、昨夜の刺客たちを考察。
あれは金で雇われただけの野良。装備品から業者。
御者に紛れ込もうとしたのは、オリジナルだとしても発案者は中々の切れ者。今後も注意が必要だ。

俺たちの馬車は隊列先頭をひた走る。
後方2車には手旗か、色旗を掲げる。赤は危険、黄色は注意、白は前方に不審物。何時でも止まれる様に距離を取っている。
一番手の俺たちの馬車が全ての指示を出す。
御者は隊からヒレッツが担当。メメット隊で一番素早く、目が良い。偵察・警戒能力に長けている。
ケッペラも足は早いが、追跡任務が担当。
後の4人も紹介だけ。
カーネギ。盾使いの大男。口数は少なめ。
ソプラン。双刀使いの小柄な男。トームに次ぐお調子者。
メレス。多種の武器を使い熟すオールラウンダー。
モーラス。薬師の知識を持つ。頼れる頭脳。
昨日刺客が持っていた小瓶を見せると、一般的な蛇毒だと言っていた。
初期痺れ、全身に回ると心停止する優れ物。
毒無効を持っていたとして、切り刺しの傷は防げないのでどっちも危険。例え無効化していても、心臓付近や動脈に撃ち込まれたら終わりです。
道具は持てるだけ頂きました。

順調かと思われた進行も、ヒレッツの制止で止まった。
荷台の壁が叩かれ、白旗が揚げられた。

外を覗くと、前方路上に人影らしき物体が横たわって塞いでいた。おいおい、朱ら様だなぁ。
後ろの列のトームとメレスが弓を構えた。
周囲への警戒を高める。待ち伏せなら単独ではない可能性が高い。

周囲の気配を探っても、聞こえるのは風の音。
集中するんだ。索敵にも修練が必要。重ねる事で習得するしかない。俺は目だけはいい筈だ。
動作物、丘隆の向こう側。流れる葉音、風の声。
金属が噛み合う音。風に乗る匂い。判断材料は多数。

「どうした。行き倒れか」
ゴンザが歩み寄り、遠くから声を掛けた。

特に行き倒れに動きは無く、暫く観察した後にゴンザは近くに薬瓶を投げ置いて戻った。
「大丈夫だ。只の酔っ払いらしい」
何だよ人騒がせな。
町に近い場所。先行キャラバン隊や巡回が通り過ぎた後都合良く路上で倒れる。
出来過ぎだが、こう言う偶然も在るさ。

行き倒れは助けず遣り過ごした。
素性の知れない者は助けない。例えどんな美女でも。
定期巡回に任せて置けば問題無い。それがルール。


宿場に到着。先に到着していたキャラバンの代表者との情報交換後、空き小屋にイン。20人収容可能な物件。
それが10棟。余裕で快適。
出発前に掃除をするものマナーにて。

王都からの下り組とブッキングすると相部屋や雑魚寝が発生するが、上りと下りが競合する事は滅多に無い。
これまでも被りは無かった。王都付近になるとこれでも手狭になる。予約制だが王都からの派生組が宿泊施設として利用する隊も出て来る。その場合は料金は取られるが、都内の宿よりは低料金。利用客も多い。

遅めの夕食の後。行き倒れについて。
「特に怪しい所は無かった。偽装かとも思ったが、恐らくは病か何かで切り捨てられた者だろうな」
切り捨てられる存在。奴隷層の人間か。
「助けた所で得にはならねえ。うっかり大商人の血縁やら身重の女が、町外の路上で倒れてる訳がねえからな」
金が恋人のメメットは、基本的にドライな考え方。
「ゴンザさん。何か薬っぽい物置いてませんでした?」
「あれは色付きのハーブ水だ。二日酔いに良く効く。重病者だったとしても気休めにはなる。飲み水も貴重だ」
「助けて得はねえが、恩は売って損はねえ。奴隷にしちゃ身形は普通だったしよ。何れにしろ触らぬ神に祟り無しってこった」
言われてみれば、衣服は汚れていてもボロボロまでではなかったな。観察眼が足りてない。


「一緒に寝てもいい?」
「汗臭くてもいいなら、喜んで」
嫌なら寝ないよと笑いながら潜り込んで来た。
ベッドはダブルと大きい。今夜は並んで寝に入る。
「今日の行き倒れ見てて思ったの」
「どんな」
「もしかしたら。あなたと出会わなければ。私もいつかあんな風になってたのかなって」
「人生解んないもんだよね。俺は前世では奴隷寸前の農夫でさ。彫刻家の才能が在って稼げる様に成った。あのスタプの石像も前の俺の作品だって言ったら、みんな驚くだろうなぁ」
「そうなんだ。だから扱いが雑なのね。ねぇ、今でも造れたりするの?」
「どうかな。随分腕も鈍ってるだろうし。模造は模造さ。女神様も教会の石像の真似。天使様は創作。あの王妃の像なんて実物とは全く別物。実物見たら絶対笑うよ。あれの4倍は横幅が広いんだ」
フィーネが笑う。
「別に見たくもないわ。女神のもちょっと気分的にあれだけど。天使様?創作が出来るなら、いつか私のも彫ってくれる?裸婦は嫌よ」
「商品としては考えてない。スタプの作品の価値が下がるから。2人だけの内緒の品としてなら、いつか時間見付けて彫ってみるよ。勿論服は着せるさ。他の誰にも見せたくない」
これは本心。
「そんな恥ずかしい事。真顔で言わないで」
「冗談で言ったら怒るだろ?」
「当然」

「リリーナ。今の俺の母は、スタプの時に初めて好きに成った人。片思いで最後は悲劇で終わった」
「悲劇?」
「リリーナに。スタプを終わらせて貰った。作品作りで王宮に軟禁されてさ。もう逃げ切れないって悟った時に」
「それであんな無茶な依頼して来たんだ…。私は遣らないわよ。今ではもう無理。その理由が解らないとか言われたら絞め殺す」
どっちなんですか。
「あれは…。あの発言だけは撤回するよ」
「あの発言だけなの?」
「基本的な考えは変わらない。…止めない?また喧嘩になるだけだし」
「何度聞いたって納得出来ない。出来る訳がない。…もう寝ましょう。お休み、馬鹿ストアレン」
背中を向けられてしまった。

「お休み、フィーネ」
「あ、そうだった」
寝に入る体勢に整えていた所で、フィーネが反転して聞いて来た。
「天使様って創作よね。あの背中に翼の生えた」
「見たんだ」
「国の教会に忍び込んだ時に。聞いた事もない姿の像が女神の隣に置かれてたから」
随分無茶するな。
「全くの創作だよ」
「創作でも原型が居るんだよね?その…、リリーナさんとか?」
「いや、リリーナとは別人。出会う前の作品だし」
「じゃあ誰なの?」
返答に困る。正直に話しても良い物か。
「そんなに気になる?」
「気になる」
「天使様は天使様だよ。天使って言ったら、神の御使いで背中には白い翼…あれ…」
「私の狭い知識の中には無いわね」
やっちまった。ロイドちゃん。
「ご心配無く。とっくの昔にしっかり生えています。お陰で上着が破れました」
ごめん…。てことは今ロイドちゃん上裸?
「想像しないで下さい!あぁ…、酷い」泣いてる!
飛び起きて紙と筆を取出し、机へ移動。
「ちょっと、どうしたの?」
「いや。これはそうだな。突然宿題が降って来た。可及的速やかに仕上げないと」
「何なのよ、もう」

前はビジネスキャリアOL風スーツ。今度はもう少し真面な衣服を構築する。
妄想では難しいので絵に書き起こす。
翼が生えましたってな訳で、背中はガラ空き。
多少女体の知識を得られた所で、ショーツとブラ…。
チューブトップ式のブラを。後ろの線形は細くする。
貴族の奥様御用達のドレスのイメージ。
ショルダーレスだと具合が悪い。
戦闘時にポロリは不要。
「私を戦闘に駆り出すのですか?」
最終局面どうなるか解んないじゃん。出来るだけ可愛くセクシーにするから待ってて。
「セクシーさは希望していませんが」まぁまぁ。
首後ろで結ぶタイプにしよう。ブラがはみ出ないラインで構成。ドレスの配色は深紅。丈は膝下ロング。
素材は中身と共に全シルクで確定。よし、出来た。
どうすっか?
「グスン…。一瞬全裸になりましたよ。仕方在りません。今はこれで我慢します…」
また今度は修正含めて、グローブ、靴下、ヒールブーツ考えるから機嫌直してよ。
「それ程までに戦わせたいのですか」
運動性能向上だってば。

「女性用のドレスと、下着まで」
「ああ、これ。ロイドちゃん…じゃなくて天使様用のドレスを考えなきゃってさ」フィーネの顔が引き攣って…。
「ロイドって、誰なの?」凡ミスだぜ。
「空想上の人さ。モデルが原型の天使様。ん?何かややこしいな」
「空想?それにしては具体的過ぎない?そう言えば、あなたって時々別の誰かと話してない?」
お見事、鋭い。
「そんな事は…」

フィーネ殿が拳を俺の目前で捻らせる。
「私に顔殴られるのと、全て白状するの。どっち?」
「後者一択でお願い致します」
前者は一撃で狭間行きです。お止め下さい。

その夜はあんな事やこんな事。最初からこれまでの経緯をお話させて頂きました。


フィーネの有り難いヒールのお陰で、先日の足の傷と背中の引っ掻き傷♡が癒えた頃。
妙に清々しく迎えた早朝。色々と溜め込んで来た物を全て吐き出せたのが大きい。
「うー、お早う。今日も俺は生きてる」
「お早う。誤解される様な発言しないで。天使様も聞いてるんだよね?」
「聞いてるって言うか、ずっと見てるよ」
「…ひょっとして夜も?」
「それは大丈夫。夜は天使様も寝ちゃうから」
ご心配に答えつつ、昨晩書いたドレスの原案紙を暖炉の残り炭の中に入れ、燃え尽きるまで眺めた。
「燃やしていいの?」
「こうすればロイドちゃんの衣装が確定される。今後、俺の妄想で左右されない様にね」

「昨日は怒ってごめんね。結婚を考えてる人に二股掛けられてるのかと思って」
「誤解が解けて何よりだよ。俺全然モテないから心配ご無用。生きてる間はフィーネ一筋」
「そう言う男が一番危険。顔は今一でも、存家貴族の長男で、これから大金持ちに成ろうとしてる人が。女に言い寄られないとでも?」顔は今一なんだ…。
「大丈夫だって。フィーネを越える女性が、そんな滅多矢鱈に居る訳ないし」
「それ私よりも条件いい人居たら考えなくもないって言ってない?」疑り深いなーもう。
駄駄を捏ね回すフィーネの口を塞いだ。

唇を離してから。
「俺はずっと1人だったから。上手く言えないけど、兎に角信じて。…キスしていい?」
「してから許可取らないでよ」

もう一度顔を近付けようとした時。
「おーい。飯要らねえのか。旦那にまた怒られるぞ」
ノック音とトームの呼び声が聞こえた。
「はい。直ぐ行きます」
離れ際に軽くキスをして食堂に向かった




---------------

彼の話に明確な矛盾点は無い。
けれど全てを鵜呑みにして信じる程馬鹿じゃない。
馬鹿じゃなくとも、到底信じられない内容だった。

それでも今は信じてみたいと思う。
終わりを目指す彼の話を。その代わりに失敗したら笑ってやる。私と一緒に居るしかないんだと。

共に歩めるその日まで。

気が付くと私は嫉妬していた。
恋だの愛などを知らなかった私が。他に女が居る気配を掴んだ瞬間。嫉妬で胸を焼かれていた。

偽り様の無い気持ちに気が付いた。
だから行こう。共に歩めるその時まで。

身支度を済ませ、食堂に向かう彼の背中を追い掛けた。
私には捨てる物が何も無い。これからは拾い集める。
彼が与えてくれる物と、私が返せる何かを探してみる。

既に絆は結んだ。生涯で一度切りの魔法。
ソウルブリッジ。魂の架け橋を。

彼は気付くだろうか。気付かれても手遅れだけれど。
後悔はしない。これが彼の望みを砕くとしても。
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