愛を知らない空っぽ屍霊術師は、泥の人形に泡沫の恋をする

天草こなつ

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5章 薄氷の上

22話 倫理:薄氷の上(4)

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「う……っ」
 
 体に固い感触を覚える。
 ソファで寝ていたはずなのに、なぜか地面に寝そべっていた。
 目を開け身を起こし、辺りを見回す――。
 
「えっ……?」

 そこは、ずっと走って来た暗闇でも、会社でもなかった。
 赤い花がたくさん生い茂る平原だった。
 彼岸花だ――花畑の向こうに、大きな川が流れている。
 
(川……!)
 
 ――〝扉〟を開けてはいけない。〝箱〟を開けてはいけない。
 そこには災いが入っているから。
 
 そして、〝川〟は……。
 
 体が震える。
 川を渡ってはいけない。多くの物語や神話において、川向こうは死の世界として描かれている。
 渡れば、この人生が終わる――。

 大きな川なのに、なぜかせせらぎの音が聞こえてこない。
 〝三途の川〟には音がないのだろうか――そう思い近づいてみると、水面が凍り付いていた。
 
 ――どういう現象なのだろう。触るくらいしても大丈夫だろうか?
 
(なんで……)
 
「川を渡ってはいけない」と分かっているのに、気付けばどんどん吸い寄せられている。
 氷に触れた瞬間、川向こうがキラリと光を放った。
 それと同時にトモミチの周りを黒い影が覆い、上から何かの音が響いてきた。
 小さいが、間違いない。電話のコール音だ。
 
 ――指先が自然と震える。
 クレームの電話だ。
 あの現場監督は、佃部長はどこへ行った。社長を出せ、一体お前の会社はどうなっている。
 夢の中で響く携帯のアラームのように、繰り返し、繰り返し……。
 謝るしかできない。自分には何の咎もないのに。
 
 音がどんどん迫ってくる。
 たまらず、トモミチはまた走り出した。
 氷の張った川へ足を踏み出す。向こう岸――光のある方を目指して。
 
 息せき切らして走る。
 川の中心にさしかかったあたりで、川向こうから声が聞こえてきた。
 一体誰だ、また社長か――そう思い目をギュッとつぶる。
 
「お~い……」
「……?」
「……みち、とも、みちー……」
 
 誰かが自分の名を呼んでいる。
 自分のことを「トモミチ」と呼ぶ人間は少ない。
 父の潤平、それと……。
 
倫理ともみち! おーい、倫理~っ!』
「あ……!」
 
 川向こう、光の手前に、幼なじみのカズが立っていた。
 ニカッと笑いながら両手を上げて、こちらに手を振っている。
 なぜか、子供の姿だ。ランドセルを背負って、学校指定の黄色いキャップを被っている。
 
『倫理~! おい、ちょっと来てみろよ~っ』
「あ……か、カズ……」
『待ってや~っ カズくん~っ』
「!!」
 
 甲高い声がしたかと思うと、カズの元にランドセルを背負った茶髪の少年が駆けてきた。
 あれは昔の、小学生の頃の自分だ。
 駆けてきた〝小学生の倫理〟を見て、カズはまたニカッと笑う。
 
「…………」

(当たり前、やんな……)
 
 小学生のカズが呼んでいたのは、小学生の倫理。
 当たり前だ。28歳の自分が、小学生の隣に並び立つはずがない。
 
『おい倫理、見ろコレ! めーっちゃ氷張ってんぞ!』
『わーホンマや、スゴいなあ。けっこう分厚いんちゃうん』
『ちょっと破ってみようぜ~』
『ええっ』
『ダーン! バリア破壊ッ!!』
 
 カズが、手に持っている傘を、川を覆う氷に思い切り突き立てる。
 傘が刺さったところにヒビが入り「ガシュッ」という音を立て割れた。
 
「ちょっ、カズ……」
『カズくん、アカンて。やめとこや~。また先生に怒られるてー』
『倫理! オマエもやってみい、おもろいぞ』
『やらんわぁ、傘うてもろたばっかやもん。てか氷の下、なんか変なんいてるやん』
「!」
 
 その言葉に足元を見やると、確かに、氷の下を黒い何かがうごめいていた。
 魚だろうか。うようよと、何かを探すように泳ぎ回っている――。
 
『おっ、ホンマや! ピラニアちゃうか!?』
『ピラニアなワケないやん。日本やで』
『確かめもせんとオマエ~っ。オレがやったるからよう見とけよ。ハァッ!!』
「ちょ……おい、カズ! やめ……」
『アカンて、カズくん~! やめときってー!』
『バァーン! ダァーン!』
 
 倫理が止めるのも聞かず、カズは氷を攻撃し続ける。
 横にいる小学生の倫理が『めっちゃアホやん……』と呆れながらその様子を見つめている。
 氷にどんどんヒビが入る。ヒビは全面に拡がり、川の中心にいる倫理の足下にまで達した。
 
「あっ……!」
 
 ヒビが入った氷がバキッと音を立てて割れた。
 割れた氷を突き破り、倫理は川の中に転落してしまう。
 
(カズ、……アイツ、アホ……!)
 
「何がバリア破壊やねん」と心で毒づきつつ、涙混じりに笑ってしまった。
 
 ――せやんな。
 カズが三途の川の向こうで、オレ呼ぶはずないわ。
 もし川の向こうにおっても、アイツやったら絶対、「戻れ、アホ!」って怒るはずや。
 ……アイツ、そういうヤツやもん……。
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