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3章 変調
15話 逃げ場所
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――結果は最初から示されていたようなものなのに、僕は何を考えていたのだろう。
そもそも本人が「食べても味が分からない」「酒の味も分からない」「わざわざ用意しなくても」と、そう言っていたじゃないか。
「……ゴメンな。めっちゃうまそうにできてるって思うんやけど、やっぱり……」
料理を一口食べて飲み込んだところで、トモミチが申し訳なさそうにそう言った。
今日初めて分かったことだったが、トモミチには嗅覚もなかった。
レミがトモミチを連れてキッチンに戻ってきたときのことだ――嬉しそうな顔で「すっごくいい匂いでしょ?」と問いかけたレミに対しトモミチは、目をパチクリさせながら「"匂い"って?」と返した。
キッチンは炒めたタマネギ、肉、煮込まれたソースなど様々な匂いで満たされていたのに、トモミチはそのどれをも感じとることができなかった。
嗅覚も味覚もない状態だがトモミチは「せっかく作ってくれたんやし」と出されたものを全て食べ、「ごちそうさま。作ってくれてありがとうな」と言い残し去って行った。
――僕は今日、何をしたのだろう。
「いらない」と言っているものを勝手に用意して半ば無理矢理に食べさせた。味覚ばかりか嗅覚が失せているという事実に気づかせ、落胆させた。僕が考えてやったことは、トモミチに何の益ももたらさなかった。
『……それ見たことか。全部お前のせいだ』
――頭の中のゴーチエが、僕をせせら笑っている。
結局お前などその程度、お前の浅知恵で何ができる。お前など、お前程度、お前ごときが――……。
◇
『――何をしている』
キッチンで料理を作っているとゴーチエがやってきて、僕に問うた。
――ああ、またゴーチエが出てくる夢だ……。
僕が『料理をしています』と答えるとゴーチエは顔をしかめ、料理が入っている鍋を流し台にひっくり返した。
その行為に僕が何らかの反応をするより前にゴーチエが口を開く。
『くだらないことに時間を割くな。お前は屍霊術と魔術の勉強だけをしていろ』
「何をしている」という問いに対し、何をどう返しても――そう、たとえ「屍霊術・魔術の勉強をしています」と返したとしても、ゴーチエは一事が万事この調子だった。
彼に糾弾されるたび、僕は頭の中を鷲づかみにされているような感覚に襲われていた。
苦痛だった。ゴーチエが死んでも僕はその苦痛から解放されない。毎日のようにゴーチエは僕の夢の中に現れ、様々な言い回しで僕を嘲笑し罵倒するのだ。
『ロランよ。お前は今日、異世界人の街に行ったそうだな?』
――夢の中のゴーチエの言葉には、「実際には言われていないこと」も多分に含まれていた。
僕の意識が生み出したゴーチエの虚像は、精密かつ現実的だ。僕の記憶の中から"ゴーチエが言いそうなこと"を引き出してきて正確に喋らせる。あまりに彼のイメージと合致しすぎていて、どれが現実でどれが虚構か判断がつかないくらいだ。
『……目的は果たせたようだが、徒労だったな。お前が作った料理は、何の益ももたらさなかった!』
大声でそう叫び、ゴーチエは調理台に載っていたマリネの皿を手で払いのけた。
ガシャンという大きな音がする……続けてゴーチエは、地面に落ちた料理を踏みつけにしはじめた。
僕はそれを見ているだけで、『やめてください』と言うことはない。
僕はゴーチエに逆らったことがない。だから、夢の中でさえ「ゴーチエに逆らう自分」のイメージを構築できないのだ。
『私の言いつけにないことをするのなら、好きにするがいい。お前が考えて行動したことがどれほど無益であったかを教えてやる。……自由にしろ、ロラン! 結局お前は私の定めた枠の中でしか生きられんのだ!!』
何度も何度も踏みしめられ、芽キャベツやペコロスがぐちゃぐちゃに潰されていく。
『あ、あ……』
――やめろ、やめて。
それは僕が彼の――トモミチのために作った……。
どれだけ強く思っても口から言葉は出ず、僕はその場から逃げ出した。
逃げ場などない。ここはゴーチエの庵だ。たとえ燐灰の森へ逃げ込んだとしても、ゴーチエは転移魔法を使って一瞬で僕のところへ飛んでこられる。
僕はなぜかその足で、安置室へ向かっていた。
そこは行き止まりで、逃げ場所としては一番不適格なところだ。魔法など使わなくてもすぐに追いつかれる。なぜ、そこへ向かうのか……。
『うっ……!』
逃げている途中で"何か"にぶつかった。
その正体を確認するよりも前に手首を何者かにつかまれた。
怯えてうつむいたままの僕の視界に、茶色の革靴が映り込む。続けて、頭の上から「フッ」という声が聞こえた。
え、と思い顔を上げると、そこにはトモミチが立っていた。
僕の顔を見てトモミチは微笑を浮かべ、握っていた僕の手首を引いて僕を抱き寄せる。
『……そんな、怯えんといてくれるか』
『お、怯えて、なんか』
僕を抱く手に力が込められる。
――温かい。締め付けられるように苦しかった頭が軽くなり、代わりに胸がじわじわと熱くなる。
やっぱり苦しいし、涙が出そうだ。だけど、不思議と全然嫌じゃない……。
『……トモミチ』
名を呼び顔を見上げると、トモミチはまた微笑を浮かべる。もう一度名を呼ぼうと口をわずかに開けたのと同時にトモミチが僕の頬を持ち、唇を重ねてきた。
茶色の瞳が間近にある――なぜ彼は唇を合わせているとき、いつも目を開けているのだろう。しばらく唇を重ね合ったあと、トモミチはまた僕を抱きすくめた。
『トモミチ、僕は……』
続く言葉を見つけられず、僕は彼の胸に自分の額を擦り付けた。
最近の僕は正常じゃない。気がつけばトモミチのことばかりを考えているし、そうしていると体調が悪くなって夜なかなか寝付けない。それなのにどうしてか、考えるのをやめられない。
ゴーチエや屍霊術のことを考えるより気持ちがずっと楽だから。頭の中を支配している「恐怖」の感情を一旦どこかに置いて、忘れてしまえるから。
――ああ、分かった、僕が"安置室"へ向かった理由が。
あそこにはトモミチがいる。
僕は、トモミチのところへ逃げようとしたんだ……。
そもそも本人が「食べても味が分からない」「酒の味も分からない」「わざわざ用意しなくても」と、そう言っていたじゃないか。
「……ゴメンな。めっちゃうまそうにできてるって思うんやけど、やっぱり……」
料理を一口食べて飲み込んだところで、トモミチが申し訳なさそうにそう言った。
今日初めて分かったことだったが、トモミチには嗅覚もなかった。
レミがトモミチを連れてキッチンに戻ってきたときのことだ――嬉しそうな顔で「すっごくいい匂いでしょ?」と問いかけたレミに対しトモミチは、目をパチクリさせながら「"匂い"って?」と返した。
キッチンは炒めたタマネギ、肉、煮込まれたソースなど様々な匂いで満たされていたのに、トモミチはそのどれをも感じとることができなかった。
嗅覚も味覚もない状態だがトモミチは「せっかく作ってくれたんやし」と出されたものを全て食べ、「ごちそうさま。作ってくれてありがとうな」と言い残し去って行った。
――僕は今日、何をしたのだろう。
「いらない」と言っているものを勝手に用意して半ば無理矢理に食べさせた。味覚ばかりか嗅覚が失せているという事実に気づかせ、落胆させた。僕が考えてやったことは、トモミチに何の益ももたらさなかった。
『……それ見たことか。全部お前のせいだ』
――頭の中のゴーチエが、僕をせせら笑っている。
結局お前などその程度、お前の浅知恵で何ができる。お前など、お前程度、お前ごときが――……。
◇
『――何をしている』
キッチンで料理を作っているとゴーチエがやってきて、僕に問うた。
――ああ、またゴーチエが出てくる夢だ……。
僕が『料理をしています』と答えるとゴーチエは顔をしかめ、料理が入っている鍋を流し台にひっくり返した。
その行為に僕が何らかの反応をするより前にゴーチエが口を開く。
『くだらないことに時間を割くな。お前は屍霊術と魔術の勉強だけをしていろ』
「何をしている」という問いに対し、何をどう返しても――そう、たとえ「屍霊術・魔術の勉強をしています」と返したとしても、ゴーチエは一事が万事この調子だった。
彼に糾弾されるたび、僕は頭の中を鷲づかみにされているような感覚に襲われていた。
苦痛だった。ゴーチエが死んでも僕はその苦痛から解放されない。毎日のようにゴーチエは僕の夢の中に現れ、様々な言い回しで僕を嘲笑し罵倒するのだ。
『ロランよ。お前は今日、異世界人の街に行ったそうだな?』
――夢の中のゴーチエの言葉には、「実際には言われていないこと」も多分に含まれていた。
僕の意識が生み出したゴーチエの虚像は、精密かつ現実的だ。僕の記憶の中から"ゴーチエが言いそうなこと"を引き出してきて正確に喋らせる。あまりに彼のイメージと合致しすぎていて、どれが現実でどれが虚構か判断がつかないくらいだ。
『……目的は果たせたようだが、徒労だったな。お前が作った料理は、何の益ももたらさなかった!』
大声でそう叫び、ゴーチエは調理台に載っていたマリネの皿を手で払いのけた。
ガシャンという大きな音がする……続けてゴーチエは、地面に落ちた料理を踏みつけにしはじめた。
僕はそれを見ているだけで、『やめてください』と言うことはない。
僕はゴーチエに逆らったことがない。だから、夢の中でさえ「ゴーチエに逆らう自分」のイメージを構築できないのだ。
『私の言いつけにないことをするのなら、好きにするがいい。お前が考えて行動したことがどれほど無益であったかを教えてやる。……自由にしろ、ロラン! 結局お前は私の定めた枠の中でしか生きられんのだ!!』
何度も何度も踏みしめられ、芽キャベツやペコロスがぐちゃぐちゃに潰されていく。
『あ、あ……』
――やめろ、やめて。
それは僕が彼の――トモミチのために作った……。
どれだけ強く思っても口から言葉は出ず、僕はその場から逃げ出した。
逃げ場などない。ここはゴーチエの庵だ。たとえ燐灰の森へ逃げ込んだとしても、ゴーチエは転移魔法を使って一瞬で僕のところへ飛んでこられる。
僕はなぜかその足で、安置室へ向かっていた。
そこは行き止まりで、逃げ場所としては一番不適格なところだ。魔法など使わなくてもすぐに追いつかれる。なぜ、そこへ向かうのか……。
『うっ……!』
逃げている途中で"何か"にぶつかった。
その正体を確認するよりも前に手首を何者かにつかまれた。
怯えてうつむいたままの僕の視界に、茶色の革靴が映り込む。続けて、頭の上から「フッ」という声が聞こえた。
え、と思い顔を上げると、そこにはトモミチが立っていた。
僕の顔を見てトモミチは微笑を浮かべ、握っていた僕の手首を引いて僕を抱き寄せる。
『……そんな、怯えんといてくれるか』
『お、怯えて、なんか』
僕を抱く手に力が込められる。
――温かい。締め付けられるように苦しかった頭が軽くなり、代わりに胸がじわじわと熱くなる。
やっぱり苦しいし、涙が出そうだ。だけど、不思議と全然嫌じゃない……。
『……トモミチ』
名を呼び顔を見上げると、トモミチはまた微笑を浮かべる。もう一度名を呼ぼうと口をわずかに開けたのと同時にトモミチが僕の頬を持ち、唇を重ねてきた。
茶色の瞳が間近にある――なぜ彼は唇を合わせているとき、いつも目を開けているのだろう。しばらく唇を重ね合ったあと、トモミチはまた僕を抱きすくめた。
『トモミチ、僕は……』
続く言葉を見つけられず、僕は彼の胸に自分の額を擦り付けた。
最近の僕は正常じゃない。気がつけばトモミチのことばかりを考えているし、そうしていると体調が悪くなって夜なかなか寝付けない。それなのにどうしてか、考えるのをやめられない。
ゴーチエや屍霊術のことを考えるより気持ちがずっと楽だから。頭の中を支配している「恐怖」の感情を一旦どこかに置いて、忘れてしまえるから。
――ああ、分かった、僕が"安置室"へ向かった理由が。
あそこにはトモミチがいる。
僕は、トモミチのところへ逃げようとしたんだ……。
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