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~皇国レミアムへの道~

~皇国レミアム復活編~ 闇黒

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 陽は昇った。当たり前である。その陽の昇り方はひどく紅かった。血の色をしているようであった。ゼイフォゾンは眠らなかった。結局眠らなかったという事である。ゼイフォゾンは外の景色に見入っていた。その表情はどこか儚げで、この世を憂いているようにも思えた。この日は陽が昇っているというのに、雨が降っていた。その雨粒は陽の光に照らされて、空が血の涙を流しているかのように思われた。何か惨い事が行われるのではないか。そういえば今日は戦争ではないか。聞くに、ハーティー共和国の斥候部隊が全滅したので、その調査と、そこにゲイオス王国の部隊が残っていたら叩くといった内容の作戦だったはずである。ハーティー共和国の部隊が一瞬にして全滅したので、何が起こったのかを見ておきたいというのがヘヴィン将軍の本音であるとオーガンは語っていた。もしかしたら手練れの魔術師がいたのかも知れない。ハーティー共和国には魔術師は存在していなかった。この世の物でないものとの繋がりを徹底的に拒否したからに過ぎなかったが、それが今は仇となっていた。魔術師とはこの世に住まう精霊や、この世に属さない神々と交信を図って他とは異なる力を発揮する者の総称である。如何に軍力が優れている国でも、魔術師がいるのといないのでは明確な差があった。人ならざる力を行使する魔術師がいれば、戦況は有利に働くはずであった。しかし、戦士のみの軍団になると柔軟性がなくなるのは明白であった。ヘヴィン将軍はそんな事はお構いなしのようであった。

 ゼイフォゾンはガトランの心配をしていた。もし本当に相手が魔術師なら、戦場に向うのは止してほしかった。それでなくても、斥候部隊が一瞬にして全滅したという話が本当なら尚の事、戦場に向かうのは止めたかった。その戦力は想像以上であろう。それを率いているのはもっと強力な指揮官なのであろう。ゲイオス王国が本当に皇国レミアムの軍門に下ったのなら、援軍の総数も相当なものになるであろう。ゼイフォゾンにもそんな事は容易に想像できた。危険過ぎる…何ならこの作戦を指揮する者の気が知れない。黙って敵の罠にかかって死にに行くようなものである。ゼイフォゾンは自分の無力さに打ちひしがれていた。そして物憂げな表情を崩さなかった。このまま行けば、オーガンとガトランは帰ってこない。もし自分に強大無辺な力があったなら、それだけの力を振るえる技量があったなら。ありもしない考えを巡らせて、ゼイフォゾンは絶望を繰り返した。しかし、それで事態は好転するものではなかった。その事について、ゼイフォゾンはよく知っていた。

 イゼベルが起きたのが分かった。余程眠れなかったのであろう。その足取りは重く感じた。ゼイフォゾンは昨夜の事を思い出した。イゼベルが放ったあの感謝の言葉が頭から離れない。彼女の言葉は重かった。母としての強い言葉があった。彼にとって初めての料理を振る舞い、心から笑顔にさせてくれた人間のひとりである。その彼女の足取りが重い。初めて息子を戦場に出すのは、相応の覚悟があった。その足音が物語っていたし、キッチンに立とうとする音も遅かった。しばらくすると、彼女のすすり泣く声が聞こえてきた。耐えられないのか…ゼイフォゾンは部屋を出ようとしたが、それを遮るようにオーガンが起きてすぐにキッチンに向かった。二人は抱き合っているようだった。ゼイフォゾンはそれを追うようにして、キッチンの前に出た。


「怖いわ。あのガトランが戦場に行くなんて、私……」

「俺だって怖いさ。でも大丈夫だ、ガトランは俺が守る」

「ゼイフォゾン様……?」

「邪魔したようだな。すまない」

「いいや、そんな事はないさ。まぁ座れよ。イゼベル、何か軽いものでも作ってくれ、サンドイッチでもいい」

「えぇ、分かったわ。ゼイフォゾン様も食べるのかしら?」

「頂こうと思う。オーガンよ、本当に死ぬのは止せよ。私には何もできぬがこれだけは言っておく。ガトランは人殺しではない。だから別の道も探せるはずだ。オーガン、息子を守れよ。私が言えたものではないが、お前たちは私にとって初めての家族なのだからな」

「分かっている。俺にはあの子しかいないからな。イゼベルにとってもあの子しかいない。ガトランは俺が守る。何があってもな」


 ガトランが起きる前の出来事だった。ゼイフォゾンは改めて家族の絆の固さを実感していた。その家族の中にゼイフォゾンが入っている事をオーガンは付け加えた。そこには喜びがあった。そして悲しくもあった。いずれ彼は皇国レミアムを目指す。それについて議論する時間は、今この家族にはない。オーガンとガトランはこれから戦争に出ねばならない。それも勝つ見込みのない戦に。それは二人とも帰ってこない事の証左ではないか。しかし、この戦争を止めるための力が、彼にはない。歯がゆかった。これ以上ないほどに自分の無力さを感じるのは、目覚めてから感じた時よりも遥かに上回っていた。家族と呼べる者たちはできたのに、それを守れるだけの力がない。希望はあるはずなのに、絶望するしかない。自分の存在そのものに対して絶望して、それを繰り返すしかない。ゼイフォゾンはこんなジレンマを抱えるのはもう飽いていた。そろそろ自分の存在意義を見出したかった。背負うべきものも、覚悟もないのにそんな存在意義を見出す方が難しいのは彼が一番理解していたが。それでも信じたかったのだ。

 間もなくしてガトランも起きてきた。支度はもう済ませてあるようだった。これから戦争へと出向くのには似合わない笑顔で階段を降りてきた。ゼイフォゾンにとっては、あの昨夜の出来事から何故あんなに切り替えができるのだろうと疑問に思っていた。如何にも、自分は家族のために死にに行きますから安心してください。国の誇りにしてくださいといった表情である。オーガンはそんなガトランの危うさを見抜いていた。だから、オーガンはガトランを強く抱きしめた。そこにイゼベルも加わり、生きて帰る事こそが真の勝利であることを説いた。ガトランは笑顔から一転、泣き始めた。死にたくない、でもハーティー共和国のスパルタンの兵士として誇り高く戦いたいと言った。戦士は誇り高く死ぬのはいけないのか、でもどうしてそこまで死ぬのを否定するのかと、ガトランは問うた。それはひとえに、息子が死んで喜ぶ親などいないからだと言った。ゼイフォゾンは何も言えなかった。言える訳がなかった。その家族の間に入る隙間など存在しなかったのである。そんなゼイフォゾンに声をかけたのはイゼベルだった。


「ゼイフォゾン様、こちらへ」

「良いのか?」

「えぇ、早く……」

「分かった。今行く」


 ゼイフォゾンは大きかった。だから、家族を包み込むように抱く事ができた。帰る…たったその目的一つの為に人は強くなれる。彼はそう認識した。団結力というのは如何に強いかを思い知らされた気分だった。ハーティー共和国のスパルタンの兵士たちは皆こうして戦場に出るのだろうか。だとしたらこんなに悲しい事を続ける意味が分からない。戦争する意味、それは幸せになりたい一心で戦場に出るはずだ。幸せになりたいのに人を殺さなくてはいけない。幸せになるには勝利を得るしかない。こんな事を繰り返していては人類はやがて滅びるのではないか。彼の思考はいつも負荷のかかるもので埋まっていた。しかしこの時間だけは、自分が家族の一員になれた気がして少し微笑んでいた。寂しくない。しばらくはこうしているようであった。しかし、時間は無情にも過ぎていった。その瞬間である。家の扉を蹴破る音が鳴り響いた。その音は家族の平穏を奪うもので間違いなかった。


「一振りの剣を隠している家はここで間違いないな!」

「は!この家族は一振りの剣を渡す気はないと思われます!」


 ヘヴィン将軍だった。その顔は悪意の塊といったものそのもので、意図的に家に入ってきたと思われた。ゼイフォゾンは驚いて声も出せなかった。一振りの剣とは何か?というより、何故こんな時間に乗り込んでくるのだろう。オーガンとガトランは召集に応じる予定のはずだが、何故このタイミングで?何もかも分からなかった。


「将軍閣下!何をなされますか!」

「この男は一振りの剣とは無関係です!」


 オーガンとガトランがゼイフォゾンを庇った。それは最早、条件反射のようなものであった。しかしその声も空しく、ヘヴィン将軍は残酷な指示を出した。


「おい、女とオーガンを連れていけ。そしてその一振りの剣もだ」

「は!」

「ガトランはどうなさるのですか!?」

「戦場に出てもらうよ。ククク……ッ」

「何故このような!」

「反逆者だからだよ。君たちには最高の罰を用意しよう」


 反逆者という烙印を押された家族。ゼイフォゾンには何故という言葉しか思い付かなかった。この所業、誰が見ても悪行ではないか。この家族には何の罪もない、そればかりかこのハーティー共和国の為に殉じる覚悟を持っていた。その高潔な魂を汚す事を、何故この男は、男たちは行えるのだろう。目的が自分なら連れていけばいい。それにこの家族を巻き込む権利が誰にあろうか。あまりにも惨い、何故だという言葉しか出てこない。そもそも何に反逆したのだろうか。国益に反する事をこの家族の誰もが計画したのとでも言うのだろうか。そんな事はないはず。今こうして絆を確かめ合ったばかりの家族にそんな裏などない。それはゼイフォゾンが一番分かっていた。オーガンとガトランにどんな事情があったにせよ、そんな国家反逆の意思を見せる素振りは一度もなかった。だとしたら何故?そんな事を考えていたら、ゼイフォゾンも力なく拘束され、その後の記憶はなかった。殴打されたように感じた。

 ユッセ城の地下の秘密の部屋、そこに三人は囚われていた。喘ぎ声が聞こえてくる。苦悶の声が聞こえてくる。ゼイフォゾンが気を取り戻したのはそこであった。身体は鎖に繋がれて身動きができない。その黄金の瞳を開いたとき、目を疑うような光景が広がっていた。オーガンは拷問されていた。それもかなりの傷を負っていた。血反吐を吐き、今にも息が絶えそうな勢いで拷問されていた。苦悶の声はそれが正体であった。一方イゼベルは…凌辱されていた。数人の男に囲まれ、慰み者にされていた。喘ぎというよりは苦しみの声であった。要するにどちらも苦悶の声で満たされていた。秘密の部屋に響くのは、そういう地獄のような声であった。その時、ゼイフォゾンの目の前にヘヴィン将軍が来た。


「喜んでくれたかね?一振りの剣よ、これは最高の罰だ。オーガンを見てみろ、今にも虫の息だ。あのイゼベルという女も見てみろ。気持ちよさそうだろう?全ては君のせいだ。君のせいで今こうなっている。認めるんだな?さぁ、どちらを助ける?選ばせてやろう」

「何故このような真似をする?この二人は関係ないはず。それにオーガンはガトランを守るべき人だった。家族を守るべき者だった。イゼベルに至っては何も関係ない!それに一振りの剣とは何だ!私には何も分からぬぞ!」

「君が私たちの希望だからだよ。一振りの剣よ、君が力を発揮しないとこの二人は解放されないぞ?このハーティー共和国の未来は暗い。しかし君がいれば話は別だ。この戦況をひっくり返す事ができる。さぁ、どうするんだ?君はこのハーティー共和国に協力するのか?しないのか?」


 オーガンがゼイフォゾンを見た。そしてこう叫んだ。


「ゼイフォゾンよ!その男の言う事は全て嘘だ!俺たちはいずれ殺される!言う事を聞くな!いいか!ハーティー共和国はもうお終いだ。もう手遅れなんだ!この男がこんな事に手を出した時点で、もう末路は見えている!ぐふうっ!!」


 イゼベルもゼイフォゾンの姿を認めた。


「ゼイフォゾン……様……見ないで。私は……ぁぁっ」


 オーガンの拷問も、イゼベルの凌辱も酷かった。人の限界を軽々しく超えるような仕打ちであった。ゼイフォゾンは己の無力さに絶望した。これほど絶望に暮れたことはなかった。彼は自己嫌悪と否定と憐憫に浸る部分があったが、この時ほど自分の絶望感に押しつぶされそうな事はなかった。ガトランはいったい戦場でどうしてるだろう。こんな事になるならハーティー共和国に来るのを躊躇っておけば良かった。そうすれば誰にも迷惑もかけずに、ただ一人過ごせただろう。野宿でもしていれば良かったのだ。世界について知らなければ、逃げ出せた。でもこの状況を見てみるがいい。何もできないではないか。このヘヴィン将軍という男に意のままに操られ、運命を握られている。自分が本当に一振りの剣だとして、何故ハーティー共和国の未来を明るく照らす事ができようか。そんな事を考えていると、ヘヴィン将軍がまたゼイフォゾンの前に来た。


「さぁ、どうする?覚悟は決めたか?このハーティー共和国に明るい未来を灯す一振りの剣よ。お前ならさぞかし賢い選択ができるだろう」

「断る……」

「ん?聞こえなかったな」

「断ると言ったのだ。お前の要求を呑むつもりは毛頭ない!」

「おい、二人とも殺せ」

「なに?止めろ!私は信念に従っただけの事!この二人は関係ない!」

「いいや、あるね……」


 周りの男たちが拷問と凌辱を止めた。そして、剣を取り出した。オーガンとイゼベルがゼイフォゾンを見ると、笑顔になった。そして最期の言葉を遺した。


「ゼイフォゾン……生きろよ。お前なら、多分大丈夫さ」

「ゼイフォゾン様……ガトランを……頼みます」

「止せぇぇぇぇ!!」


 男たちはゼイフォゾンの目の前で二人の首を落とした。ごろごろと首が転がる音が響く。あのオーガンが、あのイゼベルが死んだ。家族が死んだ。ゼイフォゾンは認められなかった。こんな結末は予想していなかった。自分と出会ったばっかりに、こんな事になってしまった。でも認められるはずがなかった。初めての温もりを与えてくれた二人を助けられなかったばかりか、死なせてしまった。ヘヴィン将軍という残虐な男の手によって。反逆者として死んでしまった。望んでいなかった。ゼイフォゾンは自分の無力というよりも初めて怒りを覚えた。その怒りはどこへ向けていいのか分からず、ただ悶えた。鎖は繋がれたままだが、千切れそうだった。そう感じた。なので千切ってみる事にした。そうしたら千切れた。周りの兵士たちの男が警戒した。ゼイフォゾンはある種のフラッシュバックを起こしていた。その記憶は、とある儀式のようなものであった。巨大な儀式。死が、闇がゼイフォゾンの記憶を支配した。その時、地震がハーティー共和国を襲った。震源地はゼイフォゾンであった。完全に怒りがゼイフォゾンを支配していた。ゼイフォゾンの鎧の漆黒の部分だけが輝く。瞳は黄金から白銀に変わり、その力は人智を凌駕していた。ヘヴィン将軍がゼイフォゾンの目の前に現れた。その様子は興奮していて、我を忘れていたように思える。


「一振りの剣よ!遂に力を発揮したか!これでハーティー共和国は安泰だ!さぁ、力を貸してくれ。その素晴らしい力で皇国レミアムに死を!」


 ゼイフォゾンは怒りをヘヴィン将軍に向けた。そして周りの兵士の男たちをまとめて捉えた。ゼイフォゾンが漆黒の腕をかざすと、男たちは苦しみ始めた。そして生気が吸い取られていくのが確認できた。そればかりか、その男たちの死をも吸収しているようだった。そして男たちは消滅した。ゼイフォゾンが吸収したのは正しく生と死を吸収したのだった。その姿はまさしく裁きを下す神そのものだった。生物は生気のみならず、死の概念を吸収されると肉体は無へと還るらしい。その様を見たヘヴィン将軍は恐怖のあまり後退りした。しかし、ゼイフォゾンが絶対に許せなかったのはヘヴィン将軍である。ゼイフォゾンはヘヴィン将軍に近づいた。


「貴様は私の希望を塵芥にした。そして全てを奪った。何故とは問うまい、何故ならば貴様はこれからこの男たちのように死ぬからだ。死なねばならぬ存在だからだ。分かるか、私には貴様が蛆虫に見える。蛆虫はどのような顔をして死ぬのだ?選べ、人間として死ぬか、蛆虫として死ぬか」

「人間として死んでやる。お前はハーティー共和国の希望どころか破壊神だ。ここで始末してやる!」

「貴様はやはり蛆虫だ。私は悲しい、そして怒りで満ちている。私をこうしたのは貴様だ。貴様さえいなければこのような悲劇は起こらなかったのだ。死ね……そして朽ちよ、果てよ。オーガンとイゼベルのいる世界には逝かせん。死すらも貴様には生温い」

「ぁぁぁぁぁぁ……」


 周りの男たちを始末したように、ゼイフォゾンはヘヴィン将軍を消滅させた。秘密の部屋は今にも崩れかかっていたので、出ることにした。地図はなかったが、感覚で外に出れた。彼はいつもの彼に戻っていた。しかし、怒りはまだ収まっていないようであった。それが原動力となり、彼は力をコントロールできるようになっていた。その時、戦争から帰ってきたスパルタンの兵士たちが門から入って来るのを確認した。その中にはガトランもいた。ガトランは無事だったのである。それを見たゼイフォゾンは安堵したと同時に悲嘆した。両親の死を伝えなければいけない。ガトランは傷付いていたが壮健そうだった。誇り高いスパルタンの兵士として帰還したのである。そこに両親の死を伝えるのはいささか躊躇いがあった。しかし、ゼイフォゾンは意を決して歩みだし、ガトランに近づいた。


「ガトラン、オーガンとイゼベルを助けられなかった。許してくれ、私の責任だ。私にもっと力があったなら、こうはならなかったであろう。許してくれ、頼む……」

「いいんだ。ゼイフォゾン、お前は帰ってきた。家族じゃないか、そうだろ?」


 悲劇は終わった。その後の悲劇はどうなるか分からないが、とにかく悲劇は終わった。ゼイフォゾンは支度をした。旅の支度を。そしてガトランにこれから皇国レミアムへと向かう事を告げた。旅は始まった。ゼイフォゾンはハーティー共和国の門を出た。これから向かうのはシュテーム連邦王国である。そこに何が待ち受けているのか。それは彼のみが知るものであった。
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