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~皇国レミアムへの道~

~皇国レミアム復活編~ 激闘

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 ガトランの話をしよう。彼は雨が嫌いだった。なので戦場に出る日は決まって晴れていないと嫌な性分だった。しかし彼は一度も戦場へ出たことがなかった。今日が初めて戦場へと出るのだった。それはオーガンとイゼベルも承知の上だった。スパルタンの兵士として当たり前の事として捉えていた。それは一人の男として、兵士として当たり前という事であって、それ以上はなかった。それ以前に、自分の息子を戦場に出させることの方が、家族にとって重要な事であった。居候ではあるが、ゼイフォゾンにも心配をかけていたのは、彼もよく分かっていた。その日は雨が降っていた。陽に照らされて、紅く染まった雨が降っていた。ガトランは準備している時、憂鬱になった。どうせならもっと晴れやかな日に出撃したかった。そしてスパルタンの兵士として誇り高く死ぬ事を望んだ。しかし、恐怖が勝っていた。死ぬ事そのものについては恐怖ではない。自分が死ぬ事によって誰かが傷付くかも知れないという恐怖が勝っていた。ガトランは戦士としては未熟であったが、周りをよく見る男だった。なので、オーガンとイゼベルの心配の影響をより強く受けていた。それについてオーガンとイゼベルはよく分かっていた。そして理解していた。オーガンはガトランを守ると誓っていた。イゼベルは送り出す事しかできないので、その事について深く思い悩んでいた。ガトランは周りがよく見えていた。見えていたが故に、笑顔で接する事にした。そうする事で、家族を、ゼイフォゾンを安心させてやろうと思っていた。しかし、この行動がかえって家族を心配させる結果となった。

 ガトランは笑っていた。息子ながらの必死の抵抗であった。しかし、そんなガトランを見たオーガンは彼を強く抱きしめた。それは親として当然の行いであった。そこにイゼベルも加わった。イゼベルは泣いていた。そしてガトランの頭を撫でた。親が子を失うかも知れないという現実に必死に耐えていた。母親は脆かったが、強かった。それでも前を向いて歩まなければならないと知っていた。ガトランが死んでしまっても、それを背に歩まなくてはいけない。オーガンを失っても、それを背に。イゼベルの抱えるものは想像よりも遥かに重かった。それを感じ取ったガトランは泣いた。こんなに家族とは暖かいものだったか。こんなにも悲しいものだったか。そしてオーガンは強く言った。生き残る事こそ真の勝利なのだと。ガトランは死んではいけない理由を問うたが、それは愚かであった。親が子を失って嬉しいはずもない。ガトランは悟った。そして心に決めた。何としても生きて帰ると決めた。そしてその家族を包むようにゼイフォゾンが来た。ゼイフォゾンの憂う目がガトランを写す。ガトランはゼイフォゾンの想いを受け取った。そして、意を決した。その時である。平穏は、静寂は破られた。


「一振りの剣を隠している家はここで間違いないな!」

「は!この家族は一振りの剣を渡す気はないと思われます!」


 この後の展開はあまりにも残酷なものであった。ガトランはオーガンと共にヘヴィン将軍に立ち向かうつもりでいた。そうしなければやっと家族の一員となれたゼイフォゾンを救う事ができないからだった。だが、この二人を以てしてもヘヴィン将軍に勝つことは到底無理であった。それを悟ると、ガトランとオーガンは二人でゼイフォゾンを庇った。ゼイフォゾンは一振りの剣ではないと。それは咄嗟の行動であった。これが国家反逆罪であっても家族を売るような真似はしたくはない。それはガトランだけでなく、オーガンもイゼベルも同じ認識であった。スパルタンの兵士として誇り高く…この言葉は互いを支え合う唯一無二の絆でもあった。人間として腐れば、スパルタンの兵士として名が泣く。この将軍は腐っている。戦士としては一流かも知れないが、人間としては間違いなく腐っている。それだけは分かった。だからこその必死の抵抗であった。しかし、その抵抗空しく、オーガンとイゼベル、ゼイフォゾンは連れ去られた。ガトランは自分だけが助かったその意味が分からなかった。ヘヴィン将軍によると、自分だけが戦場へ出るらしい。それは理解できた。多分、両親もゼイフォゾンも殺されるだろう。これが自分に背負わされた最高の罰ということか。ガトランは仕方なく、力なく立ち上がると召集に応じた。

 召集に応じたガトランは、その部隊の規模に驚いた。スパルタンの兵士が三十、歩兵が五百、弓兵が五百といった有り様で、これから国力で勝るゲイオス王国に挑むというのにこれでは数が少な過ぎると思った。相手には魔術師が存在しているかも知れないのに、それに指揮官は強力なのかも知れないのに、スパルタンの兵士を三十人も割いたのはいいとして、他が脆過ぎやしないだろうか。これではみすみす殺されに行くようなものである。ヘヴィン将軍は指揮しないとの考えであった。なので、部隊の指揮はスパルタンの兵士たちに託された。こんなに無責任な事はない。ガトランは憤った。両親は今何をされているか分からない。ゼイフォゾンもである。家族の殺害を理由にヘヴィン将軍は出ないのだ。身勝手極まりないのは確かであった。門が開く。戦場はそこまで遠くなかった。行軍速度は通常といったところか。遅くもなく、速くもなかった。ガトランは不安であった。この先、誰も守ってくれない。父であるオーガンはスパルタンの兵士たちの中でもベテランだったので頼りになった。だが、背中も自分で守るしかない。しかし、泣き言を言っている場合ではなかった。これは戦争なのだ。ガトランは剣に己の殺気を込めた。その時、同じスパルタンの兵士である若者がガトランに声をかけた。


「ガトランだっけ?よろしくな!」

「お前誰だ?」

「俺の名はラーベイト。お前と同じ新入りさ、しっかし若いなぁ。幾つだ?女も抱いた事ないだろう?」

「悪いか。俺は緊張感でいっぱいなんだ。話しかけないでくれ」

「ごめんごめん、放っておけなくてさ」


 ラーベイトと名乗るこの男は気軽だった。まるで父であるオーガンに似た気軽さであった。その事について、ガトランは苛立っていた。特別気が立っていたのもあったのかも知れないが、それでもこのラーベイトという男を好きになれなかった。年齢でいうともう成年を過ぎているように見えた。それが自分と同じ新入りであるという事に少し戸惑いがあった。初めて戦場に立つのが自分一人ではない事を認識した彼は少し気が楽になったような気もした。しかしラーベイトのおかげという事にはしたくなかった。まったく今日は気に入らない。ヘヴィン将軍の裏切りにこんな軽い男の背中まで守ってやらなければならない。しかし、これもスパルタンの兵士である以上仕方のない事であった。そんな事を考えていたら、戦地へとたどり着いたのだった。

 その様子は地獄という言葉では生温い、本物の戦場の現実をまざまざと見せつけられるものだった。死に絶えた兵が山のように重なっていた。そして焼かれていた。赤黒い血は運河のように流れ、その血が炎によって蒸発したり、凝固したりして名状しがたい強烈な臭いを放っていた。これが同じ人間のする事かと目を疑った。しかし、敗者たちはこうなって然るべき…というのが戦場の掟だった。ガトランは他者の死を実感する事で、己の生を確認した。隣にいるラーベイトは吐いていた。無理もない、こんな惨い光景を目の当たりにして正気でいられる人間はそういない。しかし、ガトランは正気だった。というよりは正気である事を装っていた。そうでもしないとどうにかなりそうであった。その時、ガトランはハーティー共和国の部隊が包囲されている事に気付いた。その数は三千はいた。その中には確かに魔術師もいた。この屍たちを焼いたのは間違いなく魔術師の魔術であることに、スパルタンの兵士たちは気付いていた。松明を持った兵士などどこにもいなかったのである。絶体絶命であったが、スパルタンの兵士たちは希望を捨てなかった。退路を確保しなければいけない。その為にはどうするか、それを模索するのに思案した。


「退路などないぞ。俺は一人も逃がさん、俺の名はゼハート・レクレイム。ゲイオス王国の将軍だ。これより先は生きて帰れる道などないと知れ。さぁどうする?降伏か死か!」


 真紅の鎧に真紅の外套、そして豪華な装飾を施された大剣を背負うその男はゼハートと名乗った。そのゼハートはこの三千人いる軍団の指揮官、強力な指揮官であることを物語るに相応しい風格があった。もしヘヴィン将軍が来ていても敗北は必至であっただろう事を物語っていた。そして今、一人も逃がさない事を宣告したのだ。わざわざ前へ出向いて。それは挑発とも取れたし、威圧とも取れた。だがスパルタンの兵士たちは諦める事を知らなかった。この指揮官をまともに相手していては恐らく全滅するのは間違いなかった。あのゼハートという将軍は手練れという言葉では比較にならない腕を持っている。そればかりか三十人のスパルタンの兵士を相手にしてなお一蹴できるだろう。見かけ倒しじゃない、本物の化け物がそこにいた。そしてこの将軍は知力にも長けているように思えた。小細工でもしようものなら間違いなく潰される事をスパルタンの兵士たちは肌で感じ取った。ガトランは怯えを振り払い、この状況を、圧倒的で絶望的なこの状況をどう打破するかという事を考えた。しかし、答えは一向に見つからなかった。その時ゼハートと名乗る将軍がある条件を提示した。


「ハーティー共和国の部隊にはスパルタンの兵士という精鋭がいると聞く。見れば分かる。そこの先頭の三十人がスパルタンの兵士だな?ならば話が早い。俺と勝負する者はいないか!相応の覚悟のある者はいないか!出てこなければ家族のもとには帰さん。皆殺しにするまでだ!さぁどうする!返答を待とう!それまでは手出しはしない!」


 要するに一騎打ちを申し込んできたのだった。その将軍の威風堂々とした態勢は崩れる事無く、周囲にいる三千の兵を一挙に統率するに足るカリスマ性を放っていた。スパルタンの兵士たちは悩んでいた。ベテランの兵士たちも苦慮していた。一騎打ちなどという古風なやり方で、それも一人の犠牲を払うだけで全員が助かる戦争など聞いたことがない。前代未聞の提案にはさすがのスパルタンの兵士たちも疑いをかけざる得なかった。約束など守ってくれようはずもない。流石に無謀と勇気は違う。これは何かの罠ではないのか。スパルタンの兵士たちは議論を交わした。無理もない、しかしゲイオス王国の兵士たちは襲い掛かってこないので約束は守られているようにも感じる。ならば誰が行けばいいのか。そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。この倦怠を打破したのがガトランであった。


「俺が行く。他の者は一騎打ちの間に逃げる時間を稼いでくれ。そして準備を進めてくれ。俺にはもう守る者など帰っても存在しない。背水の威はこちらにある。いいか、あのゼハートという将軍は俺が相手する。無謀と言って止めるなよ……将軍ゼハート!俺が相手になる!それでいいか!」

「よしいいだろう!俺が求めていたのはその意気だ!しかしお前若いな。スパルタンの兵士になってどれくらい経つ?いや、まぁいいだろう。久しぶりに勇気ある者の挑戦を受け取ったのだ。肌が粟立つ!さぁ前へ出ろ!俺との勝負に見事生き残ってみろ小僧!」


 将軍ゼハートの覇気は凄まじいものがあった。まるでこの世の生き物ではない何か、まるで闘争の神のような気迫があった。他のスパルタンの兵士たちはガトランを止めたが、それでもガトランは止まらなかった。ガトランはこの戦である事について考えていた。家族の事である。オーガンが誇れるような男にならねば、イゼベルが自慢できるような男にならねば、二度とゼイフォゾンに心配されぬような男にならなければ、この戦に意味などない。ヘヴィン将軍に裏切られてからというものの、これだけは信じていた。例え両親が殺されていようと、ゼイフォゾンは帰って来るはず。例えゼイフォゾンが殺されていようと両親は帰って来るはず。どちらにしろ、希望はある。ただ生きて帰る。そして全てを許そう。何もかも許そう。この将軍を相手にして死ねるなら本望だが、それでも生きて帰れたら、それが許されたなら、もう一段強くなって許そう。それが自分の生きる道だと信じた。だからこそ、己の運命に抗わなくてはいけない。ガトランの覇気も相当なものであった。そして前へと踏み出した。


「勝てるのか?そんな腕で俺に追随する事が果たしてできるのか?やってみせろ小僧、俺は甘くないぞ。死んでも責任は取らん。家族が待っていようと、何を背負っていようと関係ない。これは純粋な、無垢な闘争だ。お前は戦わなければならん。そこで運命に従うか抗うかは自分で決めろ。往くぞ小僧。俺は今楽しみで仕方ない!」

「戦ってやるさ。あぁ戦ってやるよ!そんなに戦が好きならお前が満足するまで戦ってやる!うおおおおおああっ!!」


 ガトランは己の剣を引き抜くとありったけの力を込めた。そして、ゼハートに斬りかかった。その軌跡はブレる事無く届いたはずであった。しかし、ゼハートはそれを難なく躱すと、ガトランに殴り掛かった。それは正しくガトランの腹部を直撃し、ガトランは吹き飛んだ。その威力は並の人間のものとは次元が違っていた。ガトランはその場で見悶えると、ゼハートは無慈悲な表情でじりじりと近づいていった。ガトランは恐怖した。初めて恐怖した。その敵の強大さに屈服する寸前であった。しかし、それに屈する理由がなかった。それに屈するほどの精神の脆弱さを、彼は持ち合わせていなかったのだ。なので、立ち上がる事にした。そうする事で救える命があるのなら、そうしよう。彼は諦めなかった。決して。


「まだ立てる元気が残っていたか。だがもう終わりだ、次は内臓を破裂させてやる」

「お前は剣士だろう。抜かせてやるよ、そのご自慢の剣をな!」

「言ったな小僧!後悔するぞ!」

「そうかい!」


 ガトランはゼハートに向って踏み込んだ。そのまま横に斬りかかった。しかし、それは難なく躱されてしまった。それでもガトランの攻撃は続いた。横から袈裟懸けに斬撃を放つと、それは綺麗にゼハートを捉えたはずであった。だが、それでも躱されてしまった。その次である。ガトランは鋭い突きを放った。それは凄まじいスピードで向かっていき、ゼハートの喉を目掛けていった。それを紙一重で躱したゼハートはガトランの顔を殴った。それを首の筋力で押し返したガトランは、そのままゼハートの拳を顔で振り払った。そして再びゼハートの懐に入った彼は下から斬り上げた。ゼハートはこの反撃を予想していなかったようで、背負っていた大剣を抜き、ガトランの剣を防いだ。ガトランの気迫は鬼気迫るものであった。それにゼハートは呼応した。


「宣言通りに俺に剣を抜かせたな!小僧!いいぞ、そのまま俺を押してみろ」

「ぬおおおおおおりゃあああっっ!!」

「いいじゃねえか。その目、その腕、俺はそういう男を待っていた!じゃあ俺もお前を押すぞ!耐えてみせろ!そして押し返してみろ!」

「ぐぐぐぐ……ぬおおおああああっっ!!」


 ゼハートはガトランの剣を押し返した。ガトランは全力を出していた。しかし、びくともしない。戦力差は歴然であった。ゼハートは実力の半分も出していなかったように思えた。しかし、これでガトランは引き下がるわけにはいかなかった。諦めるわけにはいかなかった。なので、ガトランの力を承知の上で押し返した。それは奇跡のようなものであった。半ば奇跡のような力でゼハートを押し返し始めた。その力の源はどこから来るものか、それは誰にも分らなかった。そして、他のスパルタンの兵士たちはガトランがここまで持ち堪えるとは思わなかったのである。


「この小僧……どこからこんな力を……」

「分かるか。俺は負けられないんだ。負けられ……ない!!」

「……いいだろう。もう小僧とは呼ぶまい。お前の闘気、確かに受け取った。褒美だ!」


 ゼハートはガトランを軽々と押し返し、吹き飛ばした。その力は圧倒的だった。ガトランは今まで攻めが全部無駄に終わった事を悟った。だが、振出しに戻っただけである。こんな事で諦めているどころではない。しかし、ゼハートはその大剣を天に掲げた。そして縦に思い切り振り下ろした。その剣風は直接ガトランを襲った。ガトランはこれで大きな傷を負っていたが、その衝撃波はまだまだ続くようであった。ガトランはただぐっと堪えた。そして耐えた。満身創痍の状態でも容赦なく襲い掛かる衝撃波。ガトランはここで我慢の限界を迎え、吹き飛ばされた。ガトランはその場で倒れたが、死んでいなかった。風は止み、静かになった。ガトランは力なく立ち上がると、その目でゼハートを認めた。雨は止んでいた。ガトランは自らの敗北を認めた。


「殺せばいいだろう。今なら簡単に首を取れるはずだ」

「帰れ、ハーティー共和国に。他のスパルタンの兵士たちと一緒にな。他の兵は皆殺しにするがな。だがお前は帰れ。そして伝えろ。ハーティー共和国はゲイオス王国に敗北したと。その敗北は無駄ではなかったと。スパルタンの兵士たちはハーティー共和国に必要な存在だ。お前がそれを証明してくれた。全軍に告ぐ!スパルタンの兵士たちは逃がせ!その他は皆殺しにして構わん!」

「……」

「これが戦争だ。敗北した国はこうなるべくしてこうなっている。だから帰れ」


 ガトランを含むスパルタンの兵士たちは退却した。そしてその他の兵士たちは三千人を超える軍団に攻め入られ、殺戮が始まった。それを止める事も叶わず、スパルタンの兵士たちは逃げた。ハーティー共和国へと。ガトランだけが傷付いていた。それは誇りある傷であった。己の限界を超えた男の、強き背中であった。ハーティー共和国の門が開く。そこには悲しげな顔をしたゼイフォゾンが見えた。ゼイフォゾンは両親を助けられなかった事をガトランに告げた。それを許したガトランは、ゼイフォゾンの旅支度を手伝うと、静かに見送った。
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