三千世界・完全版

あごだしからあげ

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三千世界・時諦(6)

第八話 「糞にも似て薫る」

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 禁忌地域
 屋敷から離れ、近くの建物に入り、一行は一息つく。
「ふう。千早がいて助かったぜ。ありがとな」
 ストラトスが千早を労う。
「礼には及びませんよ。お姉ちゃんのためになることをしたまでです」
「なあ、その言い方ってさ、まだあの万物の霊長が生きてるってことか?」
 千早はミステリアスな笑みを浮かべる。
「さあ、どうでしょう?月光の妖狐とかに聞いてみては?」
「月光の妖狐って……ロシア支部長だっけか、昔の」
「ええ、その通りです」
「まだ生きてるのか?」
「さあ、どうでしょうか」
 千早が話をはぐらかすと、ストラトスは窓から外を見る。
「ロータはまだ仕掛けてくると思うか、シエル」
 その問いに、シエルは頷く。
「間違いなく来るでしょうね。千早とあれだけ殴り合ってまだまだ戦えそうだった――」
 シエルがそう言い終わるより早く、店の壁が破壊されて千早が吹っ飛ぶ。千早は店の正面の壁を壊して飛んで、道路で受け身を取る。壁から出てきたのは、露出した肌が黒い苔のように変異したトラツグミだった。三連装のミニガンを一行に向け、アルバが瞬時に鎖の防壁で夥しい量の銃弾を弾き、外へ出る。トラツグミはタックルで店の壁を破壊して道路へ飛び出て来る。
「しつこいやつだよ、全く。見上げた忠誠心だ」
 グラナディアがそう言うと、トラツグミは珍しく自虐的な笑みを浮かべる。
「明人様こそが私の生きる意味。私がまだこの世界で戦い続けられるのは、あの方のご遺志があるからこそ」
「その腕……E-ウィルスだろ?月光の妖狐の研究成果を、よくも我が物顔で使えたもんだよ」
 トラツグミは黒化した左掌を見て、そして握りしめる。
「これはもはや、あなたの知るE-ウィルスではない。蛇帝零血によって強化された、狐の真なる呪い」
 グラナディアが試しに放った爆炎を、トラツグミはノーガードで受ける。怨愛の炎特有の粘ついたどす黒い炎が道路で燃え続けるが、トラツグミが意に介する様子はない。
「神の世界とは、十全足るものなのでしょうか。いえ、神は人間が思う自らに欠けたものを補うものでしかない。神とは人の追加パーツ……この、私の右腕のように」
 トラツグミはミニガンを取り外し、元々の彼女の腕を露出させる。
「グラナディア。あなたなら、私から感じる力がわかるのでは?」
「ああ……まさか」
「魂も体も純潔であるがゆえに、何者にも染まらぬ純粋なるシフルを人の身でありながら再現した……峻烈なる、運命の岸辺より来たれるこの力」
 トラツグミの体から白い蔦のようなものが湧き出て、その体が巨大化していく。
「魂魄大甘菜……」
 グラナディアの呟きはトラツグミの全身から発せられる粘液の音で掻き消される。巨大化していくトラツグミは異常に発達した上半身を地面に叩きつけ、四足で地を踏み締め、鼓膜が破れんほどの爆音で咆哮する。
「更なる混沌を!更なる戦乱を!」
 トラツグミが突進する。千早が真正面から受け止めるが、トラツグミは尋常ならざるパワーで千早を吹き飛ばす。横から攻撃を仕掛けたシエルの拳を躱し、ジャンプの最高点目掛けて槍を放ったストラトスの攻撃を、空中で姿勢を変えて躱し、地上のグラナディアに急降下する。グラナディアは怨愛の炎の防壁でスピードを弱め、側転で躱す。そして至近距離で爆炎を吹き出すが、トラツグミはまるで意に介さず、白濁した粘液を口から吐き出す。
「ちっ」
 グラナディアは飛び退く。粘液が付着した地面は溶け出し、そして大爆発する。トラツグミは右腕から触手を伸ばし、それをグラナディアに振り下ろす。アルバが鎖の防壁でそれを防ぐが、粘液が付着した鎖は爆発してその結合を弱められる。トラツグミはそのまま防壁へ突進し、防御を砕いて左腕で攻撃するが、グラナディアは既におらず、横からシエルの強烈な蹴りを受ける。しかしその瞬間、トラツグミの体表を覆う蔦を流れる粘液が爆発し、衝撃を弱め、シエルを吹き飛ばす。シエルを受け止め、横に並んだ千早へストラトスが叫ぶ。
「さっき戦ったときより全然強いぜこいつ!どうすればいい!?」
「月香獣の類いでしょうから、グラナディアさんの方が物知りかと……私の所見を言うのであれば、今のままでは勝ち目がありません」
 猛然と向かってくるトラツグミを千早が受け止めるが、またも吹き飛ばされる。今度は即座に受け身を取り、しつこく食い下がる。シエルも牽制に回り、ストラトスがグラナディアの下へ向かう。
「グラナディアさん、こいつはどうしたら!?」
「奴め、零血細胞にE-ウィルスと魂魄大甘菜の力を混ぜて自分に打ったらしいようだね。極めて純度の高いシフルで蔦の鎧を作り出して、凄まじい速度で侵食しているE-ウィルスをまるでERAのようにしてるんだ。まさか、あの見上げた忠誠心が零血細胞に適合しているとはね」
「なんか打開策はないんすか!」
「あるよ。あの反撃の爆発を恐れず、あいつがE-ウィルスで自壊するまで攻撃し続けるんだ」
「とにかく殴れってことっすか!?」
「おすすめはしないね。どうしてAI……いやEPにあそこまでのことが出来るのか私にも理解しかねるが――」
 グラナディアはストラトスを抱えて横に飛ぶ。二人がいた場所へ粘液が着弾し、爆発する。
「とにかく、奴は完全に自分に流れるシフルを制御している。ここまで完璧な気の流れなら、どんな精神的な攻撃も意味をなさない。相手にするだけ無駄ってことさ」
「つまり――」
「ああ。逃げろってことさ。フォルメタリア!」
 グラナディアが叫ぶと、どこからともなく巨大な狐が現れる。
「みんな!逃げるよ!」
 その声に千早とシエルが飛び退き、フォルメタリアがトラツグミに突っ込んでいく。
「とにかく走るんだ!今の私たちじゃ相手できない!」
 一行は走り、ビルの間を縫って複雑な経路を辿る。そしてしばらくして、小さな酒屋のスタッフスペースに転がり込んだ。
「はぁーっ……」
 シエルが深くため息をつく。
「なんなのよ、あれは……」
 それに続き、ストラトスも動く。
「グラナディアさん、詳しく教えて欲しいっす。あれは一体」
 グラナディアは苦笑いをしたあと、口を開く。
「あれは私が零獄にいたころ作った生命体と、この世界の月光の妖狐とやらが作ったE-ウィルス、そして新人類の鍵となる零血細胞を混ぜて作ったお手製トンデモドーピング剤でパワーアップしたトラツグミさ。恐らくはね」
「でも、千早を吹き飛ばすってどれだけのパワーがあるんすか」
「奴が使ったのは私の研究成果の中でも完璧かつ最高のスペックを持った魂魄大甘菜さ。作った私ですら完璧にこの世から消し去る方法が思い浮かばないね」
「どうして爆発を?」
「E-ウィルスって確か、栄養が補給され続ける限り、爆発的な成長を続けるんじゃなかったっけ。E-ウィルスと魂魄が産み出す純シフルの溶液を吐き出し、それを分離した状態で急速に不安定にさせることでE-ウィルスの嚢胞を作り出して、内部の純シフルが最後の力で弾け、嚢胞を炸裂させる。あの爆発はそういうことさ。あのままトラツグミが歩き回り、戦闘を行う度にその周辺はE-ウィルスで汚染されるだろうね」
「本当に殴り続けるしか無いんすか?」
「まあ、シフルの扱いが上手い奴が相手ならそうする以外方法が無いのは、君もアフリカでセレナと戦っているからわかるはずさ」
「あの時は夢中でよくわからなかったっす」
 グラナディアは浅くため息をつく。
「つまりだ。シフルの扱いが上手ければ上手いほど、普通の人間が死ぬような攻撃ごときじゃ殺すなんて夢のまた夢だ。セレナの心臓や頭をぶち抜いても死なない、もしくは君が同じことをされても死なない、なんてことがあったはずだ」
 ストラトスは頷く。
「うん。要は、血を全て体内から抜き取らなければ死なない。問題は、その血の量がとんでもなく多いってことだ。おまけに、血に対する心臓のような、わかりやすい生成器官はない」
 千早がうんうんと頷く。
「今、私たちが消耗戦をするのは得策ではありません。余りにも彼女は強力すぎます。余りにも……この宇宙の脆弱さに見合った強さじゃない」
 グラナディアが続ける。
「フォルメタリアで大西洋を横断して、アメリカに行こう。シフルが何かの時を待っているのなら、さっさと総本山に攻撃を仕掛けに行った方がいい」
 アルバが疑問を投げ掛ける。
「えでも……フォルメタリアって……さっきの狐さんのことじゃ……」
「当然、私が一匹しか用意してないわけがないだろう?まだまだあの子達のストックはあるよ。被造物は造物主の使いたいように使われるってね」
「そう……ですか」
「それにさっき差し向けたフォルメタリアは時間稼ぎ以外には使えないだろう。所詮は軍用獣だからね。とにかく今は、沿岸部まで逃げるしかない」
 一行は頷く。ストラトスが静かに裏口の扉を開く。地を踏み締めるトラツグミの気配がする。路地裏を通り、大通りを壁際から覗く。何百年も放置されてボロボロの車を蹴散らしながら、トラツグミはゆっくり歩いている。
「おやおや……もはや鵺というより冥界の怪物って感じだね、あれは」
 グラナディアは呟く。
「道はここしかないんすか」
 ストラトスが尋ねると、グラナディアは笑みを向ける。
「もちろん、そんなことはないよ。奴を回り込むように躱そう」
 一行は路地裏へ戻り、狭い迷路のような道を進んで、トラツグミの後方を音もなく通り抜ける。トラツグミは未だに前に進み続ける。と、アルバがトラツグミの方を見て立ち止まる。
「おいアルバ、何やってる」
 ストラトスが腕を引くが、アルバは動こうとしない。そしてアルバは、右腕を上げて空を指差す。
「ん?」
 ストラトスがそちらを見ると、トラツグミの前にロータが浮かんでいた。二人は近くの車の影に隠れ、その様子を窺う。聞き耳を立てると、二人の会話が聞こえてくる。
「ロータ様、まだ目標は索敵中ですが……」
「トラツグミ、今はもう追わなくていい。人間に戻って」
 トラツグミは収縮し、元の姿に戻る。
「私の魔法でヨーロッパは消し飛ばす。もうここに用はない」
 ストラトスたちはその場を離れ、シエルたちと合流する。
「何か聞けた?」
「ロータがヨーロッパ一帯を吹き飛ばすらしい」
 二人の後ろでグラナディアが顎に手を当てる。
「それはまずいね……早く離脱しないと。ここから見ていたけど、幸い二人はもう追っては来てはいないようだから、一気に突っ切らないかい?」
 ストラトスは頷く。
「同感っす。千早との戦闘で見せたあれだけの力が、まだ全力じゃないなら、ここら一帯を塵にするなんて造作もないはずっす」
 一行は進路を急ぐ。

 フランス・沿岸部
 街の中を駆け抜けていくと、巨大な沿岸の倉庫へ辿り着く。
「よし、ここまで来れば大丈夫かな」
 グラナディアが右手を仰々しく振ると、眼前の景色が揺れ、そこに大型のフォルメタリアが現れる。
「さあ行こうか」
 フォルメタリアが大きく口を開け、一行はその中へ入る。フォルメタリアは大きな炎の翼を広げ、飛び立った。
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