【完結】残さず食べろ

麻田夏与/Kayo Asada

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6.残さず食べろ

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 辺りを見回したマデュははっとした。見覚えがある、どころではない。かつて根城にしていた草原の中の河のほとりの近くだ。
「……何で。ここ、俺のテントの近くだ」
 何故ユイエはこんな場所に連れてきてくれたのだろう。胸がどきどきと逸る。
「昔、ここから無理矢理攫ってしまっただろう。お前はもう自由だ。義賊でもなんでもやるといい」
 何でもないことのように言うユイエの胸元を引く。きれいな青の目がマデュを見下ろすのに、声にならない感情が沢山押し寄せてくるが、呑まれるより先に、問い質さなければならない。
「そんな訳に行くか! 何でお前悪魔になんか……それに、あの子供は? 地獄はどうなったんだ」
「どうもしない。地獄には地獄の役割がある。だからそのままにしておく」
「そのまま? なんだそりゃ。そんなのありかよ……」
 ぐったりと力が抜けた。ユイエの胸を放す。そんな、やる気のない地獄王がいていいのかと思う。
「そんなんで、悪魔たちが納得するのかよ。血気盛んな奴らばっかりじゃねえの、あのシャルーンっていう奴みたいにさ」
「地獄の管理はタウに任せた。俺の化身から事情を伝えさせたら『お供させてください』と言ってくれた。強力な悪魔に対抗できるほどの力は与えてある」
 がっくりきた。ユイエは、マデュが危惧するまでもなく、仕事はしていたようだ。その方法は少しばかり、怠惰だが。
「……天使に攻め込まれたり、しねえの? 天国と地獄って、ずっと争ってるんだろ」
「そのときはそのときだ。キリエと俺の力は同じだ。だから、地獄領を守ろうと思えば、守ることはできる。それに、今はこんな姿だが、俺はキリエの兄だ。そこは変わらない。あいつの癇癪を宥めて笑わせてやれるのは俺だけだ。その役目は全うする」
「お前そんなにすごい奴だったの……」
 知らなかった。神の兄だとは聞いていたから、強そうだなとは思っていたが、神と同等だなんて。
 何でそんな天使が、自分を。
 そう思い直して、マデュは赤面した。さらっと、重大な局面にユイエに告白されたのだ。そんなことが、起こるなんて、思ってもみなかったのに。
 ユイエがぽんぽんと、マデュの頭を撫でてくれた。その仕草さえ好きで。好きでどうしようもないのに、ユイエはまるで何も分かっていない顔で。
「お前の魂だけ、地獄王おれの命令で自由にする。好きに生きていい、マデュ」
 そんなとんちんかんなことを言うから。もうマデュは、笑ってしまいたくなった。凄んだ顔をわざと作る。
「……本当に、好きにしていいんだな」
「ああ」
 ユイエが少し悲しそうに目を伏せたから、笑い出してしまいたい。
 マデュの一番の願いを知らないで、そんな顔をしないで。
「キスして、ユイエ」
 はにかんで、彼へ向かって腕を伸ばす。一番にしたいこと。それはユイエの側に居ることだ。
 ひどく驚いた顔のユイエが、瞬いて。そうして、蕩けそうに、笑った。
 きれいで、かっこよすぎて。マデュの心臓は高鳴る。思ったより、彼のことが好きなのかもしれない。
 ユイエがゆっくりとマデュの頬に触れた。心地良い。
「いいのか」
「いいって言ってるだろ」
 真っ直ぐ見下ろしてくる視線に焼かれているのが恥ずかしくて、つい悪態をついてしまう。
「俺はもう、お前を離してやれない。どんなにお前が俺を嫌っていても、お前の魂を離したくない」
「……お前、王様なのに、ちょっと馬鹿だな。言わないと分かんねえ? 好きだって」
 その瞬間、キスをされた。
 ああ、苦くない。最初にした、ユイエとのキスの味だ。
 何度も、何度も、角度を変えて味わわれる。たかが、キスで、心がとろとろと溶けていく。
「マデュ……マデュ」
 呼ばれる声が、身体を熱くする。
 それが欲情に変わるのはすぐだった。だって自分たちは『悪魔』だから。淫らなことは大歓迎な身体なのだ。
「抱いていいか、マデュ」
「だから何でいちいち聞くんだよ……」
「お前の言葉が欲しい。好きだとお前が言ってくれたとき、お前の魂が今までに見たことのないくらいにきれいだった。だから、それがもう一度見たい」
 マデュは何と言うべきか迷って、それから笑顔を浮かべた。ユイエの目が獰猛に変わったから、きっとこの笑顔で正解だ。
「残さず食べろよ、俺を」

*

 満月が草原を照らす。
 そこに、白い身体がふたつ。草いきれの中、押し倒されたマデュは、注がれる唾液を呑み込むべく、必死だ。
 悪魔なのに、ユイエの唾液は甘い。まるでそれが、媚薬でも注がれているかのようで、ユイエの頬はどんどん赤くなる。こんなに、『この先』が欲しくてたまらないことなど、これまでなかった。
 だが、ユイエの手が、ぎこちない。『魂の悪魔』だったマデュを感じさせていた手と同じものと思えないくらいに。ぐるりと思考を巡らせて、ある可能性にマデュは気付く。
「ユイエ……もしかして、緊張してるか?」
「悪いか……こういうのは初めてなんだ」
 マデュは硬直する。それは、その意味するところは。
(童貞……このきれいな男が?)
 不思議に思って、だがすぐに思い直す。彼は天使だったのだ、ついさっきまで。色事は好まないのだろう。
 だが、同時に疑問も生まれた。『弟』がいるということは、親がいるということと同義だ。天使なのに、生殖を行うのだろうか。
「あのさ。天使ってセックスすんの? お前、弟がいるって……」
「……ああ、俺の一族は特別だ。天使の中でも特別に力が強く、支配欲も強い。戦いで死んだときに『代替わり』するための生殖をする。そうだな、キリエはもう、妻が十名以上いる」
 マデュは呆れた。何というか、ワガママな性格といい、妻の数といい、神がそれでいいのかと思ってしまう。
「神様、淫行放題じゃねえか。……お前はしたくならなかったの?」
「俺はお前だけでいい」
「……もう、恥ずかしいこと、言うな!」
 ユイエは思ったより、きざな男なのかもしれない。マデュは耳まで朱に染まった。
「お前はどうなんだ、マデュ。誰かに抱かれたことは」
「あるかよ! ……女を抱いたのは、あるけどさ」
「処女か」
「…………そういう言い方するかよ」
 抗議はユイエの唇に呑み込まれた。深い口付けから、首筋を辿り、鎖骨を食まれる。
「細い身体だ」
「言うなよ、気にしてるんだ。どんだけ運動しても筋肉つかなくて」
 マデュとしては男らしくなくて嫌なのだが、ユイエは「好ましい」と上機嫌だ。嬉しそうにちくびに舌を這わせてくる。
「ん……っ」
「相変わらず弱いな」
「いや、なんか……いつもより」
 そこまでしか言わなかったけれど、ユイエはマデュの変化に気付いたようだ。身体をよじったのが悪かったのか。
「気持ちが好いか。悪魔の身体だからな、性感帯はより感じるようになっているのだろう」
 口の端を淫らに持ち上げて。そう宣告するユイエの、壮絶な色気。マデュは見蕩れてしまって。それから、あらぬ箇所が疼いた。
 後ろを暴いてめちゃくちゃにして欲しい。ユイエの熱で満たされたい。
 そんな淫らな思考が止まらない。自分でも不思議なほどだ。そして、ある異変に気付く。
「え……俺、なんか、濡れて、る?」
 受け入れる場所が、そんなはずないのに、じゅわりと、しめり気を帯びているような気がするのだ。まるで、ユイエに貫かれるのを、待ちわびるかのように。
「……ああ、天使も悪魔も、両性が子供を産める。だからだろう」
「そうなの!? 便利だ、な……?」
 ユイエが何事か、愉悦を帯びた様子で笑っている。ぞくりとして、陶酔したところに。
「俺の子供を産んでれるか、マデュ」
「は!? え、そん、な、え……!」
 困るのに、何故か否定の声が出ない。
(俺、童貞に種付けされるのか……?)
 そんな、ふしだらなこと。
 そう思うのに、身体が悦ぶ。ユイエに注がれたなら、どれだけ気持ちが好いだろう。そう、頭が想像してしまう。
「……子供が欲しかったなら、弟みたいにすれば良かっただろ」
「子供が欲しいのではない。お前と俺の子供が欲しい──分かるか」
 ユイエの唇は薄いのだな、と。今更そんなこと気が付く。そこから悪魔独特の八重歯の牙が覗いて、零れ落ちる、笑み。野生の肉食獣のそれに似ている。
「永遠に、拘束してやりたいという意味だ」
  身体を、ぞくぞくする快感が通り抜ける。ユイエの。王のために、肉体を捧げるのを、身体が悦んだ。そして、愛する者に、この上なく愛されているという、精神の快感。たまらない。
「いいぜ。搾り取ってやるよ」

 男の身体に乗り上げて、それが胸をときめかせる日が来るなんて、思いもしなかった。
 ユイエの紺青の目が、しとどに濡れた秘所と、そこを膨張したユイエ自身に触れさせようとするマデュを、じいっと見ている。それだけで震えてしまいそうな心地だ。
(ユイエ……の、おっきい)
 勃起した自分のものと、見比べてしまう。悔しいが負けている気がする。こんな大きなものが排泄器官に入るのだろうかと怖くなるが、だが身体はもう、これを食べたい食べたいと、叫んでいる。
 だから、思い切って腰を落とした。全身を、電流のような何かが走る。快楽だと、少ししてから気が付いた。
 ユイエの杭の熱が、気持ち好すぎて、意識を持っていかれる。身体が勝手に、奥の奥まで、ユイエを呑み込む。
「は……これ、きもちい……すきぃ……」
 考えてもいない淫蕩な言葉が声になる。恥ずかしくて口を塞ごうとするのを、ユイエの両手が防いだ。そのまま彼の腹に手をつかされる。そして、腰が勝手に揺れる。擦って、摩擦して、ひとつになりたくて。
(俺……やらしい……)
 自分で動いておきながら、まるで発情期の動物のように鳴くのが、羞恥心を煽る。だけれど、声も口の端から垂れる涎も止まらない。
 もっともっと、繋がって。揺らせて。何も分からなくなるまで。そうして腰を振り続けていると。
「マデュ──」
「はぁ──んッ!!」
 下から突き上げられて、全身ががくりとわなないた。
「や、ユイ、エ、それ、やぁっ」
「これだけ煽っておいて、ただで済むと思うな」
 ユイエに肩を掴まれ、草地に倒される。そして、キスと共に、奥の奥までごりごりと入り込まれる。
(うそ、やだ)
 童貞に、技巧も何もなくただがつがつと突かれているだけなのに。肌が粟立つほど気持ちが好い。
(ああ、ユイエ、ユイエ)
 声が出せないほど隙間なく口付けされているから、心の中で呼び続ける。白んでいくような意識の中が、ユイエの名前だけになる。そして。
「マデュ、愛してる」
 そう耳朶に色付いた声を落とされた瞬間。
 身体の中がきゅん、となって。
「あああっ」
 知らない、快感が、秘所から身体中に広がる。
 初めての、身体の中からの絶頂で、内側にいるユイエを、締め付けてしまう。
「く──」
 ああ、注がれている。熱い、熱い、ユイエの魂の分身を。
 なんだか泣きたくなってきて、溢れる、と思った。射精と涙が同時なんて、なんて情けない。
「きれいだ、マデュ」
 ユイエでも、酔いしれるようなことがあるのだなと思う程の、凄絶な笑み。それが自分が引き出したことが嬉しい。涙が、またこぼれる。
 そこに、ユイエが大ぶりな桃色の花を差しだした。芍薬だ。
「求婚の証だったか。花かんざしは」
 それだけの言葉で、心が蕩けた。受け取って、髪に挿して、そうしてユイエにキスを強請る。
 胎の中のユイエがしっかり反応したのが、可笑しかった。

*

 マデュを抱くのはこれ以上ない悦びだった。
 マデュはきゅうきゅうと、信じられないくらいユイエを愛おしそうに食んでいるので、食べられているのはどちらだろうと思った。
 ずっと抱いていたかったけれど、夜が明けてしまったので、流石に気まずくなって彼から自身を引き抜いた。
 悪魔の身体は便利だ、性行為など初めてだが、どれだけしても疲れない。人間のマデュだったらきっと、疲れてとうに眠っているだろう。
 いそいそと服を着てたふたり。睦言もないままだが、行為の最中に散々「可愛い」「愛してる」「孕め」と言って、その度マデュがびくびく跳ねていたので、もうこれ以上は不要な気がした。
「……そろそろ皆起きてくる時間だな」
 遠くを見詰めながら、マデュがそっと呟いた。
 マデュの言う『皆』とは、昔の仲間だろう。
 彼ももう悪魔だ、『地上』と『地獄』ならば全てを見渡せる眼が備わっている。それがあちこち彷徨いて。
「……あーあ。やっぱりあいつらばらばらになってやがる。乱暴者どもを俺が無理矢理まとめてたもんな」
 大きな溜息を吐いたマデュの三つ編みを撫でながら、宥めるように言ってやる。
「もう一度、義賊に戻っていいんだぞ」
 すると、マデュはしばし考え込んで。
「お前はどうするんだよ」
「地獄は退屈だ。天国にも戻れない。だからお前の部下でもやってやろうと思う」
 いつか妊娠したマデュが大きな胎を抱えて指令を出しているのを手助けしなければ、と思ったのはユイエだけの秘密だ。マデュは真っ赤になって怒りそうだから。
「ははっ! 地獄の王が部下か! 俺って最強じゃねえか」
「妻の尻には敷かれてやる」
「情けねえ王様!」
 そうして笑い合って、初めて手を繋いで、草原を走り出した。
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