【完結】平凡人魚王子は獣人王子の夢を見るか

麻田夏与/Kayo Asada

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3.

 大好きな人に、嫌われていた。
 最初からずっと、嫌われていた。
 エトは、王宮内の自分の部屋に引き籠もり、絶え間なく涙を流している。
 海の中では、涙は海水とすぐに混じってしまう。だからもうエトは、悲しいのか悔しいのかすら、分からなくなっていた。
(ユーリさん、笑ってくれてたのに)
 それが全て嘘だった訳だ。
 大好きな笑顔は偽りで、エトに本当に笑ってくれたことなんて、きっと一度もなかった。
 最初に花をくれたのも、気紛れだったに違いない。エトが勝手に勘違いをして恋に落ちただけだ。
 だから、ユーリは何も悪くないのだ。
 今ちゃんと思い返してみれば、交尾の時はいつも、ユーリはエトを嘲笑っていた。
 あれが、本音だったのだろう。
『無様でみっともない』と。
 それがエトに抱いている感情の全てだったのだという気がした。
 それなら抱くなんてしないでくれれば良かったのにと思い、そうしたら記憶が蘇ってきた──彼は『復讐だ』と言ったのだ。
(人魚の王族を、恨んでるって……言ってたな)
 どういうことなのか、分からなかった。人魚が獣人に何かしたという話は聞いたことがない。
 だがユーリは、『獣人は皆人魚の王族に恨みを抱いている』というような言い方をした。深海に引き籠もっていたエトが知らなくても、二族の間に何かあった可能性はある。
 人魚王にも恨みを伝えておけとユーリは言った。
 だから父に直接問い質そうかと思ったが、そこにエネリが入ってきた。
「エト、どうしたの……? ずっと、泣き声が響いてて、心配になって見に来ちゃった」
「エネリ姉さん……ありがとう」
 エトはできるだけの笑顔を姉に向けた。エネリが表情を歪ませる。
「そんな、無理して笑わないでよ。何があったのか……聞いてもいい?」
「……うん」
 エネリに全てを話した。
 話している途中でやっぱり涙が出たけど、エネリが肩を抱いていてくれたので、正直に言葉にできた。
 そうして、最後にユーリが『獣人は人魚の王族を恨んでいる』と。『復讐だ』と言われたことを告げる。
「姉さん、父上は、何か恨まれるようなことをしたの? ぼく、何も知らなくて……」
「そうね……きっと『魔族狩り』で母上が殺された後、人間に、人魚族だけは襲わないなよう圧力をかけたから、だと思うわ」
 姉はひどく気まずそうにこちらを見た。そうして、手を握ってくれる。強く。
「エト。ここからはあなたにとって、とても辛い話になるわ。それでも聞きたい?」
「……うん。ぼく、ユーリさんのこと、全部知りたいから」
 まっすぐに姉を見て、エトは頷いた。そんなエトに、エネリは項垂れながら、話を始めた。
「『魔族狩り』が始まった後、全ての人魚は王宮に避難するように父上が指示したの。集まってくる間にも沢山殺されたわ……それでも、ばらばらに殺されるよりはきっとましだった。でもエト、あなたとあなたの主治医だけは例外だったでしょう。深海に居なければいけなかったから」
 エトの手を握った姉の手が、更に強くなる。そうして、その目が辛そうに、伏せられた。
「人間があなたのことを知ったのは、『魔族狩り』に遭った人魚を拷問して、離れて暮らしている王族が居ることを掴んだから、みたいね。あなたは狙われたわ。それを母上が聞いて……それで、王宮を飛び出してしまったの。そうして……すぐに殺されたわ」
 エトに、まるで岩場に打ち付けられたような衝撃が走る。身体が動かなくて、深海の水に浸されているみたいに、寒い。
「嘘だ……」
 エトにとって、他人のようだった『母』が、初めてかたちを持った。こんなときじゃなくたっていいのに。
「じゃあ、母上は、ぼくの所為で殺されたの……!?」
「あなたのせいじゃない! そうね……母上も迂闊だったのよ。きっと人間は、あなたが狙われている情報を故意に流して、私たちを罠に陥れるために」
「でも……でも……それは」
 寒気が止まらない。だって、姉の言っていることはつまり。
「このことは、あなたが責任を感じるだろうと思って、今まで誰も話さなかったの。でも、本当に。エト、あなたの所為じゃないわ」
 はっきりとそう告げてくるエネリだが、悔しげに唇を噛みしめた。
 エトはもう、相槌も打てない。ただ、自分を責める気持ちだけが生じて、肩を押しつぶす。
「母上を殺されたのを知った父上は、これ以上なくお怒りだったわ。訃報を聞いた瞬間、玉座を離れて人間の議会に乗り込むくらいにはね。そうして……怒りのままに、父上は人魚族を守るための通告を言い渡したわ。それが……他の種族への『狩り』をひどくするなんて、そのときは思わなかったの」
 その言葉を聞き終わったとき、エトは震えだした。凍ってしまいそうだ、心も身体も。
「ぼくの、所為で、……他の種族のみんなが?」
「エト、そうじゃないわ」
「ぼくの所為だろ! だからユーリさんはぼくを……ぼく、を……」
 泣き崩れたエトを、エネリが抱き締めてくれる。
 だが、涙は止まらないし、自責の気持ちもどうにもならなかった。
 今すぐユーリに謝りたい。他の種族たちにも。
 エトが深海で安楽の中療養していたときに、エトのせいで殺された者がたくさんいたのだ。
「ユーリさん……ユーリさんに、謝らなきゃ」
 それだけ、脳裏に浮かんだ。
 きっとユーリはこのことを知っていたから、エトに復讐をしたのだ。
 だったら謝りたい。許してくれると思わない。だが、せめて謝罪だけは。
 エトは水鏡の前に行き、魔法でユーリの姿を映す。
 すると、ユーリが大勢の人間に囲まれて、引き攣った顔をしているところだった。見たこともない、ぎこちなさ。そして、何処か必死に見えた。
「ユーリ、さん?」
 見ていたら、数人の人間が、売り物の花を水路に投げ入れ始めた。
(何が起きてるんだ!?)
 今、呼びかけて声が届く魔法を使っては、不審に思われるだろう。
 だからエトは、すぐに人間に変身して、ユーリのもとへ飛んだ。

*

 あの人魚に復讐を遂げたのに、何となく晴れない気分だ。
 しかし、仕事がある。いつも通りに祖父に運んでもらった花を準備をして、開店した。
「いらっしゃいませ!」
 笑顔でそう呼び込みをして、いつものように売れる。
 だが、一時間ほどしたときだった。客足が変化したのは。
 声を掛けようとした馴染みの客が、隣の店に行く。最初に違和感を持ったのはそこだった。
 そして次に、並びに店を構える知り合いの店員の男がやって来た。
「ユーリさん、もしかしてさ、隠してること、ない?」
 作ったような笑顔で、そう訊いてきた。
 ぴりぴりとした空気を感じる。悪意、疑念、そんなものを隠している気配がした。だからユーリは、とびっきりの笑顔で返した。
「特に思い当たりませんけれど」
 しらばっくれたのに、相手が苛立ったのが分かる。すると。
「ユーリさんがさ、獣人だって噂、聞いたんだけど」
 まさか。
 咄嗟にエトのすがたが浮かんだ。
(あの人魚──俺のことを告げたな……!)
 このタイミングで急に噂が広がるなんて、あの人魚に正体を知られたからとしか考えられない。まずいと思う。だが、確証がないからこの男は尋ねているのだろう。だから。
「そんなことはないですよ。僕はれっきとした人間です」
 そう笑顔で突き放した。
「そうか。噂は所詮噂か。邪魔してすまなかったな」
 男がすぐに引き下がったので、そのときは、すぐに大事おおごとになるだなんて考えなかった。今日だけは祖父母の花を売って、明日からしばらく姿を消すしかないと、そう思っていたのに。
 午後になって、浮花市の市場長がやってきた。背後に市場の店主たちを連れて。想定外の自体に、ユーリの背中に冷や汗が伝う。だがそれを悟られる訳にはいかない。
「おや、市場長さん、どうかなさいましたか」
「いえね。ユーリさんが獣人、しかも兎の獣人族だという噂が広がっていましてね」
 勿体振る男に苛々する。それに、『兎』が特に取り沙汰されたのは不愉快にもほどがある。
 言いたいことは分かっている。『兎の獣人』は性欲が強い。そのため、謂れもなく性犯罪者のような目で見られるのだ。こちらにも、性交をする者を選ぶ権利くらいあるのに。
「……そんな事実はありません。何か証拠でもあるのですか」
「そうですね……昨日の晩は満月でしたか。ユーリさんは何処で何をなさってましたか?」
「家で寛いでいましたよ」
 何でもないように首を傾げると、男が仔細ありげに笑った。
「満月の日に、決まって店を早じまいする理由は?」
「それは……」
 長年言い訳を考え続けているが、今でもそれらしい回答を思い付かない箇所を突かれた。獣人は皆これに苦慮するのだ。
 答えられずにいたのを良いことに、市場長はにたにたと笑みを湛えて、そうして突きつけてきた。
「こういう疑惑がある以上、人間だという証明ができるまで、店を閉めてくれないでしょうか」
「……今日だけはいいでしょう。売り物がありますし。祖父母が作った大事な花なんです」
「許されません。すぐに店を閉めなさい」
 市場長の言葉を合図に、背後に控えていた店主たちが、店の花を水路へと投げた。怒りが突沸する。ユーリは投げた人間を引っ掴んで、「やめろ」と叫んだ。すると。
「こんなに野蛮なのは、獣人に違いありませんな。ここから出て行きなさい」
「そうだ! 乱暴な獣人は山へ帰れ!」
「兎なんて、生殖欲の塊だろ? いつ誰が強姦されるかわかったもんじゃない」
 口々にそう言われる。
 悪意。悪意。悪意。
 流れ込んでくるそれに窒息しそうになる。
 その中には、
「ユーリが何をしたってんだ。何もしてないのに一方的に追い出すなんて、野蛮なのはどっちだよ」
 と大声を張ってくれる者もいた。だが、ほとんどの者はユーリに敵意を向けている。頭がぐらぐらとしてくる。しかし、そこに。
「そのひとは獣人じゃありません!」
 少年のハイトーンな声が、騒ぎを引き裂くように響いた。
「昨日の夜、ぼくはそのひとと一緒に居ました。僕が証人になります。そのひとから手を離してください」
 人垣を掻き分ける、声の方を見れば。
「エト君……」
 どうしてここに彼が居るのだろう。
 彼がこの騒ぎの出元だと思ったのに、当のその顔が、怒りに満ちている。
 あの純粋な少年が自分を偽れる訳はない。
(エトが噂を流したんじゃないのか……?)
 エトの登場でその場はざわざわと意見が二分される。「何処の誰かも分からない子供の意見を聞くのか」という声。「証人がいるのに疑う訳にはいかないだろう」という声。騒然として、誰もが誰もを疑っている。
 その騒ぎを収めようとしたのだろう、更に声を張り上げようと口を開いたエトに、殴りかかった者がいた。
「……ミレ!」
「何でてめえがここにいるんだよ、人魚! てめえが全部悪いんだろ!」
 ミレに顔を、腹を殴られて身体を縮こめているエトに、ユーリは混乱する。
 周りの人間は「人魚?」「人魚だと!?」と大騒ぎだ。
 何が起きている、そう思った時に。──ふと気が付いた。
 道路に倒れ伏したエトを踏み、ミレが目の前にやって来る。
「ユーリ、俺と逃げようよ。もうこんな場所嫌になっただろ。俺と他の国に行って花屋やろうよ」
「……お前か、ミレ。噂を流したのは」
 エト以外にユーリの正体を勘付いている者。ミレしか考えられない。
「違う! あの人魚が……」
 もう彼の言葉に耳は貸さない。それに、ユーリの心は決まった。
 大騒ぎの中、ミレや人間たちを押しのけて、エトの側に寄る。
「ユーリ、さん……ごめんなさい、ぼくの所為で」
 痣のできてしまいそうな腫れた顔だ。ユーリはひどく悲しくなった。
 何か言いかけた少年を腕に抱き上げて、走り出した。当てなんかないけれど、遠くへ。
 別に、エトを好きになった訳じゃない。
 でも、恩を受けたまま返さないのでは、兎の獣人の王子の名が廃る。
 自分の名誉を守るための行動だとユーリは自分に言い聞かせて、走り、走り、走った。
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