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 兎のユーリは、人魚の王国でも飄々と生活している。
 だが、すがたはもふもふの耳垂れ兎なので、エトから見たら、可愛く見えてしょうがない。
 エトは、地上の動物にふれたことなど勿論ない。だが今、好きな相手がもふもふ、ぴょこぴょことエトの周りをついて回ってくれるので、可愛いやら愛おしいやらで、エトはついきゅんとしてしまう。
(ユーリさん……ああもう、大好き!)
 腕に抱くと「肌が冷たいです」と逃げてしまうので、ぎゅっとしたい衝動をどうにかするので大変だった。
 王宮には、観光のできそうな所もある。エトはユーリを連れて、そこかしこを案内した。
 とはいえ最近まで療養所に居たエトも、王宮にはそれほど慣れていない。だから、ふたりで探り探りだった。
 まず宝物庫。
 ここには、王家が始まって以来の名品がずらりと並んでいる。人魚王は、どの地域の海の王であっても、赤珊瑚の冠をしている。それは先祖代々伝わっていて、戴冠式のときに配偶者がかぶせてくれるのだそうだ。
 そんな話をユーリにしたら。
「エト君……君、その話を知っていたから、花冠をあげた僕を好きになったのではないですか」
 何だか冷めた目で見られている気がする。兎なのに。
「そんなことない……とは言い切れませんけど」
「こんな素晴らしい工芸品と、僕の作った花冠では、比べ物になりませんよ」
 ユーリの声が淡々とするのに、何故だか彼は拗ねているのではないかと思った。だが、指摘すると更に機嫌を損ねそうなので、黙っておく。
「ぼくは……ユーリさんの花冠の方がいいです」
 エトの腕に抱かれ、魔法の仕切りの外、珊瑚の冠を見ていたユーリがちらりと振り向いた。
「君は、本当に無欲ですねえ」
「そうですか? ぼく、欲張りだと思うけどな」
 実際、好きな相手を王宮まで連れてきてしまった。これが強欲でないなら、何なのだろう。
「見解の相違ですね」
「うーん、僕には分からないです」
 次に、魔術具の収められた、収蔵庫。
 身に着ける装飾具が多いが、魔力増幅用の、秘伝の海水晶の結晶もある。これは人魚の王国でも最高級の国宝だ。
「きれいでしょう、ユーリさん」
 喜んでくれると思って、エトはユーリに見せたのだが。ユーリはまたもや冷めたような顔をしている、と思う。
「こんなもの、僕に見せていいのですか。持ち逃げするかもしれませんよ」
「ユーリさんが? 何のためにです」
 魔力を持たない獣人が使えるものではないのに、と考えるが、ユーリはあからさまに嘆息して見せた。
「……君、僕に対してもう少し警戒してください。君と僕は種族も違う他人ですよ」
「でも、友達なんですよね?」
 そう言うと、兎のすがたなのに憮然としているのが分かる顔をする。本物の兎も、これほど表情豊かなのだろうか。

 ユーリがきてからというもの、食事は部屋に運んで貰って、ふたりで摂っている。
 だが数日経って、父王から『家族の集まりには顔を出せ』とお達しがあった。
 エトは、ユーリに声を掛けるべきか悩んだ。
 一人で食べる食事が味気ないのは、エトが一番知っている。だから家族のところへ連れて行きたい思いもある。ユーリを紹介したい思いもあった。
 だが、ユーリが父王を恨んでいるのは痛いくらいに知っている。家族と好きな人が対立するのは見たくないし、ユーリに我慢させるのもしたくない。
 もう本人に委ねようと、
「ユーリさんも来ますか?」
 恐る恐る尋ねると、長い沈黙の後にユーリが静かに言った。
「僕は行きません」
 予想した答えだった。『人魚王を恨んでいる』と明言している彼が、父と食事をするなど、考えられない。
 ユーリは、多分苦笑しているのだろうという顔つきをした。
「きっと、僕が行くとご家族の楽しい食事を邪魔してしまいますから。それに、まだ……憎い相手と対面して、自分を制御できる自信がありません」
「……分かりました。行ってきます。ちょっと寂しいけど」
 そうして、初めて家族勢揃いでの、食事が始まった。
 その初っ端。父王が、厳粛な声を出した。
「エト、獣人の男を連れ込んでいるそうだな」
 先制攻撃が来た、と思った。父は明らかに怒っている。
「お前にふしだらな行為を強いたと聞いている。何故そんな男を王宮に入れる」
 厳とした態度を崩さない父に、付け入る隙はなさそうだ。エトは沈黙した。すると、エネリが口を開き、
「父上! そんな言い方は……」
「黙っていろ、エネリ」
 ぴしゃりと。強い波に打たれたように、エネリを制した父が、怖い。だがエトは、自分の考えを主張しなければいけない。ユーリと共に過ごしたいし、行く場所のない彼を見過ごせない。
「父上、ぼくは、好きな相手と一緒にいたいだけです。ユーリさんは嘘を吐いてぼくを騙していたけど、本当はとても繊細で、誠実で、いい人です」
「誠実な男が何故お前を騙す。そんな相手は信用に足らない」
 もっともな意見だとは思う。それに『それは父上に恨みを持っているからだ』と、言うに言えない。
「父上には分からないだけです! 僕は、絶対ユーリさんの側を離れませんから!」
 そう宣言すると、父王の一睨みがエトを刺した。だが、歯を食いしばって強い顔をする。
「話にならん。頭を冷やしてからまた来い」
 気まずい雰囲気のまま、食事は終わった。
(父上の分からず屋!)
 そう怒りが込み上げてくるが、父がエトを心配しているのも、理解できる。
 複雑な気持ちのまま部屋に戻ると、兎のユーリがぼうっと牧草を食んでいた。いつもよりずっと、食べるスピードが遅いのだ。
「ユーリさん、ただいま。ぼくが居なくて寂しかったですか」
「冗談が上手くなりましたね、エト君」

*

 海中生活は思ったより快適だ。それもこれも、エトの魔法のお陰なのだが。
 ユーリは、なんだかなあ、という気持ちで過ごしている。
 それというのも、エトが以前と変わらず、心も身体も隙だらけだからだ。不用心とすら言ってもいい。
 ユーリが彼にしたことを考えれば、少しくらい警戒したっていいはずなのに、全く態度を変えない。
 少し違うのは、兎のユーリを頻繁に抱き締めたがることだけ。
(愛玩動物だと思われていないか?)
 それで彼の気が済むなら別に構わないのだが。
 快適である一方で、手の先が時々むずむずした。
 花に触れられないのは、ほんの少しだけ、ユーリを落ち着かなくさせる。
 子供の頃は毎日花畑で遊んでおり、『魔族狩り』の後にも、引き取られた祖父母の畑ではいつも花が咲いていた。
 独り立ちしてからは『浮花市』という場所でユーリは花屋を営むことができた。
 そういう人生を送ってきたのに、今は花の咲かない場所にいるので、落ち着かないのだ。祖父母の花畑に行きたい。
 だが、そう頻繁に祖父母の様子を見に行くのを、エトに頼めない。
 空間魔法は膨大な魔力を使うようで、往復するとほとんど体力を使いきってしまうらしい。
 それに加えて「エトは本当は身体が弱いのだ」と、例の気の強い彼の姉から聞いた。そんな少年に、自分の我が儘を押し付けるなんてとてもできやしない。
 だが、エトはユーリの気持ちを悟ったようで、
「片道分ならきょうだいに頼めますから、いつでもおじいさんたちのところへ行けますよ」
 そう張り切って言ってくれる。
 そんな優しさにいつまでも縋っている訳にもいかない。それに、人魚の王宮でいつまでも暮らすのも違うと思っている。
 新しく花屋のできる場所を探す必要がある。
 だが、ユーリには何の当てもない。この国で別の場所に花屋を構えたところで、何度も同じ轍を踏むのは目に見えていた。
 そんなときだった。
 エトの亡くなった母の実家だという南の海の王家から、使者が来たのは。エトがしんみりとした顔で、教えてくれた。
「今日は母の命日なんです」
 この日には必ず、亡き王妃の妹だという、カヤという人魚が来るようだ。
「エト! 王宮に来られるようになったのね。叔母さん嬉しいわ!」
 エトの叔母君のカヤは、彼女の姉に似たエトをいっとう可愛がっているらしい。エトが深海に居た頃にもわざわざ訪れていたようだ。
 だから、エトが可愛がっている兎のすがたを見て、
「あらあ、エト、ペットを飼ったのね」
 そう微笑んだし、詳細な事情を知ってからは、
「こんな男は海氷の下に沈めるに限る」
 凍り付きそうな無慈悲な顔で言った。
 でも、エトが「それならぼくも一緒に海氷に」と洒落にならないことを言ったので、彼女は大仰に頭を抱えて見せた。
「エト、このしょうもない獣人と何処で出会ったの」
「浮花市で。ユーリさんが、ぼくに花冠をかぶせてくれたんだ」
 エトがうっとりとした顔で言うと、カヤは慈愛の表情を見せた。
「まあ、ロマンチックねえ。私達の王国の近くの国にも、浮花市があるわ。そろそろ夏祭りで、花火も上がるから、エト、遊びにいらっしゃい」
 そうエトを招き、ぽん、と王国の別荘だという一軒家をまるごと貸してくれた。王家というのはやることなすこと桁が違う。
「ユーリさん、行きましょう」
「あの……南国って、あの南国ですよね? 遠いですよね? 暑いだろうし……そんな簡単に行くものなのですか」
 ハルレヒトの民は、ハルレヒトの中だけで生き、ハルレヒトの大地で死ぬ者が大半だ。
 だから、ユーリは戸惑い渋って見せたのだが、エトはのほほんとしている。
「大丈夫です! 叔母上の魔法、ぼくより強いですから!」
「そういう問題ではなくてですね」
 何も分かっていないエトと、いやに陽気に「さあ帰るぞ、私の海へ!」と意気揚々としている叔母君に、ユーリは勝てなかった。

 念のため、大事な荷物をエトに持ってもらったところで、エトの叔母が空間魔法でふたりを連れて行ってくれた。
「わぁ……! すごい、きれいだ!」
 感動しているエトの腕の中、ユーリはおののきそうになった。
 体毛に包まれた獣のすがただと、じりじりと焼かれているように暑い。
 見たこともない植物や花が美しい。
 薄いブルーの海が何処までも広がっており、目が釘付けになるほどだ。絵になるとは、こういう景色のことを言うのだろう。
 呆気にとられたユーリに、これまで徹底してエトだけに話し掛けていたカヤの目が、明確にこちらを見た。
「ユーリとやら。この国では種族差別はなく──完全に平和にとはいかないが、それなりに安全に暮らしていける。どうだ。少しこの国を見てみては」
 エトには猫撫で声を出すのに、ユーリには完全に見下して接するエトの叔母だが、その言葉自体はありがたい。
「本当に獣人差別はないのですか」
「ない。ほれ、元の姿に戻ってみろ」
 そうして南国用の派手な服まで魔法で出してくれるので、ユーリは木陰で獣人すがたに戻り、服を着て二人の前に出た。
「なるほど、エトが惚れるのも分かる。美形じゃな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「うむ。それ、周りを見てみろ。使用人も誰もお前を気にしておらぬだろう」
 言われて周りを見てみると、元は人魚なのであろう者が沢山いたが、誰もユーリに敵意を向けない。ただ、王族のカヤに敬意を払っているだけだ。
 ユーリは。
 別世界に来たような気持ちになった。
「……こんなのは初めてです。いつも人目を気にしていましたから」
「ここはこういう場所だ。海で泳ぐでも街を見るでも、なんでも好きにするがよい」
 そうして海へ帰っていった彼女をふたりで見送った。すがたが見えなくなった途端、エトがうきうきとした顔をして。
「ユーリさん、泳ぎましょ! こんなきれいな色の海、ぼく初めてです!」
 エトが大はしゃぎしているので、ユーリは人間の姿になる。獣人のままでは、水は不愉快なのだ。
 そうしてふたり、海に入った。
 温かい海水に、白い砂。
 そして、燦々と降り注ぐ太陽の光。
 その下で、浮かれながら泳ぐエトが、何故だか眩しい。日光のせいではない。エト自体が、輝いているように見えるのだ。
(こんなに可愛い笑顔だっただろうか、あの子は)
 見間違いであって欲しいのに、何度見ても可愛くて、困る。
 人魚ならではの泳ぎっぷりを見せ、遠くまで行ったエトが、大きく腕を振ってくる。
「ユーリさんもこっちに来てください!」
「僕は泳げませんよ。そんなところまで行けません」
 するとエトが戻ってきて、両手を握ってきた。
「こっちです! 本物の珊瑚があるので、見てください!」
 そうして、ユーリを深い海の方へと連れて行った。
 そこは、魚と珊瑚の楽園だった。
 舞い踊る華やかな色の魚に、赤や緑の珊瑚。ユーリは息を呑む。
(きれいだ)
 ユーリの心もはずんでくる。
 真っ青で雲一つ無い空と、天国で作られた絵の具を溶かしたような海。
 そこに、エトとふたりきり。
 陸から離れているので、波の音と、エトの喜ぶ声しかしない。
「ユーリさん、見ました!? ちっちゃい魚、可愛いですね!」
「ええ、とても可愛らしいです」
 すると満足げにエトがこちらに微笑むから。ここにずっと、居たいような気持ちになる。
 ずっと、この笑顔を、見ていたいような。
(馬鹿な、ことを)
 している気がするのに。
 繋がれた手を離し、手首を取る。
「ユーリ、さん?」
 そうして、頭で警鐘が鳴るのに、驚いた顔をしているエトの唇に、自分のそれで触れようとして。
「私の海で何をいちゃいちゃしておる! 陸でやらぬか! 陸で!」
 聞き覚えのある偉そうな声が割って入ったので、びっくりしてエトの手を離した。
 そのせいで、溺れかけた。

 街を歩くと、様々な種族が笑い合っていて、ユーリはある意味愕然とした。
 獣人、しかもワニ科の頭をした料理屋に、人間の子供が笑顔で並んでいる。
 澄まし顔のエルフが占い屋をしているし、『ドワーフの力作!』と書かれた包丁が高値で売られていた。
 まるで、ハルレヒトが悪夢であったようだ。
 ユーリは、何故だか泣きたくなった。
 もしここで生まれていたなら、ユーリは両親も妹も亡くすことがなかったのだ。きっと、幸せに生きられたのだと思う。
(だけれど、エト君にも会えないのか)
 あの水路で、ただ一人ユーリがエトを見つけたから。
 彼に花冠をあげたから。
 今、ユーリはここに居られる。
 エトと手を繋ぎたいと思うのが、何故だか今のユーリには自然だった。
 彼の手を引き、街を散策する。
 南の国の街は変わっている。
 日除けの布と棒だけでできた簡易な店が、どこまでも並んでいて、文化が繁栄しているのか、それとも昔ながらなのかが分からない。
 だが、そこに生きる者たちは、皆、楽しそうだ。
 そんな世界があるなんて、ユーリには夢でもみているかのようだ。
「ユーリさん、これも美味しいです! 野菜ですからユーリさんも食べられますよ」
 叔母に貰ったらしいお小遣いで、エトがどの店も興味深そうに見るので、一文無しのユーリは奢られっぱなしだった。いつか返してやりたいと思うが、目下無職なので、どうしようもない。
「浮花市、ないですねえ」
 エトが首を傾げた。
 街のかなり奥まで来たのに、市場どころか水場がない。日ももう暮れかけているというのに。
 住人に話しかけて尋ねてみると、「海の上だよ」ということだった。
「盲点でしたね」
「ええ。僕たち意外と阿呆ですね」
 来た道を戻る途中で、水平線に沈む太陽を見た。
 何て雄大で、懐の深い場所だろうか、ここは。
「きれいなところですね。ハルレヒトもぼくは嫌いじゃないですけれど、ここはまた違った感じがして、好きだなあ」
 そう言ってこちらを見上げてくるエトに、ふと頭を過った言葉があった。
(それなら、俺と、ここに居てくれ)
 そんな風に思う根拠も分からないのに。
 恋ではないはずだった。
 それなのに今。
 隙だらけで笑うこの子を、手に入れたくて仕方が無い。
 他の誰にも攫われないように。
 ずっとこの子の優しく温かい手に触れて、穏やかに笑って生きて行けたら。そう思う。
(いや、そんなのは、もう無理かもしれない)
 隣に居るだけで、胸が焼かれるようだから。

 この国の浮花市は、とても長い桟橋の両脇に、木の建物が設えられているものだった。
 ハルレヒトのように舟ではなく、海上の建築物らしい。
 遠目に見ても『これ』と分かるのに、見落としていたのが不思議だ。
 砂浜を歩いて、桟橋の端っこに辿り着く。すると、日焼けをした男から赤い花の花冠を貰った。
「今日は祭だからね! 全員花冠でお祝いだ!」
 エトは自分でかぶろうとしたが、ユーリがそれを止めた。
 無意識だった。
 だが、エトに花冠を飾るのは、自分でありたいと思ったのに気付いて、とんでもなく気まずくなった。
「ユーリさん?」
「……おでこが可愛いので出しておきなさい」
「ふふっ、何ですかそれ」
 五十以上もある店は、南国の夏の花で溢れていて、見応えがあった。赤や桃色の花が多い。それに、花弁に見えるものが実際には葉であるような植物も多かった。ハルレヒトにはそういったものはほとんどない。
「ハルレヒトの花と全然違いますね」
「ええ。……ここで祖父の花を売れば、珍しがられるかもしれません」
 単なる思いつきだった。だがそれは、案外いい考えであるような気がする。
 そして何より、ユーリは、ここに居たいと思ってしまっている。故郷に祖父母がいるのに。
 それでも、自由になりたかった。
「それ、素敵ですね! それなら今度こそ、僕がお手伝いしますよ。ぼく、花束作りしてみたいし、やっぱりユーリさんは花屋さんをしているのが似合います」
 何でもないことのように笑うから。ユーリは、自分が分からなくなってしまう。
 何故。
 こんな純粋な子に、あんな手酷いことができたのだろう。
「本当に、手伝ってくださるんですか? ここは、君のご家族もいない、遠い地ですよ。それに……君は忘れてしまったのですか。僕が君を傷付けたことを」
 ユーリは自分を許せない。
 シーツを汚したエトの血の色を、まだ覚えている。
 こんな本性を持つ男が、エトを引き留めてはいけないと思うのに。
「そんなの、もう忘れちゃいました。ユーリさんが、ぼくを必要としてくれるなら、ぼくは世界中何処にだって行きます」
 見上げてくる瞳が、真摯で。
 どうしてこの子は、こんなに、真っ直ぐで眩しいのだろう。
 ひとりぼっちだったユーリの心に、いつの間にかすぅっと入り込んで、温かい光を放っている。
 この子が。
 エトという存在が。
「エトく──」
 ドン、と背後で大きな音がした。
 花火の上がる音だ。この音は、ハルレヒトと変わらない。
 きっと今、夜空を見上げれば、光に目を奪われるだろう。
 だが、ユーリは、見なかった。
 もっと眩しいものがここにあるから。
「エト君」
 花火に目を取られていた彼は、呼ぶとすぐにユーリを見てくれる。
 それが──愛おしくて。
 彼の頭に冠をかぶせた。
 黒髪に赤が映える。
「ユーリさん、これ……」
 いつかと同じ。だが、ユーリの心はまるで違う。
「君に、差し上げます」
「……ありがとうございます」
 花冠に喜ぶ彼が、可愛くて。もう自分を抑えられない。
 欲しくて、たまらない。
「エト君」
 名前を声にするのが、切ないなんて、知らなかった。
 故郷の海を宿した、彼の目の色が、きれいで。
 あの国を捨てる代わりに、側に居て欲しくて。
「知っていますか。エト君。兎は、縄張り意識が強いんです」
 ユーリの言わんとしていることが、分からないというように、エトが首を傾げる。そのささやかな動作。彼の機微。どれも、好きで。
「そうなんですか?」
「ええ。だから、僕の縄張りに入ってきた君を──永遠に逃がさない」
 また上がった花火の下、キスをした。
 エトに花火を見せてやりたいけれど、そんな余裕はない。
 一刻も早く、彼を手に入れたくて。そして本当は自分だけを見て欲しくて。
 口付けを重ねて、とろとろに溶けた表情を彼がするまで。
「……僕の、伴侶になってくれませんか」
 ふにゃりと、しあわせそうに笑ったエトが、世界で一番可愛かった。
「喜んで」
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