【完結】運命じゃない香りの、恋

麻田夏与/Kayo Asada

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 長い金髪と緑の目はあの王子に似ていて身震いしそうになったが、その視線がまるで子供のように純粋なので、思わずそのまま見返してしまう。青の長衣に黄金の刺繍が入っている、この人物は。

(この肌の色……服……グラースの民か。いや、このひと──マシレ・グラースだ)

 グラースの民は、この国の南側の国境付近にある『香水の街』サバランを寝床とする異民族だ。南の大国カチャから百年前に移住しサバランの街の基礎を作った、褐色の肌の民。
 異民族は排斥されることの多いこの国で、グラースの民が一定の地位を保っているのは、南方や東方の貿易路を彼らが握っていることによる。特に重宝されているのは彼らの持ち込んだ植物だ。他にはないスパイスや、彼らの代名詞たる香水を作り、この国に利益をもたらした。
 その中で、当代最も有名な男が彼だ。

「何だお前は。当家は今取り込み中だ。早急に去れ」
「何だ、とは。この私を知らぬのか。頭の中まで筋肉でできているようだな」
「何だと」

 マシレに突っかかっていった傭兵の足が、彼の目前で縺れる。まるで手足を縛られたかのように。倒れた傭兵に「おい、どうした」と近寄ったもう一人も同じように地面に落ちる。リュカが目を瞠ると、マシレは薄く微笑んだ。

「そなたも私を知らぬか? そこの清香を纏う者よ」
「僕、でしょうか……マシレ・グラース様。五年前の魔術大会で優勝なさった」
「大会? あのようなもの、私にとっては容易いこと。それより、私の築いた『香りの魔術』は知らぬのか」
「いいえ、聞き及んでおりますが……」

 彼は、『イェナン王国一番の魔術師』と称されている。民族秘伝の南方の魔術と、この国に根付く魔術の両方を巧みに扱うと聞く。十年に一度の国王主催の魔術大会で、マシレは弱冠十八にして優勝している。優勝者のお目見えのとき、リュカも好奇心が湧いて見に行ったから、姿を知っているのだ。
 その名を更に高めたのは『香りの魔術』という新たな魔法体系を自ら興すということを、今のリュカと同じ年齢の十九にして成し遂げたからだった。
 香水の街の、香りの魔術師。

(……どうしてあの有名人がここに)

 サバランに引きこもり、王都には滅多に現れないと聞いたことがある。それなのに、何故この男は、リュカをしげしげと眺めているのだろう。

「たまには王都も良いものだな。依頼人の納品に来た甲斐があった」

 そうしてマシレは晴れ晴れとした笑顔を見せる。そのとき、彼が類い希なる美男であることに、リュカは気が付いた。垂れ気味の目に通った鼻筋、薄い唇が見事なバランスで調和している。流石はアルファ、神は二物を与えるのだと思う。見蕩れていると、また春の陽気の香りがした。

「そなた、何処の香水を纏っておるのだ。嗅いだことがない。この私の知らぬ香水が、まだこの国にあったとはな」

 緑の瞳がきらきら輝くが、彼の言っていることはリュカの身に覚えのないことだった。

「僕、香水なんて付けておりません。それにすみません、僕急いでいて」
「香水ではないと? それでは、そなたの体臭か、これは。なんとも芳しい」

 長身が屈むと何だか迫力がある。マシレはリュカの言葉の後ろ半分は聞こえなかったようで、すんすんと鼻をこちらに近づけてくる。この自己中心的なところは、まさに力のあるアルファの証であるように見えた。
 そこに、野太い叫び声が聞こえた。

「居たぞ! リュカ・レバノンだ!」

 声のした方向を見ると、王宮の衛兵だった。身が竦む。リュカはマシレを押し退けようとするが、逆に腕を掴まれてしまった。

「リュカ・レバノン? 今一番有名なオメガではないか。とするとこれは、オメガのフェロモン。ヒート時期以外にも放出されているのだな、興味深い。人間の体臭など調香の対象外だと思っていたが……計算外だった」

 やけに早口で言ったマシレは、もはや睨みつけるかのようにこちらを観察している。フェロモンがずっと出ているなどと、言われたことはない。この男、香りの魔術師の二つ名は伊達ではないようだ。

「マシレ様、お離しください! 衛兵に捕まってしまう」
「衛兵? ああ、あの者たちか」

 立ち上がったマシレは、悠々と衛兵二人を向いて、リュカをそっと背中に隠した。

「退け、グラースの民! その者は第一王子殿下の所有物だ」
「所有物? この国に奴隷制度はなかったはずだが? グラースの民はそこが気に入りこの国に住んでいるのに」

 背中がまるで、衛兵を嘲笑しているように見える。青の衣が風になびいているだけなのに。

「戯れ言を。住人は全て王家の所有物よ」
「ほう。私は今とても機嫌が良いというのに、それを乱すとは不愉快な奴め。今すぐ立ち去れば許してやる」
「ほざけ!」

 剣をこちらに向け、突撃してきた衛兵たちに、彼が手を向けた瞬間。
 衛兵二人が、いつの間にか集まっていた人垣の向こうに、吹き飛ばされた。甲冑も何の役にも立たない。まるで羽のように飛んでいった。あまりのことに、リュカが目をぱちくりとさせていると、マシレが振り向いた。どきりとする。

「第一王子に無体を働かれたとか。王宮から逃げておるのだな?」
「は、はい! 逃げられる場所を探しています」
「よろしい。今はそなたの身柄を私が守ろう。共に来てくれるな?」

 不敵なその問いに、何故だか疑いも持たず、頷いてしまった。
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