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腐れ大学生の異文化交流編

第18話 彼女の名前は

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 私と少女は階段を降り、居住している2階フロアの談話室までやってきた。

 ここは主に入居者が麻雀大会を開催する時に使用されていた部屋で、それなりに広く、床も畳張りなので応接間として使用するにはもってこいである。

 畳は長年取り替えられていないからすっかり日焼けしていて景観を損ねるものの、全面コンクリート仕立ての部屋に比べれば、いくらかマシだ。

 私は、部屋の隅に重ねて置いてあった座布団の山から二枚取り出し、机の前に配置した。

「どうぞ。ここに、座って、ください」

 と、手で指し示したところ、彼女は「正気か?」とでも言いたげな目線をよこした。

 何が不満だというんだ。

「……ki nei」

 まだ習得していない単語をぼそりと口にする彼女を見て、どうやら文化的なすれ違いがあるのだと気がついた。

 私は、ヒントを得ようと彼女の服装を見る。

 昨日と同じく、袖と裾口の広い服だ。トップとボトムの境目はなく、ドレスのように一体化しているものらしい。

 胡座を掻くには、不便そうだ。

「ああ、椅子のほうがいいのか」

 私はそこでなんとなく察しがついたので、談話室の眼の前の部屋に入り、備品のキャスター付きデスクチェアを取り出した。

「わ! 未だ私無いmame ki nei!」

 畳が傷むなど知ったことかの精神で椅子を差し出すと、彼女は目を輝かせ、すっかり上機嫌になった。

 態度に裏表がないのは、コミュニケーションが取りやすくて助かる。

「座って、ください」

「Jak Zui!」

 彼女は椅子に飛び乗り、回転するらしいと分かるや否や、お行儀悪くぐるぐると回った。

 たまに思案に暮れる時は、私もそうやって遠心力を感じようとするから、その気持ちはよくわかる。

「少し、待っていて、ください」

 キャッキャと笑い声を上げてはしゃぐ彼女を談話室に残し、私は自室へと戻る。

 せっかくの客人なのだから、おもてなしの一つや二つくらい見せなくては、日本人としての心がすたる。

 私は、彼女に何を提供しようかと考えた。

 こういう時、現世なら、ライオンコーヒーを飲ませておけば珍しいバニラの風味に喜んでくれるものだが、しかし、ここは異世界だ。

 常識のフィルターを、一度、取っ払って考えよう。

 いくらいい匂いがするからといって、湯気の立つ真っ黒い液体を提供して、素直に飲んでくれるものだろうか。

 客人に泥水を振る舞う、失礼千万なヤツだと思われやしないか。

「無難に豆乳にしておこう」

 さすがに一歩進んで二歩下がる状況だけは避けるべきだと私は思い、珈琲ではなく、温めた豆乳を振る舞うことにした。

 紅茶などがあれば迷わずそれを選んだのだが、私はあいにく英国式ティータイムの習慣がない。

 冷蔵庫内の半分残った豆乳をカップに注ぎ、レンジで温めた。

 お茶請けは何が良いだろうと思ったが、普段菓子を摂取しない私にはストックがない。

 仕方ないので、好物のレーズンを差し出すことにした。カカオ多めのチョコレートも考えたが、やはり、初見で振る舞うにはハードルが高い。

 私なりに考えたおもてなしセットを携え、談話室に戻ると、角帽の少女は椅子の上でグロッキーになっていた。

「Ji Ji……」

 どうやら、回転しすぎて三半規管がやられたらしい。

 薄々思っていたのだが、彼女は結構な阿呆だ。

「私は、あなたを、待たせました」

 深呼吸を繰り返す彼女の前に、ホットの豆乳と小皿に乗っけたレーズンを差し出した。

「何? yam nyuh?」

 よくわからないが、私は手のひらを彼女に向けた。

 ちなみに、このハンドサインは異世界において「肯定」を示すジェスチャーである。異世界語を頭に叩き込んでいる最中、単語帳の合間に設けられたコラムから得た知識だ。

「これは、豆からの、飲み物です」

 私の貧弱な語彙力では、この表現が精一杯だ。

 彼女は湯気の立ち上る豆乳を眺めていた。口をつけようとはしていない。

 毒が入っているのでは、と警戒しているなんてことはないだろう。

 彼女はドラゴンを素手で打ちのめすほどの強者であるし、そもそも警戒しているならば、こんな怪しい建物に単身で乗り込むなんて無茶な真似はしないはずだ。

 この世界の礼儀作法がそうさせているのか、あるいは、単に美味そうに見えないから躊躇しているのか。

「私は、あなたに、それを飲んでほしいと、思っています」

 言って、まずは私が一口含んだ。

 うむ。調製豆乳だから、ほどよく甘くて、ほどよく美味い。

 私が飲むのを見てから、彼女もカップを手に取り、飲んだ。

「……Zhōng Gōng」

 激烈な拒否反応こそ示さなかったものの、彼女の目はぴくつき、あまりお気に召さなかったらしいということが伝わった。

 日本人でも豆乳は好みの分かれる飲み物であるから、その反応も致し方ないと言える。

「これは、果物です。これは、乾いています」

 次に薦めたレーズンはそこそこ良い反応を得られた。といっても、「まぁうまい」くらいのものである。

 少しは冒険して珈琲やチョコレートを差し出しておけば、もっと好感度が上がったかもしれない。

 もしかすると「なんて美味しいんだ!」と狂喜乱舞してくれるかもしれないと期待していた部分もあったが、流石にそれは高望みが過ぎたようだ。

 まぁ、現実なんて、こんなもんだろう。

 イマイチ盛り上がりに欠けたおもてなしを終えた私は、ようやく、本題に入ることにした。

 カップをちゃぶ台に置き、手を挙げて、発言の機会を伺う。

「私は、あなたと、話したいです」

 彼女も、レーズンをもぐもぐやりながら、手の平を見せた。

「最初に、あなたの、名前を、私に、教えてください」

 手を伏せて、彼女の発言を待った。

 たっぷり干し葡萄を噛み、飲み下してから、彼女は言った。

 ひどくつまらなさそうに言った。

「バイリィ。バイリィ・セイレン・シューホッカ」

 私にはそう聞こえた。
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