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腐れ大学生の物見遊山編
第45話 ビジネスチャンスを逃すまい
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「いや、すいません。お話の途中でしたのに」
そうこうしているうちに、店主が戻ってきた。
客が符を携えて店を出ていくところを見るに、ようやく交渉が終わったらしい。
時間にして、五分くらいか。交渉にしては短いほうだが、一回の会計にしては長いなと思った。
「遅いよ店長!」
何故かぷりぷりしているのはバイリィである。
彼女は娯符を読んでいるポーズだけ取ってはいたものの、それに集中できていないことは明白であった。
「暇をさせてしまいました。申し訳ない」
「あの交渉は、時間がかかったほうなんですか?」
私は尋ねた。
「いいえ、そんなことはありません。普通、それよりも短いくらいですね。あちらが最初に提示した条件が良かったので、細かな取り決めに時間がかかったくらいです」
店主は、客から何かを受け取った風には見えなかった。手ぶらである。
もう一歩、踏み込んだ質問をしてみようかと思った。家賃を稼ぐためにも、この世界の物価レートは知っておかねばなるまい。
「あなたは娯符の対価として、何を受け取ったのですか?」
「ごく普通の対価でしたよ。農家の方でしたので、収穫物の一部を、向こうひと月分ほど、おすそ分けしてもらえるようになりました。おかげで、我が家の食卓に彩りが増すでしょう」
「な、るほど」
私は脳内でそろばんを弾いた。
具体的な取引量までは教えてもらえないが、概算はできる。フェルミ推定の使い所だ。
現世のハードカバー小説を二冊買ったとすれば、多めに見積もって四千円。
対して、ひとつ二百円相当の野菜を、二十日分(この世界のひと月は二十日である)貰うとすれば、こちらもきっかり四千円。
間に貨幣を挟んでいないというのに、現世とあまり物価が変わらないな。
いや、むしろ、娯符作成の手間まで考えると、符の価格が安すぎるくらいだ。
符は、現世の本と違って、手書きなのだ。活版印刷製と同価値で換算するのは間違っている。
「店主さん。これは、正当な取引なんでしょうか? 私は、符の価値が低いように思います」
店主は、興味深そうに私を見た。右目の眼鏡がきらりと光を反射した。
「それは、面白い意見ですね。イナバさんの世界だと、書物の類は高級品だったのですか?」
「いいえ、むしろ逆です。私の世界では、書物は、たくさん作られて、たくさん売られるため、安価でした」
「ほほう」
「しかし、この世界の符は違います。一つ一つが手作りで作られている。一冊の書物が作られる時間を根拠に考えるならば、符はもっと、価値のあるべきものだと思うのです。少なくとも、私の感覚では」
「なるほど、なるほど」
店主はゆっくりと、拍手を打った。ぱちり、ぱちりと。
しかし、それは明らかに称賛のジェスチャーではなかった。店主の目が斜め上を向いている。どうやら、考え込むときのクセみたいなものらしい。
「イナバさんの言いたいことが、なんとなく、わかったような気がします。バイリィ。君は、わかりますか?」
一応彼女も話自体は聞いていたらしいが、両の手の甲を見せてノーを示した。
「ぜんぜんわかんない。難しい話をしてるってことだけ、わかった」
その返答は予期していたのか、店主はふふと微笑み返す。
「イナバさんの言いたいことは、恐らく、時間と価値の釣り合いについて、ということなのでしょう。貴方は、時間をかけて作られたものは、それに見合うだけの価値が生まれるべきだと考えているのですね?」
「そういうことに、なりますね」
「その感覚は、我々の間でも正常に働いていると思われます。ええ、もちろん、長い時間と労力をかけて作られたものは、きちんとその対価を得るべきです。実際、私のような店の者は、符の複製者や作者には、もっと価値のあるものを提供しています。ひと月分の野菜などではなく、もっと、もっと高い、価値のあるものを。たとえば、宝飾品。たとえば、土地。たとえば、家など」
それだと妙なことになる。
通常、小売店というものは、安く仕入れて高く売ることで経営というものを成立させるはずだ。
しかし、店主の言い分に従うのならば、この店は、高く仕入れて安く売っていることになる。
経済学のいろはすら知らない私でも、それはおかしい話だとわかる。
私がその疑問を口にしようとすると、店主が手で制した。
「先に答えをお伝えしましょう。この店はですね、娯符そのものを売っているワケではないのです。符を読む権利を、売っているのですよ」
その言葉を聞いて、ようやく、ああなるほどと腑に落ちた。
「娯符は、基本的には貸し出しするものです。今日、ひと月分の野菜と引き換えにお渡ししたあの符も、同じくひと月経過すれば、店に戻ってきます。ですから、あまり高い値をつける必要はないのです」
要は、この店は本屋とは言いつつも、その実態は貸本屋に近いというワケだ。
それならば、価値の釣り合いにも納得がいく。
「もちろん、永久所持を望まれる方には、符そのものを売ることもありますが、その場合、交渉はもっと厳密に行われます。ですが、そんなことを日常的に行うのは、誰のためにもなりません。符というものは、もっと気軽に、誰にでも読んでもらうべきだと、私も、お客さんも思っているのですよ」
私の中で、この世界の物価に対する印象が、まるでオセロのようにひっくり返った。
本二冊のレンタルで、ひと月分の野菜がもらえるというならば、本の価値は、現世よりも、ずっと高い。
私が家賃を稼ぐなら、ここだと直感が告げていた。大学入試で二択を当て続けた実績もあり、信頼性は高いと思われた。
「店主さん。貴重なお話を、ありがとうございました」
「いえいえ。こんなことに対価はいりません」
「それを踏まえて、私から、一つ、提案があるのですが」
「ぜひとも、聞かせていただきたいですね」
「私の世界の本を、この店で売ってみるのはいかがでしょうか?」
「ほう」
店主の眼鏡が、またもきらりと光を放った。
そうこうしているうちに、店主が戻ってきた。
客が符を携えて店を出ていくところを見るに、ようやく交渉が終わったらしい。
時間にして、五分くらいか。交渉にしては短いほうだが、一回の会計にしては長いなと思った。
「遅いよ店長!」
何故かぷりぷりしているのはバイリィである。
彼女は娯符を読んでいるポーズだけ取ってはいたものの、それに集中できていないことは明白であった。
「暇をさせてしまいました。申し訳ない」
「あの交渉は、時間がかかったほうなんですか?」
私は尋ねた。
「いいえ、そんなことはありません。普通、それよりも短いくらいですね。あちらが最初に提示した条件が良かったので、細かな取り決めに時間がかかったくらいです」
店主は、客から何かを受け取った風には見えなかった。手ぶらである。
もう一歩、踏み込んだ質問をしてみようかと思った。家賃を稼ぐためにも、この世界の物価レートは知っておかねばなるまい。
「あなたは娯符の対価として、何を受け取ったのですか?」
「ごく普通の対価でしたよ。農家の方でしたので、収穫物の一部を、向こうひと月分ほど、おすそ分けしてもらえるようになりました。おかげで、我が家の食卓に彩りが増すでしょう」
「な、るほど」
私は脳内でそろばんを弾いた。
具体的な取引量までは教えてもらえないが、概算はできる。フェルミ推定の使い所だ。
現世のハードカバー小説を二冊買ったとすれば、多めに見積もって四千円。
対して、ひとつ二百円相当の野菜を、二十日分(この世界のひと月は二十日である)貰うとすれば、こちらもきっかり四千円。
間に貨幣を挟んでいないというのに、現世とあまり物価が変わらないな。
いや、むしろ、娯符作成の手間まで考えると、符の価格が安すぎるくらいだ。
符は、現世の本と違って、手書きなのだ。活版印刷製と同価値で換算するのは間違っている。
「店主さん。これは、正当な取引なんでしょうか? 私は、符の価値が低いように思います」
店主は、興味深そうに私を見た。右目の眼鏡がきらりと光を反射した。
「それは、面白い意見ですね。イナバさんの世界だと、書物の類は高級品だったのですか?」
「いいえ、むしろ逆です。私の世界では、書物は、たくさん作られて、たくさん売られるため、安価でした」
「ほほう」
「しかし、この世界の符は違います。一つ一つが手作りで作られている。一冊の書物が作られる時間を根拠に考えるならば、符はもっと、価値のあるべきものだと思うのです。少なくとも、私の感覚では」
「なるほど、なるほど」
店主はゆっくりと、拍手を打った。ぱちり、ぱちりと。
しかし、それは明らかに称賛のジェスチャーではなかった。店主の目が斜め上を向いている。どうやら、考え込むときのクセみたいなものらしい。
「イナバさんの言いたいことが、なんとなく、わかったような気がします。バイリィ。君は、わかりますか?」
一応彼女も話自体は聞いていたらしいが、両の手の甲を見せてノーを示した。
「ぜんぜんわかんない。難しい話をしてるってことだけ、わかった」
その返答は予期していたのか、店主はふふと微笑み返す。
「イナバさんの言いたいことは、恐らく、時間と価値の釣り合いについて、ということなのでしょう。貴方は、時間をかけて作られたものは、それに見合うだけの価値が生まれるべきだと考えているのですね?」
「そういうことに、なりますね」
「その感覚は、我々の間でも正常に働いていると思われます。ええ、もちろん、長い時間と労力をかけて作られたものは、きちんとその対価を得るべきです。実際、私のような店の者は、符の複製者や作者には、もっと価値のあるものを提供しています。ひと月分の野菜などではなく、もっと、もっと高い、価値のあるものを。たとえば、宝飾品。たとえば、土地。たとえば、家など」
それだと妙なことになる。
通常、小売店というものは、安く仕入れて高く売ることで経営というものを成立させるはずだ。
しかし、店主の言い分に従うのならば、この店は、高く仕入れて安く売っていることになる。
経済学のいろはすら知らない私でも、それはおかしい話だとわかる。
私がその疑問を口にしようとすると、店主が手で制した。
「先に答えをお伝えしましょう。この店はですね、娯符そのものを売っているワケではないのです。符を読む権利を、売っているのですよ」
その言葉を聞いて、ようやく、ああなるほどと腑に落ちた。
「娯符は、基本的には貸し出しするものです。今日、ひと月分の野菜と引き換えにお渡ししたあの符も、同じくひと月経過すれば、店に戻ってきます。ですから、あまり高い値をつける必要はないのです」
要は、この店は本屋とは言いつつも、その実態は貸本屋に近いというワケだ。
それならば、価値の釣り合いにも納得がいく。
「もちろん、永久所持を望まれる方には、符そのものを売ることもありますが、その場合、交渉はもっと厳密に行われます。ですが、そんなことを日常的に行うのは、誰のためにもなりません。符というものは、もっと気軽に、誰にでも読んでもらうべきだと、私も、お客さんも思っているのですよ」
私の中で、この世界の物価に対する印象が、まるでオセロのようにひっくり返った。
本二冊のレンタルで、ひと月分の野菜がもらえるというならば、本の価値は、現世よりも、ずっと高い。
私が家賃を稼ぐなら、ここだと直感が告げていた。大学入試で二択を当て続けた実績もあり、信頼性は高いと思われた。
「店主さん。貴重なお話を、ありがとうございました」
「いえいえ。こんなことに対価はいりません」
「それを踏まえて、私から、一つ、提案があるのですが」
「ぜひとも、聞かせていただきたいですね」
「私の世界の本を、この店で売ってみるのはいかがでしょうか?」
「ほう」
店主の眼鏡が、またもきらりと光を放った。
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