その薬、愛ではなく義務ですよ〜婚約破棄された薬師は本当の愛と自由を手に入れる〜

葉南子@アンソロ書籍化

文字の大きさ
3 / 7

第三話 月夜の下、あなたに出会う

しおりを挟む
 その時、視界の端に人影が映った。
 庭園の植え込みの近く、月明かりの下で男性がうずくまっている。
 見るからに豪華絢爛な貴族衣装に包まれ、まるで星屑を散りばめたかのように輝いている艶やかな金髪。
 その華やかな外見にそぐわない苦しげな様子が気になり、つい足を向けてしまった。

「大丈夫ですか?」
 
 警戒しつつも声をかけると、相手は重々しくゆっくりと顔を上げた。
 月光に照らされたその顔は驚くほど整っていたが、どこか青ざめている。

「すみません……。少し……酒に酔っただけです」
 
 彼は額に手を当てた。
 その額から冷や汗が滲んでいるのがわかる。そして息が浅い。どうやら『少し』の程度は超えていそうだ。
 無意識のうちに荷物の中を漁り、薬箱を取り出していた。
 
「これを飲めば少し楽になるはずです」

 彼は差し出した薬を不思議そうに見つめながら呟くように言う。
 
「……あなたは?」

 目線をこちらに向け直した彼の翡翠色の瞳は、やはり不思議そうな色を浮かべている。
 まあ見ず知らずの人間から渡される薬なんて、怪しく感じるのも無理はないだろう。

「薬師です。ご不安でしたら、私が先に飲んでみせますよ」

 そう言いながら無造作に薬を口に運んでみせると、彼はやや慌てた様子で手を伸ばしてきた。
 
「いや、そういうつもりで聞いたわけではない。……ありがとう、いただくよ」

 服用してから数分後。
 彼の顔色が目に見えて改善したことに胸を撫で下ろす。

「……これはすごい。おかげでだいぶ楽になりました」
「それならよかったです」

 彼は立ち上がると軽く身なりを整え、まっすぐな瞳でこちらを見つめてきた。
 気品のある立ち姿に、つい見惚れてしまいそうになってしまう。
 
「助けていただき感謝します。私はエドワード=マクロード。来客として招かれていたのですが、まさかこんな姿をお見せするとは、お恥ずかしい限りです」
 
 エドワードは照れくさそうに頭に手を添えたが、私はその名前に驚きを隠せなかった。

 ──マクロード家? そんな人がどうしてこんな所で……?

 マクロード家は王都でも屈指の名門貴族だ。
 そんな家の人間が、どうしてこんな庭の片隅で酔いつぶれていたのだろうか。

 その疑問が浮かんだ瞬間、エドワードは苦笑いを交えながら口を開いた。
 
「実は、酒の席は苦手でして。酒もそうですが、人混みや喧騒に酔ってしまって風に当たっていたんです。なんとも情けない話ですね」
 
 名門貴族ともなれば、酒宴や社交の場など日常茶飯事だろう。
 それなのに「酒の席が苦手」だと言う彼の言葉に少し意外な印象を受けた。
 そして、彼の正直さに親しみを感じてしまう。
 
「苦手なら、無理して飲む必要はないのでは?」
 
 言った瞬間、しまったと思った。
 彼なりの立場や事情があるだろうに、余計な口を挟んでしまったかもしれない。
 湧いた親近感と薬師としての習性からか、つい口に出してしまった。
 けれどエドワードは不機嫌になるどころか、微かに笑みを浮かべている。
 
「そうですね。ですが、こうしてあなたに助けていただけたのですから、結果オーライとでも言いましょうか」

 穏やかで気品がある口調に肩の力が抜けた。
 その柔らかな物言いに気を緩めた時、彼がふと真剣な顔になった。
 
「ところで、どうしてこんな時間に王宮を出て行こうとしているのですか?」
 
 鋭い観察力だ。
 言葉を詰まらせたが、正直に答えることにした。
 
「エドワード様はあの場にはいらっしゃらなかったようですね。先刻、ライアン様から婚約破棄を言い渡されました。なので、もうここにいる理由もなくなったのです」
 
 彼の眉が僅かに動いた。
 
「それは……お気の毒に」
「いえ、むしろ清々しています。もともと政略結婚で愛なんてなかったんです。ようやく自由になれましたし、夢だってまた追えるようになりました。私にとってはむしろ、祝福すべき門出なんですよ」
 
 そう言って微笑むと、エドワードは少し目を細めて問いかけてきた。
 
「夢、ですか?」
 
 穏やかな問いかけだが、どこか興味深げあり、それはまるで言葉の続きを期待しているかのようだった。

「はい。薬師として独立したいんです。それに、もっと勉強だってしたい」

 気づけば本音が零れ落ちていた。
 一度開いてしまった口からは、抑えていた思いがせきを切ったように溢れ出していく。
 
「婚約者として縛られていた一年間、自由なんてなかったですから。ですが、その鎖が断ち切れた。新しい人生は自分の道を歩みたいんです」

 言葉を終えると、エドワードは何かを思案するような表情に変わっていた。

「それなら、一つ提案があります」
 
 静かに放たれた言葉に思わず首を傾げると、彼は微笑みながら続けた。

「私の王宮にも専属の薬師がいるのですが、彼は年齢を重ねていて。今ちょうど後継者を探しているところなのです」

『王宮薬師の後継者』という響きに、胸の内でわずかな波紋が広がる。

「彼は長年、我が一族のために薬学の技術を尽くしてくれましたが、さすがに限界が近い。それで実力と可能性を兼ね備えた人材を探しているのですが……。私は、あなた以上にふさわしい人なんていないと思いました」

 唐突な申し出に息を呑んだ。

「私が、マクロード家の薬師の後継者に……?」
「そうです。先程の薬、とても素晴らしいものでした。あなたにはその資質があると感じています。ぜひ、その知識と技術をマクロード家のために役立てていただけませんか?」

 エドワードの目には揺るぎない確信が宿っている。
 自分の技量を認められたことは素直に嬉しい。
 けれど、『王宮薬師』という言葉が引っかかってしまい、簡単に首を縦に振ることができない。
 
 ライアンのように、利用されるだけされて捨てられるのではないか。
 そんな不安が胸を締めつけていた。

「不安そうですね」

 エドワードの言葉にハッとして顔を上げた。
 宝石のような翡翠色の瞳は自分の心を見透かしているようで、目をそらしたくなってしまう。

「……いえ、ただ驚いただけです」
「本当ですか?」

 優しい問いかけだったが、その声の奥には真実を求める力があった。
 少し迷った末、小さく息を吐く。

「……正直、不安です。利用されて、捨てられるんじゃないかって。ライアン様の時みたいに」

 エドワードの表情が僅かに曇った。
 けれどすぐにその曇りは消え、穏やかな微笑みが再び彼の顔に浮かんだ。

「ライアンさんの件について私は詳しく知りませんが、少なくとも、私はそのようなことはしません。あなたを利用したくて声をかけたのではありませんから」

 彼の声は低く落ち着いていながらも、堂々としたものだった。
 彼の顔をじっと見つめる。
 嘘を見抜くためではなく、その言葉に信じるべき価値があるのかを確かめたかったからだ。

「あなたの夢は『薬師として独立すること』ですよね。その第一歩として、王宮での経験は大いに役立つはずです。新しい一歩を一緒に踏み出してみませんか?」

 エドワードが手を差し出してきたが、その手をすぐに握り返すことはできなかった。

 ──でも……。

 大きな手のひらの先には、彼が示す未来が広がっているように感じられる。
 薬師として再び生きられることは、何よりも幸せだと思えた。しかもマクロード家の薬師として、新たに学びの場まで与えてくれる。
 もとより婚約破棄をされ帰る場所もなくなった今、この手を取る以外の選択肢はないのだ。

 深呼吸をして、エドワードの差し出された手をゆっくりと取った。

「……わかりました。そして、ありがとうございます。お力になれるか分かりませんが、全力を尽くします」

 エドワードは静かに微笑むと、満足げに頷いた。

「こちらこそ、ありがとうございます。あなたの新しい人生を、共に歩みましょう」

 彼の言葉が心に響く。
 きっと未来を大きく変えてくれる、そんな希望に胸が高鳴った。

「そういえば、まだお名前をお伺いしていませんでしたね」

 一瞬きょとんとしてしまう。そういえば、こちらの自己紹介をしていなかった。
 ふふっと笑いながら答える。

「リザです。リザ=ダルシアク」
「素敵なお名前ですね。リザさん、改めてよろしくお願いします」
「『さん』だなんて、恐れ多いです。どうぞリザと呼んでください」

 肩をすくめながら控えめに笑った。
 堅苦しい敬称に慣れていないし、名門貴族であるエドワードにそんな呼び方をされるのはどこか落ち着かない。

「わかりました。では、リザと呼ばせていただきます」

 エドワードはにこりと笑って、再び手を差し出した。
 
「さあ、リザ。王宮へ向かいましょう。新しい日々がきっとあなたを待っています」
「はい。よろしくお願いします」

 今度はすぐに彼の手をしっかりと握り返した。
 温かくて、力強くもある手のひらは背中をそっと押してくれるようで、不思議と不安が薄れていく。
 新たな世界へ踏み出すように、二人で門をくぐり抜けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄されましたが国を追放されたのは私ではなく糾弾してきた王子の方でした

愛早さくら
恋愛
「お前との婚約は破棄する!」 卒業式の日。そう、大勢の前でネフィを糾弾してきたのは幼い頃からの婚約者である、ここ、カナドゥサ国のレシア第一王子でした。 ネフィはにんまりと笑みを浮かべます。 なぜなら、周り中全てが自分の味方であることを知っていたからです。 だからネフィは答えました。 「構いませんわ。ですが私と婚約を破棄して、国を追われるのは貴方の方でしてよ?」 そう告げるネフィの隣には…… ・定番中の定番みたいな話を私も書いてみたくなって! ・でもあんまりざまぁはないです。多分。 ・地味に某お話と同じ世界観。

【完結】出来の悪い王太子殿下の婚約者ですって? 私達は承諾しておりません!

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
真実の愛は策略で生まれる ~王太子殿下の婚約者なんて絶対に嫌ですわ~  勉強は出来ず、実技も酷い。顔だけしか取り柄のない一番最初に生まれた王子というだけで、王太子の地位に就いた方。王国を支える3つの公爵家の令嬢達は、他国にも名の知れた淑女であり、王太子レオポルドの婚約者候補に名を連ねた。 「絶対にお断りだわ」 「全員一緒に断りましょうよ」  ちょうど流行している物語の主人公のように演出し、道化を演じて退場していただきましょう。王家も貴族のひとつ、慣習や礼儀作法は守っていただかないと困ります。公爵令嬢3人の策略が花開く!   ハッピーエンド確定、6話完結 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、ノベルアップ+ ※2022/05/25、小説家になろう 恋愛日間20位 ※2022/05/25、カクヨム 恋愛週間27位 ※2022/05/24、小説家になろう 恋愛日間19位 ※2022/05/24、カクヨム 恋愛週間29位 ※2022/05/23、小説家になろう 恋愛日間27位  ※2022/05/21、完結(全6話) ※2022/05/21、カクヨム 恋愛週間41位 ※2022/05/20、アルファポリス HOT21位 ※2022/05/19、エブリスタ 恋愛トレンド28位

義母と義妹に虐げられていましたが、陰からじっくり復讐させていただきます〜おしとやか令嬢の裏の顔〜

有賀冬馬
ファンタジー
貴族の令嬢リディアは、父の再婚によりやってきた継母と義妹から、日々いじめと侮蔑を受けていた。 「あら、またそのみすぼらしいドレス? まるで使用人ね」 本当の母は早くに亡くなり、父も病死。残されたのは、冷たい屋敷と陰湿な支配。 けれど、リディアは泣き寝入りする女じゃなかった――。 おしとやかで無力な令嬢を演じながら、彼女はじわじわと仕返しを始める。 貴族社会の裏の裏。人の噂。人間関係。 「ふふ、気づいた時には遅いのよ」 優しげな仮面の下に、冷たい微笑みを宿すリディアの復讐劇が今、始まる。 ざまぁ×恋愛×ファンタジーの三拍子で贈る、スカッと復讐劇! 勧善懲悪が好きな方、読後感すっきりしたい方にオススメです!

『役立たず』と追放された私、今では英雄様に守られています

ほーみ
恋愛
 辺境伯の三女として生まれた私は、リリィ=エルフォード。  魔力もなく、剣も振れず、社交界の花にもなれない私は、いつしか「家の恥」と呼ばれるようになっていた。 「リリィ、今日からお前は我が家の娘ではない」  父の冷たい声が耳にこびりつく。  その日、私は何の前触れもなく、家から追放された。  理由は、簡単だ。「婚約者にふさわしくない」と判断されたから。  公爵家の三男との縁談が進んでいたが、私の“無能さ”が噂となり、先方が断ってきたのだ。

エメラインの結婚紋

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢エメラインと侯爵ブッチャーの婚儀にて結婚紋が光った。この国では結婚をすると重婚などを防ぐために結婚紋が刻まれるのだ。それが婚儀で光るということは重婚の証だと人々は騒ぐ。ブッチャーに夫は誰だと問われたエメラインは「夫は三十分後に来る」と言う。さら問い詰められて結婚の経緯を語るエメラインだったが、手を上げられそうになる。その時、駆けつけたのは一団を率いたこの国の第一王子ライオネスだった――

「きみは強いからひとりでも平気だよね」と婚約破棄された令嬢、本当に強かったのでモンスターを倒して生きています

猫屋ちゃき
恋愛
 侯爵令嬢イリメルは、ある日婚約者であるエーリクに「きみは強いからひとりでも平気だよね?」と婚約破棄される。彼は、平民のレーナとの真実の愛に目覚めてしまったのだという。  ショックを受けたイリメルは、強さとは何かについて考えた。そして悩んだ末、己の強さを確かめるためにモンスター討伐の旅に出ることにした。  旅の最中、イリメルはディータという剣士の青年と出会う。  彼の助けによってピンチを脱したことで、共に冒険をすることになるのだが、強さを求めるためのイリメルの旅は、やがて国家の、世界の存亡を賭けた問題へと直結していくのだった。  婚約破棄から始まる(?)パワー系令嬢の冒険と恋の物語。

悪役?令嬢の矜持

柚木ゆず
恋愛
「サラ・ローティシアル! 君との婚約は、この瞬間を以て破棄する!!」  ローティシアル伯爵令嬢のサラ。彼女の婚約者であるヘクターは心変わりをしており、今の想い人と交際を行うためサラの罪を捏造していました。  その結果サラは大勢の前で婚約破棄を宣言され、周囲からは白目で見られるようになってしまうのですが――。 「お待ちくださいまし。わたくし、今のお話は納得できませんわ」  そんな時でした。  サフェタンエス侯爵令嬢、アリーヌ。いつも激しくサラをライバル視をしていたはずの人が、二人の間に割って入ったのでした。

【完結】婚約破棄された男爵令嬢の私、妹に蹴られて【空手】スキルに目覚めたので、私を処刑しようとした妹と婚約者に空手ざまぁします

ともボン
恋愛
「セラス・フィンドラル! たった今、この僕――侯爵家子息であるシグルド・カスケードは君との婚約を破棄する!」  男爵令嬢ことセラスは、婚約者であったシグルドに大ホールでのパーティー中にそう告げられる。  あまりのことに絶句したセラスだったが、事はそれだけでは終わらなかった。  何とその場に実妹のミーシャが現われ、セラスの代わりにシグルドと婚約すると言われたのだ。  それだけではない。  ミーシャは今までセラスに募らせていた恨みを晴らすかのように、シグルドを巻き込んでセラスを第1王子アストラルの暗殺計画の首謀者に仕立て上げて処刑しようとしたのである。  もちろんそんな事実はまったくなかったため、セラスは断固としてシグルドに自分の無実を主張しようとした。  けれど、その主張を遮るかのようにミーシャはセラスの腹に蹴りを繰り出した。  ズンッ!  ハイヒールのつま先がセラスの腹に突き刺さったとき、セラスは自分が前世で世界空手道選手権10連覇を成し遂げた女性空手家であり、この世に転生されたときに神様から【空手】スキルを与えられたことを思い出した。  そして、セラスは男爵令嬢から違う令嬢へと変貌した。  超絶的な力を有する【空手令嬢】へとである。  すると大ホールには件の第1王子であるアストラルや兵士たちが現われ、暗殺計画の首謀者がミーシャだと判明したから捕まえにきたと言う。  しかしミーシャは捕まえるどころか【魔眼】の力を発揮し、シグルドを巻き込んで凶悪な魔人と化した。  空手令嬢となったセラスは、自分の運命を変えるために闘う決意をする。  これはやがて王都に空手の大道場を構え、第1王子とともに幸せになる空手令嬢の知られざる誕生譚!

処理中です...