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第四十七章
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春の旅立ち
谷に春の風が満ちる頃、杜若は静かに支度を整えていた。
語柱は人々に愛され、いまや谷の象徴となっていた。
声を持たぬ者も、声なき想いを預けられる場所。
筆や帳に縛られない、新しい記録の始まり。
「……この場所は、もう大丈夫。だから私は、次へ向かう」
杜若の旅立ちを、景融は何も言わずに見送った。
ただ一冊、小さな巻物を渡して。
「これは、君が記した“声なき者たちの帳”。
もし忘れそうになったら、開けてみて。君がどれだけの声を守ってきたか、きっとわかるから」
杜若は巻物を胸元に収め、頷いた。
「ありがとう、景融。
あなたの声が、私をここまで導いてくれたの。今度は私が、誰かの声を守る番――」
彼女が向かう先は、西方の砂漠地帯にある“忘れられた都”。
かつて戦乱に巻き込まれ、歴史から消されたとされる場所だった。
「“帳も記録も残らぬ地”ほど、声を求めているはずよ」
旅は過酷だった。
険しい山道、乾いた風、孤独な夜。
時に宿も食も尽き、ただ星と語らうだけの日もあった。
けれど――
どこかの市場で耳にした歌。
ある村で老人が語った古い話。
流浪の楽師が奏でた調べ。
そのどれもが、杜若の心に灯をともした。
「私は、記録者ではない。
でも、“忘れられた声”を、誰かに手渡すことはできる」
ある日、道中の茶屋で出会った小さな少女が、杜若に話しかけた。
「お姉ちゃん、旅してるの?声、集めてるの?」
「ええ。あなたの声も、よかったら聞かせて?」
少女は笑って、こう答えた。
「じゃあ、秘密の歌を教えてあげる!
うちのばあちゃんが、むかしむかし歌ってたの。もう誰も知らないよ?」
杜若は少女の声を、そっと胸に刻んだ。
帳には書かれない。けれど、消えない歌。
――それが「声の庁」の真髄だった。
日が傾き、道が金に染まるころ。
遠く、砂塵の向こうに、かすれた都の影が見えた。
それは、歴史の帳には記されぬ幻の都――“無音(むいん)の都”。
杜若の旅は、ここから本格的に始まる。
(第四十七章 了)
谷に春の風が満ちる頃、杜若は静かに支度を整えていた。
語柱は人々に愛され、いまや谷の象徴となっていた。
声を持たぬ者も、声なき想いを預けられる場所。
筆や帳に縛られない、新しい記録の始まり。
「……この場所は、もう大丈夫。だから私は、次へ向かう」
杜若の旅立ちを、景融は何も言わずに見送った。
ただ一冊、小さな巻物を渡して。
「これは、君が記した“声なき者たちの帳”。
もし忘れそうになったら、開けてみて。君がどれだけの声を守ってきたか、きっとわかるから」
杜若は巻物を胸元に収め、頷いた。
「ありがとう、景融。
あなたの声が、私をここまで導いてくれたの。今度は私が、誰かの声を守る番――」
彼女が向かう先は、西方の砂漠地帯にある“忘れられた都”。
かつて戦乱に巻き込まれ、歴史から消されたとされる場所だった。
「“帳も記録も残らぬ地”ほど、声を求めているはずよ」
旅は過酷だった。
険しい山道、乾いた風、孤独な夜。
時に宿も食も尽き、ただ星と語らうだけの日もあった。
けれど――
どこかの市場で耳にした歌。
ある村で老人が語った古い話。
流浪の楽師が奏でた調べ。
そのどれもが、杜若の心に灯をともした。
「私は、記録者ではない。
でも、“忘れられた声”を、誰かに手渡すことはできる」
ある日、道中の茶屋で出会った小さな少女が、杜若に話しかけた。
「お姉ちゃん、旅してるの?声、集めてるの?」
「ええ。あなたの声も、よかったら聞かせて?」
少女は笑って、こう答えた。
「じゃあ、秘密の歌を教えてあげる!
うちのばあちゃんが、むかしむかし歌ってたの。もう誰も知らないよ?」
杜若は少女の声を、そっと胸に刻んだ。
帳には書かれない。けれど、消えない歌。
――それが「声の庁」の真髄だった。
日が傾き、道が金に染まるころ。
遠く、砂塵の向こうに、かすれた都の影が見えた。
それは、歴史の帳には記されぬ幻の都――“無音(むいん)の都”。
杜若の旅は、ここから本格的に始まる。
(第四十七章 了)
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