灯(ともしび)と翳(かげ) ― 吉原恋唄 ―

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第五話「雪解けの道行き」

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春が近づいていた。
会津の雪も、ようやく緩みはじめ、町の辻には水の流れる音が戻ってきた。

新三郎は、沙雪と共に町はずれの寺に身を移していた。
紫乃の娘と知れれば、世間の噂や奉行筋の耳にも入りかねぬ。身を守るには、名を伏せ、慎ましく生きるほかなかった。

「……三郎様、これからは、どこに行かれるおつもりですか?」

ある朝、沙雪が問うた。

囲炉裏の火が、まだ弱く、部屋の中はひんやりとしていた。

「江戸に戻ろうと思っている」

「江戸……?」

「母上の……あの場所に?」

新三郎は黙って頷いた。

「吉原の一件は終わったと思っていた。だが、紫乃が生きていたことを知った時から、どうにも腑に落ちないことがある」

「それは……何ですか?」

「紫乃は、死を偽り、ひとりで信州まで逃げた。そのためには、誰かが手を貸したはずだ。
それが、かつて俺と敵対していたあの楼主――“唐津屋”かもしれぬ」

「……お母上を追いやった、あの吉原の――」

新三郎は静かに目を閉じた。

「紫乃の命を踏みにじったのは、男でも、吉原でもなく……“この世の理”だ。
だが、その理に従うことで誰かの命を汚したのなら、それは討つべきものだ」



翌日、新三郎と沙雪は、会津を発った。

春まだ遠い峠を越え、日光を抜けて江戸へ――
道中、ふたりは宿場町の市で商いをしたり、街道の湯宿で夜を明かしたりしながら、ゆっくりと旅を進めた。

沙雪は、旅のすべてを目に焼き付けていた。

「母が見られなかった景色……すべて、私が記しておきたいんです」

その言葉に、新三郎は静かに微笑んだ。

「それならば、まずは“灯火”という名の花を咲かせよう。
お前の心に、それを絶やさぬように」

「“灯火”……それは、恋の花ですか?」

「そうだ。咲いたとしても、手に取ることはできぬ。
けれど、心にはずっと、あたたかさが残る」



江戸に入ったふたりは、身を隠すようにして深川の片隅へと移った。

だがその数日後――
町に流れた一つの噂が、二人の運命を大きく揺るがす。

「吉原に、“幽霊花魁”が現れたらしいぞ。
桜の香を纏い、真夜中の花街を歩くんだと。名前は――“しの”」

「……!」

沙雪が顔を上げ、新三郎も息を呑んだ。

「そんな、まさか……母上はもう……」

「いや――そうとは限らん」

新三郎は、すぐに夜の吉原へと向かった。

紅殻格子の向こう、かつての面影そのままに街は煌めいていた。
だが、その奥には別の顔があった。楼主・唐津屋が、新たな“看板”としてとある女を売り出していたのだ。

その女の名――「紅紫(くれないし)」。

紫乃の名を継ぐかのように、紅椿の簪をつけ、紫乃そっくりの装いで男たちを魅了していた。



「この女……紫乃の身代わりを、“商い”にしているというのか……」

新三郎は怒りに震えた。

その夜、更衣の裏口で密かに会った紅紫は、薄く笑って言った。

「わたくしは紫乃の娘などではありませんわ。ただ……この“姿”であの世から呼び戻された者。
けれど、名を呼ばれるたびに、どこか温かいものが胸に灯るのです」

「おまえ、何者だ」

「わたしは――紫乃様の“影”です。
そして、あなたが守れなかった“女たち”の、亡霊かもしれません」



新三郎は、楼主・唐津屋のもとに乗り込んだ。

「あんたは、女の命を使い捨ててきた。その果てに、まだ“紫乃”の名を喰らうか」

「わしは商人だ。情を食って生きているのさ。
――女が恋を語りたければ、それすら金に換えるまでよ」

その言葉に、新三郎は静かに刀を抜いた。

「ならば、今日限り――お前の商いは終いだ」



その夜、唐津屋の楼主は密かに姿を消した。

吉原では“火事”という名目で片づけられたが、誰も詳細を語らなかった。

新三郎と沙雪は、ふたたび深川へと戻った。

夜更け、河岸に並んで座ったふたりは、静かに月を見上げていた。

「母上は、どんな最期だったと思いますか?」

「……灯火が、風に消えるように」

「でも……その灯は、こうして残っていますね」

沙雪は、自分の胸に手を当てた。

「私は、灯を繋いでゆきます。
母の愛した男と共に、生きてみせます」

新三郎は、その言葉に、紫乃の声を聴いたような気がした。



こうして――
かつて、女と男が交わした儚い恋は、次の世代へと引き継がれた。

それは炎ではなく、静かな灯火。
風が吹いても、雪が降っても、決して消えぬ、確かな“想い”の形。

そしてその灯火は、やがて“愛”と名を変え、道行きの先を照らしてゆくのだった。



――第五話・終――
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