灯(ともしび)と翳(かげ) ― 吉原恋唄 ―

文字の大きさ
4 / 8

第四話「紅椿、まどろみの雪」

しおりを挟む
冷たい風が、頬を撫でる。
旅装を纏った新三郎は、白雪に覆われた街道をひとり歩いていた。ここは、会津・七日町。

山々の端に冬の陽が沈むと、町は一気に夕闇へと沈み、あちこちの家から焚き火の煙が上がっていた。

「……やっぱり、北国の冬は骨に染みるな」

しばらく旅を重ねた末、新三郎はこの会津に身を寄せていた。かつての自分を知る者などおらぬこの地では、「三吉」と名を変え、小さな薬種商人として町に馴染み始めていた。

だが――
その日、いつものように薬包を届けに行った帰り道、ひとりの娘に呼び止められた。

「すみません。ひとつ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」

振り向いた新三郎の目に映ったのは、深紅の椿を髪に挿した娘だった。

……その椿の簪。
――まさしく、紫乃がいつも愛用していた意匠。

目の前の娘は十七、八ほどの年頃。白い息を吐きながら、じっとこちらを見上げていた。

「この椿の簪を、以前どこかで……見かけたことはありませんか?」

その言葉に、新三郎の胸が音を立てて揺れた。

「どうして、それを?」

「……母の形見なんです。ずっと、都の方にいたらしいのですが……その母のことを、知る人を探して、ここまで来たんです」

「お母上の名は?」

娘は、少しだけ躊躇したように唇を結び、静かに答えた。

「“紫乃”と申しました」

新三郎の視界が、ふと滲んだ。



雪の降る囲炉裏端、新三郎と少女――“沙雪”は、向かい合って座っていた。

沙雪は、紫乃の遺児だった。
紫乃が身を隠すようにして暮らしていた信州の里で生まれ、数年前に病で彼女を亡くしたという。

「母は、決して過去を語りませんでした。でも、ときどき夢の中で泣いていました。
“灯火が揺れてる……三郎様が……ご無事で……”って」

沙雪の目に光る涙を見て、新三郎の胸に、かつて交わした紫乃との夜の言葉がよみがえる。

――「あなたを想うだけで、私は生きていけるのです」

紫乃は生きていた。
あの日、自ら命を絶ったのではなく、彼の元を離れて、密かに母となり、子を守っていた。

「……すまなかった。俺は、紫乃を……お前の母上を、護れなかった男だ」

「……違います。母は、最後まで“愛されていた”と信じていました。
だから私は……あなたに会いに来たんです」

沙雪は懐から、小さな香り袋を取り出した。それは、紫乃が愛用していたものと同じ意匠だった。

「これも、母の遺したものです。“もしこの香りを知っている人がいたら、その人に手渡してほしい”と」

新三郎は、それを両手で受け取った。
わずかに開いた袋から、あの懐かしい香が立ち昇る――紅椿と沈香の、深く温かい香り。

その香に、失われたはずの記憶が、音もなく満ちてくる。



それから数日、新三郎は沙雪のもとに留まり、紫乃のこと、沙雪の育った里のことを語り合った。
沙雪は、母に似て、賢く、芯が強く、それでいて人の情に敏感だった。

そして別れの日――
新三郎は沙雪に一通の書き付けを託した。

「これから先、お前がどこで生きてもいい。けれど、もし世に絶望しそうになったら、この文を開け。
それが、紫乃とおれの“恋の証”だ」

沙雪はそれを胸に抱き、「ありがとう、三郎様」と、確かに言った。

その声に、新三郎は初めて、紫乃の面影ではなく――未来を見た。



その夜。
深く積もった雪の上、彼は空を見上げた。

月明かりが雪を照らす中、頬を打つ冷たい風さえ、どこか優しく感じられた。

――紫乃。
お前の灯火は、決して消えてなどいない。

娘がいる。
お前の意思を受け継いだ“命”が、ちゃんと生きていた。

「これからは、俺がその灯を、守っていく」

そう誓った新三郎の声は、夜の静寂に吸い込まれていった。

月は白く、椿は紅く、雪は静かに降り積もっていた。



――第四話・終――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...