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訳ありの結婚
侯爵家での日々
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婚約者としての日々は、予想以上に忙しく、だが一方で穏やかに過ぎていった。
風呂や着替えでは相変わらず身体の一部を隠しているが、それでも他の部分や髪を念入りに解され洗われる。
就寝前はこれでもかと全身にいい香りのするオイルやクリームを塗り込まれ、荒れていた手指はふっくらと女性らしい姿を取り戻した。
起床後はエルとアルがこれまた念入りに準備をし、ほぼ毎日違う装いで整えてくれる。
可愛い感じ、清楚な感じ、華やかな感じ。
「もったいないので昨日と同じものでも構わない」と言えば「せっかく色々あるのだから使わないともったいない」と返されるのが、もはや日課となっている。
朝食は食堂でレインと共にとる。
家の話や、オリバーの手伝いのことなどを話すこともあるが、その日の互いの予定について話すことが多い。
オリバーに聞いていたとおりレインは忙しく外出も多いため、「では、今日は一緒にお茶でもするか」とたまに誘われる時には、心に羽でも生えたように嬉しくなってしまう。
レインや他の使用人の顔を見るに、フィーナが喜んでいることはバレバレで、向けられる温かい視線がいたたまれない。
それからの時間はできるだけオリバーに頼んで家のことを手伝わせてもらい、帳簿の整理や領地の管理に勤しむことが多い。
不可思議な依頼への対応はまだあまり手伝うことができないので、現実世界の仕事くらいはと積極的に手と頭を使うようにしている。
「フィーナ様が来てくださってよかった!!」と感涙せんばかりの勢いで言われた時は大げさだと思ったが、今まで役立たずだと言われてきた自分が、少しでも誰かの役に立てたのならと、やはり嬉しい気持ちが湧いてくる。
だが、時間を忘れて作業に没頭していると、すかさずエルとアルがやってきて、机の上の書類を問答無用で没収され、代わりに昼食を広げられてしまうので注意しなければならない。
特に、アルの笑みがいつもより2割増に感じる時は要注意で、そんな時は真綿でくるんだ赤子の如く丁寧にかつ徹底的に休憩をとらされる。
「「フィーナ様のお身体のこと以上に大切なものなどこの家にはありません」」というのが彼女たちの最近の口癖で、こう言われてはフィーナに返す言葉など思い浮かばず、彼女たちの許しが出るまで仕事の話をすることはできない。
夕食はレインと取ることもあれば一人で取ることもある。
いや、正直に言えば、一人で取ることの方が最近は多い。
聞いていた以上にレインは多忙で、外出時、または外出の前後は一緒に夕食をとることは難しいのだと分かった。
どこまで出掛けているのか聞けていないが、以前馬車が帰ってくる音を聞いたのは、夜もかなり更けた時間だったことを考えると、かなりの距離を移動しているのだろう。
ある夜、出過ぎた真似かもしれないと思いつつ、思い切ってオリバーを捕まえて頼んでみた。
「あの、これをレイン様にお渡しいただけませんか?」
「手紙、ですか?」
「はい。ここのところお忙しく、朝以外で中々お会いできないので…お手紙ならどうかなと…内容は他愛のないことなので、返信は不要とお伝えいただければ…」
赤くなってしまう顔を手で抑えながらそう言うと、オリバーは察してくれたらしい。
したり顔で頷くと、フィーナから手紙を大げさな手付きで恭しく抜き取る。
「仰せつかりました。姫君の想い、必ずや届けてみせます」
「もう、オリバー様ったら!」
フィーナはオリバーの仕草にわざとらしく怒ってみせた後、淑女らしくなく、大きく口を開けて笑った。
ここへ来て3ヶ月が経とうとしていた。
季春になろうとしている。
******
「フィーナが手紙を?私にか?」
渡された女性らしい桜色の便箋からは、フィーナが好んで付けている香りがした。
だが、離れて暮らしているわけでもない婚約者から、しかも従者を通して手紙をもらうなど、なにやら不吉だ。
婚約を破棄したいなどと書いてあるのではあるまいな。
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。むしろラブレターみたいなものだと思いますから」
「……は?」
「珍しい。あなたでもそんな顔をするんですね」
ポカンとした乳兄弟の顔を見て、自分が今どんな顔をしているのか何となく分かった。
柄にもなく耳が熱い。
今すぐ手紙を読みたいところだが、ニヤニヤするオリバーの顔が気に入らないので、興味のないふりをして手紙を机上に置く。
普段どうでもいい書類は落ちるのも構わず放り投げるくせに、明らかにそれとは違う慎重な手付きに、オリバーが内心腹を抱えて笑っていることも気づかず、レインはオリバーに先を促す。
オリバーは、この可愛い相棒に早く手紙を読ませてやるかと、手短に報告を済まそうと切り出す。
「先日届いてたティント伯爵の絵画は、魔道具を使って祓えました。先方としては、絵の方は戻してほしいそうなので、明日届ける予定になっています。依頼料の振込は本日すでに確認済みです」
「大した絵には見えなかったがな」
「何でも、亡くなったお祖母様が若かりし頃に描かれたそうです」
「ああ、だから夜な夜な若い男を求めて彷徨っていたわけか。ティント伯爵家の爺さんは好色で有名だったからな。他の女の家に行ったまま帰ってこない夫へのあてつけが絵に宿ったか。女の情とは恐ろしいな」
用意されたハーブティーを飲みながらそう言うと、オリバーが半目で嫌そうな視線を寄越す。
「なんだ?」
「まさか、そんな話をフィーナ様になさってませんよね?」
「馬鹿を言うな。初心な少女に聞かせて良い話かそうでないかくらいはわきまえている」
オリバーがこれみよがしにホッとするのを、レインは苦々しい気持ちで見る。
「あなたでもそんな配慮ができるなんて知りませんでした。これもフィーナ様効果ですかねぇ」
「なんだそれは」
「そのフィーナ様ですが、そちらも調べました。はい、どうぞ」
それ以上の追求を逃れるためか、早口でごまかし気味に押し付けられた書類を渋々確認する。
「…本当に、実子なのか?」
オリバーはいつの間にかふざけた態度をやめており、神妙な顔でこれに答えた。
「はい。病院に確認したので間違いはありません。念の為ご家族の絵姿を確認したところ、フィーナ様はお父上に顔立ちがよく似ておられるようです。ですが、立ち姿にお母上の面影もありますので、見た目から言っても実子に間違いはないかと」
「では、実の娘に対してメイド…いや、それ以下の扱いをしていたというのか?なぜだ?」
「はいはい、怒る気持ちは分かりますが落ち着いてください」
「落ち着いている」
「いいえ、いつもの1.5倍は苛ついてますね。まあ、私も最初に報告書を見た時は同じように感じましたので咎めませんが…ただ、いくら調べても理由は定かではありません。両親は『出来損ないの呪い子』とよく周囲に漏らしていたようで、だから外には出せないのだと説明していたようです」
それを聞いた瞬間、ダンッと机に手を叩きつけるように立ち上がった。
「出来損ないの呪い子だと?フィーナのどこがそうだと言うのだ」
「だから、落ち着いてくださいって!言ったのは私じゃありませんし、私も同じ気持ちですって!圧が凄いのでとにかく座ってください!」
確かに彼が言ったわけでも、ましてやフィーナを虐げていたわけでもない。
レインは大人しく座り直しながら、腹の底から熱いものが沸き上がるような、今まで感じたことのない気持ちを持て余していた。
「それから、報告書にも書いてありますが、こちらが渡した支度金は全て使い込んだようです。おそらく近いうちに金をせびりに来るのではないかと懸念しています」
レインはそれを鼻で笑った。
結婚を申し込んだ時点で、子爵家の借金をほぼ帳消しに出来るほどの支度金をオリバーが渡しているはずなのに、一向にフィーナに使われる様子も、かの家の借金が減ったという話もきかないことから、どうせそんなことだろうとは思っていた。
オリバーは懸念と言ったが、レインはそれを確信している。
「まさに絵に描いたようなクズ貴族だな。フィーナのような人間がその家の娘など、もはや奇跡に近い」
「そうですね。フィーナ様はあんなにお優しいのに…。報告は以上です。細かい点については、書面の方を御覧ください」
「分かった。引き続き子爵家の動向には気をつけろ。金の件についてはそのうち片を付けるが、しつこいようならしばらくは適当な金額を渡しておけ。フィーナが傷つくようなことだけはさせるな」
「勿論、承知いたしました」
オリバーに下がるよう伝えた後、レインはダントン子爵家の報告書を机上に放った。
どうせ細かく読んだところで胸糞が悪くなるだけだ。
代わりに桜色の便箋を手に取り、ペーパーナイフで丁寧に封を切った。
中の紙にも香水が優しく振られているようで、その香りに年甲斐もなくどきりとする。
(思春期の少年じゃあるまいし…)
『ラブレター』などと言われたが、中身はフィーナの一日が綴られた他愛のない内容で、正直肩透かしをくらった感は否めない。
だが、文面の端々にはレインの体調や忙しさへの気遣いや、できれば直接話しをしたいという思いが見え隠れし、オリバーの言った意味が分からないではない、という気にはなった。
そう、フィーナは多分自分を好いてくれている。
虐げられてきた日々を思えば、それは親愛や敬愛に近いのではないかと思うが、いずれにせよ好意を向けられていることは、いくらこれまでの人生で鈍感の称号を恣にしてきた自分でも分かる。
(あれほど清く美しい娘に好かれて、悪い気のする男はいないだろう?!)
誰に言い訳をするのでもないが、レインは心の中でそう強く主張する。
この3ヶ月の間に、フィーナはがらりと変わった。
見た目の点で言えば彼女を女神のごとく慕う双子の侍女が主な原因だが、よく食べ、よく寝て、精力的に活動した結果、彼女は見違えるように美しくなった。
もともと整った容姿だったが、角度によっては金色に見える薄茶色の髪には艶が出て、乳白色の肌は近くで見てもしっとりとして張りがある。
何より、よく笑うようになった。
オリバーを始めとした使用人たちの話によると、レインが外出している間は屋敷の切り盛りを積極的に行っているらしく、部屋の模様替えや庭の手入れなどは特に楽しそうなのだという。
領地への視察も日を置かず行っているらしく、教会や孤児院ではこれまで培った知識を生かして子どもたちに読み聞かせや文字を教えているというのだから、そこまで手が回らなかった身としては頭が下がる思いだ。
(これからもずっと笑っていてほしい。できればこの家で)
レインは日増しに募るその気持ちが、果たしてフィーナと同じものなのか分かりかねていた。
だが、例え違うものだとしても、もうフィーナを子爵家に返そうとは思わない。
むしろ子爵家に返すくらいなら、あらゆる手を使ってこの家に留める所存だ。
レインはその決意を自分の中で今一度確かめると、次の書類を確認する前にもう一度だけフィーナからの手紙を読むことにした。
オリバーが見ればまっさきに揶揄ってきそうなくらいの、楽しげな笑みをその口元に浮かべて。
風呂や着替えでは相変わらず身体の一部を隠しているが、それでも他の部分や髪を念入りに解され洗われる。
就寝前はこれでもかと全身にいい香りのするオイルやクリームを塗り込まれ、荒れていた手指はふっくらと女性らしい姿を取り戻した。
起床後はエルとアルがこれまた念入りに準備をし、ほぼ毎日違う装いで整えてくれる。
可愛い感じ、清楚な感じ、華やかな感じ。
「もったいないので昨日と同じものでも構わない」と言えば「せっかく色々あるのだから使わないともったいない」と返されるのが、もはや日課となっている。
朝食は食堂でレインと共にとる。
家の話や、オリバーの手伝いのことなどを話すこともあるが、その日の互いの予定について話すことが多い。
オリバーに聞いていたとおりレインは忙しく外出も多いため、「では、今日は一緒にお茶でもするか」とたまに誘われる時には、心に羽でも生えたように嬉しくなってしまう。
レインや他の使用人の顔を見るに、フィーナが喜んでいることはバレバレで、向けられる温かい視線がいたたまれない。
それからの時間はできるだけオリバーに頼んで家のことを手伝わせてもらい、帳簿の整理や領地の管理に勤しむことが多い。
不可思議な依頼への対応はまだあまり手伝うことができないので、現実世界の仕事くらいはと積極的に手と頭を使うようにしている。
「フィーナ様が来てくださってよかった!!」と感涙せんばかりの勢いで言われた時は大げさだと思ったが、今まで役立たずだと言われてきた自分が、少しでも誰かの役に立てたのならと、やはり嬉しい気持ちが湧いてくる。
だが、時間を忘れて作業に没頭していると、すかさずエルとアルがやってきて、机の上の書類を問答無用で没収され、代わりに昼食を広げられてしまうので注意しなければならない。
特に、アルの笑みがいつもより2割増に感じる時は要注意で、そんな時は真綿でくるんだ赤子の如く丁寧にかつ徹底的に休憩をとらされる。
「「フィーナ様のお身体のこと以上に大切なものなどこの家にはありません」」というのが彼女たちの最近の口癖で、こう言われてはフィーナに返す言葉など思い浮かばず、彼女たちの許しが出るまで仕事の話をすることはできない。
夕食はレインと取ることもあれば一人で取ることもある。
いや、正直に言えば、一人で取ることの方が最近は多い。
聞いていた以上にレインは多忙で、外出時、または外出の前後は一緒に夕食をとることは難しいのだと分かった。
どこまで出掛けているのか聞けていないが、以前馬車が帰ってくる音を聞いたのは、夜もかなり更けた時間だったことを考えると、かなりの距離を移動しているのだろう。
ある夜、出過ぎた真似かもしれないと思いつつ、思い切ってオリバーを捕まえて頼んでみた。
「あの、これをレイン様にお渡しいただけませんか?」
「手紙、ですか?」
「はい。ここのところお忙しく、朝以外で中々お会いできないので…お手紙ならどうかなと…内容は他愛のないことなので、返信は不要とお伝えいただければ…」
赤くなってしまう顔を手で抑えながらそう言うと、オリバーは察してくれたらしい。
したり顔で頷くと、フィーナから手紙を大げさな手付きで恭しく抜き取る。
「仰せつかりました。姫君の想い、必ずや届けてみせます」
「もう、オリバー様ったら!」
フィーナはオリバーの仕草にわざとらしく怒ってみせた後、淑女らしくなく、大きく口を開けて笑った。
ここへ来て3ヶ月が経とうとしていた。
季春になろうとしている。
******
「フィーナが手紙を?私にか?」
渡された女性らしい桜色の便箋からは、フィーナが好んで付けている香りがした。
だが、離れて暮らしているわけでもない婚約者から、しかも従者を通して手紙をもらうなど、なにやら不吉だ。
婚約を破棄したいなどと書いてあるのではあるまいな。
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。むしろラブレターみたいなものだと思いますから」
「……は?」
「珍しい。あなたでもそんな顔をするんですね」
ポカンとした乳兄弟の顔を見て、自分が今どんな顔をしているのか何となく分かった。
柄にもなく耳が熱い。
今すぐ手紙を読みたいところだが、ニヤニヤするオリバーの顔が気に入らないので、興味のないふりをして手紙を机上に置く。
普段どうでもいい書類は落ちるのも構わず放り投げるくせに、明らかにそれとは違う慎重な手付きに、オリバーが内心腹を抱えて笑っていることも気づかず、レインはオリバーに先を促す。
オリバーは、この可愛い相棒に早く手紙を読ませてやるかと、手短に報告を済まそうと切り出す。
「先日届いてたティント伯爵の絵画は、魔道具を使って祓えました。先方としては、絵の方は戻してほしいそうなので、明日届ける予定になっています。依頼料の振込は本日すでに確認済みです」
「大した絵には見えなかったがな」
「何でも、亡くなったお祖母様が若かりし頃に描かれたそうです」
「ああ、だから夜な夜な若い男を求めて彷徨っていたわけか。ティント伯爵家の爺さんは好色で有名だったからな。他の女の家に行ったまま帰ってこない夫へのあてつけが絵に宿ったか。女の情とは恐ろしいな」
用意されたハーブティーを飲みながらそう言うと、オリバーが半目で嫌そうな視線を寄越す。
「なんだ?」
「まさか、そんな話をフィーナ様になさってませんよね?」
「馬鹿を言うな。初心な少女に聞かせて良い話かそうでないかくらいはわきまえている」
オリバーがこれみよがしにホッとするのを、レインは苦々しい気持ちで見る。
「あなたでもそんな配慮ができるなんて知りませんでした。これもフィーナ様効果ですかねぇ」
「なんだそれは」
「そのフィーナ様ですが、そちらも調べました。はい、どうぞ」
それ以上の追求を逃れるためか、早口でごまかし気味に押し付けられた書類を渋々確認する。
「…本当に、実子なのか?」
オリバーはいつの間にかふざけた態度をやめており、神妙な顔でこれに答えた。
「はい。病院に確認したので間違いはありません。念の為ご家族の絵姿を確認したところ、フィーナ様はお父上に顔立ちがよく似ておられるようです。ですが、立ち姿にお母上の面影もありますので、見た目から言っても実子に間違いはないかと」
「では、実の娘に対してメイド…いや、それ以下の扱いをしていたというのか?なぜだ?」
「はいはい、怒る気持ちは分かりますが落ち着いてください」
「落ち着いている」
「いいえ、いつもの1.5倍は苛ついてますね。まあ、私も最初に報告書を見た時は同じように感じましたので咎めませんが…ただ、いくら調べても理由は定かではありません。両親は『出来損ないの呪い子』とよく周囲に漏らしていたようで、だから外には出せないのだと説明していたようです」
それを聞いた瞬間、ダンッと机に手を叩きつけるように立ち上がった。
「出来損ないの呪い子だと?フィーナのどこがそうだと言うのだ」
「だから、落ち着いてくださいって!言ったのは私じゃありませんし、私も同じ気持ちですって!圧が凄いのでとにかく座ってください!」
確かに彼が言ったわけでも、ましてやフィーナを虐げていたわけでもない。
レインは大人しく座り直しながら、腹の底から熱いものが沸き上がるような、今まで感じたことのない気持ちを持て余していた。
「それから、報告書にも書いてありますが、こちらが渡した支度金は全て使い込んだようです。おそらく近いうちに金をせびりに来るのではないかと懸念しています」
レインはそれを鼻で笑った。
結婚を申し込んだ時点で、子爵家の借金をほぼ帳消しに出来るほどの支度金をオリバーが渡しているはずなのに、一向にフィーナに使われる様子も、かの家の借金が減ったという話もきかないことから、どうせそんなことだろうとは思っていた。
オリバーは懸念と言ったが、レインはそれを確信している。
「まさに絵に描いたようなクズ貴族だな。フィーナのような人間がその家の娘など、もはや奇跡に近い」
「そうですね。フィーナ様はあんなにお優しいのに…。報告は以上です。細かい点については、書面の方を御覧ください」
「分かった。引き続き子爵家の動向には気をつけろ。金の件についてはそのうち片を付けるが、しつこいようならしばらくは適当な金額を渡しておけ。フィーナが傷つくようなことだけはさせるな」
「勿論、承知いたしました」
オリバーに下がるよう伝えた後、レインはダントン子爵家の報告書を机上に放った。
どうせ細かく読んだところで胸糞が悪くなるだけだ。
代わりに桜色の便箋を手に取り、ペーパーナイフで丁寧に封を切った。
中の紙にも香水が優しく振られているようで、その香りに年甲斐もなくどきりとする。
(思春期の少年じゃあるまいし…)
『ラブレター』などと言われたが、中身はフィーナの一日が綴られた他愛のない内容で、正直肩透かしをくらった感は否めない。
だが、文面の端々にはレインの体調や忙しさへの気遣いや、できれば直接話しをしたいという思いが見え隠れし、オリバーの言った意味が分からないではない、という気にはなった。
そう、フィーナは多分自分を好いてくれている。
虐げられてきた日々を思えば、それは親愛や敬愛に近いのではないかと思うが、いずれにせよ好意を向けられていることは、いくらこれまでの人生で鈍感の称号を恣にしてきた自分でも分かる。
(あれほど清く美しい娘に好かれて、悪い気のする男はいないだろう?!)
誰に言い訳をするのでもないが、レインは心の中でそう強く主張する。
この3ヶ月の間に、フィーナはがらりと変わった。
見た目の点で言えば彼女を女神のごとく慕う双子の侍女が主な原因だが、よく食べ、よく寝て、精力的に活動した結果、彼女は見違えるように美しくなった。
もともと整った容姿だったが、角度によっては金色に見える薄茶色の髪には艶が出て、乳白色の肌は近くで見てもしっとりとして張りがある。
何より、よく笑うようになった。
オリバーを始めとした使用人たちの話によると、レインが外出している間は屋敷の切り盛りを積極的に行っているらしく、部屋の模様替えや庭の手入れなどは特に楽しそうなのだという。
領地への視察も日を置かず行っているらしく、教会や孤児院ではこれまで培った知識を生かして子どもたちに読み聞かせや文字を教えているというのだから、そこまで手が回らなかった身としては頭が下がる思いだ。
(これからもずっと笑っていてほしい。できればこの家で)
レインは日増しに募るその気持ちが、果たしてフィーナと同じものなのか分かりかねていた。
だが、例え違うものだとしても、もうフィーナを子爵家に返そうとは思わない。
むしろ子爵家に返すくらいなら、あらゆる手を使ってこの家に留める所存だ。
レインはその決意を自分の中で今一度確かめると、次の書類を確認する前にもう一度だけフィーナからの手紙を読むことにした。
オリバーが見ればまっさきに揶揄ってきそうなくらいの、楽しげな笑みをその口元に浮かべて。
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