【完結】君の為に翔ける箱庭世界

嘉神かろ

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最終章 君の為に

エピローグ 君の為に翔けた箱庭世界

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◆◇◆
 あれから、幾度季節が廻っただろうか。幾度星は陽の周りを回っただろうか。正確に覚えているのは、世界という枠組みから外れたもの達ばかりだろう。
 一つ確かなのは、嘗て彼と共に世界を翔けた者はもう、誰一人として残っていない事か。
 彼の最愛も、今は彼の傍らにあるベッドで心臓の音一つ立てること無く眠っている。

 二人の別れを悲しむように、月明りが窓から差し込んでいる。外に見える街並みは、何十年も前に宰相と出会った、リベリアの街のもの。アルジェの別邸があるこの街を、二人は終の地に選んだのだ。彼女の城とを行き来できる転移装置がその別邸にある事を踏まえ、墓参りの便を考えた結果の選択だった。寧音と煉二は一足先にそこに入っている。

「邪魔するわよ」

 二人の寝室に入ってきたのは、三つの気配。アルジェにスズネ、そしてブランだ。三人は静かに扉を閉めて、何を言うでもなく、椅子に座ったままの翔と、傍らに横たわる陽菜を見守る。

「……眠っているみたいでしょう?」

 不意に翔は、陽菜の頬に手を当てて行った。深い皺の刻まれた手に、人の肌とは思えない、ヒンヤリとした感触が伝わる。
 いつもなら当てた手に添えられる彼女の手も、今は動かない。菜の花の様に可憐で陽だまりの様に温かい笑顔も、見せてくれない。

「……火葬でいいのよね?」

 翔は無言で頷いて、真っ白になって尚美しいままだった彼女の髪を整えた。明日には朱里や、他の者たちがそうされたようにアルジェの炎で焼かれ、天に還される。写真ではない、彼女の実の姿を見れるのはその時が最後であった。

「あなた方は、本当に変わらないのですね……」

 どこか羨望の籠った呟きだった。
 アルジェは、陽菜にちらと目を向けてからそっと逸らす。

「……そんな良いものじゃないわよ」
 
 静かな返答には、どれだけの思いが籠っているのか。寿命の見えた今の翔にすら分からない。彼女はこうして、何十人と大切な人や友人たちを見送ってきたのだろうと気が付いて、その内自分もその中に入るのだと気が付いて、己を恥じた。

「すみません……」
「いいのよ。もう、慣れたから」

 かちり、と時計の針を進める音が響いた。

「……ねえ、今更だけど、どうしてこっちに残ったのか、聞いてもいい?」

 スズネの質問に、翔はゆっくり顔を上げる。その視線の先にあるのは、いずれ自分の子どもたちが十分に力を付けたら譲ろうと思っていた一振りの剣だ。

「約束、してたんです。一緒に帰ろうって」

 祐介と。
 続けられなかったその言葉をくみ取って、スズネは一言、そっか、とだけ返す。

「……一つ、お願いを聞いてもらってもいいですか?」
「ええ、勿論」

 翔はゆっくりとした動作で立ち上がり、剣を手に取ると、アルジェの方に差し出した。

「然るべき時が来る前に、俺が死んだら、代わりに子どもたちに渡して欲しいんです」
「……ええ」

 剣をアルジェが受け取ったのを確認すると、彼は表情を和らげて、また始めと同じように椅子へ腰を下ろした。

「……すみません、もう一つ。今夜は、二人きりにしてください」

 一つ頷いて、アルジェ達は踵を返す。二人だけで過ごす最後のひと時だ。邪魔が入らないように結界を張って、そのまま部屋の入口へ向かう。どうせ彼らの子は、もう数日帰って来られない。

「……今日、あなた達に会えてよかった」

 扉を閉めて転移する直前、翔のそんな声がアルジェ達の耳に届いた。

 二人だけになった部屋で、翔は陽菜の手を握る。思いだすのは、彼女の死の間際。翔を独りにしてしまうと、気にしている様子だった。
 ――気にしなくていいよ、陽菜。君のおかげで俺は、ずっと、独りじゃなかった。……幸せだった。

 目を瞑れば、動くさまを髪の毛の一本まで思いだせる、最愛の人。彼女がいたから、神々の箱庭アーカウラでも笑っていられた。

 ゆっくりと目を開ける。耳を澄ませば寝息が聞こえてきそうな、穏やかな顔だ。
 ――君は、幸せだったかな。俺と一緒で、俺の選択でこっちに残って。

 その答えは、もう聞けない。

 ふと気が付くと、辺りが真っ白に染まっていた。驚く間もなく、目の前に陽菜が現れる。濡れ羽色の長髪を揺らし、陽の光のような笑みで彼を照らす最愛の人が。
 ――陽菜、どうして……!

 手を伸ばそうとして気が付いた。陽菜だけではない。翔も、嘗て冒険者として世界を翔けた頃の、若かりし頃の姿に戻っていた。装備も記憶にあるそれとまったく変わらない。
 視線を陽菜の方に戻すと、奥の方には同じく冒険者時代の寧音と煉二の姿がある。寧音が飛び跳ねるようにして手を振り、煉二は眼鏡の位置を調整してから早く来いとばかりに腕を組んだ。
 ――……そっか。

 陽菜の差し出した手を取り、二人の方に向かうと、反対側から来る三つの影に気が付いた。一瞬驚いて見開いてしまった目は、すぐに細められて、少しだけ、光を流す。
 ――迎えに来てくれたのか。

 そう語り掛ければ、朱里は複雑そうに視線を彷徨わせた後、溜息を一つ吐いて、微笑んだ。首をかしげる翔に、祐介が呆れた視線を向けてくる。それもすぐに、いつもの快活な笑みに変わった。その傍らには、彼に寄りそうかおりがいる。
 ――もう離れない、か。祐介、良かったね。

 昔の様に揶揄ってみれば、らしくもなく顔を真っ赤にする親友に、つい翔は破顔する。
 ――なら、さ、また皆で冒険に行こう。今度は二人も一緒に。七人ならどこにだって行けるよ。

 きっと、今度の旅は前より賑やかになる。そんな思いを胸に、翔達は白い世界の先へ歩き出す。

「最後まで一つの思いを貫いたあなた達に、私は敬意を表するわ。……ゆっくり、おやすみなさい」

 かすかに聞こえたその声に翔は一人足を止めて振り返り、お辞儀をしてから仲間たちを追う。彼らはきっと、もう二度と、離れ離れにはならない。



――完――

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