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二章 祐介の為に
第60話 求めるもの
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㉓
巨龍はニヤリと笑ったように少しだけ口角を上げる。美しいとさえ思えるその威容に朱里たちは身をすくめていた。十分に広いはずの広場が、まるで一畳の畳の上のように感じられる。
翔は意を決したように顎を引き、意識して息を吸う。それから、ちらとだけナイルを見た。
「俺たちが求めるのは、二つです。一つはこの地にある『星見の池』」
彼はそこまで言って一度言葉を切り、一層真剣な眼差しでそれと、と続ける。
「俺たちの故郷に帰る方法です」
風を司る翡翠の龍は双眸を細め、朱里たちの顔をゆっくり見回した。どこまでも真っ直ぐな翔の目に、朱里の強く睨みつけるような眼。寧音の縋るような視線と、確固たる想いを秘めた煉二の眼光。そして陽菜の信念に染まった瞳。それら一つ一つを確かめ、フーゼは小さく頷く。
「そうだね、まず一つ目から答えようか」
フーゼは顔を巨木の方へ向けて続ける。
「『星見の池』は、あの中にある。正確にはあの木の根元が池のある空間に通じてるんだ」
「あれが門というわけ、ですね……」
よくよく見ると、木の根元には人一人が辛うじて通れる程度の隙間があった。そこをじっと見つめるナイルの呟きに、フーゼが首肯する。
「彼の地の課す試練を乗り越える事ができたなら、きっと、君たちの願いを叶えてくれるよ。何でもってわけには、いかないけれどね」
少し龍の首を傾けて付け加えられた一言。その意味を正しく捉えて朱里は嘆息する。
ーーそう都合良くはいかないわよね……。
彼女もそこまで期待していたわけではないが、あわよくばという思いはあった。それは翔たちも同様だったようで、それぞれが仕方ないという風に首を振る。煉二だけはまだ期待の籠った眼差しをしていた。
「ナイルさん、あそこを潜れば目的地です。どうしますか?」
気を取り直して翔はナイルに向き合った。彼らの正直なところを言えば、自分たちが異世界からの【転移者】という話をあまり他人に聞かせたくなかったのだ。ナイルを信用していないわけではないが、人の口に戸は立てられない。尤もな用心だろう。
ナイルも商人をしている身であるし、冒険者にとっても秘密にしなければ死に直結する事情は珍しくない。彼は翔の雰囲気をしっかりと察した。
「私は先に行かせて貰いましょう。皆さんの願いが叶う事を願っていますよ」
「ナイルさんも」
フーゼの空けた道を進む彼の背中は満足げで、朱里にはもう目的を達した後のように見える。それだけ自信があるのだろうかと一瞬疑問を抱いた彼女だが、それよりもと直ぐに疑問を頭から消し去った。
ナイルの気配が消えたのを確認したフーゼは改めて朱里たちの表情をじっと見つめ、それから気負う様子もなく思念を飛ばす。
「それじゃあ二つ目の問に答えよう。君たちが故郷となる世界に帰る方法だったね。残念だけど、僕は知らないな」
あまりに軽い調子で告げられたそれは、少年少女を落胆させるには十分なほど重いものだった。とは言え、彼女らもそう簡単に手がかりが見つかるとは思っていない。
――予想はしていた事よ。切り替えていきましょう。
落ち込みかけた自身の心にそう言い聞かせ、首を振って暗雲を払う。それから仲間たちの顔色を伺った朱里の目に映ったのは、それぞれの方法で前を向く友人たちの姿だった。
「それじゃあ、何か手がかりになりそうなことを知りませんか」
改めて聞いたのは翔だ。これにフーゼは、さぁ? と答えて人間の姿に戻る。
「でも、あそこに行けば何か得られるんじゃないかな?」
フーゼに釣られて朱里たちの視線を向けた先は、つい先ほどナイルが消えた巨樹の根元。それはナイルの依頼を受けた際に考えたことでもあった。
――問題は、どういった試練かね。
「池に行ってみる気があるのなら、少しだけ試練について教えてあげようか?」
どこからともなくティーテーブルと椅子を一つ取り出して腰掛けながらフーゼは言う。その手元には見覚えのあるイチゴのショートケーキと紅茶があった。
「いいんですか?」
「うん、全然かまわないよ。アルジェにはよく美味しいお菓子を御馳走になってるから、そのお礼?」
イチゴを口に放り込む彼は何かを企んでいる様子はない。尤も相手は数千年を生きる秩序の支配者だ。地球の法律で成人したばかりという年齢の朱里たちにその腹の内を読むことは難しい。
「私たちばっかり、ちょっとズルいですかねー?」
幸せそうにケーキを頬張る姿を見て緊張が緩んだのか、寧音がそんな気の抜けた声を発した。視線は白い生クリームに釘付けで、朱里も思わず脱力してしまう。
「あー、先に行った彼の事なら気にしなくていいよ。それより、君も食べる?」
「あ、はい、食べますー」
寧音の返事を聞くや、フーゼは椅子とケーキ、紅茶を用意して彼女に勧めた。それから朱里たちもどうかと視線を向けてきた。手を横に振って断る朱里たちには、そ、と短く答えて気にした様子は無い。こんな時でもマイペースな寧音が少し、朱里はうらやましかった。
そんな寧音を見て微笑みを浮かべる煉二を横目に、朱里は肘を抱える。
「ん? あぁ、ごめんごめん。試練についてだったね」
フーゼは朱里が少し苛立ってきていることに気が付いたらしい。本当に悪いと思っているのか疑いたくなる調子でそう言ってから紅茶を口に含み、改めて翔たちの方へ向き直った。
「そうだね、君たちに課されるなら、まず間違いなく戦闘系になるかな。難易度はそこそこ? まあ、君たちが十全の力を発揮できるなら問題ないと思うよ」
自身にいくつかの視線が刺さるのを朱里は感じた。彼女自身も不安を感じてしまい、出したままになっていた槍をぎゅっと握る。
確かに、陽菜とは一応の和解をした。自分から歩み寄る姿勢を見せる事も出来た。だからといってすぐに連携のズレを修正できるのかと聞かれたら、自信が無かった。
――また、迷惑をかけてしまうかもしれない。下手したら、誰かが……。
最悪の光景が頭をよぎる。
――でも、
帰りたい。お姉ちゃんの所に。それが彼女の願いだ。いつでも、どんな時でも変わらない、願いだ。
「フーゼさん、紅茶を一杯だけください」
「フーゼでいいよ」
彼の差し出してきたカップを受け取り、立ち上る湯気に構わず一気に煽る。痛いくらいの熱さが口内から喉を通り過ぎ、お腹に収まった。
――よし。
「行きましょう」
もう迷いはなかった。翔との事も大事だし、陽菜との事も大事だが、それと同じくらいに、姉の下へ帰ることが大事なのだ。だったら、まずは目の前にあるものを優先して突き進めばいい。ようやく、心の底からそう思えた。
「大丈夫なんだな?」
「ええ」
朱里は真っ直ぐと煉二を見返す。間髪置かない返事に、彼は数秒の間の後に頷いた。それを見守っていた周囲も、ならばと武器の確認をする。少し遅れて、寧音もケーキを急いで食べきった。
「そうそう、願いを書いた紙は〈ストレージ〉から出して身につけておくんだよ」
それぞれが自分の願い書いた紙を取り出してポケットやベルトのポーチに仕舞う。朱里は軍服の胸ポケットへそれを入れた。
「試練を乗り越えられたらその紙は燃えるけど、熱くないから安心して」
各々が視線を合わせ、頷く。それから煉二が寧音の口元についていたクリームを取ったのを確認し、すり鉢状になったその中心へ向けて足を向けた。
木のすぐ下まで来ると、その巨大さが一層よくわかる。根元にある空洞は真っ暗で先が見えない。異空間への門なのだから当然だが、どうしても恐怖が湧き上がってしまう。朱里は捻じれた巨木から感じる生命力の強さに心を奮い立たせた。
「それじゃあ頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
フーゼの視線を感じながら、翔から順に一列でその門を潜る。朱里はいつものように最後尾だ。
――大丈夫。なんとかなる。
一瞬立ち止まって小さく深呼吸し、そう言い聞かせる。だからだろう。フーゼの呟きが聞こえたのは。
「これでいいんですよね?」
それが何を意味するのかは、彼女には分からない。ただ、どこか憂いを含んだ声が何となく頭の片隅に引っかかった。
――戻ったら聞いてみよう。
視界が暗転する中、そう考えた。
巨龍はニヤリと笑ったように少しだけ口角を上げる。美しいとさえ思えるその威容に朱里たちは身をすくめていた。十分に広いはずの広場が、まるで一畳の畳の上のように感じられる。
翔は意を決したように顎を引き、意識して息を吸う。それから、ちらとだけナイルを見た。
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「そうだね、まず一つ目から答えようか」
フーゼは顔を巨木の方へ向けて続ける。
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「あれが門というわけ、ですね……」
よくよく見ると、木の根元には人一人が辛うじて通れる程度の隙間があった。そこをじっと見つめるナイルの呟きに、フーゼが首肯する。
「彼の地の課す試練を乗り越える事ができたなら、きっと、君たちの願いを叶えてくれるよ。何でもってわけには、いかないけれどね」
少し龍の首を傾けて付け加えられた一言。その意味を正しく捉えて朱里は嘆息する。
ーーそう都合良くはいかないわよね……。
彼女もそこまで期待していたわけではないが、あわよくばという思いはあった。それは翔たちも同様だったようで、それぞれが仕方ないという風に首を振る。煉二だけはまだ期待の籠った眼差しをしていた。
「ナイルさん、あそこを潜れば目的地です。どうしますか?」
気を取り直して翔はナイルに向き合った。彼らの正直なところを言えば、自分たちが異世界からの【転移者】という話をあまり他人に聞かせたくなかったのだ。ナイルを信用していないわけではないが、人の口に戸は立てられない。尤もな用心だろう。
ナイルも商人をしている身であるし、冒険者にとっても秘密にしなければ死に直結する事情は珍しくない。彼は翔の雰囲気をしっかりと察した。
「私は先に行かせて貰いましょう。皆さんの願いが叶う事を願っていますよ」
「ナイルさんも」
フーゼの空けた道を進む彼の背中は満足げで、朱里にはもう目的を達した後のように見える。それだけ自信があるのだろうかと一瞬疑問を抱いた彼女だが、それよりもと直ぐに疑問を頭から消し去った。
ナイルの気配が消えたのを確認したフーゼは改めて朱里たちの表情をじっと見つめ、それから気負う様子もなく思念を飛ばす。
「それじゃあ二つ目の問に答えよう。君たちが故郷となる世界に帰る方法だったね。残念だけど、僕は知らないな」
あまりに軽い調子で告げられたそれは、少年少女を落胆させるには十分なほど重いものだった。とは言え、彼女らもそう簡単に手がかりが見つかるとは思っていない。
――予想はしていた事よ。切り替えていきましょう。
落ち込みかけた自身の心にそう言い聞かせ、首を振って暗雲を払う。それから仲間たちの顔色を伺った朱里の目に映ったのは、それぞれの方法で前を向く友人たちの姿だった。
「それじゃあ、何か手がかりになりそうなことを知りませんか」
改めて聞いたのは翔だ。これにフーゼは、さぁ? と答えて人間の姿に戻る。
「でも、あそこに行けば何か得られるんじゃないかな?」
フーゼに釣られて朱里たちの視線を向けた先は、つい先ほどナイルが消えた巨樹の根元。それはナイルの依頼を受けた際に考えたことでもあった。
――問題は、どういった試練かね。
「池に行ってみる気があるのなら、少しだけ試練について教えてあげようか?」
どこからともなくティーテーブルと椅子を一つ取り出して腰掛けながらフーゼは言う。その手元には見覚えのあるイチゴのショートケーキと紅茶があった。
「いいんですか?」
「うん、全然かまわないよ。アルジェにはよく美味しいお菓子を御馳走になってるから、そのお礼?」
イチゴを口に放り込む彼は何かを企んでいる様子はない。尤も相手は数千年を生きる秩序の支配者だ。地球の法律で成人したばかりという年齢の朱里たちにその腹の内を読むことは難しい。
「私たちばっかり、ちょっとズルいですかねー?」
幸せそうにケーキを頬張る姿を見て緊張が緩んだのか、寧音がそんな気の抜けた声を発した。視線は白い生クリームに釘付けで、朱里も思わず脱力してしまう。
「あー、先に行った彼の事なら気にしなくていいよ。それより、君も食べる?」
「あ、はい、食べますー」
寧音の返事を聞くや、フーゼは椅子とケーキ、紅茶を用意して彼女に勧めた。それから朱里たちもどうかと視線を向けてきた。手を横に振って断る朱里たちには、そ、と短く答えて気にした様子は無い。こんな時でもマイペースな寧音が少し、朱里はうらやましかった。
そんな寧音を見て微笑みを浮かべる煉二を横目に、朱里は肘を抱える。
「ん? あぁ、ごめんごめん。試練についてだったね」
フーゼは朱里が少し苛立ってきていることに気が付いたらしい。本当に悪いと思っているのか疑いたくなる調子でそう言ってから紅茶を口に含み、改めて翔たちの方へ向き直った。
「そうだね、君たちに課されるなら、まず間違いなく戦闘系になるかな。難易度はそこそこ? まあ、君たちが十全の力を発揮できるなら問題ないと思うよ」
自身にいくつかの視線が刺さるのを朱里は感じた。彼女自身も不安を感じてしまい、出したままになっていた槍をぎゅっと握る。
確かに、陽菜とは一応の和解をした。自分から歩み寄る姿勢を見せる事も出来た。だからといってすぐに連携のズレを修正できるのかと聞かれたら、自信が無かった。
――また、迷惑をかけてしまうかもしれない。下手したら、誰かが……。
最悪の光景が頭をよぎる。
――でも、
帰りたい。お姉ちゃんの所に。それが彼女の願いだ。いつでも、どんな時でも変わらない、願いだ。
「フーゼさん、紅茶を一杯だけください」
「フーゼでいいよ」
彼の差し出してきたカップを受け取り、立ち上る湯気に構わず一気に煽る。痛いくらいの熱さが口内から喉を通り過ぎ、お腹に収まった。
――よし。
「行きましょう」
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「大丈夫なんだな?」
「ええ」
朱里は真っ直ぐと煉二を見返す。間髪置かない返事に、彼は数秒の間の後に頷いた。それを見守っていた周囲も、ならばと武器の確認をする。少し遅れて、寧音もケーキを急いで食べきった。
「そうそう、願いを書いた紙は〈ストレージ〉から出して身につけておくんだよ」
それぞれが自分の願い書いた紙を取り出してポケットやベルトのポーチに仕舞う。朱里は軍服の胸ポケットへそれを入れた。
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各々が視線を合わせ、頷く。それから煉二が寧音の口元についていたクリームを取ったのを確認し、すり鉢状になったその中心へ向けて足を向けた。
木のすぐ下まで来ると、その巨大さが一層よくわかる。根元にある空洞は真っ暗で先が見えない。異空間への門なのだから当然だが、どうしても恐怖が湧き上がってしまう。朱里は捻じれた巨木から感じる生命力の強さに心を奮い立たせた。
「それじゃあ頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
フーゼの視線を感じながら、翔から順に一列でその門を潜る。朱里はいつものように最後尾だ。
――大丈夫。なんとかなる。
一瞬立ち止まって小さく深呼吸し、そう言い聞かせる。だからだろう。フーゼの呟きが聞こえたのは。
「これでいいんですよね?」
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