婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~

ダルい

文字の大きさ
1 / 7

第一話

しおりを挟む
「……はあ。もう、無理かもしれない」
 ため息というのは、幸せを逃がすためにあるんじゃない。体の中に溜まった泥のような疲労を、これ以上溜め込まないように吐き出すための防衛本能だ。
 そう自分に言い聞かせても、一度口から出てしまった重たい空気は、私の心にまた一つ影を落とすだけだった。
 駅前のロータリー。金曜日の夜二十一時。
 私はヒールの踵(かかと)でアスファルトをコツコツと鳴らしながら、重い足を引きずって歩いていた。
 今日参加したのは、都内某所で開催された『年収600万以上限定・安定男性との出会いパーティ』。
 参加費は女性三千円。決して安くはないが、将来への投資だと思って捻出した。
 結果は、惨敗。
 いや、マッチングしなかっただけならまだいい。
『え、早川さん二十九歳? 来年三十路(みそじ)じゃん。俺、子供二人欲しいからさー、やっぱ二十五歳くらいまでが理想なんだよね』
 対面に座った、腹の出た三十五歳の男の言葉が、脳内でリフレインする。
 初対面の、しかも自分より年上の男に「年齢」という数字だけで値踏みされ、足切りされる屈辱。
 言い返してやりたかった。「鏡を見てから言え」と叫びたかった。
 けれど私は、ひきつった愛想笑いを浮かべて「そうですよね、ごめんなさい」と謝ることしかできなかったのだ。
 だって、彼が言っていることは、この婚活市場における残酷な「真実」だったから。
「……お腹、すいたな」
 気を使ってロクに喉を通らなかったウーロン茶の味を思い出しながら、私はふらふらと自分の住むマンションのエントランスをくぐった。
 築十五年。オートロック付きの2LDK。
 本来はファミリー向けのこの物件に、私は一人で住んでいる。
 正確には、三年前までは姉と二人で住んでいたのだが、姉がさっさと結婚して出て行ってしまったため、広い部屋に取り残されてしまったのだ。
 エレベーターで五階へ。
 廊下の突き当たり、502号室が私の城だ。
 鍵を取り出そうとバッグを漁る。
 その時だった。
 ガチャリ。
 私の部屋ではなく、隣の503号室のドアが、絶妙なタイミングで開いたのは。
「――おかえり、結衣姉(ゆいねえ)」
 開いた扉の隙間から、ふわりと出汁(だし)の優しい香りが漂ってくる。
 そして、その香りよりもずっと温かい声が、私を出迎えた。
 瀬戸(せと)湊(みなと)。
 私の隣に住んでいる、幼馴染の男の子だ。
「……ただいま、湊。また、タイミング良すぎじゃない?」
「足音でわかったから。今日のヒールの音、いつもより元気なかったし」
 さらりと言ってのける彼は、まだあどけなさが残る顔立ちを、少しだけ大人びた苦笑に歪めた。
 身長は百七十五センチ。私よりずっと高い目線。
 着崩したブレザーの制服。緩めたネクタイ。
 地元の進学校に通う、高校一年生。十六歳。
 三歳の頃から知っている、弟のような存在。
 ……そして、今の私にとって、唯一の「避難所」でもあった。
「ご飯、まだでしょ? 今日は胃に優しいもの作ったから。こっちおいで」
「え、でも悪いよ。湊もテスト期間中でしょ?」
「俺はもう食ったし、勉強も終わった。結衣姉の顔色が悪いのは見ればわかる。……ほら、鞄(かばん)貸して」
 有無を言わせない強引さで、湊は私の手から重たいブランドバッグをひょいと取り上げる。
 その自然な仕草に、私の胸の奥がキュン、と音を立てる。
 いや、違う。これはときめきじゃない。
 あまりにも疲弊した心に、人の優しさが染みただけだ。相手は高校生。犯罪だぞ、早川結衣。
 抵抗する気力もなく、私は促されるままに503号室――瀬戸家へと足を踏み入れた。
 瀬戸家のご両親は共働きで、夜は遅いことが多い。だから昔から、こうして湊と二人で過ごす時間は日常の一部だった。
 ダイニングテーブルには、湯気を立てる鍋焼きうどんが用意されていた。
 卵、鶏肉、長ネギ、そして私の大好きなかまぼこ。
 彩りも完璧なそれは、高級レストランのディナーなんかより、ずっと私の食欲を刺激した。
「……いただきます」
 一口すすると、優しい出汁の味が五臓六腑に染み渡る。
 張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。
「……おいしい」
「よかった。大盛りじゃなくてよかった?」
「うん、ちょうどいい。……ほんと、湊はお嫁に行けるよ」
「俺は男だっての」
 向かいの席に座った湊は、頬杖をつきながら、うどんを啜(すす)る私をじっと見つめている。
 その視線がなんだか恥ずかしくて、私は誤魔化すように口を開いた。
「今日ね、また言われちゃった。年齢のこと」
「……また?」
「うん。子供産むなら二十五歳までがいいとか、なんとか。……私だってわかってるよ。もう二十九だし、肌だって曲がり角だし、可愛げもないし」
 愚痴だ。最悪だ。
 疲れているとはいえ、十六歳の男の子に、三十路手前の女が婚活の愚痴をこぼすなんて。
 私は自己嫌悪で箸を止めそうになる。
 けれど、湊は怒らなかった。
 呆れもしなかった。
 ただ、少しだけ目を細めて、静かに言った。
「その男、見る目ないね」
「え?」
「二十五歳がどうとか知らないけど。今の結衣姉が一番綺麗だよ。俺はそう思う」
 真顔だった。
 お世辞を言う時の、へらっとした笑顔じゃない。
 射抜くような、真っ直ぐな瞳。
 ドキリ、と心臓が跳ねる。
 高校生のくせに。弟分のくせに。
 時々、彼はこういう顔をする。私を「姉」ではなく、一人の「女」として見ているような、そんな熱を孕(はら)んだ目を。
「……ありがと。湊にそう言ってもらえると、元気出るよ」
 私は動揺を悟られないように、あえておどけた調子で笑って見せた。
 そうだ。これは慰めだ。身内の欲目だ。
 真に受けちゃいけない。
「さ、食べちゃおっと。明日も仕事だしね」
 私は再びうどんに向き直る。
 だから、気づかなかった。
 私のつむじを見つめながら、湊が小さく、誰にも聞こえない声で呟いた言葉に。
「……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」
 その独占欲に満ちた呟きを知るのは、もう少し先の話だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...