月明かり

赤城坂 雛苺

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和登とユク

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夜気で覆われ、しんと静まり返った深夜。 
ぼうっと和登はその静かな住宅街から見えるオフィス街を眺めていた。 

オフィス街にあるビルはポツポツと灯りをともしており、それは街灯の明かりしかない住宅街とは正反対だった。 
和登は住宅街にいながらもまるでそのオフィス街にいるような心情だった。 

和登はどうも人間関係が上手くいかなかった。 
家族、友人、恋人。 
どんな人達とも上手に付き合うことが出来ずにいた。 
今日も例外ではなく、それが故に心が落ち着かずに今に至る。 

「和登。どうして夜景がこんなにも美しいか知ってるかしら?」 

そう問いを投げかけてくるのは和登のたった1人の友達だった。 
名をユクという。本名ではない。 
でもユクがユクとしか名乗らないので和登は仕方なくユクと読んでいた。 

「それは」 

はっと口を紡ぐ。 
静寂な住宅街の夜気がどこかに失われてしまうような感覚があった。 

「それは?」 

お構いなしと言わんばかりに平然と聞いてくるユク。 

「それは、わからない。そもそも夜景だなんて労働者が汗水垂らして作ってるものだ。夜空のように美しいとは思えない」 

と小さな声で答える。 

そうだ、夜景だなんて美しくない。どれだけ大変な思いで生まれているのか…ユクはしらないのだろうか? 
そんな疑問が和登の中に生まれるが、ユクはそれを当然のごとく見抜いているように話しかけてくる。 

「和登は主観的すぎるのよ。もっと外から見なさい。あなたはきっと夜景の中を覗きながら話しているでしょう?」 

とユクはいう。そして、そうじゃないの。と付け足す。 

「いい?和登。夜空が美しく見えるのは、貴方があの星をまじかで見た事がないから。そして夜景が美しく見えないのは、貴方が夜景の中まで入ったことがあるからなのよ」 

それは、そうだ。宇宙旅行など日本に住む一般人には無縁の話だからだ。 
それなのに何故ユクはそんな事を言えるのだろう? 

「何故?それはね、和登。少し考えれば分かるわ。星だってまじかで見れば美しくもなんともないのよ。夜空に美しく輝く月はクレーターだらけで太陽の光がなければ輝いてないの。クラシックにもなっている木星は遠くから見ればいくつものボーダーで綺麗に見えるけど、本当は生物が住めない嵐しかない星…」 

1呼吸をするユク。すぅっと息を吸って、ふぅと息を吐く。 

「あなたの主張じゃ夜空も美しくないわ」 

そう言ってこっちを見つめてくる。 
心を見つめられているようなその視線はあまり好きになれないものだった。 

「それは、そうかもしれない、けど。これは結局なんの話しなんだ?」 

最初の問いはどうして美しいのかだった。 
それなのにどうしてそこまでして僕の発言を否定されなければ行けないのか?和登には分からなかった。 

「だから貴方は客観的に物事を見なさい。主観的になりすぎると自分の中でしか考えられないものよ。改めて聞くけれど、どうして夜景が美しいのか知っているかしら?」 

「…わからない。」 

わからないものはわからなかった。和登にはどうしても夜景が美しいとは思えなかった。 
それに対してユクは「そう。」とどこか悲しそうに呟く。 

「知りたい?」 

そうやって質問を変えてくる。 
知りたいか知りたくないかで言えば興味がある話ではあった。 

「知りたい」 

そう答えるとユクは嬉しそうにする。 
クスッと笑うその声は鈴の音色のように美しく、儚げであった。 

「それは遠くから見るからよ。夜景の中に居てもその場所を夜景とは表現しないでしょ?夜空もいっしょ。夜空の中にいるってことは宇宙にいるってことなの」 

「それは、確かに」 

宇宙にいればきっとユクが言っていたように星が綺麗に見えないのかもしれない。それは憶測に過ぎないが、確かに夜景を作り出している街の中に居ればそれは美しくともなんともないのだろう。 

「この考え方はね、客観的というのよ和登」 

そんなの、中学で習う話だ。社会に出ているのに舐められているような気分になる。 

「案外、客観的に物事を捉えるのは難しいのよ。いまの和登みたいにね。客観的に見れば目の前の夜景も綺麗なんじゃないかしら?」 

そうやって夜景を見つめるユク。 
それに習って夜景を見つめてみる。 

夜空とは違う一つ一つの光が集まった風景。 
それは不規則に並んでおり、車がつくりだす光は流れてゆき、秩序のある昼のオフィス街とは違うように見える。 

「和登?この光はね、あなたと同じ人間が生み出しているのよ。そして、あなたも例外でなくこの夜景の一部になることもあるでしょう?」 

自分と同じ人間が作っている世界。でも、今の自分は住宅街にいる1人。 
和登の心は少しずつ静かな住宅街へと引き寄せられてきていた。 

「あなたはね、自分のことが美しくないと思っているでしょう。そして、夜景の中身が美しくない事を知っている。けれどね?少し視点を変えればあなたも夜景も美しいのよ」 

そうやって微笑みを浮かべるユク。 

「今は分からなくてもいいの。いずれ自分の美しいと思える見方が見えてくるはずだから」 

「そう、なのか?」 

自分が美しいだなんて考えたことがなかった。 

「そうよ。少なくとも私はあなたが美しと思うわ。人のために頑張って生きているそれが美しいと私は思うの」 

そう言うとゆっくりとその場から離れていくユク。 
いつもの事だった。訳の分からない話をして、気が済むとどこかえ去ってしまう。 

「和登。また貴方が悩む時に私は来るから」 

そう言って夜闇に消えていってしまった。 

そこは静かな住宅街で、寿命なのか街灯の明かりが消えてしまう。 
和登の心は住宅街へと帰ってきていた。 
ユクの言うことは和登にとって難しく分からないことが多いけれど、忙しなかった心が落ち着いていた。 

明かりの消えた住宅街だが、月明かりが和登を優しく照らしていた。
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