黒豚辺境伯令息の婚約者

ツノゼミ

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7代目デュロック辺境伯爵編

懸念

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物憂げな瞳にしなやかな手足、流れる髪の一筋まで描き込まれたその足元には、弓を携えた狩りをする乙女の姿もある。

「こっちはヴィオラじゃない?」
「そんな!私こんな美人じゃないです!」
「断りもなく人をモデルにするなんて、失礼しちゃうわ。でも、この絵に免じて許してあげる。」
「ありがとうございます!描くのが好きってことだけは誰にも負けたくないんです!」

“ネモ”は新しいイメージを手に入ると、デイビッドに何度も礼を述べ、またトムティットに送られて今度は自分の足で鏡の中へ入り、遠く離れた自宅へと帰って行った。 


涼しい部屋でお腹も膨れたヴィオラは、課題のノートを開き教科書を出そうとしてそのまま眠ってしまった。
デイビッドはそれを起こさず薄掛けをかけてやると、自分は片付けと夕食の仕込みに専念した。

再び保冷庫を開けに来たシェルリアーナが、その後ろ姿に蹴りを入れる。

「な゙っ!にすんだよ!皿落とすとこだったじゃねぇか!!」
「アンタこそナニ考えてんのよ!幽閉した王族を外に出したら処罰物よ!?」
「チッ…バレたか…」
「アンタ私が魔女だって忘れてんでしょ?!お生憎様ね!いくら変装したって魔力の性質は変えられないの!特に王家の色は特殊だから直ぐに分かるのよ!」
「あーーーー………じゃ、秘密で……」
「タマにはヒミツじゃない事してみせなさいよ!!言っとくけど、私がアイツを許すことなんて無いわよ!?ヴィオラの前だからこそ知らない振りしただけで、脳天かち割りたいくらいは思ってるんだからね?!」
「俺だって同じだよ。ただ、あの絵が惜しくて手を貸してるだけだ…」
「……確かに…あの絵は一級品だったわ…」

シェルリアーナも思わず感心してしまうほど、“ネモ”の絵には人の心を惹き付け掴んで離さない魅力がある。

「俺も許したワケじゃねぇよ、ただ割り切って付き合える程度にはあの絵に価値があると思ってる。」
「そう言ってその内ケロッと忘れて内側に入れちゃうんでしょ?私は断固反対するわよ!?」
「わかったわかった……」

適当にはぐらかすデイビッドに、シェルリアーナはキツい視線を向けながら保冷庫のゼリーを取り出し、嫌なとこを忘れるように口に運んだ。



シェルリアーナは師匠“ギディオン”と通話するのは一月の内、第二と第四の土曜日の夜と決めている。
その日だけは誰からの誘いも断り、部屋に何重もの結界を張って夜が更けるまで師匠と向き合うのだ。

現在の課題は王都全域に張り巡らせられる程の魔法結界の構築式を組み上げること。
これが叶えば、あの結界装置は王家の手を離れ本来あるべき場所と、正当な権利を有する者たちの元へ還す事ができるのだ。
この夜もいつもの様に通信の魔導を繋げ、師匠が現れるのを待っていた。

しかし、画面に映されるのはいつも外の風景や鉢植えの魔法植物や薬棚ばかり。
今夜も淡い期待は外れ、コポコポと僅かな音を立てる複雑な形のガラスの蒸留器が映っているだけだった。

[ 親愛なる我が弟子、シェルリアーナ君!今宵も話し相手になってくれて嬉しいよ。さて、前回のおさらいだが… ]

穏やかで心地の良い声に、シェルリアーナは多くの知識と技術と何より癒しを与えられている。
恍惚とした表情で師匠の言葉を噛み締めていると、珍しくギディオンから頼み事をされた。

[ そうそう、すまないが今度昼間でもいいからデイビィボーイと話がしたくてね。手紙だと時間もかかってしまう。いつでも構わないが近く繋げてくれないかね。 ]
「もちろんですわ!明日にでもお話できるようにします!」
[ 助かるよ。おお、もうこんなに夜が更けてしまったのか!いつも遅くまですまんね、楽しかったよ。お休みシェルリアーナ君。 ]
「こちらこそ!お休みなさいませ師匠!」

通信が切れ、ただのガラス板に戻った魔道具を惜しげに見つめていたシェルリアーナは、脇のダイヤルをキリキリと回し、切れた魔道具に魔力を流し入れた。
すると先程までの映像が再び映し出される。
この録画機能はシェルリアーナのアイデアで付けられた王族用の試作品。
通常の通信機には価格や魔力出量の都合上付けられていない。

(何かないかしら…)
会話ではなく、部屋中にくまなく目を凝らし、師匠の姿がどこかに映らないか必死に探すが、蒸留器にはランプの明かりが反射するばかりで人影すら映らない。
(今回もダメだったわ…きっと師匠も気を付けてるんでしょうね。)
シェルリアーナは自身が変わるきっかけとなり、素晴らしい知識を惜しみなく注いでくれる師匠ギディオンの姿を一目でいいから見たいと思っていた。
(どうして隠れてしまわれるのかしら…私は師匠がどんなお姿であろうと心から受け入れますのに…)
今度こそ魔道具を切ったシェルリアーナは、ベッドへ入ると幸せな気分ともどかしい気持ちを抱いていて眠りに就いた。


「ちょっとアンタ!今暇でしょ?そこに座んなさい!」
「お前の目はガラス玉か何かなのか…?」

ヴィオラとライラを見送ったデイビッドが、流しで1人豆のサヤをちまちま剥いていると、仁王立ちのシェルリアーナが現れた。

「豆なんかより師匠のご用事の方が大事でしょ!?いいからこっち来なさいよ!!」
「へーへー…」

なんの事だかすら分からないデイビッドがエプロンをかけたままカウチへ座ると、またあの通信の魔道具が作動し、画面に日当たりの良い夏の花が咲くバルコニーの映像が映し出される。

「師匠!早くから申し訳ありません、シェルリアーナですわ!」
「お~い爺さん!なんか用か~?!」
[ おお!もう繋げてくれたのか!早くて助かった、本当に気が利く弟子だなぁ。 ]
[お約束通りお繋げしましたわ、師匠!]
[ デイビィ!良かった、これで話ができるな!調子はどうだ?具合など悪くしてはおらんか? ]
「別に?こっちはなんともねぇぜ。」
[ なら良かった!時にお前さん、父親から当主の印を騙し取ったと言うのは本当か? ]

その発言に、デイビッドは一瞬キョトンとしたが、直ぐに不機嫌な表情になった。

「なんだそりゃ!あのクソ親父が遊ぶ時間欲しさに押し付けてったんだよ!」
[ だろうなぁ。そんな事だと思ったよ。しかし、本家の人間はそうは思っていない様だ。お前さんが優秀な父を妬んで、成り代わろうと奪い取ったと言う話になっとる。 ]
「あのクソ親父に妬ましいところがあるか…?!」
[ 世間の眼とは恐ろしいな。あの快楽主義の男が周りには優秀な為政者の右腕に見えているのさ。 ]
「噂って…実際に振り回された人間の意見は反映しないの、なんでなんだ?」

それは「振り回された人間」が噂を広めた訳では無いからだろう。
迷惑を被った者の声はただの妬みとされ、カリスマ的英雄を讃える者たちの耳には届かない。

[ 本家では大騒ぎのようだぞ?“次期当主”の座を狙って当主印を欲しいままにしているとな。 ]
「…親父からは、次期当主なんだから先に持ってろって渡されたんだけどよ…?」
[ そうか…お前さんはのか… ]
「知らねぇって、何を…?」
[ いや、わかった。それについてもきちんと話してやる。そろそろお前さんの身体も心配だからな。近い内に一度帰って来なさい。 ]
「帰るって…デュロックに?!」
[ 当然だろう?久々に顔を見せに来い。 ]
「今見せりゃいいじゃねぇかよ!」
[ そうもいかんことは、お前さんも良く知っておるはずだ。いいか?必ずだ!必ず帰って来る事だ、忘れるなよ?お前さんの人生に関わることだぞ?!ではな! ]

フツリと切れた通信機の前で、デイビッドとシェルリアーナは置き去りにされたような気持ちでしばらく動けなかった。


(厄介な事になった…)
デイビッドは故郷が嫌いだ。
正確には故郷を牛耳る人間達が大嫌いだ。

幼少時、サウラリースの領地で祖父母に可愛がられていたデイビッドは、一族の他家からは疎まれていた。
デュロックの本家は、デイビッドが産まれた事で完璧な両親の価値を下げ、唯一の汚点となった事を恨んでいるそうだ。 一族の集まりに顔を出せば、王都の人間達より酷く罵倒され、他家の子供との明らかな扱いの差をわざと見せつけられた。

子が産まれても家に帰らない両親に代わり、愛情深く育ててくれた祖父と祖母には、デイビッドも感謝している。
その反面、両親のお荷物として産まれた自分が迷惑になっていないか不安があった。
だからこそ、家を出された時もう二度と帰らないと誓ったのだ。

デイビッドが口にする“デュロック”の名は、先代当主の祖父が背負ったものであり、決してデュロックの総家を指すものではない。
領地は領地、当主は当主と分けられた特殊な家系だからこそ、その名を業として背負う覚悟を決めた矢先に、まさか帰って来いとは…

そもそも、ギディオンがここまでデイビッドに構おうとするのも珍しい。
(何かあるんだろうな…帰るのか…)

デイビッドが鬱々と考え事をしていると、その肩をシェルリアーナが揺さぶった。

「ねぇ!アンタ帰るの!?家に?!」
「家はねぇけど、まぁ、呼ばれたしな…」
「帰るのよね!?デュロックの領地に!そうなんでしょ!?」
「そりゃまぁ、帰らねぇわけにもいかねぇみたいだし…」
「連れてって!!」
「は?」
「私も連れてって!!」
「…なんで?!」
「会いに行くのよ!師匠に!」
「嫌がると思うけど…?」
「こうなったら何が何でもお会いして師匠のご尊顔拝み倒してやるわ!!」
「迷惑な弟子だな…」

こちらの事情はお構いなしにグイグイ迫って来るシェルリアーナに、デイビッドも深く考えるのが馬鹿らしくなった。
帰って来いと言うのだから、一度帰って、またここへ戻ってくればいいだけの事だ。

(ヴィオラにも話さないとな…)
夏休みが始まったら早速向かおうと、デイビッドは頭の中で短い旅の計画を立て始めた。
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