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麻田麻尋

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0章

5夜 人間嫌いの境界妖精

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「ほら、砂を落としましょう」
 母親はキースの手を引き、裏口の扉を開けた。
 裏口の扉を入るとすぐ、風呂場があるのだ。
 母親は細い手首で、シャワーのハンドルを握った。
 冷水が流れ落ち、キースの素足についた砂を洗い落としてくれる。
 ガタガタと、天井から音が聞こえる。
 シャワーの音とは違う物音に、キースはぶるりと肩を震わせた。
「おかあさん。てんじょうから、おとが」
「ネズミさんが居るのよ。危ないから、近づいちゃ駄目よ」
 有無を言わさぬ勢いで、アエテルがキッパリと言い放った。
 悪戯が見つかった時のような形相だったので、キースはそれ以上何も言えなかった。







 シャワーで汗と砂を流し、夕飯も食べ、あとは寝るだけとなった。
 キースはベッドの中で、本日の夕飯に思いを馳せていた。
 夕飯はパンと焼き魚だった。今日釣った魚をハーブで包み、グリルでバター焼きにするという簡素な料理だ。
 キースは張り切って魚を五匹程釣ったが、アエテルが「食べ切れる分だけにしましょう」と三匹を残して他の魚さん達は海へと返したのだ。
 釣った魚は三匹。キースが一匹食べて、てっきり母親がニ匹食べると思っていたがーー母親は、一匹しか食べなかった。
 明日の分にとっておくのか? それならば、四匹持ち帰れば良いのに。
 どうして三匹なのだろう? キースは、疑問に思った。
 それにしても魚を食べるのは、いつぶりだろうか。
 今晩はおかずがあるだけ、キースにとってはご馳走様だった。
 ゼノクロノス王国は、経済政治人口全てにおいて中央白府ちゅうおうはくふに集中している。
 中央白府ちゅうおうはくふ以外の府である北方赤府ほっぽうせきふ東方黄府とうほうおうふ西方緑府せいほうりょくふ南方青府なんぽうせいふは中央近郊栄えているが、それ以外は基本的に過疎地域にあたる。
 ガタガタと、また天井から音がした。
 やはり、何かが居るに違いない。
(もしかして、さかなをさんびきのこしたのは、ネコさんにあげるためかも)
 キースは犬の次に、猫と兎が好きだ。
 ふわふわの毛並みに、ゆるゆると動く尻尾。
 普段は人間には媚びない氷の眼差しをしているのに、寂しくなったら砂糖菓子のような甘い瞳で寄り添ってくるのが猫の可愛いところだと思う。
 そんな猫さんが、屋根裏部屋に居るかもしれない!
 キースは寝室から飛び出し、廊下の壁に立てかけてある開閉棒を握った。
 開閉棒のグリップを握り、天へ掲げるキース。
 屋根裏部屋の扉についている、ラッチレバーの穴に開閉棒の先端を捩じ込む。
 そのまま身体を後ろへ逸らし、開閉棒をキースは引いた。







 物音に気付いたアエテルは夕飯の片付けの手を止め、廊下に駆け付けた。
 しかし、時すでに遅し。
 息子は、屋根裏部屋に登っていた。
 母親は、顔の前で手を組む。
 どうかあの男の子に、息子は侮辱や軽蔑の目を向けませんように。
 自分の心のままに、優しさを使えますように。
 大人はそんな当たり前のことが、出来ないのだから。
 屋根裏部屋から、楽しそうな笑い声が聞こえて来た。
 どうやら母親の心配は、無用の長物だったらしい。







 数分前。
  キースは屋根裏部屋に足を踏み入れるなり、自身の鼻を摘んだ。
 屋根裏部屋で、東洋のお香が焚かれているのだ。
 お香は花々の芳しい香りとハーブで調合されたもので、花の華やかさの後にハーブの清涼感が鼻腔に舞い込んで来る。
 香水は何度か嗅いだことあるが、お香は初めてだ。
 屋根裏部屋には見覚えのない、照明器具が四方の隅に置いてある。
 母親が買って来たのかと思ったが、お香同様王国の文化とはかけ離れた代物だ。
 支柱を漆で真っ黒に塗り、和紙には梅や桜や鶯や竹の絵が描かれている。
 お香の煙で照明の光がゆらゆらと揺れ、怪しい雰囲気を放っている。
 キースはまるで異国の地にやって来たような錯覚を覚え、歩む足が止まってしまった。
「やぁ。いらっしゃい。未来予知の力を借りたいのかな」
 風が吹き抜けるような爽やかな声が、明快に響き渡った。
 声がした方を視線で辿ると、自分と同世代の男児が星空色の絨毯の上で膝を抱えて座っている。
 齢はキースより一つか二つしか変わらない筈なのに、彼の中に居る人間は、とても「子供」とは思えない。
 一国の王のような貫禄と、何千もの戦を生き抜いた将軍のような佇まい。
 空と海の境界の色をした長い髪は、波のように曲線を描いている。その曲線は輪郭と耳を覆っており、彼の横顔は神が計算して生み出した究極の美と言えよう。
 見た者全てを惑わす紫水晶の瞳を、キースは直視出来なかった。
 視線を合わせたら、彼の傀儡になってしまいそうな錯覚を覚えたからだ。
 キースの気に入りの絵本に、花の国の妖精達の物語がある。
 その絵本の王子様に、そっくりな眉目秀麗に容姿端麗な見た目だ。
「ようせいさん?」
「んー。違うけど、それでいいや。人間なんて、自分達の都合が良いように『神子様』だの『悪魔』だの好きなように呼ぶしね」
 男の子の言葉は難しくて、キースにはとても分からない。
「ようせいさんのなまえは? ぼくは」
「知ってるよ。キース レイバン君。初めまして。どうする? 未来を視てあげようか? 初回は、半額だよ」
 どうして、名前を知っているのだろう? 子供には、名前を知られている真の恐ろしさが分からなかった。
「すごい……! いわなくても、ぼくのことわかるの? うらなって!」
「じゃあ、四百フェルカ」
(注釈:一フェルカは、日本円で言う十円)
「おかね、とるの?」
「当たり前でしょう。慈善事業じゃないんだから。俺が嫌いな言葉ーー三位 ボランティア、二位 助け合い、一位 平等」
「え? ボランティア、たすけあい、びょうどうがきらい?」
 世間一般的には、この三つの言葉は子供達に促すものである。
 キースは老婆が転んだら、声をかける善良な男児だ。
 どうして子供らの行動の規範を、悪とするのかーーそれを聞くのは禁忌を犯すかのように思えて、キースは聞けなかった。
「君、お金ないでしょう。対価を支払ってないから、俺が占えば窃盗の烙印を押されるよ」
 海と空の境界色の髪を掻き毟り、妖精は言う。
 四百フェルカは、下級デースペルの日給くらいの金額である。齢三つの子供に、支払える額ではない。
 妖精は左手の薬指で、数回自身のこめかみを押した。
「あ。君が今日作った瓶。アレをくれるなら、簡単な予知はしてあげられるよ。それとも、お守りの方が良いかな。遠縁だけど甕巳ミカミ家とは親戚だし、例えちり紙でも俺が『魔除け』って書いたら魔除けになるよ。呪いを振り撒くことも可能だけれど、これは慎重になった方がいい。一時の目先の感情だけで、他人を呪ったら」
「え? え?」
 矢継ぎ早に提案された言葉に、キースは目を白黒させた。
 何より牛乳瓶に貝殻を詰めた話など、一ミリも彼には話していない。
 何故、知っているのだろう?
「深海の魔力に当てた方が、良いんだけどね。人間では潜れない場所だし……一番エネルギーを抽出出来るのは、人の『美しい』って、思う心だから」
 こっちのペースなどお構いなしに、またよく分からないことを、妖精は言う。
 屋根裏部屋の窓から差し込む月明かりに照らされた彼の姿は、妖しく爛々と光っている。
 キースは余りの美しさに、肩をぶるりと震わせた。
 東洋の諺で「美しい薔薇には、棘がある」なんて、言葉があるくらいだ。
「……あの! あなたのなまえは」
「えー。話の腰を、折る? 名前って、そんなに重要かなぁ」
「ぼくのなまえ、しってるし」
 唇を尖らせ、抗議するキース。
 妖精は小さく首肯した。
「確かに不公平だね。んー。魔術師としての名は、与えられてないし……苗字は馴染みがないしなぁ」
「ファーストネームは?」
「よりによって、心臓に近い部分聞く? マサリだよ、よろしく」
 マサリ……マサリと自分の言葉にする為に、キースは反芻した。
 不思議な響きの名前だ。王国人の名前でないことは、間違いないだろう。
 びゅっと、薄暗く狭い屋根裏部屋で何かが横切る。
「わやややや! ね、鼠!」
 マサリが尻餅をつき、後退る。
 ただでさえ白い顔面は蒼白になり、まるで木乃伊のようだ。
「ネズミ、きらいなの?」
「嫌いなんて、もんじゃないよ! 不潔の象徴じゃないか」
 余程苦手なのだろう。マサリは後退を続けているし、身体を酷く震わせている。
 動転の余り、彼の長い髪までも揺れているではないか。
 輪郭や耳を覆っていたそれが、ふわりと持ち上がった。
 その瞬間を、キースは見逃さなかった。
 耳の長さはほぼ人間のサイズに変わりはないのに、先端だけ尖った耳を彼はしている。
「マサリくんって、ハーフエルフ……?」
 
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