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麻田麻尋

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7夜 ローリエのブルース

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 中年男性マグノーツ ヘヴィンキーとオズウェルの取り計らいにより、簡素ではあるが母親を始め村人達の簡素な葬式は済ませた。
 マグノーツとオズウェルが「讃神魔神レンソイン教」の讃美歌三番を歌い、村人達の死体を土に埋めてくれたのだ。
讃神魔神レンソイン教」はアルストレンジ三大宗教の一つであり、最も信徒が多いとされている。
 簡単に言うと新天地「アルストレンジ」を創造した、レンソイン ウェイノンを唯一神として敬う宗教だ。
「よっと。漁村だから、流木があって助かる」
 マグノーツが海岸から流れ着いた木を運び、オズウェルが十字に立て付け、キースが村人達の名前を掘っていく。
 浜辺で拾った貝殻や、その者が好きだった魚や、遺っている遺品もお供えした。
 マグノーツはせっせとナイフで名前を掘るキースを見て、感嘆の息を漏らす。
「おめー、その年で字が書けるのか。立派なもんだ」
「はい。おかあさんに、ならいました」
「立派な母親じゃねぇか。女なのに、学があってよ」
 当時の王国は、まだまだ男尊女卑の気が残っていた。
 女性の給料は、男性の約三割。王国一の大学の女性の入学者は、全体の一割かつ男性用トイレしかない。
 弁護士も、医者も、車掌も、女性は職に就けなかったのだ。
 女性の一番の出世街道は娼婦になって、貴族と結婚することとすら言われていた。
 世代の差かオズウェルは「女性でも、文字の読み書きくらいは出来ると思うけど」と、腑に落ちない顔をしている。
「坊主。頼れる親戚は居るか?」
「わからないです。あったことないです」
 キースの返事に、大人二人は気まずそうに視線を逸らした。
 キースは、分かっていた。
 自分は、孤児院に入れられるのだと。
 物語ならばこの二人が引き取ってくれるのだろうが、現実はそんな上手く事が運ばない。
 キースの予想通り、その後は施設や孤児院を転々とした。
 悪ガキにぶたれて食事を盗まれたり、キースがやった宿題のノートをビリビリに破かれたり、お気に入りの小説に落書きもされた。数え切れないほどの仕打ちを、孤児院や施設の子供に受けたのである。
 勇気を出して反撃すれば、孤児院の先生に
「そんなことをする子だと、思わなかった! 反省しなさい!」
と、明かり一つない物置きに閉じ込められたこともあった。
 少年キース レイバンが、物事を諦め期待しなくなったのは存外早かった。
 






マーグヌス・マル村の魔獣襲撃事件より、早くも五年。その間孤児院を移った回数は、もはや覚えていない。
 そんな菜の花香る、ある春の日のこと。
 北方赤府ほっぽうせきふの孤児院が、魔獣に襲撃された。皆が寝静まった、深夜のことだった。
 狼型の魔獣が孤児院のドアを食い千切り、孤児院内に侵入して来たのだ。
 狼なので足が速く、顎の力も強靭である。
 一度魔獣に見付かれば、人間の足では逃げられない。
 手を噛まれた! と気付いた次の瞬間には、食い千切られているのだ。
(ああ……ここで僕は死ぬんだ。まぁいいや)
 こんな窮地でも、キースは生を望まなかった。
 生きていれば、いつか必ずいいことが起きるから。
 貴方を苦しめる悪い人達は、いつか必ず神様が罰を下してくれるから。
 貴方の努力は、いつかきっと実を結ぶから。
 大人達は、そんな綺麗事ばかり言う。
 そう言う奴らは、誰もキースの為に動くことはなかった。
 いつかって、何時だよ? 僕は今助けて欲しいんだよ!
 生きていても、良いことなんか一つもない。
死んだ方が、楽になれる。
 帝国との敗戦後において、王国は一度も好景気に回復したことがない。
 明るい未来を夢見れない、若者の自殺が相次いでいると言う。
 キース レイバンは、その理由が少し分かった気がした。
(今死んだら、魔獣襲撃の事故死だよなぁ。どうせ死ぬなら、自分の意思で死にたいなぁ。僕をいじめた奴らに報いたいとまでは思わないけど)
 死に場所が気に食わない奴らと、一緒なのも癪に触る。
 あいつらと同じ墓地に自分の墓が並び、可哀想な魔獣襲撃事故の被害者で一括りにされるのも腹立たしい。
 死んだら悪人も被害者になるのか?  世間から可哀想な一般市民の目で、見られるのか?  
 ふざけるな。あんなクズ共、死んで当然の奴らなんだ。
 そうだ。キース レイバンが生き残ることが、自分に出来る唯一の復讐ではないか?
 腹に覚悟と決意の槍を、構えたキース。彼の行動は、早かった。
 キースは斧で三階の寝室の窓ガラスを割り、木をつたって地上を目指す。
 元々田舎町出身と言うこともあり、木登りは大得意だったのだ。
 魔獣の鈍く重い足音が近付いている。早く逃げねば、自分も食い殺されてしまう。
 キースの人生において、二回目の絶体絶命だった。
 そんな窮地の闇夜の中で、揺らめく人影を木の上からみつけた。
 孤児院の破壊された門戸をきちんと閉めて、この騒ぎの中に飛び込んで来る人間が居るのだ。
 朧月で照らされた彼の姿は、妖精のようだった。
 石灰灯ライムライトのように輝く、金の髪。艶のある、滑らかな肌。吸い込まれそうな深い蒼の瞳。
 こんな美しい人間は、世界に二人と居ない。
 オズウェル ムーンフレイクだ。
 彼は五年前より、更に凛々しく美しくなっていた。
 彼が孤児院内に入ると、凄まじい脚力で魔獣に追い付いた。その姿は人ならざぬ者ーー魔獣よりも、魔獣のよう。
 オズウェルが一度剣を振るえば、魔獣の四肢と首と胴体は斬り落とされている。
 魔獣よりも、この男は速いのだ。
「また君かい。キース君。魔獣と縁があるね」
「オズウェルさん、ありがとうございます!」
 魔獣達は、ピクリとも動かなくなった。
 オズウェルは剣の一合で、六回魔獣の身体を斬りつけたのだ。
 キースは、ぶるりと身震いした。
 ユイの言葉を、思い出したのだ。
 オズウェルはその強さを「他人を守る」為に使える人間なのだ。
 もし彼がその力を人間を傷付ける為に、使ったら……?
(そんな訳ないよ。オズウェルさんは、世界保安団兵だし。北方赤府ほっぽうせきふ最大のセプテントリオ教会の隊長さんだもの)
 この孤児院は、セプテントリオの南隣の町ミノル・デスペラードに位置する。
 ミノル・デスペラードは、産業も文化も伝統も何もない町。
 夢見た若者が王都マリアークに上京するも、夢に敗れて逃げ込む町とも言われている。
 そこそこの都会で、地価は王都の四分の一。家賃は三分の一で、物価も安い。
 そんな町にある孤児院なので、子を捨てる親も訳あり人間が多かった。
 ドタドタと重く激しい足音を鳴らしながら、園長がやって来た。
 禿げ散らかした頭に、たらふく食べて太った身体。
 太い指には、宝石の指輪が全て嵌っている。
 ドアを閉める時も、物を置く時も、コーヒーに砂糖を混ぜる時も動作が荒く音がデカい音だ。
 生活音がデカい奴は、総じて態度もデカい。
 園長も例に漏れずだ。
「お前! 公僕の癖に出陣が遅いぞ! ワシらの税金で、給料貰ってる癖に! この役立たずめ!」
 それは酷い言いがかりに思えた。
 この孤児院からセプテントリオの教会に行くには、列車ならば十五分程。徒歩ならば、半刻はかかる。
 この時間では列車は運転していないので、オズウェルは徒歩で来たことになる。
 魔獣の襲撃から、約十分足らず。
 早い方だ。いや、早すぎる方だ。
(こんなに早く到着するなんて、修行積んでるんだろうなぁ……)
 当のオズウェルはケロっとした様子で、園長とキースを一瞥した。
「その理屈で言うなら……貴方は園児の親御さんから保育料を頂きながら、まともに運営出来てませんね」
 みすぼらしい服を着たキースの痩せ細った身体に、恰幅の良い身体に宝石をジャラジャラつけた太い指をした園長。
 痛いところを指摘されたのか、園長はボッと茹で蛸のように顔を赤らめた。
「血塗れの汚い奴に、言われたくない! そんな格好で、園をうろつくな!!」
 曲がりなりにも、育ててくれた人間だ。小匙一杯ほどの恩は、園長に感じていた。
 たった今その恩は、溶けて無くなってしまった。
(命を張って守ってくれた人間に、なんて言い草だよ!)
 キースはキッと園長を睨みつけたが、この男の辞書には「反省」と言う文字はないのだろう。
 まくし立てるように、オズウェルを罵倒している。
 オズウェルは首を斬り落とされた騎士のように、ジッと動かなかった。
「オズウェルさん、申し訳ありません! 失礼なことを言って……!」
 キースは必死に頭を床につけて謝罪したが、園長は「何を謝る必要がある」とキースを見下していた。
 その時のオズウェルは、園長もキースも見ていなかった。
 ぼんやりと虚ろな瞳で、虚空を見つめていた。
 まるで、魂を抜かれたかのように。
「オズウェルさん! オズウェルさん!」
 何度呼びかけても、オズウェルからの返事はない。
 ジャスティスシリーズの第六巻で、悪魔と契約をする天使の話があった。
 天使は人間に絶望して、悪魔に魂をすっぱ抜かれてしまうのだ。悪魔の傀儡となり人間達に復讐をするという、シリーズの中でもホラー小説よりの回だった。
 天使の人間達の恨みや憎しみが描写しているページは、あまりに恐ろしくてキースは震えながら読んだのをはっきりと覚えている。
 そう。今のオズウェルは、悪魔に魂を抜かれた天使のように見えるのだ。
「ふ……ははは」
 ふらふらと亡霊のように、その場を去って行くオズウェル。
 彼が何処に行くのかも、分からない。
 セプテントリオの教会に戻るようには、とても見えなかった。
「オズウェルさん! 助けて下さり、ありがとうございました! この恩は、必ず返します! だからーー」
 その後の言葉を、キースは紡げなかった。
 人の道を、外れないで下さい。健康でご無理なく、頑張って下さい。僕も、貴方みたいに人助けをします! どれも、違う気がする。
 キースはオズウェルの上着に、月桂樹の花を押し花にした作った栞を忍ばせた。
 何も言わず入れたから、不審に思って捨てられるかもしれない。
 捨てられたのならば、彼とはその程度の縁だったということだ。諦めがつく。
 謂わば、一種の賭けであった。
 その後オズウェル ムーンフレイクは、世界保安団の総本山である「フェキュイル」の街の教会に異動した。
 風の噂で、キースの耳にそう届いた。
 敵国かつ魔術大国に異動とは、実力が認められた証拠である。
 彼への憧れの気持ちが増す反面、一縷の不安をキースは感じていたのだ。
 本当にこの異動は「いい意味」での、異動だったのか? ーーと。
 皮肉なことに、そう言った不安ほどよく当たるのだ。
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