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麻田麻尋

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0章

10.5夜 優しさの使い方 ユイside

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 煌びやかな貴族街でさえも、瓦礫の山へと変わってしまった。
 人は人の上に、人を作らず。今だけは、この諺は当たっていると思える。
 穴が空いた服を纏った老夫は、遠くの貴族街を眺めて長く太い息を吐いた。
 伸び放題のボサボサの髪と髭は、不潔感しかない。
 老夫の歯はあちこち抜け落ちており、歯と呼べる部分の方が少ない。
「おじじ~! ただいま~!」
 自分と同じような身なりをした少年達が、貴族街から帰って来た。
 彼らが飼っている野良犬がこの騒動で貴族街に逃げ出し、探しに行ったのだ。
 彼らは犬を、連れていない。もうこの街には、居ないのだろうか?
 少年三人組は、大層ご満悦だ。
 今にも破れそうな麻袋には、たんまりと紙幣と硬貨が入っている。
 老夫は少年達を、平手打ちした。
「お主ら、その金はどうやって手に入れた!? 嘘は吐くなよ」
「うっ、き、キゾク様が、くれた」
「ジャン。ワシは、嘘を吐くなと言ったぞ」
 リーダー格の少年ジャンは、嘘を真にしようとしている。
 一度口から出した嘘は、生涯をかけて背負わねばならない。
 ジャンの嘘は、その場しのぎだけのものだ。
「おじじ。ごめんなしゃい。あのねボキュが、キジョクしゃまのほうせきをぬすみょう。って言っちゃの」
 ジャンより一回り小柄で痩せ細った少年は、ぼんやりと宙を見ながら言う。
 細い腕には、赤いイボのようなものが出来ていた。
 ジャンの褐色の顔は、自責の青色に変わった。
 彼は地面に、手と頭をつけた。
「ピッド! いいよ! オレが、言いました。おじじ、ごめんなさい」
「そうじゃ。お主らは貴族街の方へ逃げた、犬を探しに行くと言っただろう」
「はい」
「街がこんな状態になって、魔がさすのは分かる。じゃがな、他人様の物を盗んではいかんのだ。盗みを働くと、自身の信頼も盗まれる。良いか?」
「ごめんなさい」
 光あるところには、影がある。
 ここは、王都西区画の貧民街。下級デースペルの中でも、下の人間達が住んでいる場所。
 ここに居る大人は「法律違反」を正義として「法律遵守」を悪とする。
 子供は親の悪いところを、映す鏡だ。
 貧民街の長は、子供に人としての教えを説いているがーー衣食住足りて礼節を知る。とはよく言ったもので、中々長老の考えは子供達に浸透していない。
「ジジ様~! イケメンが、行き倒れてる~!」
 貧民街のマドンナのミリーが、亜麻色の髪を揺らしながら走って来た。
 空と海の境界の髪をした男は、ゴミ山に背を預けて眠りこけている。
 瞼を閉じて眠る姿は、一種の宗教画に見えた。
 神官のような純白の法衣を汚れることを、気にすることなくゴミ山をベッド代わりにしているのだ。
 こんないい身なりをした人間、貧民街には居ない。
「お主……讃神魔神レンソイン教の神官か何かかえ? ここは貧民街じゃぞ。教会は、中央区画に」
「み、み……じゅ、をくだ、さい。し、死に、そ、です」
 老夫が後ろを振り返ると、食べ物を持った女達が犇き合っている。
「ジジ様! その方に、うちのシチューをあげて!」
「貴方、馬鹿!? どう見ても、重病人じゃない! 私のリゾットを食べさせるべきよ!!」
「胃が弱ってるだろうから、うちのオレンジを……」
 法衣を着た神官(?)はのそりと起き上がり、勝手に井戸の水をガブ飲みし始めた。
「手作りとかキモくて食べられないので、大丈夫です。市販の缶詰とかお願いします。貴方達の身なりが汚いからではなく、絶世の美女でも俺は受け取らない主義なんで」
 聖母のような微笑みで、とんでもない暴言を吐いたぞ! コイツ! 老夫は厭悪の視線を向けた。
 しかし美青年は、歯を見せて笑っている。
 悪餓鬼三人組は、青年の身包みを剥がし始めた。
「お主ら! 先程言ったことを、もう忘れたのか!!」
 激昂する老夫とは対照的に、青年は凪いだ海のように静かであった。
「宝石だろうが、ロッドだろうが持って行けば良いよ。君らには使い熟せないし、どれも曰く付きだから質屋も買い取ってはくれないだろうから。でもクマのぬいぐるみだけは、やめてくれるかな。宝物なんだ」
 青年がぼろぼろの紐で、おぶっている古いクマのぬいぐるみ。中からは綿が溢れ、何回も縫い直されている。
 宝物。たった一言なのに、その言葉はとても重たく感じた。
 この男はとんでもない業を、背負って生きている。
 常人ならばその重みに耐え切れず、自ら命を絶ちかねないーーそんな罪に、縛られて生きている。
 悪餓鬼三人組は青年に、気圧されたのだろう。罰が悪そうに宝石のついた指輪やチャームのついたネックレスを、所有者に返した。
「君達。今日で二回目の犯行らしいけど、急いでお金が必要な理由があるのかな? 例えば家族が未知の病で倒れて、寝込んでいるとか」
 ピッドは鳩が豆鉄炮を食らったかのような顔で、青年を見上げた。
「お兄シャン! お母しゃんを、治して!」
 ジャンも、続く。
「お前、金もちだろ! 今度返すから、今だけピットに金をかしてくれ!」
「え、やだよ。そんな義理ないし」
 青年は爽やかな笑顔で、流水のようにサラッと言った。
 今まで黙りこくっていた、ジャンやピッドより年上の少年が口を開いた。
 ジャンとピッドは十歳前後だろうが、この少年は十代の半ばくらいの年齢だろう。
 青みの強い薄紫のウェーブがかった髪に、クリームソーダのような翠の瞳をしている。眠たそうな眼が、彼の特徴だ。
 自然では有り得ない色合い。魔力を持った、人間である証だ。
「アンタ、ハーフエルフでしょ? 腹が膨れたなら、早く撤退した方が良いんじゃない?」
 はした金ではあるが、ハーフエルフ通報金と言う制度がある。
 生け捕りに成功すれば、報酬金は更に増える。
 そのはした金で一週間は生き伸びられるのが、貧民街の人間達だ。
 ジャンとピッドは顔を見合わせた。
「どっか行けー! ハーフエルフ! 人間は、お前らの細キンで死ぬんだろ!」
「お金だいしゅきで、金ぎたなくて、すぐ他人のものぬしゅむって」
「バーカ! アーホ! 人間のテキ~!」
「うんちっちハリケェーン!」
 少年二人は、そんな知恵は回らなかったらしい。
 恐怖感と嫌悪感に駆られ、思いつく限りの暴言を浴びせている。
「アハハハ。盛大にブーメランだよ。君達。あと長寿なのはね、人間の寿命を吸い取ってるからさ。シャー」
「どっか行けー! ピッドの母ちゃん、殺すなー!」
「あっはっはっは! 死にかけの人間の寿命を、吸い取ってもねえ? それよりは、元気が有り余ってる君達の方が良いかなあ」
 さっきまでの険悪な雰囲気はなくなり、皆が彼の話術に引き込まれている。
 老夫が怯えながら、口を開いた。
「あ、あんた……早く逃げなさい。知らない訳ないだろう。昔ほどは厳しくないが、差別の目が無くなった訳ではない。だから」
「なんで?」
 ピッドが、細い首をコテンと傾げて大きな目を開いた。
「この人、何もワルいことまだしてないよ」
「うん。ハーフエルフは、ワルいヤツって聞いたけど、ワルくないよ」
 ジャンとピッドの言葉に、老夫は首を縦に振った。
「……そう、じゃな」
 当たり前のことを、忘れていた。良い人間もいれば、悪い人間も居る。ハーフエルフだって、同じだ。
 寧ろ人間の偏見により、迫害されているのだから、向こうからしたら被害者そのものだ。
「俺は、ユイ。さすらいの魔術師です。ピッド君のお家って、何処? 薬くらいなら、調合出来るかもしれないよ」
 魔術師は満足気に、微笑んだ。
 この全てを見透かしたような笑顔も、あのハーフエルフによく似ている。
 老爺には、ただの偶然には思えなかった。







 魔術師ユイに診て貰った結果、ピッドの母親は流行り病であることが分かった。細菌性によるもので、普段の質素な食事や衛生状態の悪さから罹ったものらしい。
 ピッドも感染しており、誰も住んでいないほったて小屋で寝泊まりすることになった。
 薬研の一定的な、リズムが心地よい。
 木のみや薬草は粉末状になり、貧民街から集まって来た子供達は感嘆の息を漏らす。
「これ、飲ませたらなおる!?」
「まだだよ。これは、熱を下げるお薬。あと細菌を殺す薬と、胃の調子を整える薬が必要だから」
「わー、たくさん」
 丁寧に薬包に薬を入れ、子供達にも分かるように今言った内容を記し始める。
 かなり癖のある字体で、まるで魔術式の記号のようだ。
「なんてかいてあるの?」
「今、言ったことだけど」
「文字、読めないからわかんなーい」
 こんなところに住む子供達が、会話で言葉を覚えても読むことは出来ない。想像に難くない話だ。
(やはり、いい所の家の坊ちゃんなのでは? 貴族がエルフと恋に落ちて駆け落ちしたとか……)
 老夫は品定めするように、ユイを見た。
「学校は……?」
「行けないよ。お金ないもん」
「そっか」
「お兄ちゃんは、学校で文字習ったの?」
「……うん。そんな感じ」
見るからに、彼の顔が翳った。
 老爺は、提案する。
「お前さん行く当てがないのなら、暫くここに居たらどうじゃ? 王都がこんな惨状じゃし、碌なもてなしは出来んが……それでも良ければ」
 あんたなら、食糧くらい調達出来るじゃろ? と、老夫は補足した。
「そうですね。お世話になります」
 その場で、ユイは平伏した。地面に手と膝をつけ、顔を自らは上げない。
「こ、これ、やめんか!お前さんは、ピッドと母の命を救った恩人じゃ。そんな、まるで、奴隷みたいな真似やめんか」
「……ありがとうございます」
 紫髪の少年は輪の中に入らず、成り行きを見守っているだけであった。







 翌日。
 ユイはの子供とも、大人とも立派な友人になった。
自分の名前は魔術師としての名しか教えてくれないし、経歴や趣味嗜好の話はしてくれない。
 聞いても、濁されるか法螺を吹かれるだけだ。
 なんとなくの予感だが、老夫は分かっていた。
 ずっと、ここに居るつもりはないだろうと。次の地へと、また流れて行くだろうと。
 新しい場所でも、上手くやるだろうと確信出来た。
 それでも、心配なのが親心と言うやつだ。
「ユイよ。これをやろう」
「何ですか。急に」
「子供らが、無礼を働いた詫びじゃ」
「今更ですね」
老夫は、食器棚の端に置いてある一冊の本を開いた。表紙はボロボロに破れて、頁は茶色に変色している。誰がどう見ても、値段が付かない物だ。
 プレゼントは、栞代わりに使っている
「写真?」
のようだ。
老夫は、今にも眠りそうな目を細めた。
「ウム。十数年前、一人のハーフエルフの女が、ここへやって来た。全身血だらけで、儂は憲兵から逃げて来たのかと聞いたが『違う』と言うんじゃ。美しい女じゃったよ……掴み所がなくて、聡明でな。髪の色が、お前さんと全く一緒じゃった」
 数枚の写真を捲るユイの手が、ピタリと止まった。
「この赤ん坊……同じクマのぬいぐるみを持ってる、部屋もあそこと同じ」
「言うか言うまいか、悩んだんじゃよ。ハーフエルフの行先も、今どうしてるかも知らんし……名前も忘れてしまったからのう。花の名前をしとったことは、覚えてるんじゃか……アネモネだったか、コスモスだったか、違うかもしれん」
 ユイは、左目から一筋の涙を流した。
「いえ、解ります。写真の女の人は、自分の母親です」
「おお、良かった。と言うことは、仲良く暮らしていたのか?」
「いえ。生後、直ぐに引き離されたと聞いてます。けれど、解るんです。胎内に居た時から、外の様子は解りました。母の温もりも、顔も、声も。この世界に引き摺り下ろされた時に、そう言った力は殆どなくしてしまったんですけどね」
「お前さんは、一体。それに、ハーフエルフではないじゃないか……」
 すう。と、ユイは一呼吸空けてから言った。
「魔術を扱う用に生み出された、化け物です。ははは。だから、人間だとかエルフとか、そう言った矮小なカテゴリー、気にしてないんですよね」
 まるで神様が、人間の生前善悪の所業を透視して、これから天国行きか地獄堕ちを裁定するような顔で言ったのだ。この若僧は。
「ああ、それから。これから、俺を尋ねに、怪しい集団がやって来ます。時間は、んんと……九十七秒後。良いですか。何を聞かれても、肯定も否定もしないで下さい。ひたすらに、ボケ老人を演じて下さい。話が分かっていない、聞こえていない振りを徹底すること。では、さようなら。愉しかったです」
 突如虚空に現れた、黒い楕円形の霧。一眼覗くと、ゾッと身震いしてしまった。若い頃に感じた将来への不安、女房が亡くなった時の喪失感、中央区画の貴族への嫌悪……全てを煮詰めてたような邪悪な感情。
 ユイはその中に入り、姿を消した。
「さようなら……か。母親と、全く同じじゃわい」
 それから、時間にして数十秒後。魔術師の預言通り、怪しい白装束の者達は本当にやって来た。
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