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0章
10.5夜 優しさの使い方 ユイside
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煌びやかな貴族街でさえも、瓦礫の山へと変わってしまった。
人は人の上に、人を作らず。今だけは、この諺は当たっていると思える。
穴が空いた服を纏った老夫は、遠くの貴族街を眺めて長く太い息を吐いた。
伸び放題のボサボサの髪と髭は、不潔感しかない。
老夫の歯はあちこち抜け落ちており、歯と呼べる部分の方が少ない。
「おじじ~! ただいま~!」
自分と同じような身なりをした少年達が、貴族街から帰って来た。
彼らが飼っている野良犬がこの騒動で貴族街に逃げ出し、探しに行ったのだ。
彼らは犬を、連れていない。もうこの街には、居ないのだろうか?
少年三人組は、大層ご満悦だ。
今にも破れそうな麻袋には、たんまりと紙幣と硬貨が入っている。
老夫は少年達を、平手打ちした。
「お主ら、その金はどうやって手に入れた!? 嘘は吐くなよ」
「うっ、き、キゾク様が、くれた」
「ジャン。ワシは、嘘を吐くなと言ったぞ」
リーダー格の少年ジャンは、嘘を真にしようとしている。
一度口から出した嘘は、生涯をかけて背負わねばならない。
ジャンの嘘は、その場しのぎだけのものだ。
「おじじ。ごめんなしゃい。あのねボキュが、キジョクしゃまのほうせきをぬすみょう。って言っちゃの」
ジャンより一回り小柄で痩せ細った少年は、ぼんやりと宙を見ながら言う。
細い腕には、赤いイボのようなものが出来ていた。
ジャンの褐色の顔は、自責の青色に変わった。
彼は地面に、手と頭をつけた。
「ピッド! いいよ! オレが、言いました。おじじ、ごめんなさい」
「そうじゃ。お主らは貴族街の方へ逃げた、犬を探しに行くと言っただろう」
「はい」
「街がこんな状態になって、魔がさすのは分かる。じゃがな、他人様の物を盗んではいかんのだ。盗みを働くと、自身の信頼も盗まれる。良いか?」
「ごめんなさい」
光あるところには、影がある。
ここは、王都西区画の貧民街。下級の中でも、下の人間達が住んでいる場所。
ここに居る大人は「法律違反」を正義として「法律遵守」を悪とする。
子供は親の悪いところを、映す鏡だ。
貧民街の長は、子供に人としての教えを説いているがーー衣食住足りて礼節を知る。とはよく言ったもので、中々長老の考えは子供達に浸透していない。
「ジジ様~! イケメンが、行き倒れてる~!」
貧民街のマドンナのミリーが、亜麻色の髪を揺らしながら走って来た。
空と海の境界の髪をした男は、ゴミ山に背を預けて眠りこけている。
瞼を閉じて眠る姿は、一種の宗教画に見えた。
神官のような純白の法衣を汚れることを、気にすることなくゴミ山をベッド代わりにしているのだ。
こんないい身なりをした人間、貧民街には居ない。
「お主……讃神魔神教の神官か何かかえ? ここは貧民街じゃぞ。教会は、中央区画に」
「み、み……じゅ、をくだ、さい。し、死に、そ、です」
老夫が後ろを振り返ると、食べ物を持った女達が犇き合っている。
「ジジ様! その方に、うちのシチューをあげて!」
「貴方、馬鹿!? どう見ても、重病人じゃない! 私のリゾットを食べさせるべきよ!!」
「胃が弱ってるだろうから、うちのオレンジを……」
法衣を着た神官(?)はのそりと起き上がり、勝手に井戸の水をガブ飲みし始めた。
「手作りとかキモくて食べられないので、大丈夫です。市販の缶詰とかお願いします。貴方達の身なりが汚いからではなく、絶世の美女でも俺は受け取らない主義なんで」
聖母のような微笑みで、とんでもない暴言を吐いたぞ! コイツ! 老夫は厭悪の視線を向けた。
しかし美青年は、歯を見せて笑っている。
悪餓鬼三人組は、青年の身包みを剥がし始めた。
「お主ら! 先程言ったことを、もう忘れたのか!!」
激昂する老夫とは対照的に、青年は凪いだ海のように静かであった。
「宝石だろうが、ロッドだろうが持って行けば良いよ。君らには使い熟せないし、どれも曰く付きだから質屋も買い取ってはくれないだろうから。でもクマのぬいぐるみだけは、やめてくれるかな。宝物なんだ」
青年がぼろぼろの紐で、おぶっている古いクマのぬいぐるみ。中からは綿が溢れ、何回も縫い直されている。
宝物。たった一言なのに、その言葉はとても重たく感じた。
この男はとんでもない業を、背負って生きている。
常人ならばその重みに耐え切れず、自ら命を絶ちかねないーーそんな罪に、縛られて生きている。
悪餓鬼三人組は青年に、気圧されたのだろう。罰が悪そうに宝石のついた指輪やチャームのついたネックレスを、所有者に返した。
「君達。今日で二回目の犯行らしいけど、急いでお金が必要な理由があるのかな? 例えば家族が未知の病で倒れて、寝込んでいるとか」
ピッドは鳩が豆鉄炮を食らったかのような顔で、青年を見上げた。
「お兄シャン! お母しゃんを、治して!」
ジャンも、続く。
「お前、金もちだろ! 今度返すから、今だけピットに金をかしてくれ!」
「え、やだよ。そんな義理ないし」
青年は爽やかな笑顔で、流水のようにサラッと言った。
今まで黙りこくっていた、ジャンやピッドより年上の少年が口を開いた。
ジャンとピッドは十歳前後だろうが、この少年は十代の半ばくらいの年齢だろう。
青みの強い薄紫のウェーブがかった髪に、クリームソーダのような翠の瞳をしている。眠たそうな眼が、彼の特徴だ。
自然では有り得ない色合い。魔力を持った、人間である証だ。
「アンタ、ハーフエルフでしょ? 腹が膨れたなら、早く撤退した方が良いんじゃない?」
はした金ではあるが、ハーフエルフ通報金と言う制度がある。
生け捕りに成功すれば、報酬金は更に増える。
そのはした金で一週間は生き伸びられるのが、貧民街の人間達だ。
ジャンとピッドは顔を見合わせた。
「どっか行けー! ハーフエルフ! 人間は、お前らの細キンで死ぬんだろ!」
「お金だいしゅきで、金ぎたなくて、すぐ他人のものぬしゅむって」
「バーカ! アーホ! 人間のテキ~!」
「うんちっちハリケェーン!」
少年二人は、そんな知恵は回らなかったらしい。
恐怖感と嫌悪感に駆られ、思いつく限りの暴言を浴びせている。
「アハハハ。盛大にブーメランだよ。君達。あと長寿なのはね、人間の寿命を吸い取ってるからさ。シャー」
「どっか行けー! ピッドの母ちゃん、殺すなー!」
「あっはっはっは! 死にかけの人間の寿命を、吸い取ってもねえ? それよりは、元気が有り余ってる君達の方が良いかなあ」
さっきまでの険悪な雰囲気はなくなり、皆が彼の話術に引き込まれている。
老夫が怯えながら、口を開いた。
「あ、あんた……早く逃げなさい。知らない訳ないだろう。昔ほどは厳しくないが、差別の目が無くなった訳ではない。だから」
「なんで?」
ピッドが、細い首をコテンと傾げて大きな目を開いた。
「この人、何もワルいことまだしてないよ」
「うん。ハーフエルフは、ワルいヤツって聞いたけど、ワルくないよ」
ジャンとピッドの言葉に、老夫は首を縦に振った。
「……そう、じゃな」
当たり前のことを、忘れていた。良い人間もいれば、悪い人間も居る。ハーフエルフだって、同じだ。
寧ろ人間の偏見により、迫害されているのだから、向こうからしたら被害者そのものだ。
「俺は、ユイ。さすらいの魔術師です。ピッド君のお家って、何処? 薬くらいなら、調合出来るかもしれないよ」
魔術師は満足気に、微笑んだ。
この全てを見透かしたような笑顔も、あのハーフエルフによく似ている。
老爺には、ただの偶然には思えなかった。
*
魔術師ユイに診て貰った結果、ピッドの母親は流行り病であることが分かった。細菌性によるもので、普段の質素な食事や衛生状態の悪さから罹ったものらしい。
ピッドも感染しており、誰も住んでいないほったて小屋で寝泊まりすることになった。
薬研の一定的な、リズムが心地よい。
木のみや薬草は粉末状になり、貧民街から集まって来た子供達は感嘆の息を漏らす。
「これ、飲ませたらなおる!?」
「まだだよ。これは、熱を下げるお薬。あと細菌を殺す薬と、胃の調子を整える薬が必要だから」
「わー、たくさん」
丁寧に薬包に薬を入れ、子供達にも分かるように今言った内容を記し始める。
かなり癖のある字体で、まるで魔術式の記号のようだ。
「なんてかいてあるの?」
「今、言ったことだけど」
「文字、読めないからわかんなーい」
こんなところに住む子供達が、会話で言葉を覚えても読むことは出来ない。想像に難くない話だ。
(やはり、いい所の家の坊ちゃんなのでは? 貴族がエルフと恋に落ちて駆け落ちしたとか……)
老夫は品定めするように、ユイを見た。
「学校は……?」
「行けないよ。お金ないもん」
「そっか」
「お兄ちゃんは、学校で文字習ったの?」
「……うん。そんな感じ」
見るからに、彼の顔が翳った。
老爺は、提案する。
「お前さん行く当てがないのなら、暫くここに居たらどうじゃ? 王都がこんな惨状じゃし、碌なもてなしは出来んが……それでも良ければ」
あんたなら、食糧くらい調達出来るじゃろ? と、老夫は補足した。
「そうですね。お世話になります」
その場で、ユイは平伏した。地面に手と膝をつけ、顔を自らは上げない。
「こ、これ、やめんか!お前さんは、ピッドと母の命を救った恩人じゃ。そんな、まるで、奴隷みたいな真似やめんか」
「……ありがとうございます」
紫髪の少年は輪の中に入らず、成り行きを見守っているだけであった。
*
翌日。
ユイはの子供とも、大人とも立派な友人になった。
自分の名前は魔術師としての名しか教えてくれないし、経歴や趣味嗜好の話はしてくれない。
聞いても、濁されるか法螺を吹かれるだけだ。
なんとなくの予感だが、老夫は分かっていた。
ずっと、ここに居るつもりはないだろうと。次の地へと、また流れて行くだろうと。
新しい場所でも、上手くやるだろうと確信出来た。
それでも、心配なのが親心と言うやつだ。
「ユイよ。これをやろう」
「何ですか。急に」
「子供らが、無礼を働いた詫びじゃ」
「今更ですね」
老夫は、食器棚の端に置いてある一冊の本を開いた。表紙はボロボロに破れて、頁は茶色に変色している。誰がどう見ても、値段が付かない物だ。
プレゼントは、栞代わりに使っている
「写真?」
のようだ。
老夫は、今にも眠りそうな目を細めた。
「ウム。十数年前、一人のハーフエルフの女が、ここへやって来た。全身血だらけで、儂は憲兵から逃げて来たのかと聞いたが『違う』と言うんじゃ。美しい女じゃったよ……掴み所がなくて、聡明でな。髪の色が、お前さんと全く一緒じゃった」
数枚の写真を捲るユイの手が、ピタリと止まった。
「この赤ん坊……同じクマのぬいぐるみを持ってる、部屋もあそこと同じ」
「言うか言うまいか、悩んだんじゃよ。ハーフエルフの行先も、今どうしてるかも知らんし……名前も忘れてしまったからのう。花の名前をしとったことは、覚えてるんじゃか……アネモネだったか、コスモスだったか、違うかもしれん」
ユイは、左目から一筋の涙を流した。
「いえ、解ります。写真の女の人は、自分の母親です」
「おお、良かった。と言うことは、仲良く暮らしていたのか?」
「いえ。生後、直ぐに引き離されたと聞いてます。けれど、解るんです。胎内に居た時から、外の様子は解りました。母の温もりも、顔も、声も。この世界に引き摺り下ろされた時に、そう言った力は殆どなくしてしまったんですけどね」
「お前さんは、一体。それに、ハーフエルフではないじゃないか……」
すう。と、ユイは一呼吸空けてから言った。
「魔術を扱う用に生み出された、化け物です。ははは。だから、人間だとかエルフとか、そう言った矮小なカテゴリー、気にしてないんですよね」
まるで神様が、人間の生前善悪の所業を透視して、これから天国行きか地獄堕ちを裁定するような顔で言ったのだ。この若僧は。
「ああ、それから。これから、俺を尋ねに、怪しい集団がやって来ます。時間は、んんと……九十七秒後。良いですか。何を聞かれても、肯定も否定もしないで下さい。ひたすらに、ボケ老人を演じて下さい。話が分かっていない、聞こえていない振りを徹底すること。では、さようなら。愉しかったです」
突如虚空に現れた、黒い楕円形の霧。一眼覗くと、ゾッと身震いしてしまった。若い頃に感じた将来への不安、女房が亡くなった時の喪失感、中央区画の貴族への嫌悪……全てを煮詰めてたような邪悪な感情。
ユイはその中に入り、姿を消した。
「さようなら……か。母親と、全く同じじゃわい」
それから、時間にして数十秒後。魔術師の預言通り、怪しい白装束の者達は本当にやって来た。
人は人の上に、人を作らず。今だけは、この諺は当たっていると思える。
穴が空いた服を纏った老夫は、遠くの貴族街を眺めて長く太い息を吐いた。
伸び放題のボサボサの髪と髭は、不潔感しかない。
老夫の歯はあちこち抜け落ちており、歯と呼べる部分の方が少ない。
「おじじ~! ただいま~!」
自分と同じような身なりをした少年達が、貴族街から帰って来た。
彼らが飼っている野良犬がこの騒動で貴族街に逃げ出し、探しに行ったのだ。
彼らは犬を、連れていない。もうこの街には、居ないのだろうか?
少年三人組は、大層ご満悦だ。
今にも破れそうな麻袋には、たんまりと紙幣と硬貨が入っている。
老夫は少年達を、平手打ちした。
「お主ら、その金はどうやって手に入れた!? 嘘は吐くなよ」
「うっ、き、キゾク様が、くれた」
「ジャン。ワシは、嘘を吐くなと言ったぞ」
リーダー格の少年ジャンは、嘘を真にしようとしている。
一度口から出した嘘は、生涯をかけて背負わねばならない。
ジャンの嘘は、その場しのぎだけのものだ。
「おじじ。ごめんなしゃい。あのねボキュが、キジョクしゃまのほうせきをぬすみょう。って言っちゃの」
ジャンより一回り小柄で痩せ細った少年は、ぼんやりと宙を見ながら言う。
細い腕には、赤いイボのようなものが出来ていた。
ジャンの褐色の顔は、自責の青色に変わった。
彼は地面に、手と頭をつけた。
「ピッド! いいよ! オレが、言いました。おじじ、ごめんなさい」
「そうじゃ。お主らは貴族街の方へ逃げた、犬を探しに行くと言っただろう」
「はい」
「街がこんな状態になって、魔がさすのは分かる。じゃがな、他人様の物を盗んではいかんのだ。盗みを働くと、自身の信頼も盗まれる。良いか?」
「ごめんなさい」
光あるところには、影がある。
ここは、王都西区画の貧民街。下級の中でも、下の人間達が住んでいる場所。
ここに居る大人は「法律違反」を正義として「法律遵守」を悪とする。
子供は親の悪いところを、映す鏡だ。
貧民街の長は、子供に人としての教えを説いているがーー衣食住足りて礼節を知る。とはよく言ったもので、中々長老の考えは子供達に浸透していない。
「ジジ様~! イケメンが、行き倒れてる~!」
貧民街のマドンナのミリーが、亜麻色の髪を揺らしながら走って来た。
空と海の境界の髪をした男は、ゴミ山に背を預けて眠りこけている。
瞼を閉じて眠る姿は、一種の宗教画に見えた。
神官のような純白の法衣を汚れることを、気にすることなくゴミ山をベッド代わりにしているのだ。
こんないい身なりをした人間、貧民街には居ない。
「お主……讃神魔神教の神官か何かかえ? ここは貧民街じゃぞ。教会は、中央区画に」
「み、み……じゅ、をくだ、さい。し、死に、そ、です」
老夫が後ろを振り返ると、食べ物を持った女達が犇き合っている。
「ジジ様! その方に、うちのシチューをあげて!」
「貴方、馬鹿!? どう見ても、重病人じゃない! 私のリゾットを食べさせるべきよ!!」
「胃が弱ってるだろうから、うちのオレンジを……」
法衣を着た神官(?)はのそりと起き上がり、勝手に井戸の水をガブ飲みし始めた。
「手作りとかキモくて食べられないので、大丈夫です。市販の缶詰とかお願いします。貴方達の身なりが汚いからではなく、絶世の美女でも俺は受け取らない主義なんで」
聖母のような微笑みで、とんでもない暴言を吐いたぞ! コイツ! 老夫は厭悪の視線を向けた。
しかし美青年は、歯を見せて笑っている。
悪餓鬼三人組は、青年の身包みを剥がし始めた。
「お主ら! 先程言ったことを、もう忘れたのか!!」
激昂する老夫とは対照的に、青年は凪いだ海のように静かであった。
「宝石だろうが、ロッドだろうが持って行けば良いよ。君らには使い熟せないし、どれも曰く付きだから質屋も買い取ってはくれないだろうから。でもクマのぬいぐるみだけは、やめてくれるかな。宝物なんだ」
青年がぼろぼろの紐で、おぶっている古いクマのぬいぐるみ。中からは綿が溢れ、何回も縫い直されている。
宝物。たった一言なのに、その言葉はとても重たく感じた。
この男はとんでもない業を、背負って生きている。
常人ならばその重みに耐え切れず、自ら命を絶ちかねないーーそんな罪に、縛られて生きている。
悪餓鬼三人組は青年に、気圧されたのだろう。罰が悪そうに宝石のついた指輪やチャームのついたネックレスを、所有者に返した。
「君達。今日で二回目の犯行らしいけど、急いでお金が必要な理由があるのかな? 例えば家族が未知の病で倒れて、寝込んでいるとか」
ピッドは鳩が豆鉄炮を食らったかのような顔で、青年を見上げた。
「お兄シャン! お母しゃんを、治して!」
ジャンも、続く。
「お前、金もちだろ! 今度返すから、今だけピットに金をかしてくれ!」
「え、やだよ。そんな義理ないし」
青年は爽やかな笑顔で、流水のようにサラッと言った。
今まで黙りこくっていた、ジャンやピッドより年上の少年が口を開いた。
ジャンとピッドは十歳前後だろうが、この少年は十代の半ばくらいの年齢だろう。
青みの強い薄紫のウェーブがかった髪に、クリームソーダのような翠の瞳をしている。眠たそうな眼が、彼の特徴だ。
自然では有り得ない色合い。魔力を持った、人間である証だ。
「アンタ、ハーフエルフでしょ? 腹が膨れたなら、早く撤退した方が良いんじゃない?」
はした金ではあるが、ハーフエルフ通報金と言う制度がある。
生け捕りに成功すれば、報酬金は更に増える。
そのはした金で一週間は生き伸びられるのが、貧民街の人間達だ。
ジャンとピッドは顔を見合わせた。
「どっか行けー! ハーフエルフ! 人間は、お前らの細キンで死ぬんだろ!」
「お金だいしゅきで、金ぎたなくて、すぐ他人のものぬしゅむって」
「バーカ! アーホ! 人間のテキ~!」
「うんちっちハリケェーン!」
少年二人は、そんな知恵は回らなかったらしい。
恐怖感と嫌悪感に駆られ、思いつく限りの暴言を浴びせている。
「アハハハ。盛大にブーメランだよ。君達。あと長寿なのはね、人間の寿命を吸い取ってるからさ。シャー」
「どっか行けー! ピッドの母ちゃん、殺すなー!」
「あっはっはっは! 死にかけの人間の寿命を、吸い取ってもねえ? それよりは、元気が有り余ってる君達の方が良いかなあ」
さっきまでの険悪な雰囲気はなくなり、皆が彼の話術に引き込まれている。
老夫が怯えながら、口を開いた。
「あ、あんた……早く逃げなさい。知らない訳ないだろう。昔ほどは厳しくないが、差別の目が無くなった訳ではない。だから」
「なんで?」
ピッドが、細い首をコテンと傾げて大きな目を開いた。
「この人、何もワルいことまだしてないよ」
「うん。ハーフエルフは、ワルいヤツって聞いたけど、ワルくないよ」
ジャンとピッドの言葉に、老夫は首を縦に振った。
「……そう、じゃな」
当たり前のことを、忘れていた。良い人間もいれば、悪い人間も居る。ハーフエルフだって、同じだ。
寧ろ人間の偏見により、迫害されているのだから、向こうからしたら被害者そのものだ。
「俺は、ユイ。さすらいの魔術師です。ピッド君のお家って、何処? 薬くらいなら、調合出来るかもしれないよ」
魔術師は満足気に、微笑んだ。
この全てを見透かしたような笑顔も、あのハーフエルフによく似ている。
老爺には、ただの偶然には思えなかった。
*
魔術師ユイに診て貰った結果、ピッドの母親は流行り病であることが分かった。細菌性によるもので、普段の質素な食事や衛生状態の悪さから罹ったものらしい。
ピッドも感染しており、誰も住んでいないほったて小屋で寝泊まりすることになった。
薬研の一定的な、リズムが心地よい。
木のみや薬草は粉末状になり、貧民街から集まって来た子供達は感嘆の息を漏らす。
「これ、飲ませたらなおる!?」
「まだだよ。これは、熱を下げるお薬。あと細菌を殺す薬と、胃の調子を整える薬が必要だから」
「わー、たくさん」
丁寧に薬包に薬を入れ、子供達にも分かるように今言った内容を記し始める。
かなり癖のある字体で、まるで魔術式の記号のようだ。
「なんてかいてあるの?」
「今、言ったことだけど」
「文字、読めないからわかんなーい」
こんなところに住む子供達が、会話で言葉を覚えても読むことは出来ない。想像に難くない話だ。
(やはり、いい所の家の坊ちゃんなのでは? 貴族がエルフと恋に落ちて駆け落ちしたとか……)
老夫は品定めするように、ユイを見た。
「学校は……?」
「行けないよ。お金ないもん」
「そっか」
「お兄ちゃんは、学校で文字習ったの?」
「……うん。そんな感じ」
見るからに、彼の顔が翳った。
老爺は、提案する。
「お前さん行く当てがないのなら、暫くここに居たらどうじゃ? 王都がこんな惨状じゃし、碌なもてなしは出来んが……それでも良ければ」
あんたなら、食糧くらい調達出来るじゃろ? と、老夫は補足した。
「そうですね。お世話になります」
その場で、ユイは平伏した。地面に手と膝をつけ、顔を自らは上げない。
「こ、これ、やめんか!お前さんは、ピッドと母の命を救った恩人じゃ。そんな、まるで、奴隷みたいな真似やめんか」
「……ありがとうございます」
紫髪の少年は輪の中に入らず、成り行きを見守っているだけであった。
*
翌日。
ユイはの子供とも、大人とも立派な友人になった。
自分の名前は魔術師としての名しか教えてくれないし、経歴や趣味嗜好の話はしてくれない。
聞いても、濁されるか法螺を吹かれるだけだ。
なんとなくの予感だが、老夫は分かっていた。
ずっと、ここに居るつもりはないだろうと。次の地へと、また流れて行くだろうと。
新しい場所でも、上手くやるだろうと確信出来た。
それでも、心配なのが親心と言うやつだ。
「ユイよ。これをやろう」
「何ですか。急に」
「子供らが、無礼を働いた詫びじゃ」
「今更ですね」
老夫は、食器棚の端に置いてある一冊の本を開いた。表紙はボロボロに破れて、頁は茶色に変色している。誰がどう見ても、値段が付かない物だ。
プレゼントは、栞代わりに使っている
「写真?」
のようだ。
老夫は、今にも眠りそうな目を細めた。
「ウム。十数年前、一人のハーフエルフの女が、ここへやって来た。全身血だらけで、儂は憲兵から逃げて来たのかと聞いたが『違う』と言うんじゃ。美しい女じゃったよ……掴み所がなくて、聡明でな。髪の色が、お前さんと全く一緒じゃった」
数枚の写真を捲るユイの手が、ピタリと止まった。
「この赤ん坊……同じクマのぬいぐるみを持ってる、部屋もあそこと同じ」
「言うか言うまいか、悩んだんじゃよ。ハーフエルフの行先も、今どうしてるかも知らんし……名前も忘れてしまったからのう。花の名前をしとったことは、覚えてるんじゃか……アネモネだったか、コスモスだったか、違うかもしれん」
ユイは、左目から一筋の涙を流した。
「いえ、解ります。写真の女の人は、自分の母親です」
「おお、良かった。と言うことは、仲良く暮らしていたのか?」
「いえ。生後、直ぐに引き離されたと聞いてます。けれど、解るんです。胎内に居た時から、外の様子は解りました。母の温もりも、顔も、声も。この世界に引き摺り下ろされた時に、そう言った力は殆どなくしてしまったんですけどね」
「お前さんは、一体。それに、ハーフエルフではないじゃないか……」
すう。と、ユイは一呼吸空けてから言った。
「魔術を扱う用に生み出された、化け物です。ははは。だから、人間だとかエルフとか、そう言った矮小なカテゴリー、気にしてないんですよね」
まるで神様が、人間の生前善悪の所業を透視して、これから天国行きか地獄堕ちを裁定するような顔で言ったのだ。この若僧は。
「ああ、それから。これから、俺を尋ねに、怪しい集団がやって来ます。時間は、んんと……九十七秒後。良いですか。何を聞かれても、肯定も否定もしないで下さい。ひたすらに、ボケ老人を演じて下さい。話が分かっていない、聞こえていない振りを徹底すること。では、さようなら。愉しかったです」
突如虚空に現れた、黒い楕円形の霧。一眼覗くと、ゾッと身震いしてしまった。若い頃に感じた将来への不安、女房が亡くなった時の喪失感、中央区画の貴族への嫌悪……全てを煮詰めてたような邪悪な感情。
ユイはその中に入り、姿を消した。
「さようなら……か。母親と、全く同じじゃわい」
それから、時間にして数十秒後。魔術師の預言通り、怪しい白装束の者達は本当にやって来た。
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聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
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