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1章
21夜 被害者(かがいしゃ)達の謝肉祭
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この世は「正しい」ことよりも「正しそうなこと」の方が、勝つ。
民衆にとって、真実なんてどうだって良いのだ。
自分の頭の中の「正しさ」が、合致している人間を仲間や友人と呼ぶ。
「正しさ」から外れた者を、異端者とか変人とか犯罪者と呼ぶのだ。
そうやって、自分は「正しい」と誇示する。
他人を叩くのは、楽しい。
間違った行いをした人間相手ならば、正しさと言う後ろ盾で正々堂々と他人を叩ける。
人間は火が出せる訳でもなく、空を飛べる訳でもなく、ましてや死なない訳でもない。
人間一人一人の能力なんて大差ないのに、監視し合って足を引っ張り合っている。
早く、大人になりたい。そうしたらこんな矛盾も感じない、強者になれるのに。
子供の頃のタンザナイトの夢は、強者に回ることだった。
*
爽乃と出会ったのは、十ニ年前だった。
タンザナイトの齢は、十代後半。
この頃よりタンザナイトは腕利きで、実力は高く評価されていた。
大人顔向けの頭脳、腕っぷしの強さ、敏捷性、精神力。
顕現しなかった才は、魔術だけ。
彼が特務部隊に入隊したのは、八歳の頃だった。
二十年前の話だ。
タンザナイトは帝国有数の名士の息子で、特務部隊とは程遠い出自である。
彼の祖父である「ジェームズ アーヴァイン」は、帝国の五大都市「ヴェントス ガーデン」を一世一代で築いた。
家の事業は農業や賭博業や葬儀業まで、手広く行っていた。
自宅は城のようなお屋敷で、使用人は五十人程居た。
週末は高級ブティックの店員が新作ドレスを母親に見せに来たり、父親には帝国の孤島にしか居ない鹿の剥製を持って来るものなど常に賑わっていた。
タンザナイトの父はジェームズの嫡子であり、母親は辺境伯の娘だと聞いている。
街の人間は孫のタンザナイトですら、街ですれ違う度に頭を下げていた程だ。
タンザナイト一人に対して五人の家庭教師がつき、ありとあらゆる学問を叩き込まれた。
帝国剣技、球技、水泳等、スポーツも教え込まれ、寝る間も惜しんで励んだ。
言葉使い、姿勢、テーブルマナー、歩き方等マナーと呼ばれる全ての物も徹底された。
彼と年子の弟のアレンも優秀で「曽祖父様は、天で誇り高く思ってらっしゃいますわ。街の未来は、明るいわね」と、宝石商のマダムは微笑んでいた。
タンザナイトの母親の口癖は
「ヴィンスに、負けちゃ駄目。貴方の方が、優秀なんだから」で、一日に何回も言っていた。
同じ血を分けた兄弟で、何故こんなにも対抗心を燃やすのか?
その疑心は年が上がるに連れ、膨らんで行った。
「お母様。こちらのお洋服は、舞踏会用のですか?」
リビングのアイロン台に置かれているのは、まるで燕尾服のような濃紺のジャケットとグレーのハーフパンツだった。
胸ポケットには、金糸で紋章が縫い付けられている。
タンザナイトの辞典にはない、ブランドだ。
「お母様! 僕のセイフク、届いたんですか?」
「ヴィンスの……お洋服ですか」
母親は罰が悪そうに、タンザナイトから視線を逸らした。
「違うの! ヴィンスはガッコウに行くけれど、貴方が不出来とかじゃないのよ。優秀過ぎて、公務員には務まらないからよ。公務員って、試験すら受かれば誰でもなれる職業だから! そんな底辺には、貴方は勿体無いから!」
聞いてもいないのに、母親の口は回りに回る。
母親が回るのは、口先だけのようだ。彼女が話す度に、タンザナイトの脳の導火線は短くなっていく。
推理小説の犯人が犯行理由を語るような、邪悪な笑顔を浮かべるヴィンス。
いつもの人を惹きつける、柔和なお人形のような笑顔からは想像がつかない。
まるで魔法のようだと、思った。
「お前さ。まだ、気付かない訳? お前は、戸籍がないんだよ!」
戸籍がない……? 自分は世界のどこにも存在の証明がない、透明人間と言うことか……?
「そんなこと、ある訳がない……! 出鱈目を、言わないで下さい!」
ヴィンスの笑顔は、仮面のように崩れない。
「何故、僕だけ学校に行くのかな? 考えてみなよ。お前に戸籍があれば、売女はどんな学校でも行かせるさ」
「僕の侮辱は、許す。お母様の侮辱は、やめろ!」
ヴィンスは腹を抱えて、笑い始める。
広いリビングに、彼の笑い声が響き渡った。
「良かったねぇ、お母様。最愛の息子に、愛されてさぁ? 流石、元娼婦なだけはあるね。天性の人たらしだねぇ。野良犬に、人たらしって表現は可笑しいかな? 犬たらしって、言うべきかな?」
「やめ……て」
今にも泣き出しそうな、母親の横顔。
余りにも惨めで、それでいて美しかった。
とある画家が晩年に女の横顔しか、描かなかった理由が分かった気がした。
「誰の子供か分からない子供を孕み、同情したお父様が買ったのさ。お父様も、お人好しだよね。ただの気まぐれで抱いた女を、庶民の年収以上の金で買うなんてさ。当然アーヴァインの人間は、中絶を命じた。だけど、お父様とお母さんは拒んだ」
「それが何故、僕の戸籍がない話になるんだ」
「まだ分からない? 売女がメイドに役所に戸籍を届けさせるように命じたけど、そのメイドは不慮の火災事故に巻き込まれて死んだのさ」
この日を境に、家族の形は変わった。
*
厳しくも愛情をくれる母親は、女を全面に出す獣と変わり果てた。
不機嫌を包み隠さず、理由は決して言わない。
母親の誕生日にネックレスを贈った時なんて、ネックレスで首を絞められた程だ。
「こんなの、要らないのよ! 私の願いは、お前が私の人生から居なくなってくれることよ!」
母親が愛読している詩に
『子供が一番恐れているのは、親に嫌われること。子供は、とても臆病な生き物なんだ』
なんて、戯言があった。
その詩を読んで、あの人は涙を流していたのに。
(嘘吐き。作者は、優しい家族の領域しか知らないんだ)
母親に好かれる努力を、彼はそれ以降やめた。
母親の願いがタンザナイトが居なくなってくれる事ならば、タンザナイトの願いは母親の悪事が暴かれて警察に捕まる事だった。
父親は父親で、タンザナイトのことは関心を持たなかった。
良い成績を取っても、街の子供と喧嘩しても、何も言わなくなった。
まるで本当に透明人間に、なったみたいだ。
*
タンザナイトの人生が、変わったのは夏の終わりだった。
その日は昼から、バケツをひっくり返したような雨が降った。
年に数回あるかどうかの父親の休日で、珍しく家族が揃っていたのだ。
ヴィンスは両親と買い物に行く予定だったので、延期になり拗ねていた。
タンザナイトは自室で、アステーリ=イクリーシ国の物理学者の論文を読んでいた時のことだ。
階下から使用人達の悲鳴が、聞こえた。
銃声や、ガラスが割れる音、メイドの泣き叫ぶ声までする。
タンザナイトは身を潜めながら、柱の裏側から様子を伺う。
今の時間帯ならば、母親はキッチンで焼き菓子を焼いている筈だ。
母親の身を案ずることも、恐怖心も一切なかった。
(そっか……。神様が僕の為に、泥棒を派遣してくれたんだ!)
タンザナイトはこの世全ての苦しみや悲しみから解脱したような、全能感を感じたのである。
強盗犯の一人がかつて母親だった肉塊の生首を、タンザナイトに見せつけながら言った。
床にはほぼ黒色の赤い斑点が散らばり、錆びた鉄のような匂いが充満している。
右手には、ダガー。左手は、母親の生首。
「僕。この家の宝石とか、お金とか、絵画とか教えてくれるかな? お母さんみたいに、なりたくないだろう?」
マスクの穴から見える歯はガタガタで、同じ人間とは思えなかった。
この人達は人間社会において最大の禁忌である殺人を犯しているのに、何故自分は殺される側に回る想像を働かせないのだろう?
他人よりもリスクがあることをしているのに、そのリスクが起きる想像力が働かない愚鈍たち。
「おい! 聞いてんのか! 殺すぞ!」
「そうですね。死にたくないので」
「おっ。えらいじゃねぇ……」
タンザナイトは強盗犯の鳩尾に正拳突きを喰らわせ、落下するダガーを即座に回収した。
逡巡も、緊張も、畏怖も無かった。
強盗犯の首を斬り落とし、騒ぎに駆けつけた強盗の仲間も肉塊へと変貌させた。
*
近所の住民の通報で警察が駆け付けた頃には、全ての決着がついていた。
屋敷の壁は真紅に染まり、強盗犯も使用人も弟も両親も死人として新聞で報道された。
「警部……。こんな残忍な事件、見たことがありません。大人になったら、再犯するかもしれませんよね……」
ヴェントス ガーデン署に勤務している刑事は、タンザナイトを怪物を見るかのような目で見た。
婦人警官はむせび泣きながら、タンザナイトを抱きしめた。
「何を言ってるの……! この子は、お母様や弟様の為に一人で戦ったの! 被害者に、なんてことを言うの!」
社交界で身につけた演技が、こんなところで生きるとは思わなかった。
嬉しくなくても笑い、媚びへつらい、相手を立てる。
今回は強盗犯に襲われた、可哀想な子供の演技をした。
それだけなのに、婦人警官はころっと騙されてくれた。
(被害者って、人生イージーモードだな)
警部が上の見解を述べるのを止めさせるように、細身の端正な顔をした男が取り調べ室へ入って来た。
「初めまして。世界保安団の要塞教会所属、特殊警察部隊統括者のクースト オルドです。前代未聞の事件ですし、処遇を下すのにお困りでしょう? そちらが良ければ、こちらで少年の身元を引き受けますが」
警部は満面の笑顔で「是非!」と、タンザナイトの背中を押した。
顔には「厄介払い出来て、助かる」と、大きく書いてあった。
クースト オルドは後に全部隊統括者となり、爽乃に殺された男である。
*
クーストとタンザナイトはヴェントス駅へ向かって、街道を歩いている。
「さっきのアレ、演技だろ?」
クーストは水筒のコップに水出しの紅茶を注ぎながら、口角を上げながら言った。
「気付きましたか」
「取り繕わないのか。聡明な子だ」
「嘘が通じないタイプだと、分かりましたから」
「ははははは。流石、アーヴァインの嫡子だ」
「嫌味ですか」
「バレたか。君の才能が、欲しい。表の世界での禁忌が、肯定される場所があるんだ。私が君を殺人鬼から、英雄にしてあげよう。私は誰よりも、君を必要としているよ」
大人になって、分かったことがある。素行が悪い屑に、金にだらしない屑に、倫理観がない屑を沢山見て来た。
屑達に共通して言えるのは「タイミングだけは、良い」のだ。
その時のクーストは、救いの手を差し伸べる救世主そのものであった。
「沈黙は、肯定かな? 君は、生まれ変わるんだよ。人間だった頃の名前は、捨てなさい。今これより君は『タンザナイト フィデーリス』と、名乗りなさい」
民衆にとって、真実なんてどうだって良いのだ。
自分の頭の中の「正しさ」が、合致している人間を仲間や友人と呼ぶ。
「正しさ」から外れた者を、異端者とか変人とか犯罪者と呼ぶのだ。
そうやって、自分は「正しい」と誇示する。
他人を叩くのは、楽しい。
間違った行いをした人間相手ならば、正しさと言う後ろ盾で正々堂々と他人を叩ける。
人間は火が出せる訳でもなく、空を飛べる訳でもなく、ましてや死なない訳でもない。
人間一人一人の能力なんて大差ないのに、監視し合って足を引っ張り合っている。
早く、大人になりたい。そうしたらこんな矛盾も感じない、強者になれるのに。
子供の頃のタンザナイトの夢は、強者に回ることだった。
*
爽乃と出会ったのは、十ニ年前だった。
タンザナイトの齢は、十代後半。
この頃よりタンザナイトは腕利きで、実力は高く評価されていた。
大人顔向けの頭脳、腕っぷしの強さ、敏捷性、精神力。
顕現しなかった才は、魔術だけ。
彼が特務部隊に入隊したのは、八歳の頃だった。
二十年前の話だ。
タンザナイトは帝国有数の名士の息子で、特務部隊とは程遠い出自である。
彼の祖父である「ジェームズ アーヴァイン」は、帝国の五大都市「ヴェントス ガーデン」を一世一代で築いた。
家の事業は農業や賭博業や葬儀業まで、手広く行っていた。
自宅は城のようなお屋敷で、使用人は五十人程居た。
週末は高級ブティックの店員が新作ドレスを母親に見せに来たり、父親には帝国の孤島にしか居ない鹿の剥製を持って来るものなど常に賑わっていた。
タンザナイトの父はジェームズの嫡子であり、母親は辺境伯の娘だと聞いている。
街の人間は孫のタンザナイトですら、街ですれ違う度に頭を下げていた程だ。
タンザナイト一人に対して五人の家庭教師がつき、ありとあらゆる学問を叩き込まれた。
帝国剣技、球技、水泳等、スポーツも教え込まれ、寝る間も惜しんで励んだ。
言葉使い、姿勢、テーブルマナー、歩き方等マナーと呼ばれる全ての物も徹底された。
彼と年子の弟のアレンも優秀で「曽祖父様は、天で誇り高く思ってらっしゃいますわ。街の未来は、明るいわね」と、宝石商のマダムは微笑んでいた。
タンザナイトの母親の口癖は
「ヴィンスに、負けちゃ駄目。貴方の方が、優秀なんだから」で、一日に何回も言っていた。
同じ血を分けた兄弟で、何故こんなにも対抗心を燃やすのか?
その疑心は年が上がるに連れ、膨らんで行った。
「お母様。こちらのお洋服は、舞踏会用のですか?」
リビングのアイロン台に置かれているのは、まるで燕尾服のような濃紺のジャケットとグレーのハーフパンツだった。
胸ポケットには、金糸で紋章が縫い付けられている。
タンザナイトの辞典にはない、ブランドだ。
「お母様! 僕のセイフク、届いたんですか?」
「ヴィンスの……お洋服ですか」
母親は罰が悪そうに、タンザナイトから視線を逸らした。
「違うの! ヴィンスはガッコウに行くけれど、貴方が不出来とかじゃないのよ。優秀過ぎて、公務員には務まらないからよ。公務員って、試験すら受かれば誰でもなれる職業だから! そんな底辺には、貴方は勿体無いから!」
聞いてもいないのに、母親の口は回りに回る。
母親が回るのは、口先だけのようだ。彼女が話す度に、タンザナイトの脳の導火線は短くなっていく。
推理小説の犯人が犯行理由を語るような、邪悪な笑顔を浮かべるヴィンス。
いつもの人を惹きつける、柔和なお人形のような笑顔からは想像がつかない。
まるで魔法のようだと、思った。
「お前さ。まだ、気付かない訳? お前は、戸籍がないんだよ!」
戸籍がない……? 自分は世界のどこにも存在の証明がない、透明人間と言うことか……?
「そんなこと、ある訳がない……! 出鱈目を、言わないで下さい!」
ヴィンスの笑顔は、仮面のように崩れない。
「何故、僕だけ学校に行くのかな? 考えてみなよ。お前に戸籍があれば、売女はどんな学校でも行かせるさ」
「僕の侮辱は、許す。お母様の侮辱は、やめろ!」
ヴィンスは腹を抱えて、笑い始める。
広いリビングに、彼の笑い声が響き渡った。
「良かったねぇ、お母様。最愛の息子に、愛されてさぁ? 流石、元娼婦なだけはあるね。天性の人たらしだねぇ。野良犬に、人たらしって表現は可笑しいかな? 犬たらしって、言うべきかな?」
「やめ……て」
今にも泣き出しそうな、母親の横顔。
余りにも惨めで、それでいて美しかった。
とある画家が晩年に女の横顔しか、描かなかった理由が分かった気がした。
「誰の子供か分からない子供を孕み、同情したお父様が買ったのさ。お父様も、お人好しだよね。ただの気まぐれで抱いた女を、庶民の年収以上の金で買うなんてさ。当然アーヴァインの人間は、中絶を命じた。だけど、お父様とお母さんは拒んだ」
「それが何故、僕の戸籍がない話になるんだ」
「まだ分からない? 売女がメイドに役所に戸籍を届けさせるように命じたけど、そのメイドは不慮の火災事故に巻き込まれて死んだのさ」
この日を境に、家族の形は変わった。
*
厳しくも愛情をくれる母親は、女を全面に出す獣と変わり果てた。
不機嫌を包み隠さず、理由は決して言わない。
母親の誕生日にネックレスを贈った時なんて、ネックレスで首を絞められた程だ。
「こんなの、要らないのよ! 私の願いは、お前が私の人生から居なくなってくれることよ!」
母親が愛読している詩に
『子供が一番恐れているのは、親に嫌われること。子供は、とても臆病な生き物なんだ』
なんて、戯言があった。
その詩を読んで、あの人は涙を流していたのに。
(嘘吐き。作者は、優しい家族の領域しか知らないんだ)
母親に好かれる努力を、彼はそれ以降やめた。
母親の願いがタンザナイトが居なくなってくれる事ならば、タンザナイトの願いは母親の悪事が暴かれて警察に捕まる事だった。
父親は父親で、タンザナイトのことは関心を持たなかった。
良い成績を取っても、街の子供と喧嘩しても、何も言わなくなった。
まるで本当に透明人間に、なったみたいだ。
*
タンザナイトの人生が、変わったのは夏の終わりだった。
その日は昼から、バケツをひっくり返したような雨が降った。
年に数回あるかどうかの父親の休日で、珍しく家族が揃っていたのだ。
ヴィンスは両親と買い物に行く予定だったので、延期になり拗ねていた。
タンザナイトは自室で、アステーリ=イクリーシ国の物理学者の論文を読んでいた時のことだ。
階下から使用人達の悲鳴が、聞こえた。
銃声や、ガラスが割れる音、メイドの泣き叫ぶ声までする。
タンザナイトは身を潜めながら、柱の裏側から様子を伺う。
今の時間帯ならば、母親はキッチンで焼き菓子を焼いている筈だ。
母親の身を案ずることも、恐怖心も一切なかった。
(そっか……。神様が僕の為に、泥棒を派遣してくれたんだ!)
タンザナイトはこの世全ての苦しみや悲しみから解脱したような、全能感を感じたのである。
強盗犯の一人がかつて母親だった肉塊の生首を、タンザナイトに見せつけながら言った。
床にはほぼ黒色の赤い斑点が散らばり、錆びた鉄のような匂いが充満している。
右手には、ダガー。左手は、母親の生首。
「僕。この家の宝石とか、お金とか、絵画とか教えてくれるかな? お母さんみたいに、なりたくないだろう?」
マスクの穴から見える歯はガタガタで、同じ人間とは思えなかった。
この人達は人間社会において最大の禁忌である殺人を犯しているのに、何故自分は殺される側に回る想像を働かせないのだろう?
他人よりもリスクがあることをしているのに、そのリスクが起きる想像力が働かない愚鈍たち。
「おい! 聞いてんのか! 殺すぞ!」
「そうですね。死にたくないので」
「おっ。えらいじゃねぇ……」
タンザナイトは強盗犯の鳩尾に正拳突きを喰らわせ、落下するダガーを即座に回収した。
逡巡も、緊張も、畏怖も無かった。
強盗犯の首を斬り落とし、騒ぎに駆けつけた強盗の仲間も肉塊へと変貌させた。
*
近所の住民の通報で警察が駆け付けた頃には、全ての決着がついていた。
屋敷の壁は真紅に染まり、強盗犯も使用人も弟も両親も死人として新聞で報道された。
「警部……。こんな残忍な事件、見たことがありません。大人になったら、再犯するかもしれませんよね……」
ヴェントス ガーデン署に勤務している刑事は、タンザナイトを怪物を見るかのような目で見た。
婦人警官はむせび泣きながら、タンザナイトを抱きしめた。
「何を言ってるの……! この子は、お母様や弟様の為に一人で戦ったの! 被害者に、なんてことを言うの!」
社交界で身につけた演技が、こんなところで生きるとは思わなかった。
嬉しくなくても笑い、媚びへつらい、相手を立てる。
今回は強盗犯に襲われた、可哀想な子供の演技をした。
それだけなのに、婦人警官はころっと騙されてくれた。
(被害者って、人生イージーモードだな)
警部が上の見解を述べるのを止めさせるように、細身の端正な顔をした男が取り調べ室へ入って来た。
「初めまして。世界保安団の要塞教会所属、特殊警察部隊統括者のクースト オルドです。前代未聞の事件ですし、処遇を下すのにお困りでしょう? そちらが良ければ、こちらで少年の身元を引き受けますが」
警部は満面の笑顔で「是非!」と、タンザナイトの背中を押した。
顔には「厄介払い出来て、助かる」と、大きく書いてあった。
クースト オルドは後に全部隊統括者となり、爽乃に殺された男である。
*
クーストとタンザナイトはヴェントス駅へ向かって、街道を歩いている。
「さっきのアレ、演技だろ?」
クーストは水筒のコップに水出しの紅茶を注ぎながら、口角を上げながら言った。
「気付きましたか」
「取り繕わないのか。聡明な子だ」
「嘘が通じないタイプだと、分かりましたから」
「ははははは。流石、アーヴァインの嫡子だ」
「嫌味ですか」
「バレたか。君の才能が、欲しい。表の世界での禁忌が、肯定される場所があるんだ。私が君を殺人鬼から、英雄にしてあげよう。私は誰よりも、君を必要としているよ」
大人になって、分かったことがある。素行が悪い屑に、金にだらしない屑に、倫理観がない屑を沢山見て来た。
屑達に共通して言えるのは「タイミングだけは、良い」のだ。
その時のクーストは、救いの手を差し伸べる救世主そのものであった。
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