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1章
22夜 野良犬のレーゾンデートル
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※後半に未成年の性被害の描写が、あります。
爽乃が上官からの命令で、タンザナイトの夜伽を命じられます。
そのことを把握すれば、該当部分を読み飛ばして頂いて問題ありません。
クーストに連れられた場所は、かつて探鉱業で栄えた廃村だった。
錆びついたシャベルや、車輪が曲がったリヤカーが村のあちこちで雑に投棄されている。
道と呼ばれる道は無く、隣町の若者がゴミ捨て場として使った結果だろう。
村全体の空気が澱んでいて、異臭もする。
一昔前は帝国の軍需産業を支えたのに、今は見る影もない。
クーストはまるで故郷を歩くかのように、ずんずんと進んで行く。
半刻歩き続けて、村で一番大きな鉱山の入り口に着いた。
鉱山内も、案の定朽ち果てている。
そこらかしこに蜘蛛の巣が張り巡っており、工具を置いていた木製棚は苔が生い茂っている。
しばらく北へ進んだ先には、鉄製の檻があった。
逃亡を図った者や、上官に歯向かう者を収容していたのだろう。
鉄柵には、血痕や爪で引っ掻いた後がある。
「……え」
檻の中で、何かが動いた。
背格好的に、人間の子供だろうか。
タンザナイトは檻の扉に近付き、中の様子を盗み見る。
気のせいではない。
深いブラウンの髪をした、少年が居る。年相応の顔をした、頬のそばかすが愛らしい。
クーストは檻の扉を開けて、タンザナイトの背中を蹴った。
檻の鍵の音が、カシャンと鮮明に鳴り響く。
クーストは何も言わず、仮面のような笑顔でナイフを一本だけ檻の中へ投げ入れた。
「ど、どういうこと……」
そばかすの少年が、冷や汗をかきながら狼狽える。
自分の頭の中で「答え」が浮かんでいるけど、それをタンザナイトが否定するのを待っているようだ。
「このナイフを使って、殺し合え。ってことでしょう」
「ふ、ふざけるな……! オレは人なんて、殺してない! し、仕方なかったんだ! オレが、どんな目に遭ったか……! 殺さなかったら、殺されてんだ……!」
少年の腕や膝には数多の痣があり、首には縊痕が波のようにたゆたっている。
「殺人したの? してないの? どっち?」
少年の縊痕を真っ直ぐに見据えて言う、タンザナイト。
この痕を見た人間は、すぐに視線を逸らす。
こいつは、可笑しい。最初から「普通」とは、外れた位置に居る人間だと少年は思った。
「……こ、殺した」
「うん。世界保安団の人に、ここに連れて来られた。ってことで、合ってる?」
「あ、合ってる。ねぇ、殺し合うのやめない? 出口探すとか……」
タンザナイトは、きつねにつままれたような表情をした。
「な、なんだよ」
「えっと。君は他人を、殺したんだよね? イジメられて、復讐したとかかな? 普通の道から、自ら外れたのになんで正当性を持たそうとするの? 君がやってることはレストランのコース料理を平らげて
『ボクはお金がないから、払えません。仕方ないよね。貧乏なんだから』って、言っているようなものです」
「うるさい……! お前だって、人殺しだろ!」
「そうですね。君と、同じさ。ナイフを取りなさい。世間は強者が正しくて、弱者は間違っていると認識する。貴方の殺人を肯定する為に、僕を殺しなさい。その為の試験なんだから」
少年は、確信した。
勝てる訳がない。こんな生死の極限の状況で、平然としていられる怪物を自分が殺せる訳がない。
それでもーー奪わなければ、自分は弱者のままだ。
タンザナイトは、両腕を広げて微笑んでみせた。
「ふざけんじゃねぇぞ! 俺は、やってやる……」
少年は、ナイフを手に取った。
それでもなお、タンザナイトは笑顔を崩さない。
少年の手足は震え、瞳からは涙が滝のように流れている。
「ゔぁああん! 折角あいつらを殺して、学校が嫌じゃなくなるって思ったのに! こんなのって、ないよ……! 俺はそんなに、悪いことをしたかよ!」
タンザナイトの笑顔が、歪んだ。
羨望と憎しみ掻き混ぜたような、表情だ。
まるで初めて街に足を、踏み入れた貧民の子供みたいな顔。
「君が強者になれないのは、その被害者意識と想像力の欠如。あとはーー自分が嫌いな人間にしか、目を向けない狭い視野だよ」
タンザナイトは少年の顎にチョップを食らわせて、ナイフを奪った。
心臓を一思いに刺して、その場に座り込む。
「さようなら。名前も知らない、被害者くん。貴方の分まで、僕が殺人を肯定します」
その為に、必ず生き残る。
世界中の人間に嫌われようが、ナイフを向けられようが、この道は引き返さない。
一般市民のように「平和」に暮らすなんて、負け犬どころか野良犬以下だ。
他の誰の為でもない。自分を肯定する為に、修羅の道を進もう。
*
特務部隊の訓練は、とても過酷なものであった。
クーストの試験に受かったからと言って、隊員になれる訳ではなかった。
訓練生として、平均でニ年くらいは鍛錬を積む。
タンザナイトは、半年で正式に特務部隊入りした。
走り込みや筋トレは少しでも遅れると、上官から罵倒やビンタが飛んで来る。
射撃訓練で目標スコアに届かなければ、
「銃弾以下の命の癖に、弾を無駄にするな」と丸太で後頭部を殴られた。
毎日の日課の一つに、就寝前の組み手があった。
先に、膝をついた方が負け。このシンプルなルールが、翌日の食事の有無が決まるのだ。
餓死した者、殴り殺された者、首を吊った者。死者の数なんて、食べたパンの数みたいに覚えていない。
タンザナイトは持ち前の頭脳で、体術も射撃も爆弾の扱いも何でも覚えた。
タンザナイトが訓練生になって一ヶ月を過ぎたあたりで、周囲の人間の見る目は変わった。
「あいつは、違う」と賞賛する者の陰で、快く思わない人間も当然ながら居た。
「しゃしゃり出んなよ。苦労知らずのボンボンがよ」
彼が強くなる度に、先輩達から嫌がらせを受けた。
手をつねられたり、バケツで水をかけられたり、口に生きた蝉を入れられたり、どれも低俗なものだった。
(あんなに強い先輩達に、嫉妬されている……! 特務部隊の兵士になる……! 僕なら、出来る! 痛いのも、辛いのも、苦しいのも当たり前だ)
ここで折れてしまえば、何者にもなれない。
脱落者と同じ境遇に、落ちてしまう。
弱者達は口を開けて、自分以外の弱者をずっと待っている。
自分の存在価値を、弱者叩きすることで得ようとするのだ。
修羅場とは、特務部隊とはーーいや世の中は、そういうもの。
負けない。絶対に、負けない。誰よりも、強くなるしかない。
*
タンザナイトの「生き残る」と言う信念は、いつしか執念へと変わっていた。
特務部隊に入隊して、五年以上経過した。
タンザナイトの年齢は十六になり、もう十年近く特務部隊に居ることになる。
彼は暗殺班の副班長候補に、上り詰めていた。上を蹴落とすまで、五年もかからないだろう。
「失礼します」
時刻は、夜九時。特務部隊ならば、こんな時間の呼び出しも珍しくない。
彼は全部隊統括者の執務室の扉をノックしてから、一礼して入室する。
マナー講座の手本のような所作で、特務部隊なんて誰も思わない。
「やあ。ご機嫌は、いかがかな」
クーストは書斎椅子に腰かけながら、微笑みかけて来た。
相変わらず、仮面のような笑顔をしている。しかし出会った時より、肌の染みが目立って来た。
「おかげさまで、大変幸せです」
クーストは、目を細めてくつくつと笑う。
「君は、偉いね。どこぞの東洋人の小娘にも、見習って欲しいよ」
「ああ……あの魔術師殺しですか」
*
神音 爽乃。彼女も、クーストが連れて来た。
彼女の年齢はどう見ても初等学校の高学年。周りの大人は、驚いていた。
アルストレンジ南部にある紛争地帯で、ゲリラ部隊制圧任務で一緒になったことがある。
制圧任務は表向きで、実際に下った命令は「掃討作戦」であった。
厄介なことに、ゲリラ部隊のメンバーの三割が魔術師だった。
奴らは重たい火炎放射器を抱えずとも炎を放ち、こちらの位置を壁を透視するかのように探知したり、負傷した仲間を即座に無傷の状態に回復させたり……魔力非保持者からすれば、反則技のオンパレードであった。
密室空間の大使館での、魔術ショーは混乱を極めたのだ。
特務部隊のプライドは砕け散り、みんなの士気は下がり「死」が迫って来るのは分かった。
ここで負けたら、弱者だ。今までの努力も、無に帰すだけ。
分かっている。分かってはいたが、打開出来る案がタンザナイトには浮かばなかった。
数ヶ月単位で考えた敵の包囲も、罠も、脱出ルートも、予備プランもーー全て意味が、無かったのだ。
作戦も、力も、索敵能力も、装備も通用しない。
化け物だ……。はっきりと、そう思った。
人間が、勝てる訳がない。
遅れてやって来るヒーローのように、その少女は颯爽と現れた。
窓ガラスを蹴破り、ゲリラ部隊の魔術師を睨む少女。
ふわりと舞う桜の花弁のように、爽乃の髪は風で揺れた。
ほぼ裸当然の下着姿で、少女はなんの装備も持っていなかった。
とても可憐な顔立ちをしていて、特務部隊の人間とは思えない。
「なんだぁ……? 嬢ちゃん。ここには、金持ちなんて居ないよ。娼館に、帰りな」
魔術師の一人が、魔力変換器のタイピングを一心不乱にしている。
「隊長……おかしいです。魔力変換器は動いてるのに、魔術が発動しません!」
「俺もだ!」
「俺も!」
魔術師達が、一斉に爽乃を見つめる。
「魔術を扱う者が居るならば、当然その逆も居るということ」
一目見るだけで、分かった。この女子は、強い。
かつてタンザナイトを見る、特務部隊訓練生はこんな気持ちだったのだろう。
爽乃は拳一つで魔術師達を、殴り殺したのだ。
人間は火を出せる訳でも、空を飛べる訳でもない。そんな不可能を可能にする化け物から、一方的に力を奪う怪物。
あの時はゲリラ部隊の人間に、少しだけ同情心を覚えた。
*
「察しが、良いね。君にご褒美を、あげようと思ってね」
「要りません。幸福は、痛覚を鈍らせます」
クーストは鳩が豆鉄砲を喰らったような、顔をした。
「まぁ、そう言わずに。とても素敵な経験を、させてあげようじゃないか」
彼はパチンと、指を鳴らした。
執務室に現れたのは、胸元と背中が大きく開いた、淡いピンクのタイトなキャミソールドレスを着た爽乃だった。胸元のビジューに、細い生足を晒したミニ丈のスカート。高いヒールのシルバーのパンプス。
膨らみかけの乳房に、小さな丸い爪に、重心がまだ上にある尻。
あどけない少女と、着ている服はあまりにちぐはぐだ。
経験がないタンザナイトでも、ご褒美がなんなのかは察することが出来た。
「どうした? 好みの女では、無かったかな? 娼婦を呼んだ方が、良いかい?」
まさかクーストが、こんなにもつまらない人間だとは思わなかった。
(結局、そっち側の人だったんだ。もうどうでも、良いな……)
タンザナイトはクースト譲りの笑顔で短く礼を言って、爽乃を連れて執務室を後にした。
*
タンザナイトは自室に爽乃を連れ込み、他愛もないことを話した。
今日の天気とか、中庭に咲いている花とか、街で野鳥を見かけた話とか……どれも意味がなく、ただの雑談にしらならない話だ。
引き出しに溜めてあった話題がなくなり、タンザナイトの口が閉じた瞬間に爽乃から話し始めた。
涙ぐんだ彼女の表情は、母親を彷彿とさせた。
「どうして、抱いてくれないんですか……? 抱かれてナンボの女です……!」
「え、いや……同僚に娼婦みたいな真似は、させたくないんです」
「抱いて貰えなきゃ、意味ない……」
「はい?」
爽乃はドレスを脱ぎ捨て、下着も外した。
躊躇いも恥ずかしげもなく余りに平然と行うものだから、タンザナイトは静止すらかけられなかった。
「こうしないと、必要とされないもの……」
他人に警戒心を与えないどころか、隙を作らせる見目をしているのに。あの魔術師を、殺せる腕があるのに。僕より、強いのに……。
「貴方、ムカつきますね」
試験の時の少年にしろ爽乃にしろ、持っている側の癖にまだ欲しがる。
「兎に角、貴方のことは抱かない。そんな俗世めいた価値観、捨ててしまいなさい。三年待って下さい。必ず暗殺班の班長になって、貴方の価値を証明しますから。約束は、守ります」
彼の言葉通り三年後には、本当に暗殺班の班長に上り詰めた。
爽乃が上官からの命令で、タンザナイトの夜伽を命じられます。
そのことを把握すれば、該当部分を読み飛ばして頂いて問題ありません。
クーストに連れられた場所は、かつて探鉱業で栄えた廃村だった。
錆びついたシャベルや、車輪が曲がったリヤカーが村のあちこちで雑に投棄されている。
道と呼ばれる道は無く、隣町の若者がゴミ捨て場として使った結果だろう。
村全体の空気が澱んでいて、異臭もする。
一昔前は帝国の軍需産業を支えたのに、今は見る影もない。
クーストはまるで故郷を歩くかのように、ずんずんと進んで行く。
半刻歩き続けて、村で一番大きな鉱山の入り口に着いた。
鉱山内も、案の定朽ち果てている。
そこらかしこに蜘蛛の巣が張り巡っており、工具を置いていた木製棚は苔が生い茂っている。
しばらく北へ進んだ先には、鉄製の檻があった。
逃亡を図った者や、上官に歯向かう者を収容していたのだろう。
鉄柵には、血痕や爪で引っ掻いた後がある。
「……え」
檻の中で、何かが動いた。
背格好的に、人間の子供だろうか。
タンザナイトは檻の扉に近付き、中の様子を盗み見る。
気のせいではない。
深いブラウンの髪をした、少年が居る。年相応の顔をした、頬のそばかすが愛らしい。
クーストは檻の扉を開けて、タンザナイトの背中を蹴った。
檻の鍵の音が、カシャンと鮮明に鳴り響く。
クーストは何も言わず、仮面のような笑顔でナイフを一本だけ檻の中へ投げ入れた。
「ど、どういうこと……」
そばかすの少年が、冷や汗をかきながら狼狽える。
自分の頭の中で「答え」が浮かんでいるけど、それをタンザナイトが否定するのを待っているようだ。
「このナイフを使って、殺し合え。ってことでしょう」
「ふ、ふざけるな……! オレは人なんて、殺してない! し、仕方なかったんだ! オレが、どんな目に遭ったか……! 殺さなかったら、殺されてんだ……!」
少年の腕や膝には数多の痣があり、首には縊痕が波のようにたゆたっている。
「殺人したの? してないの? どっち?」
少年の縊痕を真っ直ぐに見据えて言う、タンザナイト。
この痕を見た人間は、すぐに視線を逸らす。
こいつは、可笑しい。最初から「普通」とは、外れた位置に居る人間だと少年は思った。
「……こ、殺した」
「うん。世界保安団の人に、ここに連れて来られた。ってことで、合ってる?」
「あ、合ってる。ねぇ、殺し合うのやめない? 出口探すとか……」
タンザナイトは、きつねにつままれたような表情をした。
「な、なんだよ」
「えっと。君は他人を、殺したんだよね? イジメられて、復讐したとかかな? 普通の道から、自ら外れたのになんで正当性を持たそうとするの? 君がやってることはレストランのコース料理を平らげて
『ボクはお金がないから、払えません。仕方ないよね。貧乏なんだから』って、言っているようなものです」
「うるさい……! お前だって、人殺しだろ!」
「そうですね。君と、同じさ。ナイフを取りなさい。世間は強者が正しくて、弱者は間違っていると認識する。貴方の殺人を肯定する為に、僕を殺しなさい。その為の試験なんだから」
少年は、確信した。
勝てる訳がない。こんな生死の極限の状況で、平然としていられる怪物を自分が殺せる訳がない。
それでもーー奪わなければ、自分は弱者のままだ。
タンザナイトは、両腕を広げて微笑んでみせた。
「ふざけんじゃねぇぞ! 俺は、やってやる……」
少年は、ナイフを手に取った。
それでもなお、タンザナイトは笑顔を崩さない。
少年の手足は震え、瞳からは涙が滝のように流れている。
「ゔぁああん! 折角あいつらを殺して、学校が嫌じゃなくなるって思ったのに! こんなのって、ないよ……! 俺はそんなに、悪いことをしたかよ!」
タンザナイトの笑顔が、歪んだ。
羨望と憎しみ掻き混ぜたような、表情だ。
まるで初めて街に足を、踏み入れた貧民の子供みたいな顔。
「君が強者になれないのは、その被害者意識と想像力の欠如。あとはーー自分が嫌いな人間にしか、目を向けない狭い視野だよ」
タンザナイトは少年の顎にチョップを食らわせて、ナイフを奪った。
心臓を一思いに刺して、その場に座り込む。
「さようなら。名前も知らない、被害者くん。貴方の分まで、僕が殺人を肯定します」
その為に、必ず生き残る。
世界中の人間に嫌われようが、ナイフを向けられようが、この道は引き返さない。
一般市民のように「平和」に暮らすなんて、負け犬どころか野良犬以下だ。
他の誰の為でもない。自分を肯定する為に、修羅の道を進もう。
*
特務部隊の訓練は、とても過酷なものであった。
クーストの試験に受かったからと言って、隊員になれる訳ではなかった。
訓練生として、平均でニ年くらいは鍛錬を積む。
タンザナイトは、半年で正式に特務部隊入りした。
走り込みや筋トレは少しでも遅れると、上官から罵倒やビンタが飛んで来る。
射撃訓練で目標スコアに届かなければ、
「銃弾以下の命の癖に、弾を無駄にするな」と丸太で後頭部を殴られた。
毎日の日課の一つに、就寝前の組み手があった。
先に、膝をついた方が負け。このシンプルなルールが、翌日の食事の有無が決まるのだ。
餓死した者、殴り殺された者、首を吊った者。死者の数なんて、食べたパンの数みたいに覚えていない。
タンザナイトは持ち前の頭脳で、体術も射撃も爆弾の扱いも何でも覚えた。
タンザナイトが訓練生になって一ヶ月を過ぎたあたりで、周囲の人間の見る目は変わった。
「あいつは、違う」と賞賛する者の陰で、快く思わない人間も当然ながら居た。
「しゃしゃり出んなよ。苦労知らずのボンボンがよ」
彼が強くなる度に、先輩達から嫌がらせを受けた。
手をつねられたり、バケツで水をかけられたり、口に生きた蝉を入れられたり、どれも低俗なものだった。
(あんなに強い先輩達に、嫉妬されている……! 特務部隊の兵士になる……! 僕なら、出来る! 痛いのも、辛いのも、苦しいのも当たり前だ)
ここで折れてしまえば、何者にもなれない。
脱落者と同じ境遇に、落ちてしまう。
弱者達は口を開けて、自分以外の弱者をずっと待っている。
自分の存在価値を、弱者叩きすることで得ようとするのだ。
修羅場とは、特務部隊とはーーいや世の中は、そういうもの。
負けない。絶対に、負けない。誰よりも、強くなるしかない。
*
タンザナイトの「生き残る」と言う信念は、いつしか執念へと変わっていた。
特務部隊に入隊して、五年以上経過した。
タンザナイトの年齢は十六になり、もう十年近く特務部隊に居ることになる。
彼は暗殺班の副班長候補に、上り詰めていた。上を蹴落とすまで、五年もかからないだろう。
「失礼します」
時刻は、夜九時。特務部隊ならば、こんな時間の呼び出しも珍しくない。
彼は全部隊統括者の執務室の扉をノックしてから、一礼して入室する。
マナー講座の手本のような所作で、特務部隊なんて誰も思わない。
「やあ。ご機嫌は、いかがかな」
クーストは書斎椅子に腰かけながら、微笑みかけて来た。
相変わらず、仮面のような笑顔をしている。しかし出会った時より、肌の染みが目立って来た。
「おかげさまで、大変幸せです」
クーストは、目を細めてくつくつと笑う。
「君は、偉いね。どこぞの東洋人の小娘にも、見習って欲しいよ」
「ああ……あの魔術師殺しですか」
*
神音 爽乃。彼女も、クーストが連れて来た。
彼女の年齢はどう見ても初等学校の高学年。周りの大人は、驚いていた。
アルストレンジ南部にある紛争地帯で、ゲリラ部隊制圧任務で一緒になったことがある。
制圧任務は表向きで、実際に下った命令は「掃討作戦」であった。
厄介なことに、ゲリラ部隊のメンバーの三割が魔術師だった。
奴らは重たい火炎放射器を抱えずとも炎を放ち、こちらの位置を壁を透視するかのように探知したり、負傷した仲間を即座に無傷の状態に回復させたり……魔力非保持者からすれば、反則技のオンパレードであった。
密室空間の大使館での、魔術ショーは混乱を極めたのだ。
特務部隊のプライドは砕け散り、みんなの士気は下がり「死」が迫って来るのは分かった。
ここで負けたら、弱者だ。今までの努力も、無に帰すだけ。
分かっている。分かってはいたが、打開出来る案がタンザナイトには浮かばなかった。
数ヶ月単位で考えた敵の包囲も、罠も、脱出ルートも、予備プランもーー全て意味が、無かったのだ。
作戦も、力も、索敵能力も、装備も通用しない。
化け物だ……。はっきりと、そう思った。
人間が、勝てる訳がない。
遅れてやって来るヒーローのように、その少女は颯爽と現れた。
窓ガラスを蹴破り、ゲリラ部隊の魔術師を睨む少女。
ふわりと舞う桜の花弁のように、爽乃の髪は風で揺れた。
ほぼ裸当然の下着姿で、少女はなんの装備も持っていなかった。
とても可憐な顔立ちをしていて、特務部隊の人間とは思えない。
「なんだぁ……? 嬢ちゃん。ここには、金持ちなんて居ないよ。娼館に、帰りな」
魔術師の一人が、魔力変換器のタイピングを一心不乱にしている。
「隊長……おかしいです。魔力変換器は動いてるのに、魔術が発動しません!」
「俺もだ!」
「俺も!」
魔術師達が、一斉に爽乃を見つめる。
「魔術を扱う者が居るならば、当然その逆も居るということ」
一目見るだけで、分かった。この女子は、強い。
かつてタンザナイトを見る、特務部隊訓練生はこんな気持ちだったのだろう。
爽乃は拳一つで魔術師達を、殴り殺したのだ。
人間は火を出せる訳でも、空を飛べる訳でもない。そんな不可能を可能にする化け物から、一方的に力を奪う怪物。
あの時はゲリラ部隊の人間に、少しだけ同情心を覚えた。
*
「察しが、良いね。君にご褒美を、あげようと思ってね」
「要りません。幸福は、痛覚を鈍らせます」
クーストは鳩が豆鉄砲を喰らったような、顔をした。
「まぁ、そう言わずに。とても素敵な経験を、させてあげようじゃないか」
彼はパチンと、指を鳴らした。
執務室に現れたのは、胸元と背中が大きく開いた、淡いピンクのタイトなキャミソールドレスを着た爽乃だった。胸元のビジューに、細い生足を晒したミニ丈のスカート。高いヒールのシルバーのパンプス。
膨らみかけの乳房に、小さな丸い爪に、重心がまだ上にある尻。
あどけない少女と、着ている服はあまりにちぐはぐだ。
経験がないタンザナイトでも、ご褒美がなんなのかは察することが出来た。
「どうした? 好みの女では、無かったかな? 娼婦を呼んだ方が、良いかい?」
まさかクーストが、こんなにもつまらない人間だとは思わなかった。
(結局、そっち側の人だったんだ。もうどうでも、良いな……)
タンザナイトはクースト譲りの笑顔で短く礼を言って、爽乃を連れて執務室を後にした。
*
タンザナイトは自室に爽乃を連れ込み、他愛もないことを話した。
今日の天気とか、中庭に咲いている花とか、街で野鳥を見かけた話とか……どれも意味がなく、ただの雑談にしらならない話だ。
引き出しに溜めてあった話題がなくなり、タンザナイトの口が閉じた瞬間に爽乃から話し始めた。
涙ぐんだ彼女の表情は、母親を彷彿とさせた。
「どうして、抱いてくれないんですか……? 抱かれてナンボの女です……!」
「え、いや……同僚に娼婦みたいな真似は、させたくないんです」
「抱いて貰えなきゃ、意味ない……」
「はい?」
爽乃はドレスを脱ぎ捨て、下着も外した。
躊躇いも恥ずかしげもなく余りに平然と行うものだから、タンザナイトは静止すらかけられなかった。
「こうしないと、必要とされないもの……」
他人に警戒心を与えないどころか、隙を作らせる見目をしているのに。あの魔術師を、殺せる腕があるのに。僕より、強いのに……。
「貴方、ムカつきますね」
試験の時の少年にしろ爽乃にしろ、持っている側の癖にまだ欲しがる。
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戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
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