泥中の光

RRMR

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十八話

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 静弥は静弥で朝一に歩夢と智顕に続くように、出かけて行った。
 バイトが終わった後に、隣県の親戚の家に泊まるらしい。
 昔世話になった親戚がマイホームを建てたとのことで、挨拶に行くそうだ。
 静弥とあんなことをした仲だけど、こう言う時他人なんだな。と、思い知る。
 お試し交際二日目にして、早くない……?
 そんなことを思いながら玄関で「行ってらっしゃい」と見送ると、静弥は俺のことを強く抱きしめた。
「早く行けよ。遅刻すんぞ」
 だから、バカップルかってーの。
「ひかるくん。行ってきまーす。行ってきますのちゅー」
「静弥君、行ってらっしゃい。おいしいご飯作って、待ってるね。お米たくさん、炊いておくね」
「ありがとう。一番食べたいのは、ひかる君だよ」
 みたいな。
 己の想像力と語彙力の無さに、泣いてしまう。
 俺を現実に引き戻すかのように、静弥の薄い唇と、俺の唇が重なった。
 大人しくしていたのはほんの数十秒くらいで、図々しく俺の唇を開いて中に舌を乱入させて来たのだ。
 うわ。また、このパターンか。
 そう思っていたのに寝巻き代わりのトレーナーのズボンを脱がされて、俺は天井から虫が降って来た時の女みたいな声を上げてしまった。
 静弥は膝をついて座り込み、俺の腰に抱きついて来た。
 俺の制止も聞かずに、下着越しに睾丸を舐める静弥。
 布越しに水音が静寂な空間に響き、頭がふわふわした。
 子供の頃に、縁日で買ってもらった綿飴。甘くて美味しかったけど、物を食べている感覚がなくって気がついたらなくなっていた。
「んッ、う、あ」
 そんなところ、汚い。臭くないかな? と考えて、身をよじる。
 そう思うだけで、口に出せないくらい微弱な電流のような刺激がずっと走っている。
 布越しの静弥の舌はちょっとだけ冷たくて、熱を帯びた性器は昂まるばかりだった。
 静弥が、パンツのゴムに手を伸ばした。
 あ、ヤバい。喰われる。
 俺は脊椎反射で、肘鉄を垂直に静弥の頭に喰らわせた。
「お前なんで朝から、そんなお盛んなの!?」
「目の前に、ひかる君が居るから」 
 俺一ヶ月間、無事で済むのかな……? ヤり殺されるんじゃないか?
 その日、俺は思い出した。
 老人に支配されていた恐怖を…田舎に囚われていた屈辱を。
 暇な時のインドカレー屋のインド人の店員みたいに、俺達を見ていた虎婆さんの顔が豹変した。
 虎婆さんが自宅から充分すぎる助走をつけて、突っ込んで来る。
 すげえ。プリウスミサイルくらいの、スピードあるんじゃねえの。
 そんなことを思ったのも、束の間。
 俺の顔に婆さんの飛び膝蹴りが、クリーンヒットした。
 土間に頭から倒れ込んだ俺に、虎婆さんは馬乗りして俺の性器を往復ビンタしている。
 虎婆さんの目は殺意で、爛々と赤く光っている。こえーよ。
 俺の精子を全て駆逐する気なの? コボちゃんヘアーの小柄で潔癖症な兵長も、ドン引くレベルで金玉ばっかり狙ってますけど……。金玉調査兵団なの? あ、これは別の意味になりそう。
「静弥ちゃんに、何やらせるんだい! このエロガキ!! どうせ風俗嬢とアフターして、チンポ がナウシカのオームみたいになってんだろ! 静弥ちゃんに移させたら、殺すよ!!」
「WeeTuberだって言ってんだろ! クソババア!! お前、俺に『静弥をよろしく』って言っただろうが!!」
 静弥は、地下アイドルのステージの最前を連日陣取っているおっさんのような表情を浮かべている。
 何をしているのかと顔を上げて見てみると、金玉をしばかれている俺の様子をスマホでムービーで撮影しているようだった。
 老人の癖に、スマホでムービーなんか撮影してんじゃねえよ!
 このババアに性事情を把握されるとか、親に知られるより無理すぎる。
 絶対明日には、村中に話が広まっているんだ。 
 噂なんて膨らむものだし、静弥に中出ししたくらいには話が変わる。
 実際にやられそうなんは、俺の方なんだけどな……。
 乾いた笑いしか、出て来ない。
「悪かったね、坊主」
 虎婆さんは立ち上がり、俺の手首を掴み起こしてくれた。
 おぉ……。老人の癖に、謝罪は出来るのか。
 バイト先に来る常連の老害は自分がタッチパネルでご飯の並盛りを二つ注文しているのに、二杯も食う訳ないだろ! 店員なら、注文を取り下げろ! と、怒鳴って来やがる。
 余りに毎度毎度やらかすので、俺がキレながら
「人間なら、自分が押した注文確認しろや!」って怒鳴ったら三ヶ月くらい来なくなったのはいい思い出だ。
 大型連休前。ご飯一杯だけジジイが久々に来襲して、当日出勤していたスタッフは構えた。
 うわー、あいつまたご飯二杯注文するじゃん。
 もう諦めて、二杯食っちゃえよ。
 ちゃんと注文出来るか、賭けようぜ。
 そんなことを、バックヤードで話した気がする。
 偉そうに踏ん反りながら「ご飯一杯だけけよね?」って聞いてきたから「一杯だけですから、そのまま右下の赤いボタンで注文確定してください」って言ってるのに、ご飯の数量の+ボタンを押して二個に増やしやがった。
 マジで脳みそ、昭和時代に落として来たんじゃねえの? 年金と、敬老パス止めてやろうか。老害がよ。
 そう思いながらも+ボタンを押すと数が
増えますから、押さないで下さいね(要約 次押したら、お前の首を斬り落とすぞ)。と、教えてやった。
 あのジジイも俺らみたいな時があったんだろうけど、想像つかないな。







 食器を洗い、洗濯を回し(まさかの二層式洗濯機だったので、グーグルで使い方を調べた)、掃除機をかけて、俺は村役場前のバス停まで歩いた。
 子供の頃は山南村の北部もバス停があったのに、今は南部にしかバス停がない。それも、たったの三つ。
 五つが三つになったから、次は村役場しかなくなるんだろうか。
 感傷的になりながら、俺はバスに乗ってアライブへ向かった。
 バスの車内は俺を含めて五組にも満たず、閑古鳥が鳴いている。
 俺の前に座っている親子の子供は松葉杖が珍しいのか、触って母親に叱られていた。
 俺の斜め後ろに座っている婆さんは、この季節に編み物をしている。
 これから暑くなるのに、正気かよ……。
 確かに山に囲まれた村だから、夏でも東京ほどは暑くないけど暑いもんは暑いぞ。
 車窓から流れる景色だけは、子供の頃から何一つ変わっていなくて、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになった。
 四十五分ほどバスに揺られて、天谷市の駅で降車する。
 急カーブでガタガタと車体が揺れるのも、昔と何も変わらない。
 天谷市の駅前は、キオスクやバスロータリーや駅そばや昭和の名残が残った酒屋と煙草屋がある。
 鉄板焼き屋とか花屋とかケーキ屋とか出来ては廃業していったのに、酒屋と煙草屋だけ残ってんのは田舎あるあるだろうか。
 感傷にふけっていると、アライブの方面へ行く別路線のバスが来たので乗り換える。
 天谷市と瀬良市の主要施設をぐるりと回るような路線図だわ、バスも一時間に一本は来るので都会だな。と、思ってしまった。
 東京に比べたら、ド田舎なんだけれども。
 二本目のバスの車内はたくさんの乗客で賑わっていて、会話を盗み聞くだけでも楽しかった。






 バスに揺られること、二十分。時刻は、正午を回っていた。
 アライブに到着して、二階のレストラン街へ移動する。
 昨日の今日であいつに会うのは癪だけど、仕方ない……。
 待ち合わせ場所は、レストラン街の中心にあたる噴水広場だ。
 昔は噴水の名の通り水が流れていたが、今は水が流れていないただのオブジェと化している。
「アレ。早いじゃん。おはよ~」
 待ち合わせ相手は、噴水の縁に座っていた。
「こんにちは、だろ」
「確かに。こんにちはって、言わねーよな」
 そう言って、雲雀丘はカラカラと笑っている。
 昨日の奇抜な格好が嘘みたいに、フツーの格好をしている。
 グレーのテーラードジャケットに、白のTシャツに、スリムな黒いチノパン。
 私服と言うよりは、オフィスカジュアルっぽい。 
 メガネは丸レンズの癖のない物だし、頭でも打ったのかと心配になってきた。
 モノクロな衣服だから雲雀丘の髪色が浮いていて、却ってコスプレ感もする。
「その服、どうしたの?」
「ばあちゃんに、服全部捨てられてさ~。親父の借りて来た」
「ギャハハハハ! そんなことある!?」
 雲雀丘の洋服を捨てる、紫のパンチパーマのおばあさんの様子が頭に浮かんだ。
 それ、虎婆さんじゃねーか。
「昨日は、映画ありがとう。面白かった。静弥が態度悪くて、ごめんな」
 俺はそう言って財布から新五千円札を出して、雲雀丘に渡した。
 新五千円札になってからしばらく経つのに、俺は旧五千円札といまいち区別がついていない。
 同じような髪型をした、着物を着た女だし。
 津田 梅子が、日本の女で初めて海外に留学した人だっけ。
 樋口 一葉は小説家だと言うことは知っているが、何を書いた人かは知らない。君死にたまふことなかれは、与謝野晶子だっけか。
 雲雀丘は「え? チケット代? 別に、良いのに……。てか、千円たけーよ」と、困惑している。
 俺が「いいのいいの」と言って、雲雀丘に握らせる。
 二人でレストラン街の奥の方にある、看板メニューもなければ特別不味くもない、値段通りのサービスを提供する、普通の洋食屋に入った。
 上半身を白いワイシャツに身を包み黒いベストを重ねて、下半身は黒いタイトスカートとストッキングに包まれたアラサーくらいのウェイトレスが水の入ったグラスを二つ俺達のテーブルに置いた。
 雲雀丘が水を飲みながらウェイトレスの尻を凝視しているので、
「爆エロJカップ美女とは、どうだったんだよ?」と揶揄う。
 雲雀丘は「あー」と頭を掻きながら、項垂れた。
「挿れる前から濡れてて、性病持ちじゃね? ってなって、仮病使って帰ったわ」
「それ、ウエトラ仕込んでるだけじゃねーの」
「なんで、そんなん知ってんの? まさか」
「違うわ、どアホ」
 備えつけのメニューを、捲りながら言う。
 違う違う違う。駄弁りに、来たんじゃない。
 俺が質問するより前に、雲雀丘が口を開いた。
「ヌマクローと、さわっちのこと聞きに来たんだろ。本当に、良いのか? 気分の良い話じゃねえぞ」
 まるで念を押すように、そう言う雲雀丘。いつも笑いまじりの軽薄な声で話すから、今のマジトーンが際立って聞こえた。
「当たり前だ。静弥と向き合うって、決めた。だから、知りたい」
 雲雀丘は「分かったよ」と短く言って、グラスの中の水を一口飲んだ。






 
 ヌマクローとさわっちは、高校二年の十一月の末頃から付き合い出した。
 二人は隠してたし匂わせもしてなかったから、みんなが知ったのは早くて三年の春か夏くらいじゃないかな。
 文化祭と修学旅行が終わり、いよいよ本格的に受験シーズンに入るぞ。って二年生全体に、緊張が走っていたね。
 成条は知っての通り進学校だから、大学受験が当たり前だった。
 俺みたいな就職組は、約二百五十人居た一学年に五人居るかどうかくらいだったかなぁ。
 さわっちとヌマクローは両方とも母子家庭だし、国公立大学を目指していた。
 告白はさわっちの方から、だったよ。今時珍しく、顔を赤く染めながらヌマクローの下駄箱にラブレターを入れてたもん。
「お前、見てたのかよ」
 しーたんが「信じらんねー」と言いながら、フォークにナポリタンを絡ませている。
 ぎこちないけれど、正しい持ち方にしようと頑張っている努力の片鱗が見えた。
 告白は、昼休みの体育用具倉庫裏で行われた。
 ベタで、可愛いよね~。さすが、さわっち。
 たまたま近くで一人飯をしていたから、そりゃあ見るじゃん。
 アレ? しーたん、なんで首を傾げてんの? 本当に、たまたまかって? そういうことにしとこうよ。
 さわっちが告白した時の言葉は確か
「沼黒君の生まれたてのような、無垢な心がずっと好きだった。僕と、お付き合いしてくれませんか?」
だったかな? 詩人だねえ。
 そんな歯の浮くようなことを嫌味なく言えちゃうあたりが、さわっちだよね。
 ヌマクローは吃驚したのか一瞬肩を震わせたけど、口の端だけ笑ってこう言ったんだよね。
「付き合うって、どういうお付き合い? 一口に恋人って言っても、色々な恋人が居るでしょう? 僕と、どういう恋人になりたいの?」
 この時。まるでタイミングを見計らったかのように突風が吹いて、木の下に溜まった落ち葉を吹き飛ばしたんだよね。
 俺の心のざわめきとシンクロしたようで、怖かったよ。
 さわっちは、こう答えた。
「本当の意味での信頼出来る、恋人かな。見栄とかメリットデメリットじゃなくって、感じたことをそのまま共有出来る関係がいい。沼黒君の痛みは僕の痛みで、僕の楽しさや嬉しさは沼黒君のものになる。そんな関係がいいな。二人で一つだから、必ず君を助けるよ。約束するよ」
って。
 ヌマクローは小さく頷いて、結婚式のキスみたいにさわっちに口付けたよ。
 しーたんはランチセットについて来たコーンスープを啜りながら、感嘆するように息を漏らした。
 俺はサンドイッチを食べ終わった手を、お手拭きで拭きながら言う。
「今思えば、してはいけない約束だったんだよな」
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