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第四話「銀河」

「銀河」(2)

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 緊迫した待機の暇……

 時刻は夜を迎えていた。

 美樽びたる山の森林には、天然の川が流れている。透き通った清流だ。ここはホタル見物の名所として、こっそりカップルたちに知られている。

 さわやかな響きを鳴らす山水のすぐそば、ひとり小岩に腰掛ける人影があった。

 女子高生の格好をしたフィアだ。その視線は、ときおり光跡を描く蛍火を儚げに追っている。満天の星空といっしょに輝くアンドロイドの視覚モニターは、いったいなにを分析しているのだろうか。

 フィアの聴覚センサーは、背後に物音をとらえた。

 茂みを抜けて歩み寄ったのは、召喚士のメネスだ。

「探したよ、フィア」

 小首をかしげ、フィアは聞き返した。

「とうとう出撃の時間?」

「いや、まだだ」

「どうしたの? 無線で呼んでくれれば、いつでも戻ったのに?」

「電話で話す内容じゃない。いま大丈夫か?」

「大丈夫よ。戦いへ向けての精神統一は済んだ」

「横、座っても?」

「ええ。どの世界でも隣は空けてあるわ、あなたのために」

 おもむろに、メネスはフィアのかたわらに腰を下ろした。

 我知らず胸に手を添え、メネスは深呼吸している。この冷静沈着な策士が、珍しく緊張しているようだ。軽く咳払いし、メネスは切り出した。

「質問への答えを持ってきた」

「答え?」

「そうだ」

 ぐびりと動いたメネスの喉仏を横目にし、フィアはたずねた。

「落ち着かないの? 最終決戦が近いせい?」

「当たり前だ。じきじきにぼくを作戦の最前線に据えておいて、よく言う」

 続くメネスの言葉は、ひどく心細げだった。

「勝敗の行方によっては、きみとぼくはもう二度と会えない。今生の別れに備え、きちんと真正面から話しておきたくてな」

「また作ればいいだけじゃないの? 次のあたしを?」

 いつもの調子で言い返したフィアを、メネスはやや感情的にたしなめた。

「いまのきみは、安易に代えのきく道具じゃない。ここにいるフィアは、きみだけだ」

 メネスの言うとおりだった。

 偶然に発見された特殊な電子ウィルスの応用により、フィア91は極限まで人間に近い感情を持っている。彼女はメネスが苦闘したすえの唯一無二の成功例であり、おいそれと量産できる現象ではない。膨大な魂や呪力を消費する〝赤竜レッドドラゴン〟などというシステムを自在に操れるのも、その奇跡のおかげだ。

 長いまつ毛をしばたかせ、フィアはたずねた。

「これは喜んでいいの? それとも悲しむべき? 大の機械好きのあなたが、あたしを人間扱いするだなんて?」

「仕事以外の話をするのは、お互い何年ぶりだ?」

「そうね、十数年前のセレファイスで、ニコラと戦うため、あなたの家の残骸からあたしの予備パーツを探したとき以来かしら?」

「なら、あのとき交わした約束も覚えているか?」

「約束?」

「戦いが終わったら、ぼくは、ちゃんときみを見る……戦いは結局、このとおりまだ続いてしまっているがな」

 深い溜息で気持ちを鎮め、メネスはうながした。

「フィア。左手を見せろ」

「手? ホーリー戦で負った人間化なら、残らず取り除いたわよ?」

 そう、三世界会議の合間を縫い、幻夢境げんむきょうにある自慢の工房にて、メネスはフィアのメンテナンスを完了させている。命がけで来楽らいら島から回収された四種の〝欠片シャード〟を機体に組み込み、総出力もアップして未来との決戦準備は万端だ。

 なのに、メネスは強情なまでに言い張った。 

「左手だと言っている。いいから早く、まっすぐにだ」

「はいはい、最後まで疑り深いのね。ほら」

 なにもかもを信用しない召喚士へ、フィアは仕方なく左手を差し出した。

 気づいたときには、フィアの指には光る物体がはめられている。

 左手の薬指に、指輪だ。

 そっけなく、フィアは聞いた。

「なにこれ。新しい追加武装かなにか?」

「そんなに無神経で鈍感だったか。きみ? かく言うぼくも、ずっと不器用なままなんだろうが……それにはなんのからくりも仕掛けてはいない。昔にきみが置いていった機関銃の弾丸を加工し、指輪は現実のそれと遜色ない品質に仕上げてある。ふたつともな」

「ふ、ふたつ?」

 慣れない手つきで、メネスは自分の左腕にもなにかを押し込んだ。メネスの右手が離れると、反対側の薬指には瓜二つの指輪が着けられている。

 川や森のせせらぎに後押しされ、メネスは告げた。

「結婚しよう」

「…………」

 若干のタイムラグを置き、フィアはメネスに飛びついた。マタドールの馬鹿力で背骨を粉砕しない程度に、しかし確かに強くメネスを抱きしめる。

「嬉しい……」

 フィアの目尻にきらめいた涙もまた、人間化の影響だったろうか。

 こちらもぎゅっと抱きとめたフィアへ、メネスは意を決して耳打ちした。

「システム〝赤竜レッドドラゴン〟のフル稼働を許可する。完全に人間化して帰ってこい、フィア。今度こそ戦争を終わらせ、いつかうちの階段で誓った続きをするんだ」

「了解……約束よ」

 上下から接近しあう唇と唇を、ホタルの明かりが照らしては閉ざした。
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