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第二話「発光」
「発光」(7)
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さっき割ったガラスの破片で、手を切ってしまったようだ。
血のしたたる片手をおさえ、セラは学校の廊下を必死に走った。
目的地は決まっている。幸か不幸か、その部屋の電灯はまだ消えていない。
いきなり保健室へ突入してきたセラの勢いに、バネじかけの人形みたいに仰天したのは看護師の片野透子だ。様子をうかがうに、トウコは白衣を脱いで帰り支度の最中だったらしい。
叩きつけるように閉めた扉に、セラはすばやくカギをかけている。
息を切らすセラの危機感を読み取り、トウコも顔つきを硬くした。
「なにがあったの、セラちゃん?」
「いっしょに逃げよう、片野先生。〝食べ残し〟の正体は、倉糸壮馬だったんだ」
「なんだかよくわからないけど、ただごとじゃなさそうね」
施錠したばかりの医療品の引き出しをふたたび開け、トウコはセラへ手をさしのべた。
「ケガしてるじゃない、手。見せなさい」
「そんなことしてる場合じゃ……」
慌てふためくセラをなだめつつ、トウコは内線電話の受話器をあげた。つながった先へ端的に内容をしゃべると、通話を切ってセラへ告げる。
「警備のひとに知らせたわ。すぐに来てくれるって」
「その、ふつうの人じゃたぶんダメだ。太刀打ちできない。なんというか、うまく説明できないけど、あの殺人鬼には特殊な力がある」
「どんな変な才能があっても、不審者は人目につくのを嫌うものよ」
「そうなのかな……だといいんだけど」
トウコの独特な穏やかさに飲まれ、セラの殺気も鎮まっていく。
来客用のイスに座らせたセラの切り傷を、トウコは段取りよく消毒した。止血の包帯をセラの手に巻きながら、優しい口調でたずねる。
「さあセラちゃん。落ち着いて話してごらん。なにがあったの?」
「襲われたんだ」
「だれに?」
「そ、その……メグルを殺した真犯人に」
「たいへんな話ね。で、その犯人というのが倉……」
軽い衝撃とともに、トウコの台詞はとぎれた。気を失ってイスからずれ、そのまま床へ崩れ落ちる。
背後の闇、当て身の手刀を引き戻したのはソーマだ。
かすかに開いた保健室の窓から入ったらしい。イスを蹴倒して後退したセラへ、ソーマは無表情にささやいた。
「井踊静良……きみのことは、物陰からずっと観察していた」
「じゃあ、あのときどき感じた視線の正体は……!」
「おとなしくするんだ」
「だれが!」
窓から放り込まれた呪力の石塊は、あっという間に幻影の刃に撃墜された。その一瞬のすきをつき、セラは扉をぶち破って廊下へ飛び出している。
窓を割って外へ……そう思ってセラの召喚した石は、寸前に飛来した刀の輝きに縫い止められて床へ落ちた。おぞましい靴音は、暗がりから律動的にこちらへ迫ってくる。
あせったセラは、手近な階段を駆け上った。だが廊下を曲がろうとしたり、火災報知器を押そうとするたび、いずこからか現れた白刃が閂のように道をはばむ。
ひたすら逃げるセラの頭は、混乱に破裂しかかっていた。
(お、追い詰められている?)
階段の終点にあった鉄扉を、セラは体当たりで開けた。
屋上だ。暗雲には雷がほとばしり、雨は激しく地面を叩いている。
(逃げ道は!? どこかに逃げ道はない!?)
奇跡的にセラの視界がとらえたのは、非常階段だ。
豪雨の中に飛び出した時点で、セラの動きは止まった。
見よ。そこだけ雨が、刀剣の形に切り取られているではないか。数えきれない透明の刃は、セラを四方八方からそのとがった切っ先で照準している。
昇降口の漆黒から、ソーマは静かに夜へ歩みだした。
「動くなよ。動けばズタズタになる」
喉元の幻影剣を瞳だけで確かめながら、セラはくぐもった呻きを漏らした。
「ぼくをいたぶって、反応を楽しんでるんだな!? わざわざ姿を見せたのが、おまえの運の尽きだ! 来い! 〝輝く追……」
「大昔からの災害地図は、すでに確認してある」
相手の動きを見越した舌使いで、ソーマはセラの言葉をさえぎった。
「この高所は、土砂崩れを記憶していない。つまりここでは、きみの力は発動不可だ」
「!」
落石による反撃を完全に封じるため、ソーマはセラを屋上まで誘導した。すべて計算ずくで追い詰めたのだ。結果呪が繰り出せなければ、彼女はただの非力な女子高生でしかない。
空中の刃を邪悪にきらめかせ、ソーマはつぶやいた。
「さて、じっくり話そうか、井踊静良」
死の恐怖が、絶望が、怒りが、セラの心のなにかを断ち切った。
「〝輝く追跡者〟!」
「なに!?」
反射的に重ねた刃で防いでいなければ、ソーマは致命傷を負っていただろう。
轟音とともにソーマの頭上で爆発したのは、灼熱した岩石の破片だ。それもひとつやふたつではない。いくつもの燃える巨岩は、炎と煙の軌跡を残して立て続けにソーマへ降り注いでいる。
襲来する石の雨をとめどなく切り裂きながら、ソーマは驚愕した。
「この結果呪……土砂崩れなどではない! これは〝隕石〟そのもの!」
そう。
これまでは現象が小規模すぎて気づきもしなかったが、セラを救う石ころは地面が崩れてできたものではない。天から落ちる隕石だったのだ。セラの結果呪は、この惑星が太古に記憶した〝流れ星の衝突〟をその場に再現する。
発動者だけを避け、セラのまわりに縦横無尽に隕石は落ちた。折れて砕けた〝竜巻の断層〟の刃の破片は、たちまち輝く粒子と化して消滅する。
激しい呪力の炎に包まれたまま、セラはたじろぐソーマへ一歩前進した。おそろしい眼差しをして言い放つ。
「もう許さないぞ、殺人鬼。数多くの人々を殺めた罪、きちんと償ってもらうよ」
重々しい波音が、セラの耳に届いたのはそのときだった。
「海……?」
いや、それはない。
もっとも近い井須磨海岸でさえ、ここから十数キロは離れている。学校はむしろ山寄りだ。なにかの聞き間違いだろう。
だが次にこだました呪いのささやきは、幻聴などではなかった。
〈結果呪〝魔性の海月〟〉
それは質量ある実体と化して、セラの眼前に現れた。
雨に濡れた地面が、にわかに泡立つ。幻の海面を割って宙に突き出したのは……〝サメの背びれ〟ではないか。
とんでもなく大きな魚影が跳ねるや、開かれた真紅の顎はセラめがけて噛み合った。
「よけろ!」
とっさに突き飛ばされたおかげで、セラは無残な真っ二つにならずにすんだ。
かわりに、セラは安全柵を越えて夜空に投げ出されている。落ちる彼女を、空中で受け止めたのはだれの手か?
急降下の強風の中、人影は叫んだ。
「〝竜巻の断層〟!」
ソーマの周囲から生じた幻の刃たちは、校舎の壁に食い込んで落下の勢いを殺した。
着地の衝撃で散った花壇の花びらの向こう、先に声をあげたのはセラだ。
「い、いまのは!?」
セラを横抱きにしたまま、ソーマは答えた。
「まさか本当に、あれほど巨大な人食いザメだったとは。かつてここがまだ海だった時代に泳いでいた〝肉食魚の記憶〟を呼び起こす結果呪と見た」
ソーマは結論づけた。
「あれが殺人鬼〝食べ残し〟だ」
「え……」
目を点にして、セラは問いかけた。
「じゃ、じゃあ、倉糸先生は犯人じゃ?」
「この慌てん坊め。まあ、結果使いのきみを殺人犯と疑ってかかっていた私も人のことは言えないが」
雨音があってもなおよく通る声で、ソーマは自己紹介した。
「私は政府の捜査官だ。次から次へと人を食らう謎の殺人鬼を追うため、赤務市に配備された。ちなみに、教員免許もちゃんと持っているぞ」
「そ、そうだったんですね……は!」
ふと気づいて、セラはソーマの腕の中でもがいた。
「はやく! はやく犯人を追わなきゃ!」
「落ち着け。敵の呪力の気配は消えた。逃げられたんだ。今回は、対象の結果呪の性質を見ただけでも収穫としよう」
「はい……」
息がかかる近さの彫り深い横顔につい見とれ、セラは遅まきながら頬を赤らめた。じぶんの命を救ってくれた美青年に、まだお姫様抱っこされたままなのだ。
校舎の屋上を睨みつけるソーマへ、セラはもつれた舌で提案した。
「あの、あのあの。もう下ろしてもらっていいですよ? 重たいでしょ?」
「あ? ああ、これは失礼した」
ふたりのいる場所から校舎をはさんだ裏側……
カサをさした人影の足もとには、獰猛な背びれが三つも泳いでいた。
「ついに組織が動き始めたか……どんな味がするか楽しみだ」
身をひるがえした殺人鬼のうしろで、幻影のサメたちは地面に吸い込まれて消えた。
血のしたたる片手をおさえ、セラは学校の廊下を必死に走った。
目的地は決まっている。幸か不幸か、その部屋の電灯はまだ消えていない。
いきなり保健室へ突入してきたセラの勢いに、バネじかけの人形みたいに仰天したのは看護師の片野透子だ。様子をうかがうに、トウコは白衣を脱いで帰り支度の最中だったらしい。
叩きつけるように閉めた扉に、セラはすばやくカギをかけている。
息を切らすセラの危機感を読み取り、トウコも顔つきを硬くした。
「なにがあったの、セラちゃん?」
「いっしょに逃げよう、片野先生。〝食べ残し〟の正体は、倉糸壮馬だったんだ」
「なんだかよくわからないけど、ただごとじゃなさそうね」
施錠したばかりの医療品の引き出しをふたたび開け、トウコはセラへ手をさしのべた。
「ケガしてるじゃない、手。見せなさい」
「そんなことしてる場合じゃ……」
慌てふためくセラをなだめつつ、トウコは内線電話の受話器をあげた。つながった先へ端的に内容をしゃべると、通話を切ってセラへ告げる。
「警備のひとに知らせたわ。すぐに来てくれるって」
「その、ふつうの人じゃたぶんダメだ。太刀打ちできない。なんというか、うまく説明できないけど、あの殺人鬼には特殊な力がある」
「どんな変な才能があっても、不審者は人目につくのを嫌うものよ」
「そうなのかな……だといいんだけど」
トウコの独特な穏やかさに飲まれ、セラの殺気も鎮まっていく。
来客用のイスに座らせたセラの切り傷を、トウコは段取りよく消毒した。止血の包帯をセラの手に巻きながら、優しい口調でたずねる。
「さあセラちゃん。落ち着いて話してごらん。なにがあったの?」
「襲われたんだ」
「だれに?」
「そ、その……メグルを殺した真犯人に」
「たいへんな話ね。で、その犯人というのが倉……」
軽い衝撃とともに、トウコの台詞はとぎれた。気を失ってイスからずれ、そのまま床へ崩れ落ちる。
背後の闇、当て身の手刀を引き戻したのはソーマだ。
かすかに開いた保健室の窓から入ったらしい。イスを蹴倒して後退したセラへ、ソーマは無表情にささやいた。
「井踊静良……きみのことは、物陰からずっと観察していた」
「じゃあ、あのときどき感じた視線の正体は……!」
「おとなしくするんだ」
「だれが!」
窓から放り込まれた呪力の石塊は、あっという間に幻影の刃に撃墜された。その一瞬のすきをつき、セラは扉をぶち破って廊下へ飛び出している。
窓を割って外へ……そう思ってセラの召喚した石は、寸前に飛来した刀の輝きに縫い止められて床へ落ちた。おぞましい靴音は、暗がりから律動的にこちらへ迫ってくる。
あせったセラは、手近な階段を駆け上った。だが廊下を曲がろうとしたり、火災報知器を押そうとするたび、いずこからか現れた白刃が閂のように道をはばむ。
ひたすら逃げるセラの頭は、混乱に破裂しかかっていた。
(お、追い詰められている?)
階段の終点にあった鉄扉を、セラは体当たりで開けた。
屋上だ。暗雲には雷がほとばしり、雨は激しく地面を叩いている。
(逃げ道は!? どこかに逃げ道はない!?)
奇跡的にセラの視界がとらえたのは、非常階段だ。
豪雨の中に飛び出した時点で、セラの動きは止まった。
見よ。そこだけ雨が、刀剣の形に切り取られているではないか。数えきれない透明の刃は、セラを四方八方からそのとがった切っ先で照準している。
昇降口の漆黒から、ソーマは静かに夜へ歩みだした。
「動くなよ。動けばズタズタになる」
喉元の幻影剣を瞳だけで確かめながら、セラはくぐもった呻きを漏らした。
「ぼくをいたぶって、反応を楽しんでるんだな!? わざわざ姿を見せたのが、おまえの運の尽きだ! 来い! 〝輝く追……」
「大昔からの災害地図は、すでに確認してある」
相手の動きを見越した舌使いで、ソーマはセラの言葉をさえぎった。
「この高所は、土砂崩れを記憶していない。つまりここでは、きみの力は発動不可だ」
「!」
落石による反撃を完全に封じるため、ソーマはセラを屋上まで誘導した。すべて計算ずくで追い詰めたのだ。結果呪が繰り出せなければ、彼女はただの非力な女子高生でしかない。
空中の刃を邪悪にきらめかせ、ソーマはつぶやいた。
「さて、じっくり話そうか、井踊静良」
死の恐怖が、絶望が、怒りが、セラの心のなにかを断ち切った。
「〝輝く追跡者〟!」
「なに!?」
反射的に重ねた刃で防いでいなければ、ソーマは致命傷を負っていただろう。
轟音とともにソーマの頭上で爆発したのは、灼熱した岩石の破片だ。それもひとつやふたつではない。いくつもの燃える巨岩は、炎と煙の軌跡を残して立て続けにソーマへ降り注いでいる。
襲来する石の雨をとめどなく切り裂きながら、ソーマは驚愕した。
「この結果呪……土砂崩れなどではない! これは〝隕石〟そのもの!」
そう。
これまでは現象が小規模すぎて気づきもしなかったが、セラを救う石ころは地面が崩れてできたものではない。天から落ちる隕石だったのだ。セラの結果呪は、この惑星が太古に記憶した〝流れ星の衝突〟をその場に再現する。
発動者だけを避け、セラのまわりに縦横無尽に隕石は落ちた。折れて砕けた〝竜巻の断層〟の刃の破片は、たちまち輝く粒子と化して消滅する。
激しい呪力の炎に包まれたまま、セラはたじろぐソーマへ一歩前進した。おそろしい眼差しをして言い放つ。
「もう許さないぞ、殺人鬼。数多くの人々を殺めた罪、きちんと償ってもらうよ」
重々しい波音が、セラの耳に届いたのはそのときだった。
「海……?」
いや、それはない。
もっとも近い井須磨海岸でさえ、ここから十数キロは離れている。学校はむしろ山寄りだ。なにかの聞き間違いだろう。
だが次にこだました呪いのささやきは、幻聴などではなかった。
〈結果呪〝魔性の海月〟〉
それは質量ある実体と化して、セラの眼前に現れた。
雨に濡れた地面が、にわかに泡立つ。幻の海面を割って宙に突き出したのは……〝サメの背びれ〟ではないか。
とんでもなく大きな魚影が跳ねるや、開かれた真紅の顎はセラめがけて噛み合った。
「よけろ!」
とっさに突き飛ばされたおかげで、セラは無残な真っ二つにならずにすんだ。
かわりに、セラは安全柵を越えて夜空に投げ出されている。落ちる彼女を、空中で受け止めたのはだれの手か?
急降下の強風の中、人影は叫んだ。
「〝竜巻の断層〟!」
ソーマの周囲から生じた幻の刃たちは、校舎の壁に食い込んで落下の勢いを殺した。
着地の衝撃で散った花壇の花びらの向こう、先に声をあげたのはセラだ。
「い、いまのは!?」
セラを横抱きにしたまま、ソーマは答えた。
「まさか本当に、あれほど巨大な人食いザメだったとは。かつてここがまだ海だった時代に泳いでいた〝肉食魚の記憶〟を呼び起こす結果呪と見た」
ソーマは結論づけた。
「あれが殺人鬼〝食べ残し〟だ」
「え……」
目を点にして、セラは問いかけた。
「じゃ、じゃあ、倉糸先生は犯人じゃ?」
「この慌てん坊め。まあ、結果使いのきみを殺人犯と疑ってかかっていた私も人のことは言えないが」
雨音があってもなおよく通る声で、ソーマは自己紹介した。
「私は政府の捜査官だ。次から次へと人を食らう謎の殺人鬼を追うため、赤務市に配備された。ちなみに、教員免許もちゃんと持っているぞ」
「そ、そうだったんですね……は!」
ふと気づいて、セラはソーマの腕の中でもがいた。
「はやく! はやく犯人を追わなきゃ!」
「落ち着け。敵の呪力の気配は消えた。逃げられたんだ。今回は、対象の結果呪の性質を見ただけでも収穫としよう」
「はい……」
息がかかる近さの彫り深い横顔につい見とれ、セラは遅まきながら頬を赤らめた。じぶんの命を救ってくれた美青年に、まだお姫様抱っこされたままなのだ。
校舎の屋上を睨みつけるソーマへ、セラはもつれた舌で提案した。
「あの、あのあの。もう下ろしてもらっていいですよ? 重たいでしょ?」
「あ? ああ、これは失礼した」
ふたりのいる場所から校舎をはさんだ裏側……
カサをさした人影の足もとには、獰猛な背びれが三つも泳いでいた。
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