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第三話「通過」
「通過」(1)
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昼休みの時間……
美須賀大付属の面談室。
個別の進路相談という名目で、セラとソーマはふたりきりで部屋にいる。
台所でお湯を沸かしながら、ソーマはたずねた。
「紅茶にするか? 緑茶にするか?」
「ぼくが入れますよ。コーヒーを頂きます。角砂糖は十二、いや十三個で」
かすかに片眉をひきつらせ、ソーマはセラを見とがめた。
「見た目に似合わず甘党なんだな。太るぞ?」
「ご心配なく。健康診断の数値はずっと正常です。先生は砂糖、何十個入れます?」
「頭は大丈夫か? よせ、ブラックでいい」
テーブルを挟んで対面しながら、ソーマは気を取り直して本題に移った。
「井踊さん」
「セラで結構ですよ、お気軽に」
「ではセラ。ふつう、組織が民間人に機密を明かすことは絶対にない。だがセラ、きみに対してはあらゆる情報の開示が許可されている。わかるな、この意味?」
「いいえ、ちっとも。もしかしてぼく、悪の組織に誘拐されて洗脳され、戦闘員や怪人に改造されちゃうんですか?」
「きみが魔法少女の卵なら、それもあり得たかもしれん。しかしきみの方向性はまったくちがう。きみは世にもまれな結果使いだ。その呪力はすでに開花し、即戦力になることは疑う余地もない」
「戦力? なんのことですか?」
「ぜひ組織の一員に加わってくれ」
「お断りします」
気まずい静寂に、運動場で遊ぶ生徒たちの嬌声だけが響いていた。即答したセラを真剣な眼差しで見据え、食い下がったのはソーマだ。
「政府の職員だぞ。まごうことなき公務員だ。手厚い待遇は保証されている」
「お金でぼくは釣れませんよ」
「ではなにか、安定した将来を蹴るほどの夢でもあるのかね?」
コーヒーというよりは粘液質のなにかを一口すすり、セラはつぶやいた。
「お菓子職人になることです。目標は、ぼくの作った味で、生きるのに疲れてしまっただれかをちょっとだけ笑顔にすること。政府のスパイになってライブ会場に毒ガスを仕掛けたり、焼きごてで人質にひどい拷問をしたりするのは嫌ですよ」
「うちも偏見されたものだな。たしかに組織は、悪を裁くためであればときに強引な手段にもおよぶが、基本的には正義の味方だぞ。これが組織の概要だ」
左手首にはめた銀色の腕時計を、ソーマは一定のパターンでなぞった。
なにもない空中に具体的な内容を投影したのは、時計に内蔵された超小型のプロジェクターだ。ちょっと進んだ技術に驚きながら、セラは流れる情報を朗読した。
「特殊情報捜査執行局。組織名は、単語の頭文字をそれぞれとって通称〝Fire〟。そのおもな任務は警察機関のサポート、機密情報の防衛。それから、んん? 地球外や異世界等から侵入した敵性存在の迎撃と収容。現実世界に生じた超常現象の観測と鎮圧。覚醒した異能力者の監視・確保・登用。つぎに……え~っと、すいません。なんだかぼく、頭がこんがらがってきました」
「近々、もっとわかりやすい資料を用意する。実際に組織の内部も見学してもらおう」
電子の奔流を静かに消すと、ソーマはさとした。
「結論は急がない。きみには大学をふくめた学業もまだ残っているしな。ただしこれだけは知っておいてくれ。組織はつねに、世界の平和をその裏側から支え続けている。そして能力者であるきみも、もうずっと知らぬふりではいられない。とくに今回、私たちが追っている狂気の結果使い〝食べ残し〟の追跡に関しては」
我知らず奥歯を噛みしめ、セラは問うた。
「ほかにこう、この殺人事件に適任な捜査官のひとはいないんですか? 大きな組織なんでしょう?」
「かねてより、本件には多くの捜査官が投入されている。しかしなにぶん、過去に前例のない敵の対応だ。殺人鬼の尻尾をつかむまでもなく取り逃がし、またことごとく返り討ちに遭っている。その中ではっきりしたことはひとつ」
銀縁眼鏡を正して、ソーマは告げた。
「犯人は好んで結果使いをつけ狙っている。その理由までは不明だが。だからこそ、組織でも数少ない結果呪の専門家である私は赤務市に寄越された」
コーヒーの水面を深刻げににらみ、セラは聞いた。
「ほんとうに……ほんとうに、メグルは殺されたんですか?」
「残念だが、ほぼ間違いなく。現場に残された手がかりの鑑定結果から、彼が存命でないことは明らかだ」
「やはり結果使い、だったからですか?」
「おそらくは」
コーヒーに唇をつけかけたあたりで、ソーマは気づいた。
机上で握りしめられたセラの拳が、白くなって震えていることに。
「ぼくのせいです。ぼくがもっとうまく、メグルを守っていれば」
「じぶんを責めすぎるな。憎むとすればそれは、彼を覚醒させた〝ヒュプノス〟という正体不明の存在だ。なにか心当たりは?」
「ありません……ぼくはただ、声を聞いただけです」
「声、か。その特殊な波長は強い暗示や催眠術のように、能力を眠らせている人間を結果呪に目覚めさせるらしいな。裏で〝食べ残し〟とつながっている可能性もある」
「許せない」
セラの瞳の奥には、熱い決意の炎が燃えていた。
「許せません、約束をやぶった自分自身が。ぼくは誓ったんです、かならず守るって。メグルとお母さんに。ぼくにできることならなんでも協力しますよ、先生。凶悪犯に罪を償わせるために。これいじょう犠牲者を増やさないために」
セラはささやいた。
「ぼくが守ります。学校を、みんなを、この街を」
「一歩前進だな、組織の捜査官に」
コーヒーカップを置くと、ソーマはたしなめた。
「そうは言っても〝食べ残し〟はいつどこで我々を見張り、襲ってくるかわからない。繰り返すが、やつは結果使いをターゲットにしている。高い能力を秘めるきみでも、周囲にはじゅうぶん警戒するんだぞ」
「わかりました」
「有事の際のために、連絡先を交換しよう」
「はい」
口頭で伝えた番号をセラが自分のそれに打ち込むと、ソーマの携帯電話はひとつ震えて静まった。交換完了だ。さらにセラは申し出た。
「REINのアドレスも交換しましょう。声で話せない状況のとき、とても便利です」
「あのはやりの意思疎通アプリのことか。その、すまないんだが」
「まさか先生、インストールしてないんですか?」
「そのまさかだ。連絡はもっぱら、この自爆装置もかねた腕時計でおこなっている」
「自爆は冗談として、友達とメールするときもその銀色の腕時計なんですか?」
「これは組織内の専用回線だ。職場いがいでの交友関係が薄くてな」
「ようはいないんですね、友達?」
「はっきり言ってくれるな。そのとおりなんだが」
「結婚もしてませんね?」
「バカにしているのか。まあ、していない」
「彼女もいないでしょ?」
「いがいと大胆だな、きみ。いない」
おもむろに、セラはソーマのとなりに腰掛けた。
「いいですか、インストールしても?」
「べつにかまわんが」
横から覗き込んだソーマの携帯電話に、セラは例のアプリを落とした。ひとつふたつ簡単な操作をしたあと、うながす。
「これでぼくの電話のコードを読み取ってください」
「ここを押すのか?」
「ちがいます、こっちです」
端末をいじる指と指、横並びの腰と腰はぶつかり、ソーマもやや眉根を寄せている。ぶじに相手の電話の改修が済んだのを確認し、セラはうなずいた。
「はい、これでオーライ」
学校のチャイムが休憩の終わりを告げたのは、ちょうどそのときだった。
「コーヒーをごちそうさまでした。食器は置いといてください。あとで洗いますので」
席を立ちながら、そよ風のように言い残したのはセラだ。
「今後ともよろしくお願いしますね、〝竜巻の断層〟さん」
「ああ、こちらこそ、〝輝く追跡者〟」
出入り口の戸は閉まり、面談室にはぽつんとソーマだけが残された。
沈黙の中、ソーマはおぼろげにじぶんの手をながめている。さっきセラの指がぶつかった場所だ。なにを思ったか、ソーマは半眼で独りごちた。
「プライベート、か……」
ワンテンポ遅れて、ソーマは目を覚ますしぐさで首を振った。
「いかんいかん。なにを考えているんだ私は。そもそも彼女は生徒で、私は教師だぞ?」
教材の一式をひったくるように掴み、ソーマもいそいそと面談室をあとにした。
美須賀大付属の面談室。
個別の進路相談という名目で、セラとソーマはふたりきりで部屋にいる。
台所でお湯を沸かしながら、ソーマはたずねた。
「紅茶にするか? 緑茶にするか?」
「ぼくが入れますよ。コーヒーを頂きます。角砂糖は十二、いや十三個で」
かすかに片眉をひきつらせ、ソーマはセラを見とがめた。
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「頭は大丈夫か? よせ、ブラックでいい」
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「井踊さん」
「セラで結構ですよ、お気軽に」
「ではセラ。ふつう、組織が民間人に機密を明かすことは絶対にない。だがセラ、きみに対してはあらゆる情報の開示が許可されている。わかるな、この意味?」
「いいえ、ちっとも。もしかしてぼく、悪の組織に誘拐されて洗脳され、戦闘員や怪人に改造されちゃうんですか?」
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「戦力? なんのことですか?」
「ぜひ組織の一員に加わってくれ」
「お断りします」
気まずい静寂に、運動場で遊ぶ生徒たちの嬌声だけが響いていた。即答したセラを真剣な眼差しで見据え、食い下がったのはソーマだ。
「政府の職員だぞ。まごうことなき公務員だ。手厚い待遇は保証されている」
「お金でぼくは釣れませんよ」
「ではなにか、安定した将来を蹴るほどの夢でもあるのかね?」
コーヒーというよりは粘液質のなにかを一口すすり、セラはつぶやいた。
「お菓子職人になることです。目標は、ぼくの作った味で、生きるのに疲れてしまっただれかをちょっとだけ笑顔にすること。政府のスパイになってライブ会場に毒ガスを仕掛けたり、焼きごてで人質にひどい拷問をしたりするのは嫌ですよ」
「うちも偏見されたものだな。たしかに組織は、悪を裁くためであればときに強引な手段にもおよぶが、基本的には正義の味方だぞ。これが組織の概要だ」
左手首にはめた銀色の腕時計を、ソーマは一定のパターンでなぞった。
なにもない空中に具体的な内容を投影したのは、時計に内蔵された超小型のプロジェクターだ。ちょっと進んだ技術に驚きながら、セラは流れる情報を朗読した。
「特殊情報捜査執行局。組織名は、単語の頭文字をそれぞれとって通称〝Fire〟。そのおもな任務は警察機関のサポート、機密情報の防衛。それから、んん? 地球外や異世界等から侵入した敵性存在の迎撃と収容。現実世界に生じた超常現象の観測と鎮圧。覚醒した異能力者の監視・確保・登用。つぎに……え~っと、すいません。なんだかぼく、頭がこんがらがってきました」
「近々、もっとわかりやすい資料を用意する。実際に組織の内部も見学してもらおう」
電子の奔流を静かに消すと、ソーマはさとした。
「結論は急がない。きみには大学をふくめた学業もまだ残っているしな。ただしこれだけは知っておいてくれ。組織はつねに、世界の平和をその裏側から支え続けている。そして能力者であるきみも、もうずっと知らぬふりではいられない。とくに今回、私たちが追っている狂気の結果使い〝食べ残し〟の追跡に関しては」
我知らず奥歯を噛みしめ、セラは問うた。
「ほかにこう、この殺人事件に適任な捜査官のひとはいないんですか? 大きな組織なんでしょう?」
「かねてより、本件には多くの捜査官が投入されている。しかしなにぶん、過去に前例のない敵の対応だ。殺人鬼の尻尾をつかむまでもなく取り逃がし、またことごとく返り討ちに遭っている。その中ではっきりしたことはひとつ」
銀縁眼鏡を正して、ソーマは告げた。
「犯人は好んで結果使いをつけ狙っている。その理由までは不明だが。だからこそ、組織でも数少ない結果呪の専門家である私は赤務市に寄越された」
コーヒーの水面を深刻げににらみ、セラは聞いた。
「ほんとうに……ほんとうに、メグルは殺されたんですか?」
「残念だが、ほぼ間違いなく。現場に残された手がかりの鑑定結果から、彼が存命でないことは明らかだ」
「やはり結果使い、だったからですか?」
「おそらくは」
コーヒーに唇をつけかけたあたりで、ソーマは気づいた。
机上で握りしめられたセラの拳が、白くなって震えていることに。
「ぼくのせいです。ぼくがもっとうまく、メグルを守っていれば」
「じぶんを責めすぎるな。憎むとすればそれは、彼を覚醒させた〝ヒュプノス〟という正体不明の存在だ。なにか心当たりは?」
「ありません……ぼくはただ、声を聞いただけです」
「声、か。その特殊な波長は強い暗示や催眠術のように、能力を眠らせている人間を結果呪に目覚めさせるらしいな。裏で〝食べ残し〟とつながっている可能性もある」
「許せない」
セラの瞳の奥には、熱い決意の炎が燃えていた。
「許せません、約束をやぶった自分自身が。ぼくは誓ったんです、かならず守るって。メグルとお母さんに。ぼくにできることならなんでも協力しますよ、先生。凶悪犯に罪を償わせるために。これいじょう犠牲者を増やさないために」
セラはささやいた。
「ぼくが守ります。学校を、みんなを、この街を」
「一歩前進だな、組織の捜査官に」
コーヒーカップを置くと、ソーマはたしなめた。
「そうは言っても〝食べ残し〟はいつどこで我々を見張り、襲ってくるかわからない。繰り返すが、やつは結果使いをターゲットにしている。高い能力を秘めるきみでも、周囲にはじゅうぶん警戒するんだぞ」
「わかりました」
「有事の際のために、連絡先を交換しよう」
「はい」
口頭で伝えた番号をセラが自分のそれに打ち込むと、ソーマの携帯電話はひとつ震えて静まった。交換完了だ。さらにセラは申し出た。
「REINのアドレスも交換しましょう。声で話せない状況のとき、とても便利です」
「あのはやりの意思疎通アプリのことか。その、すまないんだが」
「まさか先生、インストールしてないんですか?」
「そのまさかだ。連絡はもっぱら、この自爆装置もかねた腕時計でおこなっている」
「自爆は冗談として、友達とメールするときもその銀色の腕時計なんですか?」
「これは組織内の専用回線だ。職場いがいでの交友関係が薄くてな」
「ようはいないんですね、友達?」
「はっきり言ってくれるな。そのとおりなんだが」
「結婚もしてませんね?」
「バカにしているのか。まあ、していない」
「彼女もいないでしょ?」
「いがいと大胆だな、きみ。いない」
おもむろに、セラはソーマのとなりに腰掛けた。
「いいですか、インストールしても?」
「べつにかまわんが」
横から覗き込んだソーマの携帯電話に、セラは例のアプリを落とした。ひとつふたつ簡単な操作をしたあと、うながす。
「これでぼくの電話のコードを読み取ってください」
「ここを押すのか?」
「ちがいます、こっちです」
端末をいじる指と指、横並びの腰と腰はぶつかり、ソーマもやや眉根を寄せている。ぶじに相手の電話の改修が済んだのを確認し、セラはうなずいた。
「はい、これでオーライ」
学校のチャイムが休憩の終わりを告げたのは、ちょうどそのときだった。
「コーヒーをごちそうさまでした。食器は置いといてください。あとで洗いますので」
席を立ちながら、そよ風のように言い残したのはセラだ。
「今後ともよろしくお願いしますね、〝竜巻の断層〟さん」
「ああ、こちらこそ、〝輝く追跡者〟」
出入り口の戸は閉まり、面談室にはぽつんとソーマだけが残された。
沈黙の中、ソーマはおぼろげにじぶんの手をながめている。さっきセラの指がぶつかった場所だ。なにを思ったか、ソーマは半眼で独りごちた。
「プライベート、か……」
ワンテンポ遅れて、ソーマは目を覚ますしぐさで首を振った。
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