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第四話「棺桶」
「棺桶」(4)
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ダムナトスの手もとで、魔法の辞典は高速でページを旋回させた。
ひとりでにダムナトスの周囲を浮遊したのは、無数の紙片だ。激しい呪力を流された紙束たちは、アイロンがけされたようにぴんと四隅を張る。まるで厚みのないカッター。どう考えてもその鋭さは尋常ではなく、生身に直撃すればひとたまりもない。
ダムナトスが腕を振るなり、書物の群れはいっせいにルリエを襲った。あたりの観葉植物を無残に切り裂きつつ、紙製の白刃はルリエをズタズタに……
まっしぐらに疾走しながら、ルリエは叫んだ。
「〝石の都〟!」
空間をゆがめて放たれた超重力の鉄槌は、紙刃の雨をまとめて叩き落とした。
だが、迫るルリエを渡り鳥の大移動さながらに追うのは、重力の障壁をすり抜けた本書の弾丸だ。その手数は無限としか思えない。すかさず天井を掴んだ触手を支点に、ルリエは壁を走って紙吹雪の軌道を回避している。
衝撃の波紋が広がった。触手のしなりで勢いをつけたルリエが、ダムナトスに凄まじいドロップキックを浴びせたのだ。ルリエの両足の靴底で、盾としてかざされた辞書は擦過の白煙をあげている。
強い圧迫感に、ダムナトスは眼差しを落とした。その足首に、ルリエのみだらな触手が巻きついているではないか。ダムナトスを捕らえたまま、ルリエは言い放った。
「ちょっと面を貸してもらうわよ!」
「水中だな。よかろう」
屋内プールにふたつ、大きな水柱があがった。ルリエとダムナトスが仲良く水溜まりに沈んだ音だ。両者とも、そこが故郷らしい。水面下ではいったい、どのような魔戦が繰り広げられるのだろう。
一方の陸上、ゼロ距離で肉弾戦をかわすのはシヅルとキスラニだった。死をうがつ魔針と命を奪う呪いの手を、打ち込んでは避ける、避ける、避ける。蹴りと拳を防ぎあって止まった一瞬、シヅルはうなった。
「森ではよくも絞め落としてくれたな」
「こんどはどんな落とされ方をご希望です?」
「ルリエから聞いたで。あんた、他の生命を食べて身代わりにしとるそうやん。また悪どいシャードやの」
「おや、おかしいですか。動物は、他者の血肉を糧にすることによって生きます。私の命重装もごく普通ではありませんかね?」
「邪魔せんといて。その澄まし顔をぶっ飛ばしたら、つぎはダムナトスのカギをもらいにいく番や……〝蜘蛛の騎士〟第三関門」
ささやいたシヅルから、凶暴な呪力が吹き荒れた。
閃光がプールサイドを満たしたときには、シヅルは早変わりしている。女子高生の制服から、漆黒のドレスへ。その片目に燃え上がったのは、呪力の五芒星の輝きだ。
シヅルは魔法少女になった。
キスラニの腕を弾き飛ばしたシヅルの力は、もはや常人の比ではない。弓矢のごとく全身を引き絞るや、シヅルの視界はシャッターが下りるように転換した。いちめん色をなくした世界に、断つべきキスラニの運命が人型に浮かび上がる。
「〝死面〟!」
発射。
反動で、キスラニは大きく後退した。
だが、目を剥いたのはシヅルのほうだ。脇腹に〝蜘蛛の騎士〟の半透明の魔針を生やしたまま、キスラニは不敵にほほ笑んだではないか。その身を飾るネックレス状のシャードからは、いまも不可思議なきらめきが滴っている。
マントでも外すように魔針ごと生命の抜け殻を脱ぎ捨て、キスラニはつぶやいた。
「致命傷を外して昏倒を狙うとは、お優しいですね。ですが無駄です」
「なんやと!? 〝面〟!」
こんどこそシヅルの魔針は、キスラニの眉間、胸、下腹部を立て続けに射抜いた。
人体の急所、いわゆる正中線だ。もちろん破壊のため、シャードのネックレスにも攻撃は加えている。しかし同じ回数分だけ死への盾を吐き捨てたのみで、キスラニに動じる気配は一切ない。
「くそ! 〝面〟! 〝面〟!」
たえず魔針の洗礼を受けつつも、キスラニは前進した。次から次へと命の残像を放り捨てるという強引な戦法だ。シヅルの瞳の星は、もはや残り二角にまで減っている。
「さきに底をつくのは、あなたの呪力のほうですよ。私の命の枚数は、あなたの五芒星よりはるかに多いんです」
「〝面〟!」
渇いた音……シヅルの手が掴み取られた響きだ。
疲弊した魔法少女の腕を、キスラニは乱暴に捻り上げた。同時に、がら空きの胴体へ指をかける。正確には、シヅルの生命そのものに呪力の鉤爪を突き刺したのだ。
「終わりです、江藤詩鶴」
冷酷な声とともに、キスラニは一気にシヅルの残像を引きずり出した。
「……!」
いや、まだだ。震える掌で、シヅルはキスラニの魔手を引き止めている。それでも、キスラニの異能は徐々にシヅルの命を抜き出し……
「〝蜘蛛の騎士〟……」
シヅルの苦鳴は、文字どおり魂を吐き戻すかのようだった。
「〝蜘蛛の騎士〟第四関門……〝死界〟!」
「なにッ!?」
さしものキスラニも狼狽した。
感じたのだ。決して死なないはずの己に、むりやり〝死〟が植え付けられるのを。シヅルに寄生した星々のものは、宿主の瀕死に呼応した。キスラニの必勝のパターンが、魔法少女の最終形態を覚醒させてしまったらしい。
おお。キスラニの周囲をいっせいに塗り潰したのは、異様な光景だ。どこまでも果てしなく続く無限の暗闇に、おびただしい血管に似たなにかが走っている。
悪夢じみた空間の中、キスラニはうめいた。
「これは……これは、限定外夢!? ありえません!」
そう。
魔法少女は単独で、現実世界に腫瘍のごとき別次元の異物を発生させた。本来なら呪力でできたドレスの姿に留まっているはずの異世界が、新たな未知の領域を構成するまでに拡大したのだ。それはシヅルの才覚と心象を具現化した結界ともいえ、突如外部に滲出した魔法少女の体内ともいえる。
墓標のようにたたずむシヅルを起点にして、闇は脈動した。
あたりの空間に刻まれた大量の亀裂が、てらつく粘液をまとって開く。眼球だ。万とも億とも数えられる血走った眼、眼、眼。当初は視線という視線はてんでばらばらの方向に蠢いていたが、やがてある一点を見据えて止まった。つまりは、キスラニを照準して。
「魔法を使うのではなく、世界自体を魔法に作り変えるとは……こんな魔法少女、見たことも聞いたこともありません」
大小おびただしい眼球に睨まれ、キスラニは固唾をのんだ。シャードのネックレスにこもった呪力を全開にし、両腕で防御の姿勢をとる。
「止めてみせます! 来なさい!」
気づいたときにはもう遅い。
瘴気の突風が駆け抜けたかと思いきや、シヅルはキスラニの背後に急停止している。
身を低めて一閃されたシヅルの魔針には、なにかが折り重なって串刺されていた。溜まりに溜まった洗濯物みたいに絡まるそれは、よく見ればキスラニのすべての生命のストックではないか。全天周に散った眼球でキスラニの能力の綻びを解析したシヅルが、敵手の守りを破壊より早く脱ぎ剥がしたのだ。達人の技は、不要をはぶいて自然な動きと化す。
映像を巻き戻すように縮退していく暗黒の中、キスラニはがくりと膝をついた。
「私自身の命も……ほとんど持っていかれましたね」
背中合わせのまま、シヅルはキスラニの倒れ伏す音を聞いた。その片目の五芒星は、わずか一角を残して頂点が薄れかかっている。
深く吐息をつき、シヅルは告げた。
「いまのは危なかった……おおきに、〝蜘蛛の騎士〟」
水辺から飛来した本の束が、シヅルをプールに突き落とすのはいきなりだった。
ひとりでにダムナトスの周囲を浮遊したのは、無数の紙片だ。激しい呪力を流された紙束たちは、アイロンがけされたようにぴんと四隅を張る。まるで厚みのないカッター。どう考えてもその鋭さは尋常ではなく、生身に直撃すればひとたまりもない。
ダムナトスが腕を振るなり、書物の群れはいっせいにルリエを襲った。あたりの観葉植物を無残に切り裂きつつ、紙製の白刃はルリエをズタズタに……
まっしぐらに疾走しながら、ルリエは叫んだ。
「〝石の都〟!」
空間をゆがめて放たれた超重力の鉄槌は、紙刃の雨をまとめて叩き落とした。
だが、迫るルリエを渡り鳥の大移動さながらに追うのは、重力の障壁をすり抜けた本書の弾丸だ。その手数は無限としか思えない。すかさず天井を掴んだ触手を支点に、ルリエは壁を走って紙吹雪の軌道を回避している。
衝撃の波紋が広がった。触手のしなりで勢いをつけたルリエが、ダムナトスに凄まじいドロップキックを浴びせたのだ。ルリエの両足の靴底で、盾としてかざされた辞書は擦過の白煙をあげている。
強い圧迫感に、ダムナトスは眼差しを落とした。その足首に、ルリエのみだらな触手が巻きついているではないか。ダムナトスを捕らえたまま、ルリエは言い放った。
「ちょっと面を貸してもらうわよ!」
「水中だな。よかろう」
屋内プールにふたつ、大きな水柱があがった。ルリエとダムナトスが仲良く水溜まりに沈んだ音だ。両者とも、そこが故郷らしい。水面下ではいったい、どのような魔戦が繰り広げられるのだろう。
一方の陸上、ゼロ距離で肉弾戦をかわすのはシヅルとキスラニだった。死をうがつ魔針と命を奪う呪いの手を、打ち込んでは避ける、避ける、避ける。蹴りと拳を防ぎあって止まった一瞬、シヅルはうなった。
「森ではよくも絞め落としてくれたな」
「こんどはどんな落とされ方をご希望です?」
「ルリエから聞いたで。あんた、他の生命を食べて身代わりにしとるそうやん。また悪どいシャードやの」
「おや、おかしいですか。動物は、他者の血肉を糧にすることによって生きます。私の命重装もごく普通ではありませんかね?」
「邪魔せんといて。その澄まし顔をぶっ飛ばしたら、つぎはダムナトスのカギをもらいにいく番や……〝蜘蛛の騎士〟第三関門」
ささやいたシヅルから、凶暴な呪力が吹き荒れた。
閃光がプールサイドを満たしたときには、シヅルは早変わりしている。女子高生の制服から、漆黒のドレスへ。その片目に燃え上がったのは、呪力の五芒星の輝きだ。
シヅルは魔法少女になった。
キスラニの腕を弾き飛ばしたシヅルの力は、もはや常人の比ではない。弓矢のごとく全身を引き絞るや、シヅルの視界はシャッターが下りるように転換した。いちめん色をなくした世界に、断つべきキスラニの運命が人型に浮かび上がる。
「〝死面〟!」
発射。
反動で、キスラニは大きく後退した。
だが、目を剥いたのはシヅルのほうだ。脇腹に〝蜘蛛の騎士〟の半透明の魔針を生やしたまま、キスラニは不敵にほほ笑んだではないか。その身を飾るネックレス状のシャードからは、いまも不可思議なきらめきが滴っている。
マントでも外すように魔針ごと生命の抜け殻を脱ぎ捨て、キスラニはつぶやいた。
「致命傷を外して昏倒を狙うとは、お優しいですね。ですが無駄です」
「なんやと!? 〝面〟!」
こんどこそシヅルの魔針は、キスラニの眉間、胸、下腹部を立て続けに射抜いた。
人体の急所、いわゆる正中線だ。もちろん破壊のため、シャードのネックレスにも攻撃は加えている。しかし同じ回数分だけ死への盾を吐き捨てたのみで、キスラニに動じる気配は一切ない。
「くそ! 〝面〟! 〝面〟!」
たえず魔針の洗礼を受けつつも、キスラニは前進した。次から次へと命の残像を放り捨てるという強引な戦法だ。シヅルの瞳の星は、もはや残り二角にまで減っている。
「さきに底をつくのは、あなたの呪力のほうですよ。私の命の枚数は、あなたの五芒星よりはるかに多いんです」
「〝面〟!」
渇いた音……シヅルの手が掴み取られた響きだ。
疲弊した魔法少女の腕を、キスラニは乱暴に捻り上げた。同時に、がら空きの胴体へ指をかける。正確には、シヅルの生命そのものに呪力の鉤爪を突き刺したのだ。
「終わりです、江藤詩鶴」
冷酷な声とともに、キスラニは一気にシヅルの残像を引きずり出した。
「……!」
いや、まだだ。震える掌で、シヅルはキスラニの魔手を引き止めている。それでも、キスラニの異能は徐々にシヅルの命を抜き出し……
「〝蜘蛛の騎士〟……」
シヅルの苦鳴は、文字どおり魂を吐き戻すかのようだった。
「〝蜘蛛の騎士〟第四関門……〝死界〟!」
「なにッ!?」
さしものキスラニも狼狽した。
感じたのだ。決して死なないはずの己に、むりやり〝死〟が植え付けられるのを。シヅルに寄生した星々のものは、宿主の瀕死に呼応した。キスラニの必勝のパターンが、魔法少女の最終形態を覚醒させてしまったらしい。
おお。キスラニの周囲をいっせいに塗り潰したのは、異様な光景だ。どこまでも果てしなく続く無限の暗闇に、おびただしい血管に似たなにかが走っている。
悪夢じみた空間の中、キスラニはうめいた。
「これは……これは、限定外夢!? ありえません!」
そう。
魔法少女は単独で、現実世界に腫瘍のごとき別次元の異物を発生させた。本来なら呪力でできたドレスの姿に留まっているはずの異世界が、新たな未知の領域を構成するまでに拡大したのだ。それはシヅルの才覚と心象を具現化した結界ともいえ、突如外部に滲出した魔法少女の体内ともいえる。
墓標のようにたたずむシヅルを起点にして、闇は脈動した。
あたりの空間に刻まれた大量の亀裂が、てらつく粘液をまとって開く。眼球だ。万とも億とも数えられる血走った眼、眼、眼。当初は視線という視線はてんでばらばらの方向に蠢いていたが、やがてある一点を見据えて止まった。つまりは、キスラニを照準して。
「魔法を使うのではなく、世界自体を魔法に作り変えるとは……こんな魔法少女、見たことも聞いたこともありません」
大小おびただしい眼球に睨まれ、キスラニは固唾をのんだ。シャードのネックレスにこもった呪力を全開にし、両腕で防御の姿勢をとる。
「止めてみせます! 来なさい!」
気づいたときにはもう遅い。
瘴気の突風が駆け抜けたかと思いきや、シヅルはキスラニの背後に急停止している。
身を低めて一閃されたシヅルの魔針には、なにかが折り重なって串刺されていた。溜まりに溜まった洗濯物みたいに絡まるそれは、よく見ればキスラニのすべての生命のストックではないか。全天周に散った眼球でキスラニの能力の綻びを解析したシヅルが、敵手の守りを破壊より早く脱ぎ剥がしたのだ。達人の技は、不要をはぶいて自然な動きと化す。
映像を巻き戻すように縮退していく暗黒の中、キスラニはがくりと膝をついた。
「私自身の命も……ほとんど持っていかれましたね」
背中合わせのまま、シヅルはキスラニの倒れ伏す音を聞いた。その片目の五芒星は、わずか一角を残して頂点が薄れかかっている。
深く吐息をつき、シヅルは告げた。
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